第四章 4


 ヴラソフ大陸に着いた。

「ラズグラドのことを知っている人がいるかもしれない。片っ端から聞いてみよう」

 ルグネツァはこくん、と息を飲んだ。

 私のことを知っている人が、いるかもしれない。ラズグラドのことを、知っている人がいるかもしれない。

 記憶が、戻る。

 知っていることが、増える。

「……」

 自分が自分でなくなるような恐怖があった。

 首を振る。

 ううん。記憶が戻っても、瑕はなくならない。瑕はそのまま残る。私は私のまま。

「ルグネツァ、行こう」

 アールに促されて、歩き出す。

 それから、あちこちの酒場で聞き込みをした。また、宝石屋は様々な人間が出入りするため、情報が手に入りやすい。

 宝石屋にも立ち寄って、ラズグラドのことを聞いて回った。

「ラズグラド? さて、聞いたことないなあ」

「そっか……ところで、これ魔石じゃないかな」

「どれどれ……惜しいな。ものはいいが、炎が入ってないよ。金貨一枚ってとこだな」

「魔石は扱ってる?」

「買いはするが、売るとなると、もう在庫がないんだよ。どこの宝石屋も同じさ。取り合いなんだ。あちこちで魔石が取れなくなってきて、どんどん値段が高くなって、国と国で奪い合いさ。小さな王国なんかじゃ、今時飛空艦なんて飛ばせるほどの魔石はもう持てないんじゃないかなんて皆噂し合ってるよ」

「ふうん……」

「じゃ、金貨一枚」

「ありがと」

 アールは宝石屋から出て、アフォンソと行き会った。

「どうだった?」

「だめだ」

「こっちもだ」

「他を当たろうぜ」

 どの宝石屋に行っても、どこの酒場に聞いても、答えは同じだった。

「諦めるのは早い。まだ一つ目の街だからな」

 アリスウェイドは杯を傾ける。

「言っただろう。人探しは気長に」

「それもそうだけど、魔石が思ったより採れないのが驚いたよ」

 アールが食べながらそんなことを言った。

「宝石はそこそこ採れる。でも、魔石は一つもない。毛ほども掠らない。こんなの初めてだ」

「魔石って、そんなに採れるものなの?」

 ルグネツァがおずおずと尋ねる。彼女は、そういった世の中の常識をよく知らない。

 アールは腕を組んで、

「そうだなあ。俺は宝石を見つけるのが得意だけど、魔石を見つけたことがあるのは二回か三回くらい。それも、すごくちっちゃいの。それでも金貨十枚くらいになった。あの時は確か赤だったからそれくらいだったけど、一番いいやつで青を見つけた時は、三十枚いったな」

「そんなにするものなの」

 ルグネツァは目を瞠った。

「赤、緑、青、紫の順で高いんだ。紫となると小粒でも金貨何百枚もするんだよ。それくらいになると、もう王国とかくらいしか持ってないんだけどね」

「ふうん……」

 頭のなかで、なにかが光った。

 ちかちか、ちかちか、ちかちか。

 なに?

 目の裏が、明滅する。

 ちかちか、ちかちか、ちかちか。

「――」

 ちかちか、ちかちか、ちかちか。

「ルグネツァ?」

 目を瞑る。それでもなにかは光っている。

 ちかちか、ちかちか、ちかちか。

 額に汗が浮かぶ。

「どうした?」

 拳をぎゅっと握る。

「……なんでもない」

 ふっと息を吐く。

 光は消えている。

「さあもう寝よう。明日は違う街に行かねばならない」

 部屋に入って一人になると、あの光を思い出す。

 あの光はなんだ? 

 なぜ、あの話を聞いていてあの光が光ったのだ?

 訳の分からない不安が押し寄せる。

 ルグネツァはそれに押し潰されそうになりながら、ベッドに横になった。



 芍薬の月の草原の大陸は美しい。

 普段ならば移動は大変なものであったが、今回ばかりはそれも少しばかり楽しいものとなった。

 草が風になびき、さらさらと音をたてる様は見ていて心が洗われた。

「きれいね」

 ルグネツァが言うと、アールがそうだね、と立ち止まる。

 一同はしばらく歩くのをやめて、草原に見入った。

 アリスウェイドもまた空を見上げ、そしてまたも思い出した、

 師・ドナルベインと出会った日も、こんな澄んだ青空の広がる日であったと。



 父が死んだ。

 戦の途中に入った報せは、伐りだした木の下敷きになりかけた子供を助けようとして父がその木の下敷きになったというものだった。抜け出したくとも抜け出せない状況まで戦は追い込まれており、アリスウェイドはすぐに故郷に戻ることができなかった。

 やっと戦が終わったのはそれから二か月後で、アリスウェイドは故郷には戻らずそのまま旅を続けた。

 弟への手紙には、帰ったところでなにをするわけでもない、却ってそちらを騒がせてしまうからと、帰郷しないことを詫びておいた。

 何年も旅に出ている自分が帰ることで、弟がいつも気を遣って色々としようとしていることを、アリスウェイドはよくわかっていた。

 今自分が帰ったところで葬式がとうの昔に済んでいるのならば、帰る必要はない。

 生まれた子供というのに会ってみたい気もしたが、ちょうど舞いこんできた友人からの依頼の話を聞いて、子供の顔を見、弟の息災を喜びに帰郷しようとしていたアリスウェイドの心は帰らないことを決めていた。

 友人は彼に身辺警護を依頼してきたのである。げっそりとやつれ、昼夜を問わない刺客の襲撃に夜も眠れないというその友人は、すっかり人相が変わってしまっていた。

 そこで半年にわたる警護を続け、ようやく刺客を差し向けていた人間本人が死んだことにより、友人の周辺も静かになり、アリスウェイドはすっかり故郷に帰る気をなくして、またあちこちを放浪しようとしていた。

 冬の日のことだった。珍しく雲が晴れ、澄みきった青空が美しい。

 その日アリスウェイドは草原を渡っていた。と、目を向けると、彼の濃緑の瞳に、誰か多人数の人間が剣を抜いて戦っている姿が目に映った。そう遠くではない。

 近くに寄ると、どうやら一人の老人に対して六人ほどの男が立ち向かっているようだ。

 今、凄まじい気合いの叫びと共に、最後の男が老人に立ち向かった。

 その速さといい、男の持つ殺気の凄絶さといい、当時のアリスウェイドがかなりの腕と判断したほどの戦士であった。

 老人が剣を振り下ろした。

 戦士が、轟音と共に吹き飛んだ。

「! ――」

 弱冠二十三歳、今思えば、自分も若かった。

 抜刀し、アリスウェイドは叫んだ。

「なにをする!」

 すると老人は初めてこちらを振り返った。真っ白な髪は腰を過ぎても尚長く、顎髭も胸まで届いている。

 その鋭い瞳――。まるで雪山のつららのような鋭さだ、アリスウェイドは思った。

 一分の隙もない身のこなし。全身から発せられる、すがすがしいまでの気合い。

 今自分が対峙しているのは、本当に老人なのだろうか。そう錯覚したほどであった。

「なに……命が欲しいというから、とれるものならくれてやると言ったまでじゃ」

「! ……」

 どう考えてもあの男がこの老人にやられたとは考えたくなかった。恐らく自分があの男と戦っても勝てる見込みはほとんどないほどの手練れであったはずだ。

 動転していたのか頭に血がのぼったのか、この老人に正義はない、アリスウェイドは思った。その気持ちがそのまま殺気になったのだろう、老人は眉を上げ、

「ほう……来るか。ならばよい、来るがいい」

 カッとなった。アリスウェイドは今にも飛びかからんばかりの体勢となった。

 ザッ!

 老人がこちらを向き、収めていた剣を再び抜いた!

「儂に打ち込むことができれば剣鳳の位をやろう!」

 アリスウェイドはひどく馬鹿にされた気分になって打ち込んだ。

 走り始めた直後、何だかわからないが風の塊のような、鋭いものが自分めがけて飛んできた。

 アリスウェイドは直感的に横に飛んでそれをよけ、直後に同じものが飛来してきてまた横に飛んだ。自分がよけた直後に虚しく地面を引き裂いたそれは、アリスウェイドが青くなるほどの殺傷力を持っていた。

 草原であったはずの大地から草を切り裂き、地面を露出させて尚飽かず、掘り下げるまでの威力であった。

 何度も同じように攻防を続け、やっとのことでアリスウェイドは老人に打ち込めるだけの距離へ近付いた。

 アリスウェイドは渾身の力を込めて剣を振り下ろした。

 しかし、彼の必殺の一撃はいとも簡単に弾かれた。

「う……」

 老人自身の剣によって阻まれたのである。

 腕の感覚がなかった。あまりにも強い力で防がれたので、腕が痺れているのだ。

 しかし老人も目を瞠って自分を見ていた。

「ほう……儂に手を出させるとは……」

 そして老人はそのままアリスウェイドを彼の剣ごと押し込んだ。

 圧倒的な力で押し込まれ、彼は物凄い音をたてて地面に背中から倒れた。老人は背を返し、

「見込みがある。ついて参れ」

 言い放つと、茫然とするアリスウェイドを残して歩き始めた。

 これが、当時剣聖であったドナルベイン・バルタザールとアリスウェイドとの運命的な出会いであった。

 この後アリスウェイドは彼の庵で文字通り凄絶な修業を積み、当初の師の見込み通り、数年後に剣聖の称号を引き継いだのである。



「アリスウェイド、行こう」

 声をかけられて、我に返る。

「ああ」

 そして歩き出す。草原に目を馳せ、師を思う。

 今頃、どこでなにをしていなさるかな――。

 きっと相変わらず神出鬼没なんだろう。そして、あちこちで人々の世話を焼いているに違いない。

 かなりの老齢だが、それを感じさせないほどの矍鑠ぶりだ。

 頑固者の師のことを考えているアリスウェイドは、迂闊にも自分たちが尾行されているということに気づいていなかった。

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