第2章 大立ち回りの鉄火場

第8話 デートのようなものだと思っていた

 ある日の朝、外出着のコートと厚手のスカートを身につけた忠次が、とっても嫌そうな顔をした。


「乗馬服の採寸にィ?」


 私も見たことのない、ベルの凄まじく嫌そうな顔。あのおっとりとして怒ることのないベルが、そんな顔もできたんだ、と感心してしまった。


 ベルがやってきてから毎日、朝食のあとはベルの気持ちをリラックスさせるために談話室に入る、という名目のもと私たちは談話室を占拠していた。このときばかりは私の家族も使用人たちも談話室には近づかないから、実際にはその日の予定に合わせて忠次の演じる貴族令嬢らしさを調整したり、新しいことを急いで覚えてもらったり、作戦会議を行う貴重な隙間時間となっていた。


 採寸と聞いて忠次はとても嫌そうだが、しかし今はそれどころではない。大兄様から「乗馬なら乗馬服が必要だな」と言われてしまった以上、用意する必要がある。そしてその思惑は——平たく言えば、二人でお出かけ、デートだ。


「そう、大兄様とデートよ。大丈夫、大兄様は紳士だから絶対に手出しはしないし、一人でも淑女の護衛としては十分よ。ただ、お喋りじゃないから話は弾まないかもしれないけれど……あなたも話しすぎたら怪しまれるだろうし、ちょうどいいと思うわ」


 忠次はデートが嫌なわけではない。ベルのフリをして大兄様と仲良くするだけなら、それなりにこなせるのだ。ヴェルグラ侯爵家の屋敷の中で過ごすうちに、すっかりご令嬢っぷりが板についてきている。


 ただ、忠次はとっても気遣いのできる紳士なのだ。


「採寸、ですかィ……姐さん、あっしはお嬢の体に憑いてから、できるだけ体に触れないようにしてきたんですが……採寸はその、触られるんじゃァ」


 ベルが年頃の娘だからと、忠次は目を瞑って素早く着替えるという荒技を習得してしまったほど気遣っている。それもそうだ、見知らぬ男性に体を触られること自体、貴族令嬢にとってあり得ない、絶対に避けたいことだ。ベルがもし意識を取り戻したとき、自分の体が見知らぬ男性に乗っ取られていて触られていた、などと聞けばショックで倒れかねない。お嫁に行けないと泣かれてしまう。だから私が身の回りの世話をきっちり補佐できるよう、不埒なことが起きないよう監視もしていましたよとお墨付きを与えるために、忠次をヴェルグラ侯爵家に連れてきたという理由もあった。


 忠次がきわめて常識的な人間であったことに、私は神やら何やらに感謝した。世間一般の、女性を見るなり目の色を変える発情期の野獣のような男どもとは違い、大変に理性的だ。もっとも、忠次からすればベルくらいの年齢の子は娘みたいなものかもしれないが。


「うん、分かっているわ。あなたも相当に紳士よ、もしベルが起きても私がしっかり保証するから、我慢して」

「姐さんがそこまでおっしゃるなら」


 ぶつくさ言いつつも、忠次はデートと採寸を了承した。ありがとう忠次、あなたが紳士なおかげでベルの乙女心は何とか傷つかない、本当によかった。


「さて、そのあいだに私は魂云々の手がかりを探しに行くわ。教会のフロコン大司教様にアポを取っているの、口が固いお方だし、我が家とも縁があるから事情くらいは聞いてくださるはず。若いころは悪魔祓い師エクソシストをなさっていたから、少しはこういう不思議なことも知っているかもしれないわ」


 毎晩図書室に籠りきりの私は、ついに自力で探す以外にもベルと忠次を何とかする方法を模索すべきだ、という結論に至った。もっと早く至ればよかったのだが、外部の人間に忠次の魂inベルの事情を知られたくないし、私としては自分の家族にもベルの家族にも秘密にしておきたかった。だって、年頃の貴族令嬢の体に男性の魂が取り憑いた、だなんて風聞が悪すぎる。もし信心深い親族がいれば、修道院送りにされたって文句は言えない。


 しかし、もうここは慎重に考慮を重ね、フロコン大司教様という奇特な人物に頼ることにした。類いまれな人格者であり、プランタン王国国教において最高位の教皇に次ぐ地位にある宗教学の権威で、なおかつ私と何度か面識がある。正確には、ヴェルグラ侯爵家と、だが。


 フロコン大司教様ならば、魂云々そのものの知識はおろか、これから私がどうすればいいかをも教えてくださる可能性が高い。とにかく、急いでいる。私は内密に手紙を送り、何とか昨日返信をいただいてアポを取れたのだ。やってみるしかない、ベルと忠次には責任も罪もないことを説明しつつ、目的を達するのだ、私。


 私が努力をしていることを忠次は認めてくれたのか、それとも本当に面倒をかけている、と思っているのか、申し訳なさそうな顔をして頭を下げてきた。


「すいやせん、姐さん。ご面倒をおかけしやす」

「ううん、気にしないで。それじゃ、大兄様を頼むわね。ベルの婿にふさわしいか、きっちり見定めてきて!」

「相分かりやした、行ってまいりやす!」


 忠次は元気よく、大兄様と待ち合わせのエントランスへと出陣していった。


 さて、私も行かなくては。

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