終章 旅に出る理由ができたの

最終話 ドラゴンとレディのロマンス

「あ、あら、アレク様、ごきげんよう」


 そう言ってドレスの裾をつまみ、美しいカーツィを披露するのはブランモンターニュ伯爵家令嬢ベルティーユだ。


 黒くふわりとした髪は優雅で、知的な黒髪ブルネットはブランモンターニュ伯爵家の特徴と言える。家名のブランが示すとおり、肌の白さは大昔の先祖が日も昇らぬ北国にいたという名残だった。


 絹のドレスではなく木綿や麻、涼しげな素材を使ったオフホワイトの作業着ドレスを身につけ、帆布製エプロンまで着けたベルティーユだが、その気品はいささかも損なわれていない。言われなければ客の出迎え用ではないそうだと気付かぬ者さえいるだろう。


 一方で、軽鎧を外した竜騎兵服のアレクサンデルは、一般的な礼装の軍服で使われる肋骨服ではなくもっと動きやすく丈夫な開襟服を着ていた。馬に乗りながら銃を撃つという竜騎兵の仕事の性質上、というわけではなく、アレクサンデルが新たに服飾工房アトリエへ依頼した新制服だった。どのみち体格の大きなアレクサンデルには旧来の服は窮屈すぎたので、これ幸いと新調したばかりだった。


 アレクサンデルは会釈をしつつ、ベルティーユを怖がらせないよう威厳抑えめの挨拶を交わす。


「ベルティーユ嬢、ごきげんよう。今日はお父上に相談があり、やってきた次第です」

「そうでしたのね。ご案内いたしますわ、こちらへ」


 客人を案内するのは使用人の務めではあるが、大事な客人ともなれば家人が案内するものだ。ベルティーユは先導して、父ブランモンターニュ伯爵の仕事部屋へとアレクサンデルを連れていく。


 まもなく、アレクサンデルはベルティーユの背中へ声をかけた。


「イヴェール侯爵家のことは、お聞き及びですか?」


 ぴくり、とベルティーユは反応して、足を止めた。振り返りはしない。


「申し訳ございません、存じ上げませんわ」

「ああいや、聞きたくなければ」

「いえ、そういうわけでは……最近は滞っていた骨董品倉庫の掃除ばかりで、外の方とおしゃべりすることがなくって、時事に疎くなってしまい」


 それは事実だ。ベルティーユは使節団結成までに、所蔵する骨董品の整理と骨董品仲間への譲渡会を計画していて、慌てて毎日リスト作りと修復作業依頼に追われていた。レティシアも手伝ってはくれるが、やはり使節団のことで忙しく、ここ二日は会っていない。


 もう遠い昔のようになってしまった、ベルティーユとイヴェール侯爵家嫡男エルワンの破局、そして婚約破棄事件。気にしていないわけではないが、そのあとに色々とありすぎてベルティーユも何だか実感が薄れてきていた。


 アレクサンデルは重要と思ったからこそ、ベルティーユにわざわざ伝えようとしている。そう思ったベルティーユは振り返ってアレクサンデルの目を見上げる。


「よろしければ、お教えくださいな」

「では、触りだけお伝えしましょう」

「お願いいたします」

「二度目の婚約解消により、ついにエルワンは廃嫡が決定したそうです。先日のジーヴル子爵家襲撃によってウジェニー・ジーヴルの死亡が確認されたことで半狂乱となり、最終的に北の保養地へ送られたと」


 なかなか現実味の薄い、突拍子もない話だった。ベルティーユはエルワンがどうこうよりも、これから旅の仲間となるウジェニーことシャリアを気にかける。


「シャリア様はご無事ですか?」

「ええ、一足先にマントたちと国境沿いの領地へ。旅に必要な支度を整えさせています」

「それならよかった」

「ジュレ太公のお墨付きの文官武官たちも続々と集結しています。最終的には百名をゆうに超える使節団となるでしょう」

「そんなに……」

「これでも少ないほうです。旅を続ければ、もっと人数も増えるでしょうし、減ることもある。未知の土地へ出向くたび、水先案内人や世話人を雇って、調査や交渉の作業に資する人間を揃えていかなくてはならない。なかなか、人数を把握するのは困難かもしれませんが」


 使節団の長に任命されることが内定したベルティーユに待ち受ける苦難や苦労は、到底、世間知らずの貴族令嬢に耐えられるようなものではない。


 それでも、ベルティーユはまんざらでもない。


「私の名を使って、物事が有益に進むのであれば、いくらでも。楽しみですわ、アレク様」


 果たして、その答えが正しかったのか、ベルティーユには分かりかねる。しかし、アレクサンデルの表情は嬉しそうで、それからの会話は和やかだった。


 二人が辿り着いたブランモンターニュ伯爵の仕事部屋……という名の大会議室は、まさしく仕事場オフィスだった。いくつもの事務机が並び、流れ込んでくる書類は各部署に捌かれ、いくつかの仕切りのある仮説応接間にはひっきりなしに商人が取引交渉のため商品を携えてやってくる。賑やかな場だが、とても目立つアレクサンデルの姿が現れれば、即座にブランモンターニュ伯爵は仕事の手を止めて出迎えた。


「よくいらっしゃいました、アレクサンデル様」

「お時間をいただき恐縮です、ブランモンターニュ伯爵閣下。必要な書類をすべて揃えてまいりました、ご確認を」


 アレクサンデルとブランモンターニュ伯爵は握手を交わし、一番奥まった場所にある向き合ったソファへと移る。特に帰れとは言われなかったので、ベルティーユもちょこんとアレクサンデルの隣に座った。


 アレクサンデルから渡された書類をめくりながら、ブランモンターニュ伯爵は顔も上げずに——チクリと針を刺すように、まるで出方を伺うように、一言。


「そういえば……ヴェルグラ侯爵家では、すでにベルティーユがあなたの婚約者となることが知られている、と?」


 アレクサンデルはこともなげに、ブランモンターニュ伯爵の牽制の口撃を躱わす。


「お恥ずかしい。あれは妹のレティシアがそういう名目で、親友のベルティーユ嬢を保護するためにと先走ってしまい……決して既成事実を作ろうなどと思ってはおりません。神に誓って、そのような不埒な真似はいたしておりませんとも」


 ベルティーユにその言葉の深い意味は分かっていない、ヴェルグラ侯爵家とはいえ一応は異性の多いところに泊まっていたことが責められているのだろう、くらいにしか受け止めていなかった。


 親友のレティシアはとにかく頭が回り、そのおかげで助かったことも少なくない。今回だってそうだ、ベルティーユはそう信じている。婚約破棄から一転、アレクサンデルを紹介されたことだってひとえにベルティーユのためを思ってのことだし、実際ジーヴル子爵による襲撃だってアレクサンデルがいなければどうなったことか。


 それが責められることなら、自分も——そう顔に出ていたのだろう。ブランモンターニュ伯爵は顔を緩め、アレクサンデルへ和やかに謝意を伝える。


「いやいや、責めているわけではございません。むしろ、助かりました。傷心の娘に悪い虫がつかなかったのは、ひとえにヴェルグラ侯爵家、ならびにアレクサンデル様とレティシア嬢のおかげです。感謝の意をわずかでも示すために、我が家は使節団への出資を惜しみませんとも」


 その言葉に、アレクサンデルとベルティーユは同時に安堵のため息を吐いた。


 書類の確認に戻ったブランモンターニュ伯爵が目を落とし、アレクサンデルとベルティーユはそーっと互いに顔を見合わせる。


 先手を撃ったのは、ベルティーユだ。


「あ、あの、アレク様」


 わずかに肩を震わせながらも、アレクサンデルは見上げてくるベルティーユから目を逸らさない。


 ベルティーユは、忠次から教わっていた『約束』のことを口にする。


「乗馬の、お約束はまだ……有効ですか?」


 アレクサンデルは目を見開いて驚いてみせ、少し躊躇ったあと、頷く。


「もちろん。お望みであれば、出発前に遠出をしますか?」

「は、はい。私、ずっとやってみたくて」


 忠次からそう聞いていたわけではなく、ベルティーユとしてやってみたいと思ったそれは、偶然にも、図らずもアレクサンデルを納得させていた。


 まるで人が変わったようなこともあったが、それも含めてベルティーユだったのだ、と。


 そんな雰囲気を察したのか、ブランモンターニュ伯爵は後押しをする。


「アレクサンデル様。婚約にはこだわりません、ベルティーユを守ることができる男性は、あなたをおいて他にはいないでしょう。見極めは任せましたぞ」


 ベルティーユ本人は分かっていないとはいえ、娘の目の前で父親にそう言わせた意味を、アレクサンデルもさすがに理解していた。


 一見すれば、並んでいるアレクサンデルとベルティーユこそ親娘に見えそうな年齢差と体格差だが——さしたる問題ではない。


「承知いたしました。しっかりと見極めましょう」


 愛するでも結婚するでもなく、見極める、だなどと情緒のない答えをする男であっても、ベルティーユは気にしない。むしろどんとこい、とばかりに胸を張っている。


 








 プランタン王国外交使節団団長にいつのまにか任ぜられていた私は、国を出る前にやるべきことを片っ端から走り回ってこなしていた。


 そのうち、どうしてもやっておかなければならないこと……すなわち、私以外にベルのために無私で働いてくれる、できるだけ権力を持った人物を味方につけるため、ジュレ太公のお屋敷にまた舞い戻っていた。


 ——具体的に何をするかって? それはもちろん、ジュレ太公にだけは、今回の騒動についての情報を一から十まですべて開示しておくのだ。


「……というわけです」


 ざっと二時間近くかけて、私は忠次との出会いから昨日までのことを、すべてジュレ太公へ洗いざらい白状した。忠次inベルのことも、ジュレ太公は「ははあ」と感心したようにあっさり受け入れていたあたり、懐の広い御仁だ。


 ちなみに、ドラゴンに化けた忠次は最初だけちらっと在席していたが、途中で窓から出ていった。人の姿ではふわふわ浮いているだけだが、ドラゴンの姿でならかなりの高度の空まで飛べるようになったので、できるだけ早く習得しようと時間を惜しんで躍起になっているのだ。


 ドラゴンの忠次を見たジュレ太公は、そのおかげか私の話を遮ることなく、馬鹿にすることなく聞いてくれた。窓からいそいそ出ていく忠次の姿も、それに拍車をかけたかもしれない。


 やっと私がすべて話し終えて、ジュレ太公は確認のためか念押しする。


「レティシア嬢。これは、事実なのだな?」

「神に誓って、一切嘘は吐いておりません。ジュレ太公閣下にだけは、真相をお話ししておいたほうがいいと私が独断で語った次第です」

「まあ、この目でドラゴンを見て、今更疑うことはないが」


 それでも、あってないような保証であっても欲しいと思うくらい、素っ頓狂で空想的なお話だったのだ。ジュレ太公は小柄な体を一人がけソファに埋めて、考え込んでいる。


 私はついでの話を付け加える。


「ちなみにですが、親交あるフロコン大司教様にもかいつまんでお話をしております。ドラゴンを人に戻す方法にはお心当たりはなかったようですが、改心した人間の魂を再度ドラゴンから人間へと戻すことは道義にも背かず、教義上も問題ないとのことです。教会もできるかぎり、使節団の行動を支援するとお約束してくださいました。各地の教会への通達をお願いしております」

「うむ……あの男は抜け目のない性分だからな。上手くやってくれるだろうし、龍の話も教会の教えへと取り入れて勢力拡大に利用するだろう」


 どうやら、ジュレ太公はフロコン大司教様に対してそういう認識らしい。そうでもなければ大司教の座に就けない、という意味なら私も同意見だ。要するに悪い人でなければいい、味方になってくれさえすれば、贅沢は言えないのだ。


 さて、とジュレ太公は丸めた背中を真っ直ぐにして、私へこう言った。


「それで、私に何かまだ言いたいことがあるのだろう? レティシア・ヴェルグラ」


 ——この爺様はやはり一筋縄では行かない。ベルを連れてくるべきだったかな。


 私はそう後悔しつつも、後援者パトロン使本題に入る。


「実はですね、使節団の人数が予想を大幅に超えそうでして」

「希望者が多かったか?」

「はい。すでに三百七十人です」

「それほどか。リストはあるか?」

「こちらに。地方でも話題になっているらしく、一芸に秀でた者たちが領主へ直談判をして、出世の道だと張り切っているとか何とか」


 そう、もうとっくに使節団設立の話は各地に伝わってしまって、注目の的となっている。特殊技能、専門技能を持つ人材を取り入れるため、才能さえあれば出自は問わないという人員募集をかけたものだから、プランタン王国全土から装蹄師、地図職人、熟練船乗り、大工と色々なジャンルの人々が我も我もと立候補しているのだ。


 当然、全員は連れていけない。それでもできるかぎり、独力で問題に対処できるだけの人材を抱えておきたい。行く先々で連絡や貿易用の中継地を作る必要も出るだろうし、人数は相当増減することを考えれば、数百人規模でもまだ足りない。


 とはいえ、それだけの人数を組織として統率することは、なかなかに至難の業だ。軍隊でだっていきなりは難しい、厳しい訓練を経てようやく運用できるというレベルだ。


 それをジュレ太公は即座に見抜いた。


「これは、ベル一人に長をやらせるわけにはいかぬな」

「そこで、ベルにできるだけ負担をかけないよう使節団内部の統制強化、組織化を進めようと思いまして、でも文官武官で対立がですね……」

「ああ、分かっている。何とか言っておこう」

「お願いします!」


 もはや藁にもすがる気持ちで、私はジュレ太公へと頭を下げる。すでに実質的な長状態の私のもとへ、使節団に派遣される文官武官たちからあれこれやかましく言ってきているのだ。有難い助言もあれば、愚痴や文句もある。いい加減にしてくれ、と大兄様にぶん投げたこともある。そんなことをまだ勉強中のベルの耳に入れるわけにはいかないのだ。ここは強力な後援者に注意喚起をお願いしておこう、というわけだ。


 はー、やれやれと私は一番の本題が無事済んで安心しているところに、ジュレ太公は好奇心たっぷりの目でこんな注文をつけた。


「ところで、そのドラゴンの話について、紙に書いて寄越してくれるかね」

「はい、かまいませんが」

「交流のある連中にある程度は語っておこうと思う。使節団には冒険心と、慈愛と、敬虔さと」


 ふふっ、とジュレ太公は笑う。


「ドラゴンとレディのロマンスがあるのだ、とな」


 ——あ、やっぱり、見抜いちゃいます?


 私と忠次の関係については隠しておくつもりだが、さてどうなるか。


「どちらかと言うと、我が家の大兄様とベルのロマンスを強調していただけたら」

「それはできん。我々の心に傷が増える」

「あ、そうですか」


 ジュレ太公のしょうもない一面が垣間見えたとき、部屋の窓にビタン! と何かがぶつかって張り付いた。


 水色のドラゴンだ。忠次がウッキウキで、ガラスの向こうで叫んでいる。


「姐さん! そろそろ昼飯の時間でさァ! とっとと戻りやしょうや!」


 上機嫌な忠次のおかげで、話の終わりのきっかけができた。


 私は立ち上がり、ジュレ太公へ一礼をする。


「それでは、よろしくお願いいたします」


 ジュレ太公は「うむ」とだけ言って、忠次を眺めていた。不思議な生き物だから、というよりも、どこか羨望の眼差しであったのは——黙っておこう。


 ジュレ太公の屋敷を辞去して、私はエントランスで飛んできた忠次と合流した。あちこちの窓辺や庭先で、使用人たちが何だ何だと忠次を物珍しげに眺めている。


 すでに、私の肩にはドラゴンがいる、という話が尾ひれをつけて流布されている。ドラゴンを従えた侯爵令嬢、なんて言われるようになってきたくらいだ。


 プランタン王国では、ドラゴンは悪者の象徴だった。財宝をがめつく守るドラゴン、お姫様を攫い人を食うドラゴン、そんなものが伝説や童話にひしめいている。一方で異国では、残寿の話ではドラゴンというものは人間から変化することもあり、水神として祀られることもあり、人間とは親しげなキャラクターだとか。


 とにかく異国のドラゴンは縁起がいいものだ、という噂もくっつけて流したため、縁起を重視する人々にはちょっと一目置かれている。教会のお墨付きも得たことだし、少なくとも伝説や童話のように討伐されることはなさそうだ。


 ——まあ……その反面、私には婚約の話が来なくなったであろうことは、大したことじゃない。忠次inベルの婚約破棄事件だってすでに社交界の伝説化しちゃっているし。


 乾いた笑いの私へ、忠次は首に巻きついて猫のようにくっついている。


「空が飛べるってのが、こんなにも爽快なものたァ思いもしやせんでした!」

「そうね、うん、今のうちにドラゴンの体に慣れておいてね」

「承知!」


 何らかの組織を作るときは、マスコットがいたほうがいい。そう思おう。


 そのため、私はまたカバーストーリーを作って、働いてみせるのだ。


「ドラゴンとレディのロマンス、ね。ベルを守るためにも、もう一肌脱ぎますか」





おしまい。

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侯爵令嬢、遊侠に憑かれた親友の伯爵令嬢のためがんばる。 ルーシャオ @aitetsu

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