第三章 3
スムスの気候は温暖で、テス火山の麓の街には風車がいくつもあった。
「火山の地熱で風車が回っているんだ。その他に、その熱を利用して工場や畑もある」
しかし、肝心の風車は今は活動していないようである。
「……回ってないみたいだね」
アフォンソがきょろきょろと辺りを見回しながら呟くと、アリスウェイドも訝しげに眉を寄せた。
「……私が以前ここに来た時は回っていたものだが……はて……」
彼は顔を上げ、近くを通った人間に、
「もし、ここは以前風車が活動していたはずだか、なぜ動いていない? なにかあったのか」
と尋ねた。すると、その男は渋い顔になって、
「ああ、地下にある地熱を調節する施設がだめになってしまって、そこに悪い連中がたむろしているんだ。腕っ節の強い奴らで、街の人間は誰も歯が立たない。困っているんだよ」
「地下に?」
「風車はリリンさんてひとの持ち物なんだが、いたく困っていてね。そのひとの息子も来月結婚するっていうのに、不景気な話で参ってるって話だ」
「ふむ……」
立っていると、じわりじわりと汗が浮かんでくる。まだ四番目の月、桜なのにも関わらずである。
「アリスウェイド、一旦宿に行こうぜ」
「ああ」
一同は街の中心部に行って、そこで食事をすることにした。
「風車が動いていないのは痛いな」
「どのみち、火山には近づけないだろうしね」
「街のひと、困ってるよ。助けてあげようよ」
アリスウェイドはじっと考えた。
火山の近くまで来て、風車が活動していればルグネツァがなにか思い出すと思ったが、風車が動いていたのなら話は別だ。これは、どうにかしなければならない。それに、困っている人間がいるのを見過ごすわけにもいかない。
「仕方ないな」
ため息混じりでこたえると、
「じゃあ荷物を置いてこよう」
「俺は街のひとに話を聞いてくる」
一同はそれぞれ散っていった。
ルグネツァは表に出て、そこから見えるテス火山を眺めた。
「……」
もうもうと白い煙を噴く山が見える。
あれが私の故郷って、どういうこと?
ちらり、右手を見る。薬指には、青い宝石がある。
私の瑕。私は、思い出せるんだろうか。思い出したら、どうなるんだろう。瑕は、なくなるの? 瑕は、どうなるの?
頭のなかで、なにかが光った。
頭痛がする。
またなにか、光った。
思わず頭を押さえる。幻だ。目を瞑る。消えろ。消えろ。消えろ。
「ルグネツァ」
後ろから、アールがやってきた。
「どうしたの。なにやってるんだい」
「……なんでもない」
額に汗を浮かべて、ルグネツァはこたえる。
「……ここは暑いね」
「そうだね。火山があるからかな」
それより、と彼は言った。
「珍しい宝石をいくつか見つけたよ。後で宝石屋に行こう」
「……うん」
アリスウェイドが街の人間と話をつけてきて、風車のなかから地下の施設に入れてもらえるよう頼んでもらってきた。
「そこから、山の地下に行けるらしい。どうやら山賊のような連中が出入りしていて、悪さをしているというんだ」
「山の地下に行けるの。……そう」
「何人か行方不明の人間もいるらしくて、そいつらのせいじゃないかって言ってるひともいるみたいだよ」
その地下の施設に行くには、街で一番大きな風車から行くのだそうだ。
リリンという男が管理しているので、鍵を持ってきてもらった。
「風車が動かないと、工場も畑も機能しないので街の皆が困っているのです。それに、あいつらがやってきて略奪するので街は貧しくなる一方です」
しかも、女たちにまで悪さをするので厄介この上ないのだそうだ。
これは、剣聖としては聞き捨てならない事態である。
「私は便利屋じゃないんだけどね」
そう呟いたアリスウェイドであったが、人々が困っているのを見捨てる訳にもいかないだろう。
風車の内部の扉を開けてもらい、そこから地下に入った。
扉のなかは暗くて、階段になっている。手すりに掴まって歩くうち、段々と急な下りになっていった。その内、土の壁に変わっていったかと思うと、階段が土のそれになっていった。
そして手すりがなくなり、壁の松明が消え、自分たちで灯かりを点けて、気がついた時にはには螺旋状に壁を伝っていた。
「これは相当深いな」
そして下りきったところで、今度は緩やかな登り道を行くことになった。ほとんど平坦なそれは、ずっとずっと北に向かって続いているようである。そこに向かうにつれ、どんどん暑くなっていくのが感じられた。
汗が、滲む。
しばらく行くと、あちらの方でなにか人の気配がした。
「なんだ……?」
「しっ」
呟くアフォンソをジェルヴェーズが鋭く制して、一同が立ち止まった。
彼らは物陰からそっとあちらを窺った。
二十人ほどの男たちが、半裸で酒盛りをしていた。誰もが上機嫌で、酒を浴びるように飲んでいる。そのどれもが筋骨逞しく、隆々としたその肉体は惚れ惚れとするほどである。
いや、一人だけ、やけに貧弱な身体つきの男がいた。
彼は一人だけ服を着ていて、へらへらと笑ってはあちこちの男に酌をして回り、頭を下げてはどつかれ、皿を下げ、杯を回し、忙しく立ち働いていた。
「おい、もっと酒を持ってこい」
と言われて、へこへこと奥へ行き、急いで酒を持って来る様は、奴隷のようである。
「あいつ、なんだ?」
アフォンソが呟いた時、その男がこちらへやってきた。
「ちょうどいい。あいつを人質に取ろう」
アールは剣を抜いて、男が近寄るのを待った。そして男が来ると素早くその口を塞ぎ、両手を封じて男たちの前に出た。
「おとなしく降伏しろ。騒げばこの男の命はない」
地下室はしーんとなった。
が、それも一瞬のこと、岩場はすぐに爆笑の渦に包まれた。
「わはははは。そいつの命? くれてやらあ。奴隷以下のクズの命なんざ、誰も惜しいとは思わねえ」
「殺しちまって構わねえよ」
あははははは、と笑われて、アールは引っ込みがつかなくなった。これは、作戦失敗だ。
「だめだこりゃ」
「行こう」
一行はいっせいに剣を抜いて、岩場に躍り出た。
「な、なんだお前たち」
「事情があってお前たちを倒しに来た。おとなしくしてもらおう」
「なにい……」
「やっちまえ」
岩場はたちまち大乱闘になった。
斬り合い、殺し合い、返り血を浴び、アリスウェイドはさらりさらりと相手をよけるなか、ちらりと隣で戦うジェルヴェーズの太刀筋を見て、やはりな、と思った。
やはり、あの太刀筋は……
「ルグネツァ、後ろだ!」
アールの叫びを聞いて、アリスウェイドははっとなった。それと同時に、風を切るような音がして、血飛沫が飛んだ。ルグネツァの魔導が炸裂したのである。
「……」
長いような短いような、あっという間の戦闘であった。アリスウェイドはほっと息をつくルグネツァを見て、異様なものでも見るような目になった。
相変わらず、詠唱なしで魔導を使った。一体何者だ……?
「おいお前」
アフォンソが、生き残った先程の男に声をかけている。
「お前、こいつらのなんなんだ? なんでこいつらの召し使いなんてやってるんだ」
「ひっ」
隠れていた男は、アールに引っ張り出されて地面に倒れ伏した。
「お、俺は……」
がたがたと震えながら、男は話し始めた。
「お、オーレリーと、ヨルサが、り、リリンのところの、け、結婚するって聞いて、そ、それで、く、悔しくて、ふ、復讐してやろうと思って」
「リリンって、風車の管理人のリリンか」
「そういや息子が結婚するって言ってたな」
「好きな女の結婚相手に懸想して、ふられたから腹いせに風車の施設をいじって止めて、ついでにあいつらを呼んで街に仕返ししたってこと? なんて奴」
「オーレリーが悪いんだ! お、俺を馬鹿にするから! お、俺は好きって言ったのに! ごめんなさいって、他に好きな人がいるからって、ば、馬鹿にしてる!」
男の顔はやせ細り、その目の下には隈が浮き、憎悪で叫ぶ様はとてもではないが見ていられない。
サラディンの胸が衝かれた。
なんという顔だ。
俺は仇を探す時、こんな顔をしているのか。憎い憎いと言いながら、こんなにも醜い顔になっているのか。
やめろ。
「……やめろ」
彼は低く言った。
「やめろ」
それは最初、誰の耳にも聞こえなかった。
「やめろ」
とうとう、それは叫び声になった。
一同は彼を振り返った。
「やめろ。失恋を勘違いして復讐にすり替えるな。お前のはただの横恋慕だ。オーレリーにはふさわしい男がいた。彼女は好きな男がいて、彼女を愛した男がいた。ただそれだけのことだったんだ。お前は選ばれなかった、単にそれだけのことだったんだ。なんでそれがわからないんだ。それだけのために、風車に細工して街の人間を困らせて、あんな連中まで呼び込んで、なんてことしたんだ。お前はとんだ疫病神だ」
俺も、俺もそうなのか。俺はただ、復讐の鬼と化しているだけなのか。
「ち、違う!」
「違わない。頼むからわかってくれ。お前のことを好きだと言ってくれる女はこれからも現れる。オーレリーの他にも女は大勢いる。よそに目を向けるんだ」
「嫌だ! オーレリーがいいんだ!」
男は口から泡を吹き、錯乱状態になって走り出した。そして岩屋の奥へ走って行ってしまった。悲鳴が聞こえてきて、それから声が途絶えた。
「ん……?」
「なんだ?」
男を追って奥へ行ってみると、そこはどうやら岩屋の割れ目のようである。
「身を投げたか……」
割れ目の底は、真っ暗だ。それを見て、ルグネツァはめまいを感じた。
「……」
目の前で、なにかが光った。
黙れ。お前は私に従っていればいいのだ。
またなにか、光った。
お前に意志などないにも等しい。お前は私の従属物なのだ。
ちかちか、ちかちか、ちかちか。
暗闇になにかが光る。
やめてラズグラド。やめて。
やめて――。
ルグネツァはそこで気を失った。
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