第一章 3
アリスウェイドは、もうずっとそこにいた。
どれくらいそこにいるか自分でもわからないくらい、そこにいた。
それでも、大分それに飽きてきて、そろそろ戻ろうかと思ってきた時に、彼らはやってきた。
彼らは、十人ほどの徒党を組んでいた。
「アリスウェイド・ジェラコヴィエツィエ。あんたの首をもらいにきた」
その内の先頭の男が決死の声で言い放った。アリスウェイドは困ったように、
「それはいいんだが、無益な殺生をしたくない。帰ってもらえないか」
「舐めるな! 抜け」
「いやいや。君らじゃ私に勝てないよ」
「抜かせ! こちらは数で勝っている。勝ちはもらった」
ザン! 彼らはいっせいに抜刀した。仕方なく、アリスウェイドは剣を抜いた。
「やれやれ……命を大切にしてほしいのに」
言うや、彼は地面を蹴った。勝負はそこでついた。
血が、草原に飛び散った。
あっという間に、十人がそこに倒れていた。目にも止まらぬ早さであった。チン、と剣を鞘に納めると、アリスウェイドは彼らを振り返った。
「だから言っただろう。勝てないと」
ヒュウ、と風が吹いた。血のにおいが風に運ばれていく。
「お、おい、見たか?」
アフォンソは震えながらアールに言った。
「み、見た。いや、見えなかった」
「ああ、見えなかった。抜いたのは見た。あとは、なんにも見えなかった」
「あっという間に十人……やっちまった」
「あの男……何者だ?」
アフォンソがごくりと唾を飲み込んだ時、アリスウェイドが振り向きもせず声をかけた。「さて……そこにいる若者二人……いや三人か。なにか用かな」
「うえっ」
「出ておいで。いるのはわかっている」
アールとアフォンソは顔を見合わせた。どうする? と目と目で会話している間に、ルグネツァが出ていった。
「あっばかなにしてる」
「ごめんなさい。覗き見するつもりはなかったんです。ただ、あまりにもすごくて、出ていく隙がなくて、それで、つい」
「ふむ」
それで仕方なく、アールとアフォンソも出た。
「……すんません」
「この通りです」
「まあいい。私は怪しい者ではない。あの者たちが勝手に襲ってきて、勝手に負けて、勝手に死んでいっただけの話だ」
「……はあ……」
「あの……」
「うん?」
「あなたは一体……」
「ああ失礼。私はアリスウェイドという。アリスウェイド・ジェラコヴィエツィエだ」
「アリスウェイド……?」
アフォンソは口のなかでその名前を呟いた。
「どっかで聞いたことが……」
アリスウェイド、アリスウェイド、と復唱して、そしてはたと思い出す。
「あ」
ぽん、と手を叩いて、
「剣聖のアリスウェイドか!」
と叫んだ。
アリスウェイドは苦笑して、
「そうとも呼ばれている」
とだけこたえた。
「二十代で先代のドナルベイン・バルタザールに剣位を譲られたっていう……」
アフォンソは震える指でアリスウェイドを指差して信じられない眼差しで言った。
言われた本人は困ったように、
「そんなこともあったかな」
と言っている。アールは彼を観察してみた。
切れ長の、剃刀のようなするどい緑の瞳。肩まで長い金の髪を、一つに縛っている。口元に髭をたくわえていて、背がひどく高い。それに、当たり前だが筋骨逞しくて、自分では到底かなわないほどの肉体をしている。
どれだけ鍛えれば、こんな小山のような身体になるというのだろう。
アリスウェイド・ジェラコヴィエツィエ。
剣のひと振りで大陸を両断し得るとまで言わしめた伝説の戦士である。
「そんなすごい人がなんでこんなとこに……」
茫然として呟くアールに、アリスウェイドはにこりとして返した。
「なに、旅が趣味でね。あちこち回っているのさ。さっきの奴らは、どこぞの誰かに頼まれて私を殺しに来た賞金稼ぎだろう。剣聖を殺せば、一気に名前が上がるだろうからね」「あちこちを回ってる? 大陸も?」
「ああ」
「じゃ、じゃあさ」
アフォンソはアリスウェイドの側に駆け寄った。
「ラズグラドって名前に、心当たりない? 探してるんだ」
「ラズグラド?」
「うん。あの子が、探してるんだ」
アフォンソは後ろにいるルグネツァを示した。それにつられて、アリスウェイドは彼女を見た。
「――」
ルグネツァのその青い瞳を見て、アリスウェイドの緑の目が険しくなった。
なんという瞳だ――
この娘は、何者だ。
この娘は、なにかある。
「?」
アリスウェイドの、その一瞬の殺気に、アフォンソはきょとんとなった。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
そして瞳を閉じ、
「生憎だが、その名前には心当たりはないな」
とだけこたえ、
「しかし、一緒に探してやることはできる」
と言った。
アフォンソは目をぱちくりとさせ、
「えっ?」
と叫び、
「ええっ?」
と聞き返し、
「ええーっ」
と絶叫して、
「すげえ。ほんと? ほんとに? 剣聖と一緒に旅ができんの? やったー。なんでか知らないけど、すごいよ。やったーアール。すごいよ」
とアールの元へやってきて抱きつき、もう一度アリスウェイドの方へ走ってきて、
「ねえねえ、剣の稽古とかつけてくれる?」
「いいとも」
「やったー」
アフォンソはぴょんぴょん跳ねながらはしゃいでいる。
「……剣聖?」
ルグネツァは呟いて、それからこちらを静かに見つめているアリスウェイドの緑の瞳に気づいて、それから逃げるように慌てて目をそらした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます