第一章 7

 シフォを発ち、次の街に着いた時、アールはルグネツァに自分の蒐集品を見せた。

「誰にも見せたことがないんだ」

 秘密だよ、と彼は言った。

 小さな革袋のなかに入れられたそれは、どれも青い宝石だった。丸いもの、角ばったもの、菱形のもの、六角形のもの、様々な形をしている。

「……きれい……」

「だろ? 路銀にするには惜しい、色のいいものばかりを選んで、こうしてとってあるんだ」

 アールはその内の楕円形のものを手に取って、ルグネツァの手に乗せた。

「これが君の目の色と同じ色をしてる。あげるよ」

 ルグネツァは慌てて手を振った。

「だめよ。こんな貴重なもの」

「君に持っていてほしいんだ。ほら、ここに刷毛ではいたような瑕があるだろ。宝石としてはよくないものなんだけど、なぜかこの瑕が好きなんだ。瑕も愛しいっていうのかな。 個性なんだよね。だからこの石がきれいに見えるんだよ」

 瑕も愛しい――

 記憶がないという私の瑕も――?

 ルグネツァは掌のなかの小さな石をぎゅっと握って、黙りこくった。

「君が持ってなよ」

「……ありがと。大事にする」

 ルグネツァはそれを失くしたり他の路銀と一緒にしてしまわないよう、別の革袋に入れておいた。記憶がないという足元の床が抜け落ちたような底知れぬ言い様のない不安に襲われた時、そっとその革袋から青い石を取り出してそれを見た。

 その青を見ていると、なぜだか心が安らいでほっとした。自分は大丈夫だと言われているようで、安心できた。瑕も愛しい、記憶がなくても大丈夫、そう言われたような気がして、包み込まれているようだった。

 ある日、一同は盗賊の一団に襲われた。

「いい身なりをしていやがるな。路銀の宝石をみんな置いていきな。命は助けてやる」

 やれやれ、とアリスウェイドはため息をついた。どうしてこう次々とこんな目に遭うんだ。運がないのか。

「どうした。路銀を出せ。ほら」

 一団がいっせいに剣を抜いた。仕方なく、アリスウェイドは抜刀した。

「ほほう、やるのか。面白い」

 男たちは笑い合った。笑ってられるのも今の内、とアフォンソは思った。そして自分も剣を抜いた。

 ジェルヴェーズも静かに剣を抜いた。その仕草は、水が流れるようになめらかだった。 殺し合いが始まった。

 その多くは一方的なものだった。男たちと戦いながら、アリスウェイドはジェルヴェーズの戦いぶりを見ていた。

 その見事な太刀筋には、見覚えがあった。

 ――ほう。あれは……

 ザン! 風を切る音がして、そちらを見ると、盗賊の身体が真っ二つに引き裂かれている。魔導の力である。ルグネツァのことを忘れていた。

 戦いが終わって、アフォンソはジェルヴェーズに駆け寄った。

「あんた強いなあ。一体どこで……」

 と、そんな彼を無視して、ジェルヴェーズは盗賊の死体の一つに歩み寄った。そして屈んで身体を改めると、傷に指を這わせた。

「……似ている……」

 あの日のあの傷に、よく似ている。

 顔を上げて、アリスウェイドを見る。剣聖と呼ばれた男。では、もしかしてあいつが? いや、勘違いかもしれない。よく確かめなくては。

「なんだ?」

「さあ……」

 アリスウェイドはルグネツァの方へ来て、

「君は、魔導を使う時詠唱するのか」

「い、いえ」

「……そうか」

 そんなことは果たして可能なのか――疑問がよぎる。

「どうやって魔導を使う」

「頭のなかで、浮かべるんです。こんな風にしたい、あんな風にしたい、って」

「それで、使えるというわけか」

「はい」

「……」

 そうか、と呟いて、アリスウェイドは剣をしまった。

「行こう」

 その夜、アリスウェイドは一同に言った。

「ただ闇雲にラズグラドを探すだけでは埒が明かないな。賢者を訪ねてみるのはどうだろう」

「賢者……?」

「北の山に住むという、賢者がいるのは噂に聞いている。ルグネツァは魔導を使うのに詠唱を必要としない。これは驚くべきことだ。魔導というのは、言霊の力をもってして初めて発動する神秘の力だからね。その魔導を行使するのに、言霊が要らないというのは驚異だよ。賢者に聞いてみれば、その理由もわかるかもしれない」

「賢者……」

「その人はどこにいるんだい」

「聞いたところによれば、オルト大陸の霊峰だという」

「オルト大陸なら、ここから山を越えて港に行けば近いはずだ。そうだよなアール」

「……ああ」

 山か……あそこを通ることになる。

「じゃあそうしよう」

 その夜、ルグネツァは夢を見た。

 ラズグラド、やめて。そんな恐ろしいこと、考えないで。やめて。嫌。嫌よ。

 止めるな。私がやると言ったらやるのだ。お前はそこで黙って見ていればいいのだ。

 やめて。嫌。やめてったら。やめて。

 うるさい。黙っていろ。

 そこで唐突に夢は終わる。

 そして目が覚めると、なにも覚えていないのだ。

 しかし全身は汗に濡れていて、ひどく頭痛がして、心は不安に苛まれている。なにも覚えていないだけに、誰にも言うことができない。

 仕方なしに、そっと革袋を出して、あの楕円形の青い石を取り出した。

 瑕も愛しい。

 刷毛ではいたような流線が目に映る。ほっとした。

 旅を続ける内、二番目の月、白梅の月になった。

「雨季だ。この大陸ではこの月が雨季なんだ」

 というアールの言葉通り、連日冷たい雨が降った。山の道を、一同は黙々と歩いた。

 ルグネツァは前を歩くジェルヴェーズの銀の髪が雨に濡れてきらきらと光るのをぼーっと見ながら、その輪郭が歪むのを不思議に思っていた。身体が熱い。

 あれ? 足元がふらつく。私、なんでこんなにふらふらしてるんだろう。なんでこんなに熱いの?

 一列になって歩くその軌道から、ルグネツァがふら、と外れた。

 その気配に、アリスウェイドがいち早く気づいた。

「!」

 倒れるルグネツァを、彼はすんでのところで受け止めた。

「ルグネツァ」

 アールがそこへ駆け寄って、案じ顔で覗き込んだ。

「どうしたんだ」

「身体が熱い。熱があるんだ」

 雨にやられたな、とアリスウェイドは言った。

「冬の雨だ。身体がついていけなかったんだろう。今野宿するのはまずい」

「でも、この辺に泊まれる場所なんてないぜ」

「どうする?」

 アールが一人、苦々しい顔になった。

「……」

 彼はずっと考える表情になっていたようであったが、苦しげに息をするルグネツァの赤い顔を見ると、

「……ここから少し行ったところに、村がある。そこで宿を借りよう」

 と低く言った。

「村ぁ?」

「そんなものは地図には……」

「案内する」

 一方的に言い放つと、アールは知った歩調で歩き始めた。慣れた道を行くようなその足取りに、一同は顔を見合わせた。

 冷たい雨がしとしとと降るなかをしばらく行くと、彼の言った通り小さな村落が見えてきた。まだ、新しい。

 アールは酒場の看板がかかった建物の扉を叩くと、

「病人だ。宿を貸してほしい」

 と叫んだ。なかから人が出てきて、

「お、お前、アールか?」

「帰ってきたのか?」

「連れがいるんだ。泊めてくれ」

 言うや、アールはなかに入ってしまった。人々は互いを見ていたが、やがてアールに追いついてやってきた一同を見て、

「雨のなかやってきなすったか」

「さあ入んなされ」

「病人だ。医者を呼んで来い」

 と大騒ぎになった。

 アールが、アールが帰って来たのだ。



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