第二章 未来孕む過去

 アフォンソは、世界最大の植物園ガティミウス植物園の長男として生を受けた。

 ガティミウス植物園といえば、この世のありとあらゆる植物を有していることでもその名が高い。よって、観光客も多いがそれ以上に多くの学者がやってくる場所でもある。

 また世界各地のあらゆる施設から照会がひっきりなしに来る事もあり、職員は全部で千人を軽く越えるはずだ。

 植物園だからといってそういったものに関係する機関だけが関わっているかというとそうでもなくて、例えば殺人事件の捜査の協力に携わったこともある。死体の衣服に付着していた微かな花粉の照会をはるかヴラソフ大陸の警邏隊から依頼されたときには、さすがの父も緊張していたようだ。

 とにかくそんな環境にいるのなら当然のこと植物に関わる仕事、ひいては植物園を継ぐ立場にありながら、アフォンソはまったくそういったことに興味がなかった。

 生まれた時から、植物に囲まれて育ってきた。

 植物というのは不思議なもので、人間と違って嘘をついたりごまかしたりはしない。幼い頃から一人で園内を歩くことを好んでいたアフォンソは、それこそ旅をしていては決して見られない貴重な植物や、絶滅寸前の樹木などと共に育ってきた。

 中にはもうガティミウス植物園にしか存在しない古代の草花もあり、ひどく敏感で、がさつな人間や荒々しい人間が近寄ると悲鳴のようなものを上げて怯える花もあった。

 また、どんなに世話をしてくれていても、面倒だと思って嫌々世話をしたりしている者に対しては心を開かず、どれだけ丹念に育てられても花も開かなければ新芽も出なかったという木もある。

 アフォンソは、ガティミウスでの記憶というのはあまり多いほうではないが、それでも強烈に覚えていることがある。

 植物の世話がうまいことにかけては園内の職員で随一、という男が、その植物の世話をすることになった。しかしどんなに彼が世話をしてもとうとう花は咲かず、季節が来ても実すら実らなかった。結局半年で彼は担当から外されたが、その後その植物の担当はなかなか決まらず、職員が交代で世話をしていた。

 が、アフォンソはある早朝、ぼーっと園内を歩いていて、見てしまったのだ。職員の中でも、なんでこういう男がこういう職についたのだろうと思うような、がっしりした体格でくわえ煙草でバケツ一杯にした肥料を両手に持っているような類の職員が、その植物の側に屈みこみ、なんだか友達にするように話し掛けているのを。

「よお、なんだか今日は元気ないな。肥料くれてやる。ほれ」

 男は明るい笑顔で笑いかけ、その逞しい腕からは想像もつかないような優しさと慎重さでそっと肥料を植物の根元にかけている。その言葉のいちいちも、乱暴ではあるがどことなく優しさというか、愛を感じるのだ。

 そして三日後、真冬の正に季節はずれに、その植物は花を咲かせた。しばらく後にアフォンソが早朝に見た男がこの植物の担当にされた時も、アフォンソは一人だけ驚かなかった。

 もっとも、植物園のことには興味がなさそうな彼のことであるから、その反応は誰の目も引かなかったようだ。

 人は見かけにはよらない、ということを、アフォンソはこの経験で知った。

 十五の誕生日を機に、アフォンソは旅に出ることにした。

 家族は、反対しなかった。

 父も、幼い頃からおよそ植物などには興味のなさそうな息子を見ていて、この子は多分自分の後を継ぐことはないだろうと考えていたようだ。植物の世話を生業にするというのは、よほど好きでなければできることではない。

 好きでないものに無理矢理やらせても誰も幸せにはならないというのが父の考えであったし、他に兄弟がたくさんいるのだから、お前はお前の好きにしなさい、とそう言ってあっさりと許してくれた。

 アフォンソには弟が四人、妹が二人いるが、弟のうちの二人は植物園を手伝い、一人は農場で働き、もう一人は街でパン職人をしている。妹は二人とも、植物園の職員と結婚している。

 家には数年に一度帰ればいいほうだが、家族は文句一つなく受け入れてくれる。ふつうなら、手紙もよこさないで、と愚痴の一つや二つ言うところなのだろうが、家族はそれすらも言わない。アフォンソという男の性格をよくわかっているのだ。

 たまにアフォンソも旅先から連絡をする。といっても、手紙だと書くことがないので、だいたいは珍しい品物だったり家族の好きそうな本だったりを送ったりする。アフォンソは知らないだろうが、そういった品物を受け取るたび、家族はいかにも彼らしいな、と顔を見合わせて言うのだ。

 色々な経験をした。それは、あの広い植物園の宇宙よりもさらに広い世界の中での、正に未知の経験であったといえよう。

 戦争にも行った。用心棒もやった。刺客を務めたこともあったし、人探しをしたこともある。

 十八の時に、腕利きの者ばかりを五十名ほど募集する張り紙を見た。ある屋敷へ夜中に訪れ、そこから目隠しをしてさらに移動し、そこで試験をし、通った者だけが雇われるという一風変わったものだったが、訳はすぐにわかった。

 ある貴族の屋敷の襲撃だというのである。

 特別な感想もなくアフォンソは襲撃当日を迎え、命令されていた通りのことを遂行した。 屋敷を襲撃し、手向かう者は殺し、後は依頼者の部下の指示通りにする。誰かが屋敷に火をつけ、混乱のさなか、アフォンソはやっとのことで庭へと逃げのび、そしてある男と対峙した。

 燃え盛る屋敷を視界の隅に見ながら、二人は黙って向き合っていた。アフォンソも、この男がそもそもの標的だということは背格好を見てわかっていたし、男の方も、だいたいのことはわかっているようだ。この男の首には、莫大な賞金がかかっている。

 男が静かに剣を抜いた。

「……」

「ご貴殿……お名をうかがっておこう」

「アフォンソ・クラウディオだ」

 男の相好がふっとくずれた。

「いい名前だ」

「……」

 遠くから、自分と同じように雇われた男たちの怒号が微かに聞こえる。ここが落ちるのも時間の問題だろう。

「私の首には、さぞかし多額の金貨がかけられていような」

「……」

 アフォンソはこたえなかった。なんと言えばいいのかわからなかったし、なんという言葉がよいのかもわからなかった。

「ご貴殿……」

 男の声は低く、とても静かであるにも関わらず、焼け落ちようとする屋敷の燃える音や、遠くからの怒号や悲鳴に少しも流されることがない。こんな男を、どうして暗殺などしようと依頼者は目論んだのか。

「私の首はくれてやろう……しかしその代わりと言ってはなんだが……一つ頼みがある」

 アフォンソは持っていた剣の切っ先をスッ、と下に向けた。

「私には息子が一人おる。よい青年に育ったがなんというか……人を信じすぎる面がある。 誰に対しても警戒というものを抱かず、世の中の人間はみな善良だと思っている」

「……」

「息子はしばらくすれば帰ってきて……この有り様を目の当たりにすることだろう……もう少し早く教えておけばよかった――世の中は……世界はお前が思っているほど狭くも甘くもないと――」

「――」

「息子かわいさのあまり教えてやることができなかったのは一生の不覚……」

 屋敷の柱が倒れ始めた。目の前にいるこの標的を探す声がまだ聞こえる。

「そこでお願いしたい。私の首を貴殿に差し上げる代わりに、息子に伝えてほしい、今の私の言葉を――私の気持ちを」

「……」

 アフォンソはむっつりと黙ったまま答えない。

「わかっている……それはつまり、貴殿に息子の仇となれと言っているも同じ。しかしそうでもしないと、きっとあの息子は動きますまい……憎しみと怒りでしか、あの温厚な息子を動かすことなどできない」

「……」

 アフォンソはキッ、と切っ先を上に向けた。それを見て、男の顔色が微かに変わった。

「――引き受けてくださると?」

 それは、例えばその場限りの口約束であったかもしれない。男は、果たされるかもわからない約束のために、こうしてアフォンソに命をかけて頼みごとをしている。

 アフォンソは黙って小さくうなづいた。

 男はおお、と口のなかで小さく感嘆し、守られるかどうかもわからぬ約束をしてくれたアフォンソに、目の前で剣を掲げて深々と一礼した。

「ありがたい……これで心置きなく死ねるというものだ」

 男は嘆息した。

「アフォンソ殿。貴殿を仇と付け狙うであろう息子の名は――サラディン。サラディン・ド・ガーシャリーでござる」

 風が鋭く吹いた。どこからか、なにか聞こえるような気がする。

 アフォンソは風に応えるように空を仰いだ。そして再び男の方を見る。

「承知した」

 男はすっかり落ち着いた顔になって大きくうなづき、剣を大きく引いて構えの形を取り、

「――参る!」

 切るように言った。

 刃風は鋭かった。死ぬとわかっている、死ぬことを覚悟している男の剣ではないほどに。

 凄まじい火の粉と共に、屋敷が音をたてて燃え落ちた。それと同時に男も倒れた。

「……」

 アフォンソは無表情な瞳のままで男を見下ろした。どこからか、馬の蹄の音がする。

「う……」

 それでも男にはまだ息があった。いや、息が残るように刺した。

「お、お見事……さあ、首を持っていかれよ……」

 アフォンソはつ、と顔を上げた。やはり勘は正しかったようだ。蹄の音は近づいている。

 そしてアフォンソはゆっくりと男に視線を動かす。いつまでもとどめを刺さないアフォンソを、男は目を見開いて見ている。

「それではご子息に伝えられないでしょう」

 ゆっくりと言った。

「仇の名前を」

 男は口の端から血を流しながら、首を重たそうに持ち上げてアフォンソを見ている。驚いているのだ。頼んだ本人ですら、彼が本気にするとはまさか思わなかっただろう。

 アフォンソはなにも言わずに背を向けた。蹄の音が近づいてくる。アフォンソは一度だけ振り返り、蹄の音のする方へ、そしてまだ自分を凝視している男へと視線を移した。

 そして一度だけ、うなづいた。

 焼け落ちる屋敷を背にアフォンソはゆっくりと戻っていった。同じように雇われた数人が彼をみとめ、息を切らして生きていたか、と言い、標的を見つけたか、とも聞いた。

 アフォンソは黙って首を振った。同胞は、煤に汚れた顔で辺りを油断なく見回しながらそうか、と小さく言った。

 そして彼らは結局標的を見つけられないままそこを去った。しかしなぜか依頼者は標的の死を確認しており、それについてはなにも言われることはなく、アフォンソは他の同胞と同じく、規定の報酬を受け取った。

 こうして、アフォンソは仇と付け狙われる身となったのである。

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