第一章 2

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「また妙なものを拾ってきたな、アールよう」

 起きてきたアフォンソは素っ頓狂な声を出して、まじまじとルグネツァを見て言った。「この前は死んだ貂だった。その前はでっかい猫。で、今度は裸の女か。日ごとにモノが大きくなってくな」

「からかうな。彼女、困ってるんだよ。なんとかしてやろうよ」

「それはいいが、なにも覚えてないんだろう。どうするんだ」

 とりあえず若い女が着るようなものを買ってきてルグネツァに着せたアールは、酒場で彼女に食事をさせた。ルグネツァは食欲がないと言って初め食べたがらなかったが、温かい食べ物が運ばれてくるともそもそとそれを食べ始めた。

 食べるにつれ青白かった顔色に血色が蘇り、それを見てアールもほっとした。なにしろ、今は十二番目の月、椿の月だ。冬真っ盛りである。そんな時に、海で全裸で倒れているだなんて、尋常ではない。

「それで、なにか思い出したかい」

 肘をついてアールが尋ねると、ルグネツァはうかない顔でうつむいた。

「……」

 そして、黙って首を振る。

「そっかあ」

 ため息をつく。アールは彼女をまじまじと見て観察してみた。

 この国の海のような、深く濃い海のような青い色の目をしている。それは、今まで見たどの魔石の色よりも青い。切れ長のその目元が涼し気で、夏に生まれたのかな、と思わせるなにかを持っている。髪は、漆黒である。唇は、珊瑚のように赤い。

 あ、とルグネツァが顔を上げた。

「なにか思い出したかい」

「……ラズグラド」

「ラズグラド?」

「……ラズグラドが待っているわ」

「誰だいそれは」

「……わからないけど……ラズグラドが待ってる」

「うーん」

 アフォンソが難しい顔をして腕を組んだ。

「そりゃ、あれだな。男の名前だな」

「アフォンソ、探してやろうぜ」

「おいおい、お人好しだなアールよう」

「だって彼女、困ってるじゃないか」

「それはいいけどいいのかよう」

「困ってるときはお互い様だろ」

「俺はいいけど、彼女はそれでいいのかい」

「私……?」

「あんた、それでいいのかい」

「……」

 ルグネツァはまたうつむいた。

 記憶がないという、一方的な無力感。暴力的で、それでいて非力で、無能で。

 ラズグラド。それは一体、誰なのか。

 しかし、自分はその男を知っている。その男も、自分を知っている。

 ルグネツァは顔を上げた。

「私……行きたい」

 そして言った。

「ラズグラド……探したい」

「よーし、そうとなったら話は早いぜ」

 アフォンソは笑顔になった。

「アール、支度だ」

「よ、よし」

 二人はカウンターに行って、勘定をし始めた。そして二階の部屋に赴き、荷物をまとめた。その間もルグネツァはおとなしく待っていて、じっとものを考えているに留まっていた。

 ラズグラド。

 一体誰なのか。

 自分は何者なのか。

 この先、なにが待ち構えているのか。

 それを思うと、嘘寒くなってくる。冬ということもあって、ルグネツァは自分の身体を掻き抱いた。

「お待たせ。じゃあ行こうか。まずは君の旅の支度だよ」

 アールがやってきて、ルグネツァは話しかける。彼女は顔を上げた。

「旅の支度?」

「ああ。服だけじゃ、どうにもならないからね」

 行こう、アールはルグネツァを促して、酒場を出た。

「宝石屋に行こう。今朝浜辺でいくつか拾ったものもあるし、売るものがいくつかあるんだ」

「宝石屋……?」

 ルグネツァは首を傾げた。

「そうだよ。旅をするなら、宝石は欠かせないからね。それに、海岸で小さな魔石を見つけたんだ。売れるかもしれない」

 ルグネツァはわけがわからないという顔をしている。そんな彼女に気づかず、アールとアフォンソは馴染みの宝石屋に立ち寄った。

 カラン、というベルの音が鳴って、扉が開くとカウンターにいる主がこちらを振り向いた。

「ああ、あんたらか。また拾ったかい。見せてみな」

「親爺、ちょこっと旅に出るんだ。宝石をいくつか見繕ってくれよ」

「彼女のための路銀も見せてほしい」

 主はルグネツァをちらりと見ると、

「はいはい」

 と言ってカウンターから大きな虫眼鏡を取り出し、それからアールが懐から出した小さな赤い石を見ると、

「ふむふむ」

 と呟いて覗き込んだ。

「これは、小さいがいいものだ。どこで拾ったね」

「浜だよ」

「相変わらず、目がいい。大事にしなよ」

「こっちのこれ、魔石じゃないかい」

「うーん、どうかな。……違うね。いい線いってるが、炎が入ってない。惜しい。残念でした」

「そっかあ。ちぇっ。でも、色がいいだろ。高く買ってくれよ」

「ああいいだろう。金貨二枚でどうだい」

「三枚にしてくれよ」

「二枚だ」

「なんだよう」

「見ろ。ここに瑕がある。こういうのは、二枚だ。三枚にするには、瑕が大きい」

「ちぇー」

 三人のやり取りを、ルグネツァは呆気にとられて見ている。まるで、理解が追いつかない。

「よし、じゃあ魔石はこれで終わりだ。次は路銀だ」

「金貨十枚分の路銀。緑の宝石一つと、紫の宝石三つ。青の宝石二つだ」

 交渉が成立して、アールとアフォンソは主と握手して店を出た。ルグネツァは黙ってそれについていった。

「……」

「はい、これ」

 歩きながら、アールはルグネツァに宝石を手渡した。

「あ、え」

 革袋に入ったそれを受け取って、ルグネツァはまじまじと見つめた。

「君のだからね。大事に持ってて」

「……私の?」

「魔石はないけど、おいおい手に入ると思うから」

「魔石?」

「おいおい、魔石も知らないの? そこんとこの記憶もないのかよ」

 アフォンソがあきれたように振り返った。ルグネツァは困ったように口ごもる。

「……私……」

「まあまあ、そんなこともあるよ。なあルグネツァ」

 アールが取りなすように言うと、彼女は少しほっとしたようだった。

 旅人は旅をする時、当然貨幣を持ち歩く。しかし、金≪きん≫の価格は変動するため、それらに頼ることは少々寄る辺ないことになる。そこで、価値の変動のない宝石に替え、それらを持ち歩いて路銀にした。そうすればかさばらないし、安全だからだ。

 それとは別に、この世界には魔石というものが存在する。

 それは宝石のようなもので、宝石とは一線を画するものである。

 一見宝石のように見えるが、拡大して見てみると、中にはちろちろと炎のようなものが入っているのが見てとれる。それが魔石である。

 それは魔力を秘め、持つものに力を与えるものでもあると言われている。高値で取り引きされ、大きな動力を持つとされている。下から赤、緑、青、紫の順で価値がある。

「ここから街道を行こう。次の街で、ラズグラドのことを聞いてみよう。大きな街だから、誰か知っている人がいるかもしれない」

「……」

 ルグネツァは椿の月の空を見上げて、そのうすい水色に目を馳せた。

 私、どうなるんだろう。ラズグラドは、見つかるんだろうか。見つかったら、どうなるんだろう。言い様のない不安が頭をよぎる。

「大丈夫だって。なんとかなるよ」

 それを見越したように、アールが肩をぽんと叩いた。

「さ、行こう」

「……うん」

 胸一杯の不安を抱えて、ルグネツァは歩き出す。歩き出すしか、他に術はなかった。

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