第一章 8

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 問いただしたげな一同の目を、アールは躱し続けた。朝食の席には顔を出さず、昼はさっさと食べてどこかへ行き、夕食は黙っていなくなった。

 ルグネツァの熱は、すぐに下がった。

 彼女は一同と合流したが、アールの様子に不思議そうに首を傾げ、声をかけようとして避けられ続けた。

 この日も、ルグネツァはアールに話しかけようとして失敗した。

「アー……」

 カチャン、と食器を置いて、アールは立ち上がった。そして、どこかへ行ってしまった。 アリスウェイドはやれやれとため息をつく。

「なにも話してくれないことには、どうにもできないな。どうやらここは彼の故郷のようだが、なぜ彼はあんな態度をとるのか、一向にわからない」

「それには理由がありますのじゃ」

 後ろから声がして、一同は振り向いた。

 そこには、杖をついた老人がいた。

「お察しの通り、ここはアールの生まれ故郷ですじゃ。アールは昔、将来を嘱望された戦士でありました。あれは、アールが十七の時のことです」

 アールはに当時、恋人がいた。ミライアという名前の、緑の瞳と、黒い髪の娘だった。 アールより一つ年下で、素直で笑顔の印象的な、明るくていい娘だった。アールは彼女のことを心から愛していたし、ミライアの心も同じだった。

 この辺りには神話があって、それは森の王さまの神話だった。

 森の王を継ぐ者は、妃を迎えた夜、するべき儀式がある。それは強く抱き合うことだ。

 それだけならば人間のそれと大して変わりはないのだが、彼らの場合違うのは、抱き合いながら一番高い建物の最上階から飛び降りるということだった。

 この時、相手が自分を抱きしめるのと同じくらい、自分も相手を抱き締めていないと、地面に衝突して死んでしまう。

 しかし双方が、相手が自分を抱き締めているのと同じくらい強く相手を抱き締めれば、地面はベッドのようにふかふかで、落ちた拍子に地面で跳ね返って、そのまま星まで飛び上がっていってしまうのだ。

 そして二人で星のかけらを取って、また戻ってくるという神話である。

 アールとミライアはよく小さい頃からその神話を聞いていた。二人の最も愛する神話であることに、長じて尚も変わりはなかった。そして二人とも、お互い口にはしなかったけれども、王と妃が相手を信じてぎゅっと抱き締める、それを相手に対する愛というのなら、きっと地面に衝突などしないと思う、それほど相手のことを愛していた。

 二人の仲は小さな村の中では公認で、剣の腕が村一と評判のアール、将来必ずや素晴らしい戦士になるであろうと一身にその期待と羨望を受けたアールと、活発で明るく、家事をなんでもこなす素直なミライアは、正に理想の二人ともいえた。

 誰もが愛し合う二人は将来素晴らしい家庭をつくるだろうと言ったし、当人たちもそれを信じて疑っていなかった。

 アールはミライアの父に気に入られ、よく二人で狩りに行き、ミライアはアールの母に裁縫や料理を習った。幸せで、一番輝いている日々だった。毎日が楽しいものばかりで、苦痛や悲しみなどとは無縁だった。本当に幸せだった。

 しかしその幸せはある日突然、本当に突然に、そして無残に引き裂かれた。

 その日アールは村の長老に言われた用事で村を留守にしていた。

 日暮れ前、アールは嫌な予感がした。森の向こうが赤い――夕方でもないのに。サッと顔が青ざめるのが、自分でもよくわかった。

 思い違いであってくれ、心配のし過ぎだと、そうであってくれ。

 しかし予感は的中した。村に着くと、家々は焼かれており、知った顔の数人かが倒れていた。

「!?」

 アールは焦って周囲を見回した。妙に村人の数が少ない。山賊か……それにしても皆はどこに?

 何人か人相の悪い男たちが斬りかかってきたが、アールはそのどれもを悉く斬った。

「アール!」

 ほっとした。背後からの声はミライアのものだったからだ。

「ミライア……よかった。長はどうした? 家族は? みんなどこにいる」

「森の見張り小屋に避難してるわ。あそこ、ちょっと離れてるし。地下があるでしょ」

 山賊たちは家を燃やしてからどこかに行ってしまったらしいが、それは、賊を撹乱させるために散り散りになっていった者たちを追って行ったためで、すぐに帰ってくる危険があるという。現にアールはその内の数人と斬り合っているのだ。

「さあ早く」

 ミライアは彼を案内しながら歩き始めた。

「君の家族は」

「父さんは森へ行ったわ。男の人たちはほとんど……そうでないと奴らの気をそらせなかったから」

 女たちはその間に逃げたのか。アールは拳を握った。自分がいたら、そんなことにはさせなかったのに。

「見つけたぞ! 村だ!」

 背後で声がした。アールとミライアはハッとした。自分たちのことではない、物陰にいるからだ。アールはミライアに先に行くよう言い自分は村に戻った。誰だ? 

 悪いことに、それはミライアの父親だった。何人もの山賊に殴られ蹴られている。誰かが剣を抜いて、面白半分で浅く斬りつけている。

「やめろ!」

 アールは剣を抜いたまま五人の山賊と対峙した。ミライアの父親は既にぐったりして血まみれだった。騒ぎを聞きつけてあちこちから山賊が戻ってきていた。

 アールは時を忘れて戦った。無我夢中で斬った。

「女だ!」

 ハッとした。

「ミライア! 戻れ!」

 心配になったのだろう、ミライアはそっと戻ってきていたのだ。そして自分の父親の血まみれの姿に茫然として、そして我を忘れて自分の身を隠すことなどに余裕を持てなくなったに違いない。

 最初足が竦んだように微動だにしなかったミライアだったが、アールに再度怒鳴られて弾かれたように走りだした。が、山賊の足は早かった。アールは今戦っている二人との勝負を早いところつけて、すぐに彼女を助けなければならなかった。 

 しかしそう簡単にはいかない。いくら彼の腕がたつからといって田舎の村での話であるし、非凡な素質があったことに間違いはないが、それを開花させるだけの充分な修業をしたというわけでもない。

 翻って相手は終始乱暴に人々から搾取し殺し慣れている山賊である。向ける剣の勢いに迷いがない。アールは散々手こずってその二人を倒し、そしてミライアのいた方向へ走った。

 そんなに長い間ではなかったが、アールには一時間にも、十日にも感じられるようだった。繁みを抜け、走りに走った。

 アールは自分の目を疑った――ミライアが倒れていた。血溜りのなか倒れていた。

 その身体を乱暴に蹴る山賊が五人。

 なぜ犯そうとしなかったのかまでは今となってもわからない。しかしミライアは必死で抵抗したのだろう。そして背後にアールという敵がいることを知っていた賊は、そんな余裕もなくして面倒になって思わず斬った、それが妥当なのかもしれない。

 とにかくアールはその後のことをよく覚えていない。

 夢中で斬った。斬って斬って斬りまくった。

 目の前が赤かった。鬼神が取りついたように身体が軽かった。

 気がついた頃には戦いは終わり、立て続けの断末魔を聞き、それがやんでそろそろと様子を見にきた村人によって、アールは発見された。

 血まみれになって恋人の亡骸を抱き締め、ただ泣くばかりであったアールを。

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