2, どうにかしたい、どうにかしよう

第5話 アレクサンデル大兄様、お願い

 ベルがヴェルグラ侯爵家屋敷に来た翌日。


 王都郊外の古城がそのままヴェルグラ侯爵家の屋敷であり、王都警備隊の駐屯地と接している。広がる丘陵一面をヴェルグラ侯爵領から取り寄せた大型馬の放牧場として使い、その一角にある平らな土地を駐屯地の兵士たちの訓練場として貸し出し、ヴェルグラ侯爵家に生まれた男子は代々ここで領兵と駐屯地の兵に混ざって軍人としての教育を受けていく。プランタン王国の王都守備を事実上担っているのはヴェルグラ侯爵家であり、将来的には軍将校の座に就けるよう十分に経験を積んでいかなければならない。


 ——まあ、私はそのヴェルグラ侯爵家の末の妹で、兄弟中唯一の女子として好き勝手やらせてもらっているけれど。


 私はフリルブラウスと長いサテンスカートを、忠次は簡素な濃紺のエプロンドレスを着て、放牧場の入り口から馬と戯れている一人の男性を手を振って呼んでいた。


 その男性は馬の背中を叩いてどこかへ走らせ、てくてくとこちらへ歩いてくる。ただ、だんだん近づいてくるにつれ、細身に見える乗馬ジョッパーズスタイルながらその上背の高さが際立ってきた。


 忠次など、目を見開いてこう問いかけてきたくらいだ。


「姐さん」

「何?」

「あの鬼みてェな大男が、『あれくさんでる』ですかィ」


 オーガとは何だ、私の兄なのに、と言いたくなったが、致し方ない。


 特注の乗馬服を着ているその筋骨隆々な大男は、私と同じ金髪碧眼で、もみあげと髭が繋がっているような厳つい顔をしていた。ヴェルグラ侯爵家長兄アレクサンデル、気性は人並みに穏やかで優しいのだが、何せ顔が怖い。子供に泣かれることもままある。あと、走り疲れた仔馬を一人で背負って帰ってきたこともある怪力だ。


 素直にびっくりしている忠次へ、私はポンと背中を叩いて安心させる。


「うん、そうなのよ……まあ、ちょっと大兄様と話をするから、黙って聞いていてくれる?」

「へェ」

「大兄様! こちらへ来てくださる!?」


 呼びかければ、大男は軽快にやってくる。


 アレクサンデルこと大兄様は、見た目によらない軽やかな足取りで私と忠次の前にやってきた。


「どうした、レティ! はっはっは、大きくなったなぁ!」

「それは一昨日も聞いたわ。大兄様、ご結婚はまだよね?」

「うむ、お前も知っているだろう? 俺は女性が苦手でな」

「うん、そうね。でも、今日はこの子とお見合いをしていただきます!」

「何ぃ!?」


 私が両肩を掴んでベル——忠次を前に押し出すと、今まで視界に入っていなかったのか大兄様はとんでもなく驚き情けない顔をして、私と忠次を交互に見て、それから口ごもりつつ叫んだ。


「な、ななな……!? ブランモンターニュ伯爵家のご令嬢ではないか!」

「そうよ、私の親友なの。でもね、聞いて? 昨日、舞踏会で婚約破棄されたのよ?」


 滅多に聞かない単語ゆえか、大兄様は「何?」と一瞬で顔つきを変えた。今だ、私は畳み掛ける。


「ベルは何にも悪くないわ。悪いのはイヴェール侯爵家のエルワンよ、浮気して婚約破棄して他の女に乗り換えだなんて許せる? 私は許せないわ!」


 まさにこれは今の私の気持ちそのものだ。エルワンの評価は最低最悪のどん底に落ちたし、ジーヴル子爵家ユジェニーという令嬢に対しても、侯爵夫人として成り上がるためにそこまでするか、とドン引きしている。


 その気持ちはしっかり伝わったらしく、大兄様は必死に私をなだめようとする。


「落ち着け、レティ! だとしてもだ、俺のようながさつな男がこちらのご令嬢に似合うわけがないだろう!」

「大兄様、私はベルを幸せにしたいの。だからこそ大兄様を信頼して、傷心のベルを真っ先にここへ連れてきたのよ。その思いを汲み取ってくださらない?」


 ほら! と私は大兄様へ外見ベル、中身忠次の可憐な少女を突き出す。


 忠次も察したのか、頑張って愛想笑いを浮かべて挨拶をする。


「ご、ご機嫌、うるわしゅう」


 ちょっとつたないが、まあ及第点だ。私は後ろでうんうんと頷く。


 ベルはおっとりとしているが、友人の贔屓目を抜いても可憐だ。もちろん個々人の好みもあるだろう、エルワンなんかは可憐さよりも大人びた美女を選んだわけだ。しかし、普通にベルティーユという令嬢は可愛い。薄化粧の似合う小柄で上品な少女だ。


 もっとも、目の前の大男にこの少女を勧めるということは、あまりにも美女と野獣に過ぎる気がしないでもない。


 女性慣れしていない大兄様は慌てふためき、それでもちゃんとした挨拶を返そうと躍起になっていた。


「はばばば……!? いえっ、お初にお目にかかる! アレクサンデル・ヴェルグラと申し」


 しばし、忠次と大兄様は見つめ合う。少女と大男、子供と大人ばかりに身長差がある。


 そして大兄様は困惑の末に妙なことを口走る。


「特技は槍を折ることです!」

「ま、まあ、勇ましい」

「は、ははは……」

「ふ、ふふ……」


 誤魔化し笑いが二つ重なる。天気は快晴、風はない。


 つまりどうやっても誤魔化し笑いなどいずれは保たなくなるわけで、大兄様が先に根を上げて私に縋りついてきた。大男が背中を丸めて末妹の腕に縋りつかないでほしい。


「ダメだ、会話が! 緊張しすぎて!」

「頑張って、大兄様! それでもヴェルグラ侯爵家次期当主ですか!」


 それっぽいことを言って私は励ます。まあ、大兄様もそろそろ女性が苦手などと言って逃げていないで、本腰を入れて結婚相手を探さなければならない年頃だ。私は間違ったことは言っていない。


 ところが、忠次はこちらを見ていなかった。


 何を見つめているのだろう、とその視線の先を見ると、少し離れた放牧場の土道で、一頭の鞍をつけた白馬の手綱を調教師が引いていた。どこかで役目を終え、厩舎の馬房に戻されるところなのだろう。


 貴族の多くは白馬を好む。芦毛や栗毛もいなくはないが、やはりイメージ的に白馬は高級で、見栄えがいい。大した馬でなくとも、その白い毛色だけで高く見積もられる。ヴェルグラ侯爵家や縁のある厩舎、牧場にも一定数白馬は飼われていて、雑なブリードで売れる毛色を出すような悪徳調教師とは一線を画し、高級将校の軍馬としても通用する良血統を維持しているのだ。


 忠次はうっとりと白馬を眺めていた。その横顔は言わなくても分かる、あの馬に一目惚れしたのだろう。


 そういうものなのか、と忠次の意外な一面に感心していたところ、忠次はふと、独り言をつぶやいた。


「馬がこっちを窺ってる」

「え、そうなの?」


 私と大兄様は手綱を引かれる白馬に再度視線を戻す。すると、確かに白馬はこちらを見ていた。いつもと違う、見たことのない格好の小さな人間たちが放牧場にいるから、興味津々なのだろう。


 すかさず、大兄様が忠次へ尋ねた。


「馬に、ご興味が?」

「えェ、一度乗ってみたかったので」

「なるほど! では、あの馬は大人しいので、連れてきましょう!」


 ここから一旦離れるための言い訳だな、と私は見抜いたが、知らんぷりした。大兄様は素早く調教師と白馬を追いかけていく。


 私と二人きりになったところで、忠次は小声で珍しくはしゃいでいた。


「姐さん、馬! 立派なくらァつけた馬がいやすよ!」

「うちは厩舎もあるし、たくさんいるけど」

「どうして黙ってらっしゃったんです! あっしァ、昔っから馬に乗ってみたかったんですよ! お嬢の家の馬は乗れそうになかったんで我慢してたんですがね!」

「あ、そう……気をつけてね!? ベルに何かあったら」

「大丈夫ですって!」


 そう言うなり、忠次は大兄様を走って追いかけていく。大股で走らないかぎり、とりあえずいいとしよう。私もゆっくり革靴で伸びかけの若草を踏み、後を追いかける。


 すでに調教師から手綱を受け取った大兄様は、白馬に飛びついていく忠次——小柄なベルの体では、体高の高い馬の鞍に跨るのは至難の業だ——を咄嗟に支えていた。大兄様は三人の弟と歳の離れた一人の妹の面倒を見てきた長男として、無意識に世話を焼いているのだろう。


「お、おお? あぶみに、足が届かない」

「失礼、持ち上げましょう」

「お願いし……ます」


 忠次が足を上げたまま、後ろから両脇を持ち上げられてあぶみにようやく靴を滑り込ませる。そのまま踏ん張って、やっと白馬の背に跨ることができた。


 いわゆる貴婦人の乗馬法である横乗りではなく、エプロンドレスで馬に跨ったのだ。当然、大兄様と調教師は驚く。しかし、あまりにも嬉しそうな忠次の様子に、「はしたない」「やめなさい」という声は出なかった。今更横乗り用の鞍を持ってくるのも厄介だし、ほら。


 私は感極まっている忠次へ、自覚を促すためにも声をかける。


「ベル、どう?」


 ハッとして、ベルになりきらなければならないことを思い出した忠次は、言葉を選んで感動を表した。


「素晴らしい、ですわ! 夢みたい!」


 いつもはおっとりとした少女は子どもみたいに喜び、上気した頬はチークを塗ったようだ。まったく遠慮せず、本心からの望みを叶えてもらった嬉しさが爆発している。すっかり子どもっぽく、天真爛漫な顔を見せた忠次に、大兄様は心の距離を縮めたようだ。


「ははは、それほど喜んでいただけるとは! 今度、乗馬服を着て遠乗りしましょうか? もちろん、俺もお供についていきますとも」

「ぜひ!」


 女性としてではなく、世話を焼く年下の令嬢として、大兄様はベルの姿をした忠次との折り合いをつけたのだろう。自分から女性を遠乗りに誘うなんて、初めてではないだろうか。


 こそこそと大兄様は恥ずかしそうに私へ耳打ちする。


「な、なあ、ベルティーユ嬢、可愛いな?」


 どうやら、大兄様もベルの可愛さにメロメロになったらしい。中身は忠次だけど、ベルは可愛いから当然である。


「でしょう? すぐにどうこうとは言わないわ。何度か会ってみて、今後のことを考えてほしいの」

「う、うぅむ……分かった、考えよう。末妹のお前の頼みでもあるしな」


 そうと決まれば、私は忠次を呼んで、馬から下ろす。名残惜しそうに忠次はぴょいと飛び降りてまた大兄様と調教師を驚かせていたが、もういいや。


 忠次はぺこりと大兄様へ頭を下げた。


「ありがとうございます。ええと」

「アレクとお呼びください、ベルティーユ嬢」

「それなら、こちらも『べる』と」


 仲良くなる第一歩、名前で呼び合う。微笑ましいやり取りを見て、私は確信した。


「よし、何とかなりそう。何とか」


 何とかなると自分を奮い立たせるように口にするが、ここで私ははたと一番重要なことがすっかりノーマークであることに、背筋が凍る思いがした。


 ——今、忠次inベルなわけだが、ベルinベル元どおりになるにはどうすれば? 忠次は男性である。さすがに女性のフリをさせたまま結婚させるわけにはいかない。


「そういえば、どうやってベルを起こすの……?」


 貴族学校の試験でだって、こんなにあたふた慌てたことはない。私は忠次を連れて屋敷に戻り、大至急図書室に籠ることとなった。


 忠次がベルのフリができるのなら、ブランモンターニュ伯爵家や社交界を誤魔化すことができて、少しは時間が稼げる。しかし、最終的にはベルの体はベルに戻さなくてはならないし、忠次をどうにかすることも考えなくてはならない。あと、ベルの新しい婚約者について——これはとりあえず大兄様で何とか体面は保てているから後回しでいい。


 これらのやるべきことの中から、ベルを起こすという目的の優先度が高くなった以上、私は邁進するのみだ。


 ——待っていて、ベル。

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