九
がっこう。
ぜんぶ、ぜんぶ、くろいみずになっちゃった、がっこう。
わたしは、おててをにぎってくれるおんなのひとと、としょしつというほんがいっぱいあるところにいった。
ほんとうに、ほんがいっぱい。
でも、わたしからみて、ぜんぶまっくろ。
ほんも、つくえも、いすも、ぜんぶまっくろ。
そして、わたしがみてるせかいは、しろとくろ。
『懐かしいわ……いえ、この表現は語弊があるわね。これからもここは、いつも通り存在する場所になるのだから』
「ここでなにをしていたの?」
『高校の頃はここでずっと自習していたわ。途中から男子が入学するようになっちゃったから、校内がうるさくなっちゃってね?ここなら先生がうるさい人を厳しく叱ってくれるし、何より静かだったから、ここは私にとっての憩いの場なの』
「ふーん」
『あまり興味がない?』
「うーん……わかんない。だってしらないもん」
『…………そうね。あなたにとってはそうなのかもね。多分あなたがここに入学した時には、この図書室も無くなってただろうから』
「そうなんだ」
『でもいいのよ。これから私がいっぱい教えてあげる。あなたはずっとそのままでいてもいいのよ。いつも通り、私の側にいながらね』
いつもどおり。
わたしはわからなかった。
なんでなんだろう?
わたしは……このひとのいってるいつもどおりってことばが、わからなかった。
『あなたはいつも通りでいいのよ。いつも通り私の側にいる。私はいつも通り、この学校を懐かしみ、いつも通りの街の風景を楽しむ。そしていつも通りいる人たちと過ごす。ね?これって最高の人生だと思わない?』
「……わかんない」
わたしには、このひとのことばがわからなかった。
だって、わたしのかおににたひとのことを、わたしはしらない。
わたしは、ここのことはなにも、しらない。
このひとがあそんでるひととか、おはなししてるひとも、しらない。
しらない、しらない、ぜんぶ、しらない。
『わからなくていいのよ。これから私があなたを育ててあげるのだから』
「…………なんで?」
『なんで?だってあなたは私が産んだ子なのよ?』
「…………」
わたしは、そのひとのかおをみる。
だけど。わたしは、このひとのことを、しらない。
わたしと、おかおはにてる。
でも、このひとのことは、しらない。
「うそ」
『嘘じゃないわ』
「だって……しらないもん」
『知らないですって?そんなはずはないわ。私の顔をよーく見て』
みてる。
さっきから、わたしはこのひとのおかおを、ずっとみてる。
でもしらない。このひとのことなんて、ほんとにしらない。
「ううん、しらない。わかんない。だってわたしのほんとうのおかあさんのおかおじゃないもん」
だっておかあさんはこんなにわかくないもん。
わたしのおかあさんはもっとふけてるもん。
「ねえ……あきちゃんはどこにいるの?あきちゃんにあいたいな。いつもわたしとあそんでくれるもの」
わたしはいった。
だってここはしらないところだもん。
いっつもあそんでくれる、あきちゃんのところにいきたかったの。
だっておかあさんたちがいなくなってから、ふじなみのおじさんとおばさん、あきちゃんがわたしのかぞくだもん。
『あなたはカコじゃないの!?カコだと思ったから、私の側に置いたのに!』
「……わたしはカコだよ?」
『カコならどうして私のことが分からないの!?』
そのひとのおかおは、すごくこわかった。
さっきまで、ずっとやさしかったのに。
ずっと、おこってる。
でも、なんでおこってるのか、わたしにはわからないの。
「ごめんなさい……でもわからないもん……しらないもん……」
『まさか……でもそんなはずはない。確かにカコは藤波に引き取られたはずなのに……そうよ。あなたはカコよ。だったら私の子どものはずよ!?』
そのひとのかおは、とてもこわかった。
しろとくろのおかおでも、わたしにはすごくこわかった。
『まさか……失敗してしまった……なんて』
でも、おんなのひとのおかおが、きゅうにへんなかおになった。
……たぶん、わるだくみしてるようなおかお。
『……いいえ失敗したら作り直せばいいのよ。そうよ。私の力で、この子をまた再現すればいいんだわ。それなら、いつも通りいて、私のことを知ってる、私のことを愛してくれるこの子が作れるはずよ。この学校を作り変えることもうまく行ったのだから、人間だって簡単にできるはずよ!』
そのひとのことが、ますますわからなくなってきた。
そして、おんなのひとは、にっこりとわらった。
ぶきみなほどに、わたしのおかおで、わらった。
『どうしたの?』
「そうよ。この子はカコじゃない。カコじゃないなら、いつも通り沈めるだけよ」
とんっ。
わたしのからだは、おんなのひとにかたをたたかれて、ゆっくりたおれた。
びちゃん。
ゆかはくろいみずであふれてた。
わたしのからだに、びっちゃり、くろいみずがかかる。
ずずずずずず。
わたしのからだはゆっくり、ゆかにしずんでいく。
……これがしずむってことなんだ。
わたしのおめめは、モノクロからまっくろにみえていく。
ずずずずずずず。
さっきまで、わたしのおめめがみていたしろとくろは、まっくろになった。
ぜんぶ。まっくろ。
どこをみても、まっくろ。
……たぶん、捨てられたんだろうな。
ふと、そう思う。
そう思うと、途端に意識がはっきりとしてくる。
この瞼を閉じた時のような景色の中で、私の意識ははっきりとする。
そう思うと、私の姿は幼い時の姿から急激に今の姿に戻っていく。
「たッ…………!」
しかし声は出せない。
この黒い空間は、外で降っていた黒い雨が貯水されたように溢れている。だから口を開けると、その黒い液が口に入り込んでしまう。
なんとか飲まないように口と鼻を塞ぐも、息ができずに苦しくなる。
水泳部で潜水の練習だってしたのだから数十秒は息は止めてれれるが、ここではたったの数十秒だ。
………多分、ずっとこのまま。
だけど動くことは出来ない。
ここはプールの中じゃない。
あの黒い液体が充満している場所なのだ。
泥水が溜まったような場所では思うように動くことなんて決して出来ない。
嫌だ。
こんなところで死にたくない。
……死ぬ?
死んじゃうの?
私はここで死んじゃうの?
こんな知らないところで死んじゃうの?
こんな何もないところで……。
確かにいつも通りの日常なんてずっと続かないけど。
こんな終わり方ってあるんだ……。
……そう思うと、私はどうしても後悔しか浮かばなかった。
そう思うと、不意にアキちゃんの言葉を思い出した。
アキちゃんの言葉、おじさんたちの本心。
……いつも通りの日常なんてずっと続かない。
……だけど、ちゃんと義理じゃなくて、本当の家族として接しておけばよかったのかな。
そう思うと、やっぱりアキちゃんとももっと仲良くしたかったな。
でも真田くんともやっぱり付き合ってほしいし。
……ここで真田くんのことを出すのもどうかとは思う。
今更後悔しても仕方ないことだけど。
もう後悔するしか、ここではすることがない。
あとは……死ぬだけ。
この真っ暗な世界で。
……次は死後の世界でいつも通り過ごすかぁ。
『藤波ッ!』
声。
聴いたことのあるような声。
……もしかして天使の声?
だってここには誰もいないのに。
『今ここから出してやるからな!もう少し我慢してくれよ!?』
それにしても天使の声は荒々しい。
そして、超早い。
突然、私の体が掴まれたと思うと、急激に、まるでプールの底を蹴り上げて急上昇するかの如く早い。
こんな泥水みたいな中なのに、私の体と一緒に
ばちゃぁん。
そして───私の体は先ほどまで見ていたモノクロの世界にまた放り込まれた。
この真っ黒な図書室へと。
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