第2話
リーンゴーン
祝福の鐘は響いている。白鳩さえ今日が盛りと飛び交っている。こんな結婚式日和の日はない。ただ主役の二人においてはそんなことはどうでもいいようだった。
「旦那様! 決まっておられますよ」
男爵付きの付き人が言う。
「お嬢様、お綺麗です」
公爵令嬢付きの付き人が言う。
返事は同じだ。
「ああ」
男爵はすっかり様変わりしてしまった屋敷を点検するように見回した。白い調度品。パステルの壁紙。客人を迎えるよう大きく開いたドア……付近で何かあったようだ。
近づいてみる。
そこには背の丈2mはあろうかという美丈夫がいた。目鼻立ちのはっきりしていて、青白い肌に黒髪のよく似合う美貌の紳士だ。一瞬、見惚れてしまった。
「この方が何か?」
「え、あの」
ドアマンに聞けばなんだかまごついている。招待客リストを奪って見ると、なんだ、書いてあるじゃないか。
「レイブン・ブラッド伯爵ですね。お入りください」
「お招きありがとう」
ご挨拶に笑顔で答えてリストをドアマンに突き返す。
「今度恥かかせたら承知しないからな」
「はい!」
招待客の列が途切れるといよいよ結婚式が始まる。厳かな音楽が始まり。わたしは所定の位置に着く。父親に手をひかれ歩いてくるアナベル嬢は雪の精のように美しい。一歩一歩とこちらに近づいてくる。
ヴェールを外す。悔し涙のせいかその目は濡れていた。泣きたいのはわたしもだよ。
神父の言葉が入ってこない。死が二人を分つまで。それだけ聞こえた。
こうして私たちは本意ではない誓いのキスを済ませた。
バシン!
次の瞬間左頬に衝撃が走る。新婦に打たれたのだと気づくまでに数秒かかった。新婦は長いマーメイドのドレスを引きちぎると走ってどこかへ行ってしまった。メイドが追っているから問題はないと思うが。
「はは、新婦は緊張しているようです。みなさんはパーティを楽しんでください」
そう言ってわたしも控え室に戻る。聞こえるのは新婦への、いやわたしへの嘲笑だ。こうなることはわかっていた。因果応報だ。そうぐるぐる考え事をしていると。
トン
「失礼!」
誰かにぶつかってしまった。
「いえ、大丈夫ですか」
見ればあの美貌の伯爵だ。
「大丈夫です!」
なんとなく惨めな姿を見て欲しくなくて急いで控え室に入った。
「ふー」
パーティもお開きの頃。挨拶もしたし、あとは趣味の悪いインテリアを片付ければ終いだ。メイドたちは数日このままでと言っているが冗談じゃない。我が家の格調が損なわれる。
大広間の惨状を見て回っていると、突然大雨が降ってきた。今日は一日中晴れのはずだったのだが。わたしの心中を表すようだなとひとりごちた。
わたしは悪徳男爵と呼ばれている。汚職を重ね人身売買も行い私腹を肥やしているんだとか。
実際は違う。汚職は暴いた側だし人身売買は買い取った奴隷を使用人にしているだけだ。売ってはいない。おおかたわたしに悪事を暴かれ失脚した貴族が悪評を流しているんだろう。
社交性に乏しいわたしだからそんな悪評もほしいままにしている。嫌われ者のわたしと結婚させるとは殿下も酷な罰を考えるものだ。
かわいそうにアナベルは自室に籠ったまま顔を見せてくれない。ショックから立ち直るには相応の時間が必要か、と納得しかけた頃。
ドンドンドンドン
玄関ドアを乱暴に叩かれわたしの心臓は高鳴った。
ドンドンドンドン
なおもしつこく叩いてくる。狼藉者か。急用か。
ドンドンドンドン
考えても仕方がない。
「何ようかね」
「わたしです! ブラッド伯爵です!」
「?」
ドアを開けると確かにブラッド伯爵がいた。
黒い髪をしとどに濡らし張り付いた絹のブラウスは肉体美を隠そうともしない。扇情的なその姿に思わず喉がなる。気を取り直して。
「なんのご用でしょう」
「お招きいただいても?」
「はあ、どうぞ」
「ありがとう」
伯爵はフラフラとニ、三歩歩いては何かを確認するように鼻を鳴らした。
「こちらです」
「え、なにを」
伯爵に手を引かれ連れて行かれたのはアナベルとそのメイドの部屋だった。いったい何があったというのだろう。
伯爵は顔を顰めその美貌を台無しにしていた。
「わたしから離れないでください」
「はあ」
一歩。一歩と部屋に近づく。その間にわたしでも奇妙なことに気づいた。静かすぎる。啜り泣きや慰める声など聞こえてもいいものを、この部屋はあまりにも沈黙だった。
次の瞬間。
バツン。
「停電だ!」
「しっ落ち着いて」
走り出そうとしたわたしの体を引き留め伯爵はその巨躯で抱き止める。幼い頃、親に背を撫でられたときのような安心感が去来する。
しかし耳が変な音をとらえた。
ずるずるずるずる
何者かが動いている!
伯爵はしっかとわたしを抱き止めている。逃げるべきではないのだろう。
バツン
停電はほんの数秒だったようだ。
「今のは」
「さあ……なんでしょうね」
言いながら伯爵は部屋のドアに手をかけた。
「いきます」
「はい!」
バタン
ドアを開けるとそこには。
静かに赤が広がっていた。
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