第7話 策士策に溺れる

 図書室で祈るレティシアの与り知らないところで、物事はキリキリと動いてしまっていた。


 プランタン王国王都の貴族の屋敷では、毎晩のように夜会が催されている。サロンのように身内だけの小規模なものもあれば、招待客以外も参加していい立食形式のパーティーもあり、そこで多くの貴族たちは情報網や知謀を張り巡らせて、生き延びる策を立てていた。


 ジーヴル子爵アロルドもそれに参加する一人で、三十半ばをすぎて白髪が混ざりはじめた茶髪を固めて、流行の礼服であちこちの夜会をハシゴする。


 ジーヴル子爵家は良くも悪くも弱小貴族で、どこか由緒正しい血筋と繋がっているわけでもなく、財産があるわけでもない。田舎にちょっとした領地があるだけで、三代前に王都へ狭い屋敷を構えたばかりだ。アロルドの祖父は家族を連れて王都へ登り、宮廷で出世する野心を隠さなかったがために、あっさりと同僚貴族たちの罠に引っかかって失脚した。それを見ていたアロルドの父は身を縮めて生きることに執着して、腰を低くして中堅貴族たちの汚れ仕事を請け負って生計を立てていた。徴税人の監視だとか、接待に使う物資の調達とその値下げ交渉だとか、貴族は到底やりたがらないことばかりして、必然的に平民の中に紛れて生きていかねばならず、アロルドに家督を譲ったときにはもうすっかり平民の老人そのものとなってしまっていた。


「これでは、何のためにジーヴル子爵家があるのか」


 アロルドは、祖父と父の轍を踏むことだけはすまい、そう思っていた。実際には祖父のように成り上がることを夢見て、父のように平民の中にある無数の伝手を使って、ジーヴル子爵家を隆盛させようと躍起になっている。


 慢心はしていない、だが彼は貴族としての品格を持ち得ていなかった。


 そのため、貴族と看做されないようなことも多々あり、結局はそれが彼の隠れた劣等感となっていたのだろう。


 美人局つつもたせも同然の、見目形のいい若い女を養女として、高位貴族へ嫁入りさせるという方法で、羨まれる身分と権力を手早く手に入れようとしたのだから。


 夜会でジーヴル子爵アロルドがテーブルに並べられたシャンパンのグラスを一つ取ったとき、一人の老人がしわがれた声で背後から声をかけてきた。


「ジーヴル子爵、ちょっといいかね」


 アロルドはすかさず振り返る。このような場に来る老人は、ほぼアロルド以上の権力と爵位を持つであろうことが確実だからだ。機嫌を損ねないためにも笑顔を絶やさず、振り返って姿を一瞥するとすぐに頭を深く下げる。


「いかがしましたか、ジュレ太公」


 機嫌を損ねる要素はなかったはずだ。しかし、矮躯わいくの老人は顔をしかめ、アロルドに対する嫌悪感を隠していない。


 ジュレ太公、プランタン王国先王の次弟、すなわち現王の叔父に当たる。歴史あるプランタン王国王族にして、今もなお政治に絶大な影響を与え続ける大貴族であり、国一番の大富豪。


 たかが子爵からすれば雲上人とも言えるそんな人物が、なぜ自分と話をしようというのか。アロルドにはまったく心当たりがない。それでも当惑の表情は浮かべずに、ジュレ太公の話に耳を傾ける。


「いやね、君の娘が横恋慕をしたらしいじゃないか。ええ?」

「は?」


 想像もつかなかった話題に、アロルドは虚を突かれてしまった。ジュレ太公はその矮躯に似合わず、若く壮健なアロルドを圧倒する。


「ブランモンターニュ伯爵家令嬢ベルティーユの婚約者を、奪ったそうだね。あの子は私の友達でね、幼いころから付き合いがある。決して他の令嬢に見劣りするようなこともない、礼儀正しく大人しい性格だった。だというのに」


 ブランモンターニュの家名を聞いて、アロルドは瞬時にその話が、自分が矮躯の老人を怒らせたのだとやっと思い至った。


 アロルドの娘——先年養女としたウジェニーは、元は平民ながら掛け値なしに美人だ。だからこそ、その美貌で落とせる高位貴族の嫡男を探した。すると、現在の婚約者に異性としての魅力を感じず、結婚を不満に思っている男子はそれなりにいた。当たり前だ、自分の好みも何もかも無視して、家同士の結びつきのために結婚させられるのだから、年頃の男子は表面的に従順でも裏では反抗的になりがちだ。


 そういった男子の中で、もっとも高位で、じきに爵位を受け継ぎ、異性との接触を求めてかサロンや舞踏会に積極的に出る者を慎重に選び、アロルドはウジェニーを着飾らせて、接触させた。高い金を費やして交際費に充て、男を手玉に取って魅了することに慣れているウジェニーはアロルドの目論見どおり、イヴェール侯爵家嫡男のエルワンを捕まえてきたのだ。


 正直に言って、愛人にできれば上出来だとアロルドは思っていた。ところが、エルワンはウジェニーに夢中になるあまり、ブランモンターニュ伯爵家令嬢との婚約を破棄すると言い出したのだ。


 そして、アロルドはそれを利用した。舞踏会という公の場で、婚約者を取り替えると宣言させた。それ自体は無事成功したのだが——イレギュラーな自体はあれど、成功だ。


 なのに、あの地味な——最近の噂では違うらしいが——ブランモンターニュ伯爵家令嬢は、ジュレ太公と『友達』だったと言うではないか。


 完全に、アロルドにとっては寝耳に水だった。高位貴族同士の交友関係はある程度把握していたが、たかが小娘にすぎない令嬢と国政さえ動かせる老人が『友達』など、信じられない。


 いや、信じられるかどうかなど問題ではない。目の前の老人がそう主張しているのだ、それに異を唱えるなど何の後ろ盾もない子爵風情には許されない。


 アロルドは必死に弁解する。


「誤解です。あれはそう、イヴェール侯爵家のエルワンが婚約を破棄したのであって」

「その前に、君の娘がエルワンを籠絡したんだろう? まったく、娘の躾もできないのかね。ああ、義理だったか。どこぞの場末のキャバレーで見つけたんだとか」


 ジュレ太公は歯に絹着せぬ物言いを次々と繰り出し、アロルドへの嫌味をひたすらに続ける。


 周囲の貴族の目はアロルドを嘲笑し、趣味の悪い見せ物を喜んでいた。アロルドの顔がいつ恥辱に歪んで壊れるかを賭けていた。ジュレ太公の『友達』は同じ顔でアロルドを睨んでいた。


 それにアロルドは何ら抵抗できない。自分が身分の低い子爵だからではない、反論を簡単に予期できていたからだ。


 ——何を怒ることがある、お前だって他人を利用して踏みつけて蹴落として、喜んでいたじゃないか。


 ジュレ太公の嫌味は説教に代わり、老婦人ネージュ公爵夫人に「こほん、そろそろ」と遮られるまで続いた。


 アロルドはろくな成果も挙げることができず、夜会から逃げるように飛び出し、自分の屋敷へ——は戻らなかった。


 とある歓楽街の一角にあるホテルの一室、長期滞在者のために借り上げられたそこに、身なりだけは商人風の男たちがたむろしていた。部屋の隅には木箱がいくつかあり、商品かと思いきや、それらは酒や武器、あるいは火薬、多種多様な服まで用意されている。


 扉を粗暴に開き、アロルドは中で安酒の酒盛りをしていた男たちへ、八つ当たりのように叫びつける。


「ちぃ! あの老害め、当てつけがましく! ええい! ブランモンターニュ家の娘を攫ってこい! どうとでも利用価値のある娘だ、お前のところで上手く扱え、マント!」


 大股で部屋へ侵入してきたアロルドを、男たちは咎めない。男たちに譲られたソファへどかりと座り、アロルドは対面のソファに座ったハンティング帽を被った男たちの頭目、マントと呼ばれた男にジャケットのポケットから出した札束を放って寄越した。


 ハンティング帽にコートの高い襟で表情が窺いづらい青年マントは、手慣れた様子で札束を別の男へ渡す。鼻息荒いアロルドとは対照的に、冷静にビジネスの話を始めた。


「ジーヴル子爵、報酬は?」

「ふん、ちゃんと払うさ。とにかく、ブランモンターニュ家の評判を落とせ。傭兵団でも盗賊団でも何でも使ってかまわん」

「おおせのとおりに、閣下」


 マントの慇懃無礼な態度など気にもかけず、アロルドは圧力をかける。


「いいか? ウジェニーの近くにいたいと言ったからお前を使っているんだ。これはウジェニーのためにもなる、お前たちはただ働けばいい。そうすれば、ウジェニーは幸せになるんだ。それが分かったら、さっさとやれ!」


 マントは顔色一つ変えなかった。もっとも、変えたところでアロルドには見えない。

 屈辱を忘れるためか散々愚痴を吐いてアロルドが帰ったのち、マントはこうつぶやいた。


「ふん、腐れ貴族が」


 この場の誰しもが、アロルドを善人だと思っていない。


 善人ならば、人の弱みにつけ込んでその身を金で買い叩いたりしないのだから。

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