第12話 心配したんだから!

 私が教会から郊外の屋敷に帰ってきたころには、すでに大爆発の噂で持ちきりだった。使用人たちが集まってきて、私の無事を引くほど喜び、安堵していたのだ。


「お嬢様、お怪我はございませんか? 本当に? よかった、ご無事で何よりです」

「爆発なんて昔王都に火薬製造所があったころ以来ですよ。今はないんですが、それを思い出しましたよ」

「怖いわぁ、変なことがなければいいけれど……お嬢様もお気を付けくださいね。思い当たる節がなくても、偶然巻き込まれるなんていくらでもありえますからね」

「はいはい分かったから! 私は無事よ、それより大兄様とベルは!?」

 

 焦る私は、とにかくベルの安否だけが心配でしょうがなかった。

 

 忠次ならば多少の危機は乗り越えられそうだが、もし突然ベルに入れ替わってしまったら? なぜ自分がそこにいるかも分からない状態で、危険から逃れられるだろうか? いくら大兄様が軍人で恵まれた体躯を持っていると言っても、限度がある。そう、爆発……あんなものに巻き込まれれば、人間は木っ端微塵だ。多分、自信はないが、なると思う。

 

 しかし、私の心配は明後日の方向に飛んでいってしまった。

 

 一時間も経たないうちに、大兄様とベルが五体満足で帰ってきたのだ。

 

 妙に清々しい顔をした二人は、何やら距離が縮まって、楽しげに話していた。だが、何だか花火臭いというか、焦げ臭い。服もところどころ綻びが見える。


 二人の服や体の汚れに気付いたメイド長が素早くお風呂の準備を指示し、とりあえず二人は使用人たちとともに浴場へ向かった。


 そして私は一人取り残された。


「何だったの、一体……?」


 私は部外者の割には心配と知っておかなければならないことが多すぎる。


 風呂上がりのベル——ゲンナリした顔をした忠次を急いで捕まえ、有無を言わさず私は図書室へ駆け込み、扉をしっかりと閉めた。


 それにしても——ベルは可愛い。お風呂上がりの白いツヤ肌に、しっかり乾かされた黒髪はゆるくウェーブがかかり、キュルンと黒い瞳は潤っている。ネグリジェではなく簡素な綿のワンピースで、その素朴さがベルの可憐さに拍車をかけていた。


「お風呂上がりのベルってこんなに可愛いのね……」

「でしょう? あっしもこればかりは驚きやした。まあ風呂の最中はずっと目を瞑ってるんでね、目を開けたらこんなにもお嬢が美しく……いやはや、世の父親が娘を家にしまい込みたい気持ちが分かるってもんですよ」

「そうね、ベルは可愛いわ、うん」


 ——そう、だからこそ、ベルと婚約破棄したイヴェール侯爵家のエルワンには何があったのではないか、とすら勘繰ってしまう。


 それはさておき、忠次には聞かねばならないことがある。私は図書室の窓際にあるソファへ連れていき、隣に座って顔を寄せる。


「何があったの? 誘拐ってどういうこと?」


 少女たちが月明かりのもとで内緒話、と洒落込む雰囲気だが、今はそんなことを言っている場合ではない。


 何せ、私がいないあいだに誘拐と脱出と爆発があったのだ、という話を忠次からかい摘んで聞いていると、ポカンと開いた口が塞がらない。どうしてそうなる。誘拐までしか知らなかった私は、大兄様と忠次がやけに仲良くなっている理由をやっと理解した。二人で一緒に死地を切り抜けてくれば、そりゃ仲良くもなる。


「ってェわけです、姐さん」


 犯人の拠点を爆破した、というあたりでもう私は限界だった。


 私はベルの体の両肩をがっしり掴み、前後に振る。


「どうして、ベルの体で、そんな無茶をするの!?」

「あのゥ、痛ェんですが」

「馬鹿! 万が一があったら、私」


 きゅう、と胸が締め付けられた。私は、こんなにも心配している。ベルと忠次、どちらも心配で、何かあればと思うといても立ってもいられなくなる。


 思わず潤んできた目を瞬かせ、俯いて、私は誤魔化す。


 貴族令嬢として、感情を露わにしすぎるのはよくない、はしたない。たとえ、二人きりだったとしても、私は弱いところを見せてはいけない。そうしないと、不安になってしまうではないか。


 ——私は『姐さん』なのだから、しっかりしないと。


 ようやく顔を上げると、今思いついたとばかりに忠次は大兄様のことを口にした。


「そういや、あれく様は?」

「部隊に戻るって」

「部隊?」

「ええ、大兄様は軍の竜騎兵隊を率いているの。ヴェルグラ侯爵家は武門の家系だし、それなりに出世なさっていると聞くわ。私には軍内部のことはよく分からないけれど」

「ならまあ、今日襲ってきた連中のことはお任せしていいってことですかね」

「そうよ、絶対あなたが動くのはもうだめ!」

「へェ」


 私がよく分からないのは本当のことだ。私は軍事のことになんか興味はないし、兄たちも妹に男社会の仕事場の話をするほど無節操ではない。だから曖昧に、軍人で何をしているか、くらいしか知らないのだ。


 さすがに高位貴族であり、軍人である大兄様が誘拐(未遂)をされれば、警察も軍も宮廷だって黙ってはいられない。そんな犯行を許してしまうなどといって責任の押し付け合い、治安悪化の恐怖が蔓延しそうだ。となると、これは下手を打てば深刻な政治問題化しかねない、ヴェルグラ侯爵たるお父様も動かざるをえないだろう。


 何だかおおごとになりそうだが、私にはもうどうしようもない。しょうがない、私はベルと忠次さえ無事ならそれでいいのだ。ついでに大兄様も。


「はあ、もう……本当に無事でよかった」


 私にとっては、無意識に口から出た言葉だった。でもそれはれっきとした本音で、と言い繕おうとしたところ、忠次が深々と頭を下げていた。


「すいやせん、久々の鉄火場に浮かれちまいました。あっしは馬鹿でさァ、まず第一にすべきはべるてぃーゆお嬢の安全、と理由をつけて暴れちまった。そればっかりは、申し開きのしようもねェ」

「あっ……ううん、あなたを責めるつもりじゃないの。あなたのおかげでベルも大兄様も助かったんでしょう? だったら」

「姐さんに心配かけちまった。姐さんに泣きそうな顔をさせちまって、申し訳ねェ」


 忠次は、私がさっき涙を堪えたことに気付いていた。


 恥ずかしいような、情けないような、知られたくなかったことだが、私は——だったらと逆に胸を張る。


「じゃあ、これからは気を付けてね。本当に命の危険が差し迫ったとしても、私が泣いちゃうようなことはできればしないで。ベルだって泣いちゃうから」

「へェ、肝に銘じまさァ!」

「うん」


 頭を上げた忠次は、ちょっとだけ誇らしげだった。その理由は知らないが、きっと悪いものではないだろう。


 それはそうと。


 私は、本題をやっと切り出した。


「こほん、ここからが本題なの。ブランモンターニュ伯爵家から連絡があったわ。明日、ベルのお父様——おじ様がこちらへいらっしゃるそうよ。婚約破棄の件もそうだし、大兄様とのお見合いも、今日の誘拐事件についてもご説明しないといけないわ」


 これには私と忠次は揃ってうーんと頭を抱える。


「どうにかお嬢に出てきてもらわねェと、さすがにお身内を騙せやしねェかと」

「どうしよう」


 今まで何とかブランモンターニュ伯爵家から忠次inベルを遠ざけてきたが、それも限界に近づきつつある。このまま忠次がベルのフリをして強行突破する、ということも考えなくてはならないが、あまりにもバレたときのリスクが高すぎる。


 ならば、奥の手だ。私は今日学んだ緊急事態対応方法を、今こそ使うときだと決断する。


「仕方ない。フロコン大司教様から教わったあれを試すとしますか」

?」

「できればやりたくなかったんだけれど」


 私は立ち上がり、図書室の本棚から適当な本を取り出す。角はダメだ、表紙で叩ける頑丈なものがいい。


 何かを察した忠次が身を翻していた。しかし、私はすでに両手で本をしっかり握り、振りかぶっている。


「ベル、あとで謝るから! てい!」

「ごふ!?」


 ——どこに当てたかって? 大丈夫、背中だから。頭じゃないから、死ぬことはないわ。そう聞いているわ、うんそのはず、多分。


 振り抜いてから、私がやっとの思いで顔を上げると、吹っ飛んだ忠次が本棚に張り付いていた。


 果たして、成功したのか?

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