第19話 ジュレ太公リシャール

 私が知っているのは、ジュレ太公はひねくれた策謀家で、先王とはかなり陰湿な政治的駆け引きを長年仕掛け合い、その恩恵としてプランタン王国のありとあらゆる土地と財が懐へと集まってきたのだということだけだ。


 だから、本来ならこの屋敷どころか、領地に帰れば王城よりも広大な宮殿を持っていて、一生かけても数えきれない金貨が金庫に山のように積まれているだろう。銀行に預けるくらいなら自分で銀行を作って利殖することさえ可能だが、さすがにそこまでやるとプランタン王国の経済まで支配してしまうため、王家の立場がある手前できなかった……という噂は聞いたことがあった。


 目の前の、一人がけソファにすっかり体が収まってしまうほど小さな老人は、見た目によらず強大な政治の化け物で、ときとしてこの国の王よりも偉大で権威的な存在と化す。


 その老人ならば、一介の伯爵家令嬢にすぎないベルへ、プランタン王国公式の外交使節一団を預けるくらい造作もないことだ。ベルの読みは何も間違っていない、近頃は他の国もどんどん未知の異邦へ探検家や外交団を派遣して、自分たちの勢力を伸長しようとしている。それに乗っかってプランタン王国もやりましょう、という話を持ちかけているだけならば——プランタン王国の富豪や貴族の支援が得られるのだから、願ってもいない話だろう。


 ただ、やはり問題はベルがただの伯爵家令嬢にすぎない、ということだ。実績があるわけでも、語学が得意なわけでもない。そんな十六の娘についていこうという官僚や外交の専門家はそうそういないだろう。だからこそジュレ太公ほかのバックアップが不可欠であり、趣味仲間のよしみで何とかしてくれとお願いしているわけだ。


 ジュレ太公はまんまるくした目を何度か擦って、ベルへ話を確認しなおす。


「つまり……君が外交使節を率いることができるよう、私の名で推薦しろと?」

「おっしゃるとおりです」

「どこへ行くつもりだね?」

「遠い異国へ。東に行けるところまで行ってみたいのです」


 これまた随分ざっくりとした話である。とはいえ、無謀というわけでもない。


 ベルには、しっかりと展望がある。頑張れ、ベル。言っちゃえ。私の心の中の応援が届いたのか、ベルはハキハキと説得材料を並べる。


「もちろん、父を説得して、資金援助をしてもらいます。いくらかは人材も提供してくれるでしょうし、船や馬車などもそちらで調達する予定です。そして、私が行く先々で外交関係を結ぶと同時に、その土地の価値ある骨董品をプランタン王国へと運ばせます。それと、護衛としてヴェルグラ侯爵家のアレクサンデル様を同行させていただきたいのです。竜騎兵のあの方とその眼鏡に叶う武官の同行希望者がいれば、護衛として十分すぎますわ」


 ここまで一気に言い終えて、ベルはふう、と一息ついた。


 ひょっとすると、ベルはずっと外国へ行く夢を見ていたのかもしれない。自分が手に取る骨董品が生み出される土地へ行きたいと願っていた、でも貴族令嬢には到底叶うことはない。お淑やかなベルのことだ、そんな大それたことを誰かに話すことさえできなかっただろう。


 でも、今は違う。機会がベルへと勇気を与えた。


 これも忠次が現れたからかしら、などと私は偶然の巡り合いを想像してみるが、それにしたって上手く運命の歯車が噛み合ったものだ。


 そのことを知らないジュレ太公は、感嘆のため息を漏らしていた。


「いやはや、ベルが冒険家志望だとは今までまったく知らなかった。だが」


 顎に手を当てて、訝しむようにジュレ太公はこう言った。


「その提案は、例の婚約破棄が関係しているのかね?」


 ——まあ、聞くだろう。それは聞きたくもなる。


 ベルにとっては傷心の事件、世間的にはそうなっている。おそらく、ベル本人もそれなりにショックではあっただろう。とりあえずそれを押し出しておけば外国へ行く理由にはなるが、ベルはどう言い繕うのか。


 ハラハラしている私をよそに、ベルはちゃんと、自分の言葉ですべてやってのける。


「ないと言えば嘘になります。今は、この国にはいたくないと思ってしまうのです」

「そうか……だろうな」

「でも、だからこそ私は勇気を出して、頑張ろうと思えました。どうか、お力添えをお願いできませんか?」


 ニコッと笑うベル。可憐な少女らしい笑みには、思わず誰もが釣られて笑う。


 ところが、ベルは低い声を出した。


「それに」


 その一言で、場の雰囲気がが一転してしまった。


「巡り巡って誘拐事件、どこまで明らかになるやら」


 ——ちょっと待て、ベルじゃない。これ忠次だ。


 私は察したものの、今叱るわけにはいかない。咄嗟に、ベルへと声をかけるしかできない。


「べ、ベル?」

「はい、何かしら? レティ」

「いやぁ……えっと、一人で背負ってはダメよ。私もいるのだから」

「あ、そうね。ええ、ありがとう、レティ」


 ——よかった、誤魔化せた。あの一言だけで忠次は引っ込み、今はベルになっている。


 ジュレ太公がジーヴル子爵を公衆の面前で咎め、その恨みがベルへやってきてマントたちに依頼して誘拐未遂事件が起きた。この因果について、私たちからはジュレ太公を責めることはできない。というか、私たち程度ではどうすることもできない。そもそも証拠はなく、マントの証言だけでジーヴル子爵までは追い詰められても、ジュレ太公へ責任を問うことは不可能だろう。言った言わないの水掛け論だって、ジュレ太公にかかれば一瞬で都合よく消し飛ばしてしまえる。それだけの権力を持っている相手なのだ。


 忠次、余計なことを言うな、と私が念を送っていると、ジュレ太公は私へ視線を向けた。


「レティシア、と言ったね」

「はい、殿下」

「ヴェルグラ侯爵家はベルを支援するのかね?」

「そうなるよう努力します。おそらく、問題ありません」


 まだ確定ではないが、嫡男である大兄様がその気ならおそらく大丈夫だろう。お父様もブランモンターニュ伯爵のおじ様と仲はいいし、私と大兄様で説得すれば容易と思われる。


 ジュレ太公の思惑としてはベルを止める人物を探していたのだろうが、今ベルの近くにそんな殊勝な人物はいない。


 ジュレ太公は、天井のクリスタルシャンデリアを仰いだ。


「はあ、仕方がない。これも身から出た錆か」


 私はその言葉を聞かなかったことにしたが、クリスタルの輝きの下で老人は己の錆を嘆く。何とも皮肉なことだ。


 ベルはそんなジュレ太公を慰めるように、新たな提案を持ち出す。


「リシャール様、またいい品を手に入れたらお持ちしますわ。プランタン王国から出る前に、皆様に私のコレクションをお譲りするパーティーを開きましょう?」


 そしてまた低い声で一言。


「互いに腹を括って、ね」


 私は慌ててティーカップをベルの口にぶつけて飲ませ、口を閉じさせた。


 あとで忠次には言っておかなければならないことがある。


 そんなわけで、ジュレ太公は妙にうなだれた様子で、ベルの提案を受け入れてくれたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る