第一章 9

 ルグネツァはぎゅっと拳を握って、衝撃に耐えた。

「――」

 いつも明るいアール。いつもやさしいアール。そのアールが、そんな過去に打ちひしがれていたなんて、想像だにしなかった。

「そうですか……」

 話を聞き終えて、アリスウェイドは沈痛な面持ちになった。

「痛々しい過去です。遺体を埋めて、アールは旅に出ました。自分はここにいる資格がない、すべてをなかったことにするには罪が重すぎる、そう言いましてな」

 ずずずずず、と音がしたのでなにかと思って見てみると、アフォンソが洟をすすっているところであった。ぎょっとしていると、彼は流れる涙を隠しもせず拭っている。

「うううううー」

 ジェルヴェーズは、それをあきれたように横目で見ている。

 ルグネツァは懐からそっと革袋を取り出して、あの青い石を取り出した。

 瑕も愛しいと言ったアールの言葉が、まざまざと蘇った。

 瑕。あなたの瑕は、これなの。

 そっとその表面を撫でる。冷たい石が、自分の体温で温まっていった。

 その頃、アールは森を歩いていた。あの頃から少しも変わっていないふるさとの森は、逃げ出した自分をもこうして迎え入れてくれる。色々な思い出が頭をよぎり、苦々しい思いで一杯になった。

「……」

 思わず、ポキリと側にあった枝を折った。

「アール」

 ぎくりとして振り返ると、そこにはルグネツァがいた。

「――」

「やっと見つけた」

「……」

 気まずくなって、アールは顔を背けた。村人に、既に自分の話くらいは聞いているだろう。そう思ったからだ。

「ミライアさんのこと、聞いた」

 しばらく沈黙していたルグネツァであったが、それを破るようにして、彼女は言った。「……」

「大変だったね」

 言葉が出ない。彼はうつむいてなにか言うべきことを探し、考えに考え抜いて、やっとのことで言った。

「俺、逃げたんだよ」

 ルグネツァがこちらを見た。その視線を感じて、アールは目をそらす。

「ミライアを思い出したくなくて、弱い自分を思い出したくなくて、だからここにいたくなくて、逃げたんだ。弱虫のすることさ」

 へへっ、と自嘲的に笑う彼に、ルグネツァは強く言った。

「それは違うわ」

「――」

「あなたは逃げてない。弱くもない。本当に逃げてたなら、どんな理由であれここには二度と戻ってこないはずよ。でも、あなたはここに帰ってきた。苦い思い出があるこの村にね」

「それは君が……」

「倒れたから? そんなのほっとけばいい。自分の思いに蓋をして、他人を助けるなんて弱いひとができることじゃない。あなたの瑕は、あなたを強くした」

「――」

「だから、胸張っていい。瑕があってもいい。瑕があるから、愛しいんでしょ」

「ルグネツァ……」

「じゃあ私、行くね」

 そう言ってルグネツァは戻っていった。

 雨が上がり、村を出発することになった。

「お世話になりました」

 ルグネツァが頭を下げて、村人に礼を言う。アールは離れた場所にいて、そっぽを向いている。

「いやいや、なんの。近くに来たら、また寄りなさいよ」

「アール……」

 村人の一人が、アールに近寄って話しかけた。

「またいつでも、戻っておいで。ここはお前の故郷だ。いつでも、いつまでも」

「……」

 アールはそれにはこたえず、沈黙を貫き通した。

 一同は村を後にした。

 二週間ほど歩いて港町に着いて、船が出る日を調べることになった。

「出航はしばらく後だ。二週間くらいかかるって」

「じゃあしばらく休めるね」

 野宿続きであったから、久し振りのベッドでゆっくり休めるということになる。

 その間、ルグネツァは思いついて、ある店を訪ねた。そしてそれを頼んでしまうと、約束の日までを心待ちにした。

 アールとアフォンソは、毎日アリスウェイドとジェルヴェーズと剣の稽古である。

「あの女、つええな」

「ああ。まるで歯が立たない」

「どうした。もう一本かかってこい」

「はいっ」

 そして毎日打ち据えられて、傷だらけになるのだ。

 そんな毎日があっという間に過ぎて、二週間が経った。ルグネツァは頼んでおいた職人の店に立ち寄って、仕事の出来具合を聞きに行った。

「こんにちは」

 職人は金槌を振るっていて、ちらりとこちらを振り返ると、

「嬢ちゃんか。ちょうどよかった。ちょっと早いが、できてるよ」

 ルグネツァの顔がぱっと輝いた。

「ほんと?」

「ああ。見てみるかい」

「ええ」

 それを見せてもらうと、ルグネツァは笑顔になった。

「どうだい出来は」

「大満足。ありがとうおじさん」

「いつでもどうぞ」

 ルグネツァは鼻歌を歌いながら店を出ていった。手元を見ながらにこにことし、笑ってはまた手元を見た。それを繰り返していると、すぐに宿に着いた。

「お帰り。どこに行ってたの」

「ん。ちょっとね」

 アフォンソに言われて、秘密めいた顔になる。仲間たちは、彼女の機嫌のいい様子に不思議そうにしている。

「あれ? ルグネツァ、それ……」

 アールが、それに気づいた。

「その石……」

「うん。指輪にしたの」

 ルグネツァは、右手の薬指に光る青い石を見ながら言った。

「そうすればいつも見ていられるし、失くさずにすむし」

 刷毛ではいたような、流線型の瑕。

 これは、私の瑕。

 記憶がなくても、大丈夫。あなたがそう言ってくれたから。

 日の光を受けて、青い石がきらりと光った。

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