第一章 4


 次の街に到着してあちこちの人に尋ねまわっても、ラズグラドのことを知っている者は誰もいなかった。

「気長に探すことだ。人探しとはそういうものだ」

 酒を飲みながら、アリスウェイドは鷹揚に言った。

「ねえねえ、あんたいくつ?」

 アフォンソは興味津々でアリスウェイドを質問攻めにしている。

「そうだな……君たちの親といっても不思議ではない程度には年だよ」

「三十代なのは知ってるよ。だって、二十代で剣聖になったんだろ」

「それだけ知っていれば充分だろう。噂はあっという間に広まるからね」

「なんで旅なんかしてんの?」

「一か所に留まるのが性に合わなくてね。流れ者なんだよ」

 それから、アフォンソはアリスウェイドの過去の旅の話を聞き出した。彼は聞かれるままに、それらの話を語り始めた。ルグネツァはそれを聞いていると、まるで知らない世界の話を聞いているようで、ふわふわと雲に乗ったような気持ちになって、なんだかめまいのを感じてしまい、頭がふらついた。

「大丈夫?」

 アールがそれに気づいて、声をかける。

「うん。平気」

 しかし、こたえるその額には汗が浮いている。この寒いのにも関わらずだ。それを見て、アリスウェイドはルグネツァに静かに語りかけた。

「さて……」

 彼は言った。

「ルグネツァ、だったね。覚えているのは、名前だけか。生国は? 親の名前も覚えていないのかね。ラズグラドとは、どういう関係なのかな。彼は、何者だ」

「……」

 ルグネツァは、混乱して視線を左右させた。

「……私……」

 額を押さえる。こめかみが、ずきずきする。頭ががんがんしてきた。

 目をそっと閉じると、暗闇のなかで雷鳴が轟いているのが見えた。なに? なにかが光った。これはなに? 目を開ける。幻だ。

「……わからないわ……ラズグラドが誰なのかも、わからない……」

「それを突き止めるために、俺たちあちこち旅するんだ。長くなりそうだけど、どうにかなるよ」

「そうか」

 アリスウェイドはそれで引き下がって、目を閉じた。

 この娘の行く先に、なにかが起こる。

 見極めねばなるまい。

「さ、もう寝ようぜ。明日も早い」

 アフォンソが言い、立ち上がった。一同は二階に引き上げた。



 ラズグラド、嫌よ。私は反対だわ。そんなの許されない。許さない。

 なにを言う。私の決定は絶対だ。私に従え。私の命令は絶対だ。

 嫌。嫌よ。そんなのは絶対に嫌。なにを言われても、絶対に嫌。

 いつからそんなに反抗的になった。お前は私のものだ。お前は私に従い、私の言葉に従属していればそれでいいのだ。

 そんなことはないわ。私は私のものよ。私は私の意志で動く。私が嫌だと思ったら、私は動かない。私は嫌よ。絶対に嫌。あなたの命令には、従わない。

 なんだと……

 ルグネツァは飛び起きた。

 朝である。

「……」

 なにか、夢を見ていたような気がする。なんだ? 思い出せない。誰かと言い争っていたような?

 額に手をやる。なんだろう。もう少しで思い出せるような気がするが、どうにも思い出せない。もどかしい思いで気持ちを引っ張るが、どうしても思い出せない。

「ルグネツァ?」

 扉がノックされて、アールの声がした。

「起きてるかい?」

 それではっとした。出発の時間だ。

「え、ええ。起きてる。今行くわ」

 なんでもない。ただの夢だ。

 頭を振って、急いで起き上がって支度した。階下では、他の三人がすでに朝食を注文していた。

「今も話してたんだけど、この大陸は小さいから、思い切って隣のウソラ大陸に行ってみないかってことになったんだ。ここから港町に行って、そこから一週間の旅だよ」

 いいかい? と聞かれ、ルグネツァは肩を竦めた。

「私、地理とかわからないから」

「ほんとになにも覚えてないんだな」

「ちょっとこれを見てみてくれ」

 アリスウェイドが地図を取り出した。

「これが世界地図だ。わざと地名を隠してある。言えるかな?」

 ルグネツァはそれを覗き込んで、じっと見てみた。

「……わからないわ」

「では、今度はこっちだ」

 アリスウェイドは、次になにか文字の書かれたものを示して見せた。

「これは読めるかな」

「……」

 ルグネツァはそれをじっと見つめて、それから、

「『眠いうさぎの赤い目』」

 と読み上げた。

 アフォンソが、

「それがどうしたってんだよ」

「つまり、彼女は知識としての文字は知っているということになる。覚えているんだ。だが、世界地図といった常識は知らないんだ」

「あ……」

「そういやそうだな。地図なんて、いまどき五歳児だって知ってるもんな」

「世界地図を知らない環境にいた……ってこと?」

「なんだそりゃ」

 それは、ルグネツァにとってはちょっとした衝撃であった。どういうことだ? わけがわからない。

「……」

 硬直しているルグネツァの肩に手を置いて、安心させるようにアールが言った。

「これで一つ、君のことがわかったじゃないか」

 よかったよかった、彼はそう言った。

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