2, ブランモンターニュ伯爵家において

第25話 貴族の秘密なんていくらでもあるのに

 馬車の窓越しでも分かるほど、ブランモンターニュ伯爵家屋敷の内部、周辺には何となく緊張した物々しい空気が流れていた。


 なぜそんなことに、とベルさえも困惑している。ジーヴル子爵の手下による襲撃以外にも、何かあったのか? 不安はふつふつと湧き上がってくる。


 おそらくこの空気はブランモンターニュ伯爵家周辺だけでなく、下手すれば王都中に広まっている。誘拐未遂事件での爆発は王都に住む人間すべてに恐怖を与えた。直接的な被害はなくても、あんなことが起こるなんて、と人心の不安を煽ってしまい、各所で不確定な密告や摘発が耳に入ってくるほどだ。


 こうなっては下手に動くことはできず、大人しくブランモンターニュ伯爵家屋敷へと入っていくしかない。いや、何かするつもりがあったわけでもないが、勘違いされかねない真似は慎んだほうがいいだろう。


 私は馬車が止まると、先に扉を開けて降り、ベルに手を差し伸ばす。


「足元に気を付けて」

「ええ、ありがとう、レティ」


 私はうやうやしく、ベルの手を握って馬車から降ろす。それから待ち構え、並んでいた使用人たちの列に沿って、屋敷のエントランスへと歩いていく。


 ベルはずっと私の手を握っていた。緊張している様子は、握った手を通じて伝わってくる。


 私はベルへ小声で尋ねる。


「ベル、どう? この空気、おかしくない?」

「そう、ね」


 エントランスへ入ったベルが、周囲を見回す。しかし、何かを言う前に、老執事がやってきて礼をした。


「おかえりなさいませ、お嬢様。さあ、お疲れでしょう。すぐに夕食の支度をいたします、もちろんレティシア様の分もご用意いたしましょう」


 老執事の態度に、特に怪しいところはない。


 やっと私の手を離したベルは、何かを決めたようだった。


「お父様とお話がしたいのだけれど、急ぎお声がけしなくてはならないの」

「左様でございますか。では、応接間でお待ちくださいませ。大至急お呼びいたします」

「ありがとう。それと」


 ——やることがあるの。


 ベルは、私を連れてある場所へ向かう。





 屋敷の応接間に入ると、ブランモンターニュ伯爵が友好的に出迎えてくれた。多忙な気鋭の大商人、四十を超えても若々しく、豊かな黒髪と綺麗な黒目は娘とそっくりだ。


「おお、ベル。おかえり」

「ただいま帰りました、お父様」

「うむ。レティシア嬢も、このたびは随分とベルティーユがお世話になりました。さあどうぞ、まずはソファにおかけを」


 私は愛想笑いを浮かべて、貴族令嬢らしくソファにゆるりと座る。その私の所作を真似して、ベルは——普通を装おうとして——隣に座った。


 そして、私の口から話しはじめる。


 ベルの婚約破棄事件からジーヴル子爵による誘拐未遂事件、ジュレ太公後援の使節団について、それとプランタン王国軍上部の承諾がほぼ得られていること。


 一連の事件の流れを、ブランモンターニュ伯爵は至極真面目に聞いていた。驚くことも呆気に取られることも、ましてや馬鹿にすることもなく、それらを事実として捉えたようだった。


 おおよその話が終わり、一息つくと、ブランモンターニュ伯爵は一言こぼす。


「なるほど」


 その言葉は、私の話を何もかもを理解したことを証明するかのようだった。


 それに引っかかったのは、実子のベルだ。


「あまり、驚かれないのですね。お父様」

「まあな。イヴェール侯爵家から脅迫の手紙が送られてくるし、商会にちょっかいをかけてくるジーヴル子爵家子飼いの無法者を警察と協力して摘発している」

「あら、もうすでにそこまで」


 なるほど、ブランモンターニュ伯爵のほうでも、実害が出ていたようだ。その原因を探っていれば、私の話とリンクするところが多々あったのだろう。


 それよりも、とブランモンターニュ伯爵はベルへ心配そうな視線を向ける。


「ベル、お前は本当に、外国へ行けるのか? 箱入り娘のお前が、厳しい旅をやっていけるとは到底思わない。ましてや、外交に通商、専門家が同行しても携わることも成功させることも難しい課題だ」


 ブランモンターニュ伯爵はベルの未知数の能力を信じるわけにはいかない。使節団の成否は直接ブランモンターニュ伯爵家の商売に影響してくる、使節団のメンバー次第では国運を懸けたとさえ言われるレベルとなるだろう。であれば、何を費やしても何があっても成功させなければならない。


 ベルの細い肩に、その期待と責務を負わせるべきか。親心として、商人として当然心配することだ。他にもっと有能で実績のある者を据えるべき、そう考えるのも当然だ。


 ——だが、私たちはそれではダメなのだ。


 私の横で、ベルが、やっと決心した。


 父親を問い詰めるということを。


「お父様。ずっと気になることがあったの。どうして」


 ベルは、右手の中で握りしめていたものをブランモンターニュ伯爵へ見せる。


 赤黒い文字や模様の、布の切れ端。忠次の魂が封じられていたあの小瓶を包んでいたものだ。


「こんなものを、仕入れたの?」


 あの小瓶は割れてしまった。巻きつけられていた赤黒い文字と模様の細い布だけでもその不気味さと役割は示せるだろうと、さっき私たちはあのときの部屋に戻って拾ってきたのだ。あの部屋の中はベルの管理だったため、誰も掃除や整理をしていなかったことが幸いした。


 ブランモンターニュ伯爵は顔をしかめて、布の切れ端をまじまじと見る。


「何だ、これは?」

「人間の魂が封じられていた小瓶に巻かれていたものです」

「うん? 魂?」

「はい。とりあえず、今は事実と捉えてください」

「……にわかには信じられないが、、そんなものが?」


 ベルが機敏に反応する。


「お父様、骨董品の中に入っていたことを、どうして知っているの?」

「それは他のところより、チェックが甘いからだ。それらしい売れる商品を、現地の商人たちがかき集めて箱に詰めて売ってくるもので、いちいち検査の手は回らないほどある」

「うん、でも……これが入っていた箱には、他にも似たものがあったの。蠱毒の壺、大蛇の呪いの血、呪術の書物……どうしてこんなものを、一目で怪しいと分かるものを、仕入れたの?」


 ——うっわ、そんなものまであったの?


 私はヒェッとドン引くことしかできない。そういえばベルは何やらあの部屋でゴソゴソとしていたが、そんなもの、何であるの。その思いがかなり強い。


 プランタン王国の宗教、国教会の存在がある以上、魔術や呪術といったものはかなり怪しい民間信仰としてわずかに残っているだけだ。だが、そういうものが効果がある、と人々は心のどこかしらで認めている。実際の力や信仰というよりも、思い込みや恐怖心がもたらす効果であることが大きいと思うが……それでも、忌避されるものであることは間違いない。


 問題は、、ということだ。


「お父様、誤解なさらないで。私は、これをイヴェール侯爵家といった敵視してくる人々に見つかったら、お父様が宮廷や教会から責められてしまうと心配しているの。お父様が呪いをかけたわけでもなくても、そう言われるでしょうから」


 ベルの左こめかみに、冷や汗が垂れている。緊張と不安と、恐れ、それからからだろうか。


 正直言って、私たちではブランモンターニュ伯爵家を徹底的に探ることは不可能だ。ヴェルグラ侯爵家にそういう類の力はないし、誰もブランモンターニュ伯爵家を公然と敵に回したいという貴族や有力者はいない。ジーヴル子爵だって裏から手を回してちょっかいをかけている程度だろうし、イヴェール侯爵家は脅迫の手紙だけだろう。


 実際のところ、ブランモンターニュ伯爵はこの不気味な呪物たちをどうして所持していたのか。その真意は知りたいところだが、それよりも危ない品物を排除し、来歴を調べてついでに忠次の故郷を見つけて、とやりたいことが山盛りで、ブランモンターニュ伯爵を責めるよりもずっと優先すべきことだ。


 ——これらの品物を、私たちの手の内に置く。上手く誘導して、ベル!


 ベルは思い切って、『解決策』を提案する。


「だから、私が処分するわ。他の国に行って、適切な処分の仕方を探して、できれば元の場所や管理してくれるところに戻してくる。実物がなければ罪には問われない、だから」

「ベル、そうじゃないんだ」


 勢いを止められたベルは、珍しく興奮していてまだ言葉を続けようとしたが、私が止めた。なぜ、というベルの視線に、私は「話を聞きましょう」と言うほかない。


 ようやく落ち着いたベルとともに、私はブランモンターニュ伯爵へ向き直る。


「それは、私がプランタン王国中から回収した危険物だ。もちろんすべてがすべてではない、なぜお前がそれを知っているかも分からないが……いつか、何とかできるのではないかと思って保管していた。それは確かだ」


 ——ん? ひょっとして、それは……もしかして?


 ——わざとではなく、おそらく何かの手違いで、ベルの趣味の骨董品の中に、呪物のようなそれらの箱が混ざってしまった?


 私はベルを見た。するとベルは、わずかに目を泳がせていた。


 ——ベル、ひょっとしなくても、何かいいものがないかと屋敷中の骨董品のようなものを漁っていたんじゃないでしょうね? それでうっかり見つけてしまった、と。


 まあ、今それを責めても始まらない。ブランモンターニュ伯爵の話の続きを聞こう。


「それらがあることによって、我が家はプランタン王国の貴族たちの弱味を握っていた。これらを蒐集し、使用が懸念されたとき、商会が接触して回収する。いわば、これは王家の密命だったんだ」


 はあ、とブランモンターニュ伯爵はため息を吐いた。いやに真に迫ったため息で、それらのせいで苦労してきたのだ、と言わんばかりだ。


「汚れ役を引き受け、国家予算にも匹敵する資金調達を任され、我がブランモンターニュ伯爵家は繁栄してきた。手を引きたくとも、王家も我が家も同罪だ。そんな品を実際に暗殺に使用した痕跡さえ残っているのだから」


 もう、私はこう思うしかない。


 ——あーあ、最後の引き金を引いてしまったのはベルってことじゃないもー。っていうか貴族なんだからそんな秘密の一つや二つくらいあるわけよ? それを娘が見事に引き当てるってもー、ブランモンターニュ伯爵も運が悪すぎよ……。


 私もブランモンターニュ伯爵も、顔を俯かせてため息を吐く。


 ベルだけは「?」という顔をして、困惑していた。

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