第四章 2
1
「おかしいなあ。近頃、魔石が少しも見つからないんだよ」
アールがぶつぶつとこぼしている。
「そういや、宝石は見つかるけど魔石はほとんどないな」
「宝石屋も言ってた。最近、魔石の持ち込みがぐんと減ってきて、値が上がって大変だって。あちこちの国で取り合いになってて、戦になるんじゃないかって」
「資源は無限ではないからな」
「あんた、魔石持ってる?」
「私が持っていても無駄だ。売ってしまったよ」
「そっかあ」
アフォンソは手を頭の後ろで組んで、残念そうに言った。サラディンはそれを、不思議そうに見ている。まったく、人畜無害な男にしか見えない。これのどこが仇だというのだ。
「アールは目がいいんだ。宝石探しの名人なんだぜ」
「ルグネツァと出会ったのも宝石を探してた時なんだ」
「ほう」
「海を歩いてたら、彼女が倒れてて。海には海の宝石が落ちてるから」
「海で倒れていた? どこの海だ」
「サラスの海だよ」
アリスウェイドは地図を取り出した。
「サラスの海は、海流になっている。その流れに一度乗ると、出られない」
「どういうこと?」
「どこから流れてきたかわかるってことだ」
サラディンが真剣な顔で言う。
「そうか。そういうことか」
「その海流は、どこから来てるの?」
「ヴェツタ。――ヴラソフ大陸だ」
「じゃあルグネツァは――そこから来たってこと?」
一同は顔を見合わせた。
ヴラソフは地図で言うと右上に位置する、草原の大陸である。
船が出航して、アリスウェイドが甲板から海を眺めていると、ジェルヴェーズがやってきて隣に立った。彼女は銀髪が乱れるのも構わず、同じように海を見つめていたが、やがて、
「……三年前、どこにいた?」
と静かに尋ねた。
「三年前? はて……どこだったかな。あちこちにいるから、どこにいたかは明確には思い出せない。なぜだい」
「……」
ジェルヴェーズは唇をぎゅっと噛んで、なにかを考えている。
二人の間を、沈黙が漂った。
アリスウェイドはそれ以上追及しようとせず、ジェルヴェーズもなにも言わなかった。
空のずっと上の方で、鳥が悠々と飛んでいる。
やがて、ジェルヴェーズは口を開いた。
「ナタリーという名に聞き覚えは?」
「ナタリー? ……いや」
「……そう……」
彼女は少しうつむいてそれだけを呟くと、なにも言わずに甲板から去っていった。
アリスウェイドは自分が一人で放浪の旅を続けていた時代を思い起していた。
多くの英雄がそうであるように、またアリスウェイドも、なんの変哲もない、将来の兆候など微塵も感じられないような、普通の家庭に生まれた。
母はアリスウェイドが三つの頃流行り病で死んでいた。またその時代、今ほど世情は安定しておらず、戦乱が大地を揺るがしていた時代であったから、アリスウェイドにとって人の死というものは考えられないほど身近なものだった。
父は樵で、今思うとひどく体格がよく、近隣の樵の中でもよく頼りにされる存在だった。 近所で難産で苦しむ主婦が出れば、男たちは真っ先に父の元へやってきていた。父はそうすると、どんな嵐の日であろうと村を出ていって隣の街まで医者を呼びにいき、大抵の場合途中で疲れて歩けなくなってしまったり吹き荒ぶ風に負けたりしてしまった年老いた医者を背負ってくるのだった。
皆が父を頼りにしていたし、父もそれをまたそれを喜びとしていた。樵は体力があり、腕っ節も強いので、斧を持って戦えば生半可な戦士など相手にできるものではなかったが、その中でも父はやはり強かったように記憶している。
少年であったアリスウェイドはまだこの時自らに何の自覚もなく、また漠然とながら、父のように樵になるのだろうとも思う一方、なにかそれは違うのではないのか、と思いもしていた。
ある日、父がまだ小さい男の子を連れてきた。アリスウェイドが五つの頃だった。
身体の小さい、ひどく痩せている子供で、すっかり汚れた服と、煤のような汚れが身体のあちこちにある様子からも、この子供が戦災孤児だということは明らかだった。父はアリスウェイドに言った、今日からこの子は家の人間だと。お前の弟だと。怯え、痩せこけてしまっている少年はなかなか家人に心を許さず家の隅で怯えていたが、半月もすると次第に慣れてきたようだ。
名を聞いたが首を振るばかりなので、父がヴィラルクと名付けた。当然歳もわからなかったが、身体が小さくどう見てもアリスウェイドより年下だろうという近所の者の声もあって三、四歳だと見当をつけた。
アリスウェイドとヴィルは仲がよかった。アリスウェイドはよく彼の面倒を見、またヴィルも彼を兄と慕った。
二人は本当の兄弟のようだった。成長してもそれは変わらず、特にヴィルは、父とアリスウェイドの風貌や性格が段々と似てくるということに特別な疎外感を感じたりもせず、やっぱり親子なんだねえとしきりに感心した。
十一歳になる頃、早くもアリスウェイドは未来の剣聖としての兆候を見せ始めていた。 斧よりも剣を好み、樹を伐りだすよりは剣の稽古に熱中することの方が多かった。
同じ頃ヴィルは、ちょっとした樹なら、父に手伝ってもらって伐られる程度になっていた。
十三の頃、アリスウェイドは旅に出る決意をした。三年くらい前から、自分は樵に向いていないのではないか、証拠に気が付くと剣で稽古をしているということに気づいてはいた。しかし父や弟を置いて旅に出るということ、そして自分の年齢も考えると、まだその考えは早いように思われた。
よくよく熟考して、それでもまだ旅に出たいのならそうすればいい。
そして十三、早くも父の若い頃のようにとてもその年齢には見えない立派な体格と身長になったアリスウェイドは、旅に出る決意を家族に明らかにした。
父は、そうか、頑張ってこいよと言ったのみだった。斧より剣を好む息子が、このまま樵になるとは考えていなかったようだ。
弟は、父よりも反応が過剰だった。目をむいて驚いていたし、えっ、と上げた声もやはり大きかった。
食卓では散々アリスウェイドを止め、それでもだめかと思うと、今度は夜彼の寝室にやってきて説得に当たった。
アリスウェイドはどんなことを言われても無理だよと静かに言った。そして父さんを頼むよ、お前なら立派な樵になれるからとも言った。
二日後にアリスウェイドは旅立った。世界中のあらゆる国、あらゆる街、あらゆる村をまわった。
なぜ旅を続けたのかはわからない。剣が好きだ。戦士になりたいとも思っている。しかしアリスウェイドを旅立たせた決定的な理由は、もっと違うところにあった。
小さい頃から一人でいることが好きだった。
父も母も愛してはいた。しかしそれとは違う感情で、アリスウェイドはいつも一人でいたいと思っていた。無論弟のことも愛している。
それ以前からアリスウェイドは、いつかたった一人になって、旅をしたいと心のどこかで思っていた。空を飛ぶ鳥のように、自由に気の向くまま旅をしたいと。
そう、アリスウェイドは、孤独になりたかったのだ。それがなぜかは、よくわからなかった。
少なくともその時点では彼にはわからなかった。数年に一度は家に帰った。温かい料理と笑いに包まれると、やはり家はいいと思ったが、ずっといたいとは思わなかった。
いてはならないような居心地の悪さがあった。旅を続け旅を重ねるごとにそれは深まっていった。
アリスウェイドが十八の時、ヴィルはある女性を連れてきた。アデレードと名乗るその女性は、森で迷っているところでヴィルと出会ったらしく、弟はすっかり彼女が気に入ってしまい、またアデルも彼のことを憎からず思っていたので、簡単に家に居候となり、一か月後には二人は結婚してしまった。アデルは眉のまるい、笑うとくずれおちてしまいそうに頼りなげな、はかなげな感じの女性だった。おとなしく温和で、いつも口元にやわらかな笑みを浮かべていた。
アリスウェイドは弟に、いかにもお前の好きそうな女性だと言ってはからかった。その頃アリスウェイドもそろそろ名も顔もそこそこ売れるようになってきて、剣秀の称号を得ていた。
称号の中では最低のものとはいえ、十代で剣秀を得た者はいなかったから、称号を得た当時ちょっとした話題にもなった。
年をとるにつれ、アリスウェイドの孤独を好む傾向はますます強くなっていった。
ちょうど故郷から位置して星の反対側にいる頃、ヴィルから子供が生まれたという報せが入った。その頃アリスウェイドは傭兵として戦に参戦していたので、生憎駆け付けることはできなかったが、祝いの手紙を小切手と共に送った。
そしてその半年後、父が小さな子供を庇って伐りだした大木の下敷きになって死んだこと、死に顔は安らかで満足そうだったことが伝えられ、その数年後、今度は戦乱に巻き込まれ弟夫婦が死んだことを知らされた。
アリスウェイドは愕然とした。期せずして、彼は天涯孤独になってしまったのだ。
そしてそうなってから、彼は初めて家族がいるからこそ旅をしているのだということに気づいた。
この世でたった一人きりになって、孤独を好みたがるのは家族の暖かみをわかっていて、帰るところがあるからだということに気付いたのだ。空を飛ぶ鳥は、自由なだけではなく孤独だということを知ったのだ。
そして気がついた時、彼は家族を失ってしまっていた。戦が終わり、故郷に帰って生き残った者たちを探しだせば、生まれた子供の生存も絶望的だと言われた。孤独になって初めて、孤独の淋しさがわかったような気がした。
アリスウェイドは放浪の旅を再開したが、胸の奥にまるで穴の開いたような、空虚な重さがついて離れなかった。
自分は、帰る場所をなくしたのだ。戦に疲れて家路についたところで、温かい料理も屈託のない笑顔もない。家すらも、戦乱はアリスウェイドから無残に奪っていた。アリスウェイドは立ち尽くす思いだった。
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