第3話 思わず神へ祈ってしまったわ

 目つきが悪いながらもキョトンとしたベルへ、膝をついてベルの両手を握った私は先ほどまでの経緯を説明する。


 私とベルは友達であること、ベルは私を庇って小瓶に触れてしまったこと、それからベルが私の知るベルではなくなっていること。


 椅子に座ったまま、それらを黙って聞いていた『ベルの姿をした誰か』は、ふむ、と少し考えこんだのち、状況を把握したらしくこう言った。


「するってェと、何だ……あっしは『べるてぃーゆ』ってぇお嬢に取り憑いちまったのか」


 こくり、と私は頷く。『ベルの姿をした誰か』の荒々しい独特な口調には慣れないが、一応言葉は通じるし、この突然の話を理解するだけの賢さも、落ち着いて状況把握するだけの胆力もある、と見た。


 すると、『ベルの姿をした誰か』は姿勢を正し、思いついたように自己紹介を始めた。


「おっと、申し遅れやした、あねさん。あっしは生まれも育ちも武州のしがない藍問屋の末のせがれでやしたが、若い時分に腕っぷしを伊州の大遊侠上総鉄次郎親分に見込まれやして、組で若頭をやっておりやした忠次チュウジと申しやす」


 ベラベラベラ、と早口で捲し立てるような口上に、私はつい呆気に取られてしまった。


 ヴェルグラ侯爵家は武門の家系、屋敷で末端の若い一兵士と出会うこともある。だが、彼らのように世間知らずや田舎者というわけでもなく、自己紹介自体は前置き、出身地、生家の生業、血筋、経歴、所属組織、肩書き、名前と並び、きちんとした構文でもってスラスラと語られているのだ。これは無学な、学びも躾も受けていない人間が口にできる芸当ではない。


 それは同時に、目の前の『ベルの姿をした誰か』は、ベルではないことを示している。ベルはここまでしっかりと口上を述べられるほど堂々としていない、おっとりした少女で、のんびりした世界で生きてきた、生まれついての伯爵家令嬢なのだ。


 その乖離の不安は私の胸の奥底になみなみと湛えられている。しかし、だからと言って何もせずにいられるほど、私は無責任でも無神経でもない。考えを止めるな、と自分を叱咤して、『ベルの姿をした誰か』の言葉を分析していく。


 どうやら、『ベルの姿をした誰か』は、それなりにしっかりとした立場あるいは身分の人間である、と私は踏んだ。とはいえ貴族や騎士というお堅い身分ではなく、都市部と繋がりの深い地方の有力者などだろうか。うん、それなら納得がいく。


「あなたは忠次チュウジ、という名前なのね?」

「へェ、盃を交わした親分から一字をいただきやして」


 親分って何、という疑問は横に置いておこう。分からない単語についてはあとで聞けばいいことだ、今はそれよりも会話を続けることを優先する。


 私は若干緊張が解けつつある中で、できるだけ笑みを絶やさないよう、それでいて警戒を解かないよう、気を張って忠次と話を続ける。


「そうなの。私はレティシア・ヴェルグラ、皆からはレティと呼ばれているわ」


 それを聞いて、忠次は目をキラキラとさせた。


「れてぃの姐さん、ってェことですかィ!」

「待って待って、姐さんって何? どうしてそうなるの」

「そりゃあ、姐さんはあっしを、このべるてぃーゆってぇお嬢を助けようとなさったでしょう。話を聞いてりゃその人となりは分かりやす。その佇まい、おそらくは高貴なご身分ながら、あっしのような場末のはぐれもんの話を真摯に聞いてくださる。それならこの状況も姐さんがいりゃあ何とかなる、でしょう? だったら尊敬を込めて『姐さん』と呼ばせてくだせェ!」


 『姐さん』という聞き覚えのない単語に戸惑いつつも、忠次は真面目に私を立てようとしていることがしっかりと分かる。


 しょうがない、私は受け入れることにした。


「えーと……まあ、それはいいとして、どうしてこんな状況になっているか、心当たりはある?」


 『ベルの姿をした誰か』、忠次は分かりやすく悩みながら、唸りつつポツポツと説明しようとしていく。


「いや何、あっしも……ああ、そうか、そういやァ……あっしは、賭場に来た胡散臭ェ坊主とやり合って、死んだと思ってたんですがね……何やら胡散臭ェお経と一緒に聞こえたのが」


 賭場、坊主、お経、何だか聞いたことのない単語を一年分くらい聞いている気がする。それよりも、死んだ? 忠次は、命を落とした?


 だとすれば——。


「お前ほどの悪党は殺してもまた悪党に生まれ変わる、だったら魂を封印してやろう。その性根が治るまで流浪の行き先で善行を積め、だったかと」


 魂という言葉で、私はほんの一部だけ、思考のパズルのピースが繋がった。


 おそらく、あのベルが落とした小瓶には、忠次のが入っていたのだ。落として割れて、最初に触れたベルに忠次の魂が乗り移った。となると、ベルが多重人格なわけではなく、これが演技というわけでもない。


 ただ、分かったところで、だから何? という話ではある。とりあえず、ベルが私をからかっているわけではないと分かっただけであるし、私はベルがそんなことをするとはとても思えない。最低限のもしもの可能性が潰されただけだ。


 そして現状、ベルに忠次の魂が乗り移ったという現実離れした事態を私が理解できるか、と言われれば、頭を抱えるしかない。


「突飛すぎて訳が分からないわ……」

「あっしもまあ……ああ、ただ、べるてぃーゆお嬢は無事ですぜ」

「本当!?」

「えェ、ちっとホラ、あっしと魂がぶつかっちまって気絶してるだけでさァ。多分」


 何とも心許ない忠次の見解だが、信じるほかない。


「ベルはいつ起きるの?」

「さあ?」


 ——ああ、神よ。もうちょっと情報を与えたまえ。


 思わずそんな祈りが生まれてしまうほど、現状は何も分かっていなかった。しかし、これからやるべきことは私も忠次も分かっている。


 忠次はキョロキョロと自分のドレス姿を見回したあと、深く頷いて、それから私へ頭を下げた。


「んー、まあ、とりあえずお嬢のフリをしねェとまずいってこたァ分かりやす。姐さん、お嬢のためにもどうぞご助力をお願いしやす!」

「ええぇ……?」


 忠次のこの発言を、私はどう捉えればいいのか、と一瞬戸惑ったが、とりあえず好き放題する気はないだけでも上出来ではないだろうか。


 ベルはこのブランモンターニュ伯爵家の大事なご令嬢だ。そのご令嬢に異変があったとなれば、ブランモンターニュ伯爵家の評判にも関わる。社交界の噂は風よりも早く伝わるだけに、弱味を見せてはいけないのだ。


 だったら、忠次にはベルのふりをしていてもらおう。ついでにベルの父母も騙しておく、そうしなければベル&忠次が部屋に閉じ込められてしまいかねない。


 そういうわけで、私は忠次に、ベルの真似を仕込むことになった。


 何せ、三日後には舞踏会がある。そこに出しても問題ないくらいにしなくては、と私は言葉遣いと歩き方から必死で教え、顔つきまでしっかりと忠次を貴族令嬢に仕立て上げたのだった。

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