第一章 5
2
甲板の縁に寄りかかりながら、アールは潮風に吹かれている。
ウソラ大陸か……またあそこに行くとは、思ってもみなかったな。
あの地をまた踏みしめるとは、想像だにしていなかった。
「……」
かつて捨てた、故郷。
苦い思い出。燃えた村。
目を細める。悲鳴が聞こえたような気がした。いや、空耳だ。
「アール?」
後ろから声をかけられて、振り向くとルグネツァがいた。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと考え事」
ルグネツァは彼の隣にやってきて、縁に寄りかかった。黒い髪が風に吹かれて、その拍子にふわりとせっけんの香りがした。
「不思議ね。海は青いって知ってるのに、潮の香りは初めてだわ。潮の香りは初めてなのに、船酔いはしないの。船酔いはしないのに、船は初体験みたいなのよ」
「そんなこともあるもんなんだなあ」
アールは海を見つめるルグネツァの横顔を見つめた。海色の瞳は、そのまま海に同化してしまいそうに青い。
「君の目はきれいだね」
それに気づいて、ルグネツァがこちらを見た。
「そう? ありがと」
彼女は少し恥ずかしそうにうつむいて、
「そんなこと言われたの、初めて」
「俺、青好きなんだ」
アールは空を見上げながら言う。
「だから、路銀の宝石も青ばっかなんだ。アフォンソは馬鹿かって笑うんだけど、なんでか青ばっか集めちゃうんだよな。だから偏っちゃって、換金する時大変だったりして」
「まあ」
ルグネツァが笑った。その微笑に、アールはどきりとした。いつか見たことのある、その微笑み。胸が痛んだ。
慌てて目をそらす。
「じゃあ、海も好きでしょ」
うん、と海に目を馳せたままこたえる。ルグネツァを見ることができなかった。
「おーいアール」
アフォンソがやってきて、二人に呼びかけた。
「アリスウェイドが、稽古つけてくれるって。行く?」
「ああ」
アールはそれに応じて、船の鍛錬所に向かった。それを見送って、ルグネツァはまた海に目をやった。
名も知らぬ鳥が、悠々と空を飛んでいる。
あの鳥は、どこへ行くのだろう。私は、どこへ行くのだろう。ラズグラドは、どこにいるのだろう。
冬の太陽が弱々しく光っている。もうすぐ年末だ。
ウソラ大陸は世界で三番目に大きな大陸で、肥沃な土地を持つ土地で知られている。田園がその多くを占め、その他は山林である。
「ここがウソラ大陸か。きれいなとこだなあ」
一週間ぶりの陸に降り立つと、アフォンソは大きく伸びをした。
「海もいいけど、やっぱり陸だよなあ。なあアール」
「え? ああ」
「なんだ? うかない顔して」
「なんでもないよ」
「行こうぜ」
「ああ」
一同はその日は最寄りの街に宿をとって、そのまま北上することにした。その街でもラズグラドのことを尋ねて回ったが、はかばかしい答えは得られなかった。
それは、街道からそれた道を行った三日目に起こった。
一同は、いきなり大勢の男たちに囲まれた。
「アリスウェイドだな?」
並々ならぬ殺気に、アリスウェイドはいち早く気がついたようだった。
「下がっていなさい」
彼は身構えて剣の柄に手をやると、機会を窺っているようだった。
「首をもらい受けに来た」
「覚悟」
――。
シャッ……。
剣を抜いた音がした、そこまでは、アールにもわかった。空気を引き裂く音がした、そこまでは、アフォンソにも聞こえた。
ザザッ
血飛沫が飛んで、びしゃっと顔にかかった。アールは茫然としてその光景を見ていた。 男たちが次々に血祭りに上げられていた。
「……」
「裂風剣だ」
隣でアフォンソが夢中で呟いた。
「裂風剣……あれが……」
「ああ。先代ドナルペイン・バルタザールが開発したっていう……」
アリスウェイドが振るう剣が風となり、その風が刃となって男たちを襲う。その容赦のない有り様には、鳥肌が立つほどであった。
しかしその時、その刃が仕留めそこなった一人がよろよろと剣聖の後ろから襲いかかった。
茫然と見守っていたアールとアフォンソは、それに出遅れた。
「!」
間に合わない――
シャッ
「――」
アリスウェイドが振り向いた時、仕留めそこなった男は魔導の一撃によって見るも無残な最期を遂げていた。彼の顔に、返り血がかかった。
「あ……」
アールも、アフォンソも、信じられないようにそれを見ていた。
ルグネツァが、そこに立っていた。
アリスウェイドが目を見開いてルグネツァを見つめ、つかつかとそちらへ歩み寄ってその肩を掴んだ。
「君は……魔導師なのか」
「え……あ……」
「そうなのか」
「……」
有無を言わさぬその迫力に、ルグネツァは返事ができない。
「わ、私……」
「詠唱の類は聞こえなかった。呪文は唱えたか。どうなんだ」
「え……えと」
そこへ、アールとアフォンソが駆け寄ってきた。
「ルグネツァ、すごいな。どうやったんだ」
「怪我はないかい? 無事か」
「う、うん。大丈夫」
「ルグネツァ、魔導師なのか。すげえな。俺、魔導初めて見た。なあアール」
「ああ」
「……」
アリスウェイドはそれ以上の追及を諦めて、手を放して剣をしまった。
「行こう」
まだ話しているアールとアフォンソの話し声を背に受けながら、アリスウェイドはやはりこの娘はなにかある、そう確信していた。
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