第二章 4

    2



 あんず色の溶岩が、噴いている。

 それはぐつぐつと煮え、どろどろとして沸き、一つの形を留めずにうねっている。

 ルグネツァ、覚えておけ。お前はここで生まれた。ここがお前の故郷だ。お前はここで産声を上げたのだ。ここがお前の子宮ぞ。

「ラズグラド!」

 叫びながら飛び起きて、ルグネツァははっとした。

 全身には、不快なほどの汗をかいている。

 夢だ。

「……」

 外を見た。まだ暗い。

 なんだ? なんの夢だった? あんず色の……

 そうだ、忘れないように、書いておこう。

 思い立って、枕元の紙片に走り書きをした。溶岩。あんず色。生まれ故郷。私のふるさと。

 翌朝、ルグネツァは仲間たちにその話をした。

「溶岩?」

 アールは思わず聞き返した。

「今回は覚えてるんだな」

「それは重要な記憶だ。他には?」

 アリスウェイドに問われて、ルグネツァは、

「ここが私の生まれ故郷だとか、子宮だとか、そんなこと」

「溶岩というと、火山だね」

「火山か……」

 アリスウェイドは呟いた。

「どうするアリスウェイド」

「世界広しといえど活動している火山は一つしかない」

 彼は目を開けた。

「テス火山だ」

「テス火山……」

 ルグネツァは口のなかで呟いた。初めて聞く地名なのに、なぜかなつかしい、親しみのある響きだった。

「君は記憶がないのか」

「え? うん」

「……それは辛いな」

 サラディンは気の毒そうにルグネツァを見て、それから、

「親はいないのか」

「それも覚えてないわ」

「……そうか。悪いことを聞いた。忘れてくれ」

 そうして二階に戻っていった。

 テス火山は、ここから南に行った大陸スムスにある。船で三週間の長旅だ。

 その港に行くまでには、三日ほど行かねばならない。

 その日の野宿で、焚火の晩はサラディンがすることになった。彼は肩まで長い黒髪を垂らし、膝を抱えて火をじっと見る。

 焚火が静かに爆ぜる。

「……」

 サラディンは斜め向かいに、自分に背を向けて眠るアフォンソを凝視した。

 完全に警戒を解いている――いや、そもそも警戒しようとしていないのだ。酒場の時もそうだったが、反撃しようとすれば、彼にはいくらでもその隙はあった。

 なぜなにもしなかった? そしてまた今も、いくらアリスウェイドが決闘を預かっているとはいえ、それをいつ破るかもわからない。こうして眠っているところを狙ってしまえば、誰が決闘を預かっていようと関係のないことだ。だいたいなんの関係もない第三者に預かったと言われたところで、それを素直に聞き入れた人間など聞いたこともない。

 それでも正義はこちらにある。

「――」

 サラディンはそっと傍らに置いてある剣の柄に指を置いた。

 ドキ、ドキ、ドキ。

 心臓が高鳴る。今、今やってしまえば。

 なにもいつ来るかわからぬ決闘の時期を待つ必要などない――。

 大体、こちらが仇を討つというのに決闘というのでは機会が平等すぎるような気がする。 仇を討つ方は、不当な理由によって突然肉親を殺されたがゆえに、仇を討たねばならぬからだ。

 むこうは突然やってきて身内を殺しておきながら、いざこちらが仇を討つ時に、あちらに警戒させ戦う準備を万端整えさせるというのは、不公平にはならないのだろうか。

「――」

 額に脂汗が流れ、顎を伝って落ちる。ごくん、唾を飲み込む音が、やけに生々しい。

 剣をそっと握り、

 殺気を放たないようにし、

 ――いざ。

「……」

 しかし、なにを思ったかサラディンは手の力を抜いた。その瞬間、息を止めていたのがわかる。

 はあっと大きく息を吐く。動悸がする。掌は、じっとりと汗で濡れている。

「――」

 ふぅ、と息をついたのは明らかに自分だ。

 ――やはりこういうやり方は卑怯だ。

 サラディンは思った。いくらなんでも、相手が眠っている間になんて。

 それに、と彼はまたも思う。

 俺が正しくて、相手が間違っているというのなら、どんな状況でも俺が勝つはずだ。

 大きく深呼吸する。力が抜けていく。

「あーあー」

 小さく呟いて伸びをし、そのまま草の上に仰向けになる。

 満天の星。恐ろしくなるくらい、不安になるほどの星空だ。自分の存在なんて実はないのでは、とふと不安に駆られるほどの見事な星空。

 サラディンのため息は、焚火の中に消えた。

「……」

 それを、寝たふりをして伺っていたアリスウェイドは、どうやら大丈夫そうだと判断して一安心していた。

 ちらりとアフォンソを見る。

 変わらぬ姿勢で眠っている。が、眠っているようでいて、実は眠っていないことに、アリスウェイドは気が付いていた。

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