七
キーンコーンカーンコーン。
早いチャイムの音が校舎の中で響き始める。
時刻は正午。この時間を持って、夏期講習の時間は終わった。
私と真田くんはすっかり、疲労していた。
休み時間はあったとはいえ、長時間慣れない就職活動について説明を受けて、最後には模擬面接の練習。
まぁ、私とは違う班分けになった真田くんが模擬面接で緊張し、固まっていたのは側から見ていて面白かったけど。
ふと、窓を見る。
先ほどまであんなに晴れていたのに、いつの間にか黒い雲が覆い被さり、今にも雨が降り注ごうとしている。
……今日の天気予報は一日中晴れだったのに。
そう思いながら隣の真田くんを見やる。
どうやら模擬面接で疲れ果ててしまったのか、隣の席で顔を俯かせていた。
「真田くん、ほら。帰ろうよ。アキちゃんも待たせちゃってるし」
「…………先帰っててくれ」
どうやら本気で疲れたらしい。
せっかくだからアキちゃんと一緒に遊びに行けばいいと言おうと思ったのだが、その俯き加減から、よほど応えたようだ。
周りを見回すとすでに教室中には誰もいない。
一人の姿も例外なく、見受けられない。
どうやらみんなはさっさと帰ってしまったらしい。
それもそうか。外は今にも雨が降りそうだし、ほとんど傘なんて持ち合わせてはいないだろう。
さて、アキちゃんを迎えに行こう。
そう思って、机の上に置いた鞄に手をつける。
───ねちょり。
ん?
私はその机に目を向けた。
鞄がない。配布されたプリントをしまった通学鞄が、ない。
確かに机は存在する。だが、机に触った時の硬さではない。まるで泥に手を突っ込んでしまったような感覚。
確かに机の形としては形成されている。だが机に手を置いて力を加えるとズブズブと入り込んでしまう。
「きゃあぁっ!?」
思わず悲鳴をあげ、私は急いで机から自分の手を引き上げる。
手はどうもない。ちゃんと動く、ちゃんと机の冷たさを感じる。しかし入れてしまった私の手には泥のように黒い液体がしつこくまとわりついていた。
「なんなの、これ……」
もう片方の手でそれを払いのける。
だがもう片方の手にも、黒い液体は泥のようにまとわりつく。まるで泥遊びをして、擦っても落ちない泥のしつこさのように。
いくらやっても取れない。何度やっても取れない。ゴシゴシと両手で両手の黒を払い退けようとも取れない。
それどころか飛び跳ねて、私の制服にも少しまとわりつく。
まるで堂々巡りのような光景。
「一体なんなの!?」
私は声を上げた。
自分の体に得体の分からないものがついている。それだけでパニックになり、錯乱するように辺りを見渡す。
いない。誰もいない。不自然なほどに誰もいない。
教室の明かりも消され、窓から太陽の光も射さない。
だけど私から見える世界は、あの黒っぽい薄暗さではなかった。
私の目に映っている教室は……モノクロの世界。
よく昔の映像で流れるような、あのモノクロの映像が私の目に飛び込んでくる。
白いコンクリートで固めて、緑の黒板があり、茶色い机があるこの広い教室は、すべてモノクロに見える。
これは現代?いいや、過去。そういうように。
だけど不思議だったのは。
私は自分の目で自分の体を見つめる。
腕は黒い液体に包まれていたが、それ以外はきちんといつもの私。
いつもの私の色。
制服は白、スカートは紺、足はちゃんと肌色。
「…………ねえ、誰かいないの!?」
そうだ。真田くん。
真田くんがショックで顔を俯かせているはず。
だが……真田くんもいなくなった。
あるのは真田くんがいたはずの机……の形をした黒。
そしてモノクロの世界。
いったいこの世界はどうしてしまったのだろうか?
私は急いで窓の外を見る。
するとどうだろうか?
隣にある古い校舎。
それは確かにある。だが……その色はモノクロ。
モノクロだろうと白は白だ。いつも通りある、白い校舎。
だから不思議とその光景を見て、安心は出来た。
だがそれだけだ。
私は窓から見える、校舎下に広がる光景に唖然とした。
なぜなら、そこにあったはずのものがすべてなくなっているのだから。
駐輪場があったはずなのに、無くなっている。
校舎に沿うように並んだ小さい植木鉢も全て無くなっている。
あるのは黒。
私の腕にまとわりついた黒い液物。
それが海のように広がる。
無論、景色はモノクロ。
まるで何かを否定するように、その黒い液物は広がっている。
……じゃあ新しい校舎はどうなっているのだろうか?
私がその疑問にたどり着いたと同時、すぐに思い出す。
新しい校舎には図書室がある。新しい図書室が。
そしてそこには……アキちゃんがいる。
「……アキちゃん!」
私は急いで教室から出て行った。
幸いなことに私がいる校舎の廊下には黒い液物は垂れ流されていなかった。私の目に映るのはモノクロの光景。いつも通りの景色ではなく、まるで昔もそうであったかのように広がる光景。
教室から出て右側の階段を何度も降りていく。
普段水泳をしているからか、幸いなことに息切れもせずに早く一階へと辿り着く。
隣の校舎へと続く道はやはり黒い液が充満しており、さらに私の体を汚すことになるだろう。
だけど構いはしなかった。
アキちゃんが心配でたまらない。
もしかしたらアキちゃんも私と同じような目にあっているのではないか。
それがたまらなく不安だったから。
だからモノクロの世界が広がる校舎の外に飛び出した。
「………………」
古い校舎の間に挟まれ、黒い液で満たされた地面で私の足は立ち止まった。
私の視界は、思考は思わず落ちかけた。
空の色は黒。雨雲だろうと、その色はモノクロで誇張された色。
そして校内の壁まで広がる、漆黒の地面。
どこまでも全てを飲み干すように、広がる漆黒の地面。
そこには何もない。
私の視界に広がるのはモノクロの世界。
いつも通りの今の世界じゃない。非日常的な昔のような世界。
やはりそこにはない。
アキちゃんがいるはずの校舎は、ない。
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