幕間 彼らの目に映るベルティーユ

 これは打ち合わせ中の出来事だ。


 アレクサンデルとマントは王都下町のとある屋敷——ヴェルグラ侯爵家の遠縁の貴族が住んでいた屋敷で、現在は空き家となっている——で密談をしていた。


 マントの手下は三人、アレクサンデルはたった一人で乗り込んできたのだが、どうにも雰囲気はなごやかだった。


「あー……旦那、こないだは、怪我させてすまねぇな」


 後ろにランプを持った手下を立たせ、古いソファに腰掛けて、マントは頭を下げた。


 アレクサンデルはおおらかに、マントを賞賛する。


「いや何、思いきりがいい判断だった。俺でなければその思惑は成功していただろう」

「そ、そうかよ」

「うむ。それに、金目当てであの子爵に付き従っているわけでもない、ということが分かって安心した。意中の女性のために苦渋を呑む、うむ、騎士道だな!」


 はっはっは、とアレクサンデルは納得して頷く。最初はただの街のゴロツキと思っていたが、蓋を開けてみればマントは騎士にも劣らぬ高潔さを持ち合わせていた。そして、実力もなかなかにある。人生の転機を与えたいと思うくらいには、アレクサンデルはマントを気に入っていた。


 しかし、マントは力なく首を横に振る。


「ははは……冗談はよしてくれ。ゴロツキの俺なんかが騎士道と関係あるもんか」


 自虐するマントを、後ろにいる手下たちがオロオロと声をかけようとして躊躇っていた。


 その光景を見れば分かる。アレクサンデルはしっかりと、彼を賞賛する言葉を明確にする。


「たった一人の女性を助けるために、国を捨てることさえ厭わぬ自己犠牲の精神。それに、お前が仲間に慕われていることは一目で分かる。それだけに、俺は立場を傍へ押しやってでも、お前を助けたいと思ったのだ」


 そんな言葉を、今まで誰がマントへかけただろう。たかが最下層の貧民たちは、どう足掻いても頭角を表すにはギャングラ・ミリュの道しかない。出自や体格の貧弱さから兵士になることも許されず、卑しいと差別されて真っ当な商売にもありつけず、下町の隅で震えて暮らすか、暴力の世界で成り上がるしかない。


 ジーヴル子爵だって、マントを利用することしか考えていない。力を認めるだのそういうことは決してない、使える道具だから使う、使えなくなれば捨てる、その程度の認識だ。マントだって同じことを考えていた。


 しかし、そうではないのだ。たとえ口先だけだったとしても、そんな言葉を得られるとは思ってもみなかっただけに、マントは柄にもなく嬉しくなる。


「ありがとよ、旦那」

「何の、礼ならベルティーユ嬢へ」


 ベルティーユ。


 その名前が出た途端、マントは顔を強張らせ、アレクサンデルへずいと体を乗り出して問う。


「そのことだが……あれは、本当に貴族のお嬢様なのか?」


 アレクサンデルは数回瞼を瞬かせ、マントの言葉の意味を理解してから、答える。


「今までは状況が状況だったせいで考えないようにしていたが、確かにベルティーユ嬢は……何というべきか、世慣れた手練れの雰囲気がある。いや、普通のご令嬢の様子のときもあるのだが」


 マントは安堵した。アレクサンデルは、さすがにベルティーユに惚れて盲目というわけではない。おかしいとは思っているのだ。


 マントは、自分の見解を伝える。今までならしなかったが、アレクサンデルは心配する意見を無碍にしないと確信していた。


「あれが本性だとしたら、マジで稀代のギャングスタの才能があるぞ。王都のギャングラ・ミリュどもを統率して、裏社会を牛耳るくらい簡単だろうよ」

「そうは言ってもなぁ」

「使節団とやらで外国に、ってのは本当はあのお嬢様を厄介払いする口実じゃねぇのか? 俺たちは救ってもらう立場だが、あのお嬢様のためなら体張るくらいは」

「待て待て。お前たちは計画どおり、ジーヴル子爵邸の強襲に専念してくれ。打ち合わせどおり、救出後は王都から出て東の宿場町に潜伏するように」

「分かったよ。こっちのことは心配しなくていい。しかし、旦那は本当にあのお嬢様と婚約するのか?」


 すると、アレクサンデルは渋い顔のまま、大きなため息を吐いた。何か、腹に抱えているものはあるようだ。


「ため息吐くようなことでもねぇと思うが」

「そうではない。俺など、血統で今の地位にいる程度の男だ。鍛えても鍛えても、上には上がいる」

「よく言うぜ、軍の花形の竜騎兵隊を親の七光だけで務められるもんか」

「ならば、俺はベルティーユ嬢に必要とされる男だろうか?」


 アレクサンデルは、自身の問いかけに、さらに疑問をぶつける。


「貴族の婚約としては、確かに俺の身分は申し分ないだろう。しかし、ベルティーユ嬢はそんなものを欲しがるとは思えない。欲しいものがあるなら、掴みに行けるだけの度胸も胆力もある。なのに、本当に俺の姿は目に映っているのだろうか?」


 ベルティーユのあの所業を知っているだけに、マントはアレクサンデルの懸念を本当の意味で理解していた。


 ——あのお嬢様は、力があろうがなかろうが、目的を達するためなら何でもするだろう。実力があるやつよりも、そういうやつのほうが怖い。神様が味方するのは決まってそういうやつだからだ。


 だからこそ、ヴェルグラ侯爵家嫡男アレクサンデルでさえも、ベルティーユは必要としないのではないか。ベルティーユの目的がどこにあるかは分からない、しかし掴もうと思えば何だって掴める、そういう器を兼ね備えている。本当に、惜しむらくは男であれば、と嘆かれるような大器で、ギャングラ・ミリュだったとすればこの国くらい掌握してしまっているかもしれなかった。


 マントのその考えは間違いではなかったのだ。アレクサンデルでさえも、そう思っているのだ。


 アレクサンデル自分はベルティーユについていけるか。そう真剣に考え、ベルティーユの邪魔にならないよう、自分の身の振り方を考えるそのあり方を、マントは気に入った。


「いや、考えるだけ無駄だな。今は婚約でもして、彼女を守ることが第一だ。結婚して云々よりも、ただ彼女を守ることを考える。それが俺の役目だ」


 アレクサンデルの結論は、さらにマントを気に入らせた。


 上機嫌のマントが首を大きく上下に振る。


「旦那、あんた本当に、いい男だな!」

「い、いきなり何だ」

「よし、俺らも旦那に協力するぜ! 何でも言ってくれ!」


 困惑するアレクサンデルに、意気揚々のマント、それと手下たち。


 彼らの打ち合わせは酒が入らない範囲で着々と進んでいた。

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