第28話
◇レイフ視点◇
整備された山道を進み、山麓の草原に佇むトリトン鉱山の入口へ到着した。空は鉛色の曇り模様で、陽も差さずに昼でも暗い。何時雨が降り出しても可笑しくは無いだろう。
「そっちじゃないぞ。北西に行くんだろ?」
「いいえ。そこには行かないわ」
「え? 何で?」
先行くライラは歩きながら疑問に答える。
「ベンノの発言は可笑しいのよ。『近付けるな』までは理解出来るわ。でもそれは『第二事務所へ近付けるな』ではなく、『トリトン鉱山へ近づけるな』であるべきよ。前者であれば、最後の〈シレネ〉が守っている場所を教えてしまう、それはつまり、アリシアの父が囚われている場所を教えてしまう事になるわ」
「確かに。……まあ、そうだな」
「別に『北の牧場に新しい目撃情報だ』とか何とか言えば、鉱山からは簡単に遠ざけられたはず。でもつい口を滑らせてしまった。……なんて、あのベンノが何度も同じミスをする?」
ライラは顎に手を当て思案する。
「いいえ。それは無いわ。初日に打合せしたわよね。随分と自身を矮小な人間に見せていたけれど、議論のファシリテートも滑らかで、ゴールを事前に共有し、結論に向かって話すべき道筋を相手のプライドを傷付けないようにそれとなく修正出来る。調整に慣れているわ。交渉の矢面に立ち、並々ならぬ実務経験を詰め込んでいる。あの狸は別に馬鹿じゃない。耕された脳味噌を持つ人間よ」
〈シレネ〉を警戒しながら、前を行くライラは続ける。
「ならばこの違和感は疑うべきだわ。第二事務所は間違い無く罠。武力行使に出て来るかは分からないけど、待ち伏せされている可能性だってあるわ。のこのこと足を踏み入れれば、不意打ちに銃で蜂の巣にされるかもしれないわね。こんな山の中なら人目にも付かないし」
「何故、それをアリシアへ伝えない?」
「……あの子は嘘が下手ね。坊やに色仕掛ける程度は熟せるのでしょうが、ベンノには何か勘付かれた可能性が高い。今日一日で探索が終わらなかった場合、あの子はこれから何度もあの狸と対峙しなければならないのよ。恐らくそれは無理。逆にアリシアの二重スパイを利用されるわ。アリシアが適切な嘘を吐く為には、……あの子は、真実を知ってはいけないの」
ライラは少し寂しそうに呟く。
「別にアリシアを信用しない訳じゃない。それに第二事務所が罠という情報を持ち帰っただけでも十分な成果よ」
あの時、ライラはそれを言葉にしなかった。目の前のゴールに飛び付かず、さらにアリシアの成果を労いつつ、しかし口頭のみで伝えられたベンノの振る舞いを精査し、そして考察を練り上げる。ベンノが地道な努力を積み上げた秀才であろうとも、ライラもまた、傑物なのだ。
「恐らく残りの〈シレネ〉に捕虜を捕えている拠点を守らせているというのは本当でしょうね。第三事務所に向かいましょう」
「第三事務所? そんなの地図には無いよ?」
「地図上の事務所は全部で三つ。第一、第二、第四。数字を飛ばして第三が無い。それにその事務所は各坑道の出入口付近を拠点としているわ。坑道出入口は四つ。この南東のここだけ事務所が無いのは怪しいわ。現場付近には資機材を仮置きしたり、休憩をしたり、労災が発生した際の安置所があるべきよ。意図的に地図から消されている可能性が高い。先ずは一番怪しいここを目指しましょう」
「すごい」
思わず感嘆の声が漏れる。
「私に付いてきなさい」
ライラは鼻高々に先導した。
舗装された道を進むにつれ、鉱山は段々と春の草原が息する土壌を失う。花崗岩と石灰岩、そして熱変成した大理石が露出し、ゴツゴツとした鼠色の岩肌が顔を覗かせ始める。
暫く歩いてみたものの、第三事務所とやらへの道は見当たらない。鉱山の南東という情報だけではあまりに広い。
「ライラ、見て」
「これは? 何?」
「車輪の後だ。しかもまだ新しい。恐らく誰かが出入りしてるんだ。恐らく第三事務所とやらはこっちだ」
「お手柄ね」
推理や戦略はライラの得意分野。山や森林の歩き方は田舎者の俺の十八番だ。俺達は本当に良いバディなのかも知れない。
車輪の後を追って行けば、ライラの推測通り、南東の坑道出入口に地図上には載っていない建物を発見した。やはり名探偵ライラの読みによると、あれが第三事務所なのだろう。
……誰かいるかもしれない。俺達は音を立てないよう慎重に近づく。
そして昼間に関わらず全てのカーテンが閉められた事務所は目の前へ。扉近辺から生活音は聞こえない。人が居ない事を確認すると、俺は剣を構え、勢い良く扉から突入する。
しかし、そこは蛻の殻。
「……外れか」
肩を落としつつも、張り詰めた緊張感は溶けて消える。
「この大量の食料や衣類と資機材。まだ新しいわ。誰かが出入りしている痕跡がある。この辺りを捜索しましょう」
しばらく二人で奥へ進むと、真裏の崖の入り組んだ影に小さな聖堂。
こんな所にどうして?
その疑問を吐き出す前に、地中から這い出す影。
しかし今度は一瞬にして一匹の漏れも無く、ライラの氷柱によりそれらは殲滅された。これで任務の〈シレネ〉討伐は達成だ。
そして、〈シレネ〉がいるという事は、あの小さな聖堂が正解なのだろう。
「どうやらここ、坑道じゃないみたいね。人が近付かないように、掘ったけど何も出ませんでした、っていうダミーの隠れ蓑。隠したかったのはこの聖堂ね」
そして俺は聖堂のドアノブに手を掛ける。
触れた瞬間、背筋へ悪寒。
……嫌な予感が走る。
「開けるぞ」
扉を開けば、そこは血塗れの礼拝堂。両手を手錠に繋がれた大量の遺体と噎せ返るような死臭。
視界が揺れ、心臓の脈打つ音がする。
……間に合わなかった。視界にはあの日の燃えるヨリス村がフラッシュバックする。
逆らえない胃からの逆流をそのまま吐き出す。
喉が締まり息は浅く、過呼吸が止まらない。
「レイフ! 見ちゃ駄目!」
ライラは俺の左腕を引き、扉から離す。
「中は私が確認するから。レイフはここで待っててね」
穏やかな声。心配を掛けまいとしてくれているのだろう。背中を丸め壁に手を付く俺の背中をライラは優しく摩る。
「いや。……大丈夫だ。俺が先行する」
剣と膂力を携えた騎士である俺は、本来の役割として先行すべきだ。
呼吸を整え、もう一度、その重い扉へ向き合う。
歯を食い縛り一歩中へ。
床へ転がる遺体は全身を包帯で幾重にも重ね巻にされている。その解けた結び目から覗くのは大量の切り傷。その傷から流れる血は床へ壁へと染み付いている。一部の遺体からは蛆が沸き、人間の原形を忘れさせる。窓は板で塞がれ光を遮り、蝋燭の怪しい灯火がユラユラと揺れる。
床には異国の文字と中心に六芒星を冠した紋様が空色に鈍く光る。
これは?
……いや違う。俺はこの異国の文字と紋様を七年前に知っている。
これはあの日のヨリス村の地下と同じ、空色の
でもあれは良い魔法で、そんな……。
「……
ライラは呟く。俺が中へ駈け出そうとしたその時。
「入らないで!」
鋭い声が響き、俺の足はピタリと止まる。
「レイフ! 私が良いと言うまで外で待ってなさい!」
そう言いながらライラは礼拝堂の中へ走り出してしまう。屋内は明りが足りず中の様子は窺えない。しばらくの逡巡の後、ガラスか陶器の割れる甲高い音が響く。すると六芒星の光は徐々に消える。
「入っていいわよ」
暗い声が反響する。
「レイフ、貴方はここの被害者を。私は他の被害者が居ないか奥の部屋を確認する」
ライラは駆け出す。俺は被害者を助けようと生存者を探したが、その殆どの者はもう、……死んでしまっている。
そして背後から呻き声。
生存者だ。
俺は駆け寄る。損耗しているが生きている。すぐさま両手の錠を拘束する鎖を切断し解放する。結局、生きているのは四人だけ。一人は辛うじて壮健な者。一人の虚ろな男を担ぎ、四人を外へ。
「アリシアの父を探している! 何か知らないか!」
壮健な男へ詰め寄る。
「俺だ。イーサク・オーベリソン。助けてくれてありがとう」
ああ、良かった。彼等だけでも何とか間に合った。だが予断を許さない。治療が必要だ。一刻も早く村へ届けなければ。
「ライラ、皆で村へ戻ろう」
聖堂内へ声を掛けても、俺の声が空しく反響するのみ。……返事が無い。嫌な予感がする。
「坊主、俺達は大丈夫だ」
イーサクは損耗した男を肩へ抱えながら、俺の背に声を掛ける。
「こいつは俺が送ってやる。幸いここは標高も低く、村からそう遠くない。俺達は村の自警団も兼ねている。穢蕊が出たって戦えるさ。坊主は嬢ちゃんの傍に居てやりな」
「でも……」
「いいから行け! 俺達は坊主に護衛してもらうほど軟じゃない。それよりも、この聖堂は何か可笑しい。傍にいてやれ」
「……すまない」
イーサクの親指を立てた笑顔を確認し、俺は聖堂内へ走り戻る。
「ライラ! 何処にいる!」
この小さな聖堂はそこまで部屋数も多くない。手前から扉を開け確認し、一番奥の部屋へ。
「ライラ!」
そこにはライラの背中。無事を確認すれば安堵が込み上げる。
「返事をしてくれよ。心配した」
「ごめんなさい。少し考え事をしてて」
安心して辺りを見渡すと、そこは小ぢんまりとした書庫。埃とカビの匂いが鼻を突く。
「他に被害者は居なかったわ。礼拝堂の方はどうだった?」
「……生存者は四人だけだった。ただ、アリシアの父は生きていたよ」
俺は拳を握り、何とか声を絞り出す。
「レイフ、貴方の所為じゃないわ。自分を責めないで」
ライラは微笑み、俺の右の掌を両手で柔らかく包む。
「……うん」
「さっき礼拝堂の床に描かれてた紋様は、魔女の魔法陣ね」
「……魔女は滅びた筈だ」
「そうね」
ライラは構わず続ける。しかしその声には憂いが帯びる。
「あれはね、捧げられた生物の魂を削り、生命の雫と呼ばれる薬液を精製する魔法陣なの。切り傷が刻まれていたのは、魂の漏出を促進するためよ」
「どうしてそんなに詳しいんだ?」
「……秘密」
ライラはこちらを上目遣いで見やり、困り顔のまま微笑んで見せる。
それ以上は、……聞けなかった。
魔法の研究や技術を学ぶ事は絶対の禁忌。それらを記した書物は全て四百年前に焚書され、魔女と共に灰となった。識る者、識ろうとする者は、女神ヒルドレーナ様へ背く異端者として即刻処刑され、最早それらを紡ぐ者は存在しない。
なのにどうして?
その知識は何処から?
君は、その知識と力を用いて、一体何をしようとしている?
……そして父は、あの青い水を、……何処から? ……いや、違う。父のあれは違う。そんな訳が無い。生命の雫なんかじゃない。きっとそうに違い無い。
「ライラ。村に戻ろう。ここは嫌な予感がする」
「駄目よ。ここを調べないと。本件を仕組んだ黒幕の何か手掛かりが有るかも知れないわ」
「危険だ! これ以上首を突っ込むべきではない。相手は魔法に精通し、しかも魔力を調達出来る組織だ」
「だからよ。これ以上こいつらをのさばらせる訳にはいかないわ。許せない。レイフがいなくても、私一人で行くわ」
何を言っているんだ。そんな危険な真似、させる訳が無い。
「俺は、君の傍にいるよ」
「……うん」
ライラは言った後に申し訳無さそうに頷く。
「レイフ、聞こえる?」
「? 何がだ?」
「風の切る音。この部屋には風の通り抜ける音がするわ。それに室温も少し低い」
耳を澄ませる。
……確かに。風が狭い隙間を通る時の空気の振動が、高く、しかし小さな音を奏でている。
しばらく二人は部屋を歩き回る。すると。
「ここね」
何かを発見したライラの声。近寄ると、ライラはしゃがんて床を見つめる。
「この下から音がするわ。この本棚を退けましょう」
本のぎっしり詰まった背の高い本棚を前に出す。舞い散る大量の埃の中を見やれば、床へは隙間からの風を許す、一枚の石板。その床板を外すと中には地下への階段が暗闇へ向かって続いている。
「行きましょう。この先に答えが有る筈よ」
血塗れの礼拝堂へ戻り、一番長い蝋燭を二本拝借する。俺が先行し階段を降りる。石造りの通路は狭く、人一人通るのがやっとだ。頼り無い蝋燭の火だけが、足元を照らす唯一の光。
そのまま進むと圧迫感が消え、階段は終わり広間へ到着。しかし蝋燭の灯りだけでは暗く、辺りは見渡せない。
「レイフ、こっち」
ライラの声と蝋燭の灯りを頼りに向かう。するとそこには乾燥した松明と油壺。まだそこそこ新しい。最近誰かが出入りした形跡がある。しかし助かった。これでかなり明るくなる筈だ。俺は松明を油へ浸し、蝋燭の火を移す。
すると炎は辺りを照らし、目の前には壁から迫り出した焚火台が等間隔に並んでいる。これらに松明と油で灯りを灯そう。四つめの焚火台へ火を灯した瞬間。奥の壁に何かの塗料が見える。
「レイフ、私が反対側を点けるわ。この部屋に何か有る」
そして二人で火を灯したその時、目の前に現れたのは巨大な壁画。
『眠るはそして一つの厄災。名はヘクソカズラ。若き日の私では辿り着けぬ到達点。この先の、未来へ生きるまだ見ぬ君よ。どうか、私の憂懼と恥辱を雪いておくれ。アレクシス・ヒルドレーナ』
文の下には白い人間のような絵。だがよく見ると肢体が六本描かれている。
これは穢蕊なのか?
しかしこんな穢蕊は見た事も聞いた事も無い。
「アレクシス……勇者にして、初代国王の名が何故?」
「……ヘクソカズラ。……花の名。厄災と称され眠るのであれば恐らく、いや間違い無く上代の穢蕊。この下の絵がその姿なのかしら」
上代の穢蕊を封印したのは魔女の筈。
何故勇者の名が?
ライラは暫し少考。そして辿り着く。
「艶やかな空色に透けるその生命の雫は、命へ神気と魔力を与える。ここに眠るということは、〈ヘクソカズラ〉はこの下へ封印されている。巨大な後ろ盾はこの厄災を復活させようとしていたんだわ。そしてベンノは〈シレネ〉を操る力を得る代わりに、生命の雫の製造に協力した。……ってとこかしら」
「何の為に上代の穢蕊を復活させるんだ?」
「そんなイカれ野郎の考えなんて分からないわ。状況証拠を繋げればそうなるって話よ。その答えはこの先にあるんじゃないかしら?」
そして君は壁画を指差す。その先には更なる地下へ続く階段の入り口。
「ライラ、奴らの目的は分かった。もう十分だ。帰ろう」
「まだよ。そいつらが本当に騎士団なのか? 騎士なら誰なのか? そこを掴まなきゃ意味無いわ」
「一旦戻って騎士団へ相談しよう。相手が騎士団とは限らないだろう?」
「でも騎士団だったら? 証拠を隠滅されて終わりよ。上の礼拝堂を見たでしょう。あんな凄惨な行為を行える人間を、逃す訳には行かないわ」
伝わって来るのは静かな激昂。ライラは人の痛みを、自分の事のように感じ取れる人。
「ライラ……。嫌な予感がする。君を失いたくはない」
「行くわ。……私の傍に、いてくれるんでしょう?」
君は再び申し訳なさそうな顔で懇願する。我儘に付き合わせているという自覚は有るらしい。
それでもなお、ライラのこの揺るぎない正義を否定したくはない。
「何も無かったらすぐ帰る。いいね?」
「うん……。ありがとう、レイフ」
ライラは困り顔で微笑む。この笑顔には、抗う事など叶わない。
そして二人は歩き出す。階段は更に、更に地下深くへ。風化が激しく、今にも崩れ出しそうだ。ただ只管に真っ直ぐと降りて行く。
「どんだけ掘ってるんだこれ」
そして二人が歩き疲れた頃、階段の終端に腐食した木製の扉が見える。押し開こうとするも、鉄枠が軋んで動かない。
「蹴破りましょう」
重く、その分厚さを感じさせる扉も、その腐食には耐えられない。一蹴りで簡単に破れ崩れる。俺達が扉の枠を潜ったその時。
「遅かったな」
男の声が反響する。細く入り組んだ鍾乳洞の入り口に立っていたのはベンノ。
「待ち草臥れたぞ」
「……貴方が上の凄惨を?」
「そうだ。儂と三十九人の部下と一緒にな」
男はあっさりと罪を認める。
その瞬間、氷の刃が地表から一瞬で男の喉元へ。
しかし、それは貫かない。首の皮のみを薄く突き刺し、ベンノの喉からは一筋の血。それでもなお、ベンノは微動だにしない。ライラを睨むその目には、ただ覚悟が宿る。
「……殺さない、という事は聞きたい話があるんじゃろう?」
「貴方の後ろに付くのは誰? 騎士団? 言っとくけど、私に嘘は通用しないから。舐めた真似したら貴方をこのまま刺し殺すわ」
「今更。……儂の負けじゃよ。わざわざこの身を晒してなお、嘘など付かんよ」
ベンノはそして溜息。
「少し歩かんか? 見せたいものがある。そこで顛末を話そう」
踵を返し、男は先に行ってしまう。
何の為にこんな場所で?
何のメリットがあって、俺達に顛末を話す?
何が狙いだ?
上の現場を押さえた時点でお前は逃げられない。国中に巣を張る騎士団がお前を捉える網になる。
……お前の背後が、騎士団で無い限りには。
「行きましょう」
覚悟を決めた表情でライラはその後を追う。
「待ってくれ」
「行くな、なんて言わないでね。私の眼があれば情報を引き出せる。ベンノはそれを知らない。ならば私達が圧倒的に有利よ」
「この振る舞いの理由はベンノにメリットが有るからだ。……嫌な予感しかしない」
「ここで日和れば蜥蜴の尻尾しか掴めないわ」
「ベンノが祝福者の可能性だってある。危険だ」
「その可能性が、飛び込まない理由には成り得ないわ。それでは勝利を逃す羽目になる」
強い意志を貫くライラに、説得は通じない。妥協案を探るべきだ。
「……俺が先導する。それが条件だ」
「私達の陣形は私が前衛。その約束だったわよね? 貴方、私の氷柱に巻き込まれたいの?」
「ここに〈シレネ〉はいない。……お願いだ」
「……分かったわ。ちゃんと守ってね? ……私の王子様」
「うん」
必ず、守ってみせる。
そしてその狭く、道が枝分かれした鍾乳洞を三人は進む。
「しかし、中央騎士団のエリート様がどうしてこんな安い田舎の任務を? もっと割りの良いのが幾らでも有ったろうに」
「同感ね。そこのお人好しが使命感に駆られただけよ」
耳が痛い。聞こえない振りをする。
「何とも物好きな。それでも騎士団が皆腐ってる訳では無いのじゃな。それは……良い事じゃ」
「そのお人好しの所為で貴方は負けたのだけれどね?」
ライラの皮肉に、ベンノは渇いた苦笑を返す。
「貴方こそ、どうやって私達を先回りしたわけ? 一生懸命走ったの?」
「老体に無茶言うな。村の裏手に今は使われていない、古い採掘口があってな。それは偶々この先へ繋がっているんじゃ。お前さん達の正門より大分近道じゃぞ」
そうだったのか。そういえばこの村はあちこちで掘った坑道の形跡がある。露天掘りなのは第一事務所の付近だけだ。
「それにしてもお前さん達は今日、北西の第二事務所へ向かう手筈ではなかったのか?」
「何の話?」
ライラは知らん顔と惚ける。
「朝、出発前にアリシアが来たじゃろう。そこで北西が怪しいと教えた筈だ」
「アリシアは北西には凶兆があると言っていた。だから俺達はそこを避けたんだ」
「よいよい。アリシアを二重スパイとして差し向けたのはお前さん達じゃろ? あの子は嘘が下手じゃ」
ベンノにはお見通しだったのか。
「それも同意するわ。ねぇ? レイフ?」
耳が痛い。ずっと聞こえない振りをする。
「……アリシアよ。儂を裏切ったのもいざ知らず、その仲間にも信じてもらえんとは。何とも情けない女よ」
「信じなかった訳じゃない。アリシアが疑われないようにするためだ」
「だから良いと言っておるじゃろう? もう誰かに危害を加える気も起きんよ。儂はもう詰んでおるんじゃ」
「嘘じゃない。アリシアは情け無くなんかない。アリシアは強く優しい人だ」
「……そうか。レイフさんや。アリシアはあんたを騙したんじゃぞ? ……不合理なお人じゃ。あんたは本当にお人好しなんじゃな。あの腐った騎士団で生き抜くのに苦労するだろうのぉ」
ベンノはしかし嬉しそうに、一人呟く。
「まあ! 同感ね。私達、出会いさえ異なれば仲良くなれそうね」
ライラは胸の前でパチリと柏手を叩く。俺は前後から突き刺される言葉の槍に、ただ刺されるがまま。
「仕事が忙しいのを言い訳に一言、たった一言、アリシアへ〈シレネ〉の居場所を滑らせたのが儂の敗因じゃ。油断したのう」
そして老人は足を止める。
「さあ、着いたぞ」
鍾乳洞の狭い通路は広大な空間へ移る。等間隔に設置された篝火の赤橙を鍾乳石の練色が薄く反射する。地面には古い石畳が敷かれ、それなりに整備された空間が広がる。その石畳の先には祭壇。杯と手前には石剣が差し込まれ、物々しい雰囲気が立ち込める。そして何よりも目を引くのはその奥。
「……〈ヘクソカズラ〉」
圧巻の光景に慄き呟く。それは肩口から階段状に備わる四肢で器用に上体を支持し、背を丸めている。脚に当たる部位が無く、全高四メートル程。そして体表は厚い繭に包まれ、その子細は窺えない。
「着いてまいれ」
「ここでいいわ。早く話をしなさい」
ライラは入口から動こうとしない。ベンノの一挙手一投足に警戒している。
「見せたかったのはこれ? 十分理解したわ。早く貴方の後ろ盾について話しなさい」
「まあ警戒しなさんな」
男は構う事無く祭壇へ向かって歩いて行く。
「止まりなさい!」
ライラの制止と共に、氷の刃がベンノの前へ。しかしベンノに慌てる様子は無い。この老人は肝が据わっている。
「動かないで。妙な真似をしたら殺すわ。貴方はただ真実を話せばいいのよ」
老人はゆっくりと振り返る。
「良い警戒じゃ。人間などは信用するものでは無い。お嬢ちゃんは
その瞬間、今まで降りて来た狭い通路へ、上から轟音を立てながら大量の土砂が流れ込む。
「ライラ!」
神速でライラを抱え、広間の入口から離脱する。
一拍置いて、さっきまでライラの立っていた場所は鍾乳石の土砂で埋まる。ライラは咄嗟に氷壁で塞いだものの、その勢いのまま破壊されてしまった。
……まずい。閉じ込められてしまった。
「何の積もり」
ライラは俺の腕から降りながら意図を問う。
「ゆっくり話したいだけじゃ。そのために部下に動いてもらったに過ぎぬ」
「前半が嘘ね」
ライラは即答。どうやら何か企んでいる。
恐らくこの土砂崩れは、枝分かれした道に待機させていた部下に運ばせたのだろう。道中話し続けたのは足音を隠すため。
……嵌められた。
ベンノが待っていた理由は、この最後の一勝負。
やはり、奴は祝福者なのか?
銀の剣の柄に手を掛け、何時でも引き抜く構えを取る。ベンノの挙動を見逃しはしない。ライラとは違い、情報を引き出す事は俺の第二優先。ライラの命に危険が迫れば迷わず斬る。
「……本当に鋭い。嘘が意味無いとはハッタリではなかったか」
老人は目を丸くして驚く。自身の振る舞いに自信があったのだろう。
「着いてきなさい。どうせ今、儂を殺せぬじゃろう」
脱出するには裏口が何処に有るかを聞き出さなくてはならない。俺達は警戒しながら少し後ろを歩く。
「もし妙な動きをすれば、私が殺すわ。裏口は後からゆっくり探せば良い」
ライラは俺にだけ聞こえるように耳元で囁く。
「無駄じゃ。知り得ぬ者が簡単に見つけられるものではない」
地獄耳。
とても老人の衰えた聴力とは思えない。いや、もしかしたら俺達の話を推測しての返答だろうか。もしそうであれば、その頭脳はずば抜けている。そしてライラは悔しそうに歯噛みする。どうやら嘘では無いらしい。
そしてベンノは祭壇の前に立つ。
「これは〈ヘクソカズラ〉。約四百年前、勇者アレクシスが倒し切れず、封印に至った厄災だ」
ライラは無言で続きを促す。
「儂が若い頃、村のジジイ共に堀場を独占されて、働いても働いても雀の涙しか給料が出なくての。腹立った儂らは中抜きされないよう自分達の堀場を求めて、村の裏手を夜な夜なこっそり掘り進めたんじゃ。そしたらこんな祭壇と厄災にぶち当たった。それを知った仲間達も、結局は皆、鉱山の事故で亡くなったがの」
「ジジイの思い出話を聞きたいんじゃないの」
「やれやれ。……数年前からエレオナイトが採れんくなって厳しい財政に悩んでいた儂は、コルエト村の連中と鉱山の権益について揉めておっての。株式も持たず、法的根拠も持たず、掘削費用も負担せずに盗人猛々しい事じゃ。そしてあっちの村長と役場での交渉中に、ついカッとなって殺してしまった。取り返しの付かぬ事を……。呆然とした儂の前に、二人の男女が現れた。……今思えば、狙っていたのかもしれんの」
ライラの目は鋭いまま。
「その女は儂に言った。『このままじゃ歴史あるカノリア村も、貴方の代で終わりね。私に良い考えがある』とな 。そして儂はその女に言われるがまま、生活に困った男共を集め、コルエト村の住人の一部や、カノリア村に居座る余所者を遺体と共に聖堂へ閉じ込めた。そして周辺を〈シレネ〉に襲われるように仕向け、被害者を装った」
「その二人組の特徴は?」
「女は黒髪に泣き黒子が印象的じゃったの。男の方はフードを深く被っており、よう分からんかった。しかしシルエットや声の低さが男じゃったな。……しかしその二人は恐らく騎士では、少なくとも現役ではないぞ」
「……何故かしら?」
「儂の直感じゃ。今までの人生で多くの人間を見て来たが、その二人は騎士の雰囲気ではなかった。信用して良いぞ」
「根拠は主観的な直感だけ? 使えないわね。結局、交渉に失敗したから殺しただけでしょ。根気良く調整を続ければ、互いの妥協案は模索出来た筈よ」
「この村の背景も、歳出入も、先行きも知らずに綺麗事を。実務を知らん者の机上の空論じゃ。そんな理想など叶わん。エレオナイトが採れん以上、この村は詰んでいる。そして交渉相手のコルエトは、元より西部から移り住んだ浮浪者の吹き溜まり。碌に働きもせず、税も納めず、権利と保証だけを要求する。そのくせカノリアは排他的だと不平を漏らし、略奪を繰り返す。村民を守る為には、そんなもん殺すしかないだろう」
ベンノは諭すような口調で続ける。
「お嬢さん、あんたは賢い。本来ならこうなる前に適切な対処が出来たはずじゃ。なのに出来なかった。口では殺すと言っても、結局は人を殺す事に臆したんじゃ。色々自分自身へ言い訳して、結局この状況になるまで儂を殺せなかった。お嬢さん、あんたは殺さなかったんじゃない、殺せなかったんだ。その程度の覚悟では、本当に欲しいものなど手には入らぬよ。決断を先送りに、先送りに、先送りにした結果がこの現状じゃ」
男の声は徐々に鋭く、毒気を帯びる。
「鉱山という場所はな、地面からだぐだぐと金が溢れてくるんじゃ。そんな場所、様々な人間が涎を垂らして狙っておる。お前さんらは鉱山という地がどれほど政争と戦争、血塗られた歴史を持っているか知らんのだろう。……舐めるなよ糞餓鬼」
ベンノの目は据わる。底には熟成された殺意が揺らめく。
「儂はこの謀略の鉱山で三十年も政治家をやってきたんじゃぞ。年季が違う。その目を見ればそいつがどんな人間か? 覚悟があるのか? 一目瞭然じゃ。……殺しを躊躇するな。そして躊躇を決して見せるな。殺意の無い刃では意味が無い。そうでなければこの先、この世界で一生負け犬じゃ。……それがこの糞ジジイからの最後のアドバイスじゃな」
一転して、達観した柔らかな笑顔。そしてベンノは杯に液体の入った瓶を放る。
その瞬間、俺はその神速で着地前に奪い取る。
「させねえよ」
「そのスピードはさっき見た。残念。それは儂の飲み水じゃよ」
言い終わる前にベンノはもう一つの瓶を杯へ。それは高い音を鳴らして割れると、空色の鈍い光を怪しく放つ。
「今、この瞬間に殺しておくべきじゃったな。判断が甘い。……道連れじゃよ」
ベンノが石剣を引き抜いた瞬間、轟音と地響き。
……嫌な予感がする。
「半分も受肉出来ておらぬか。しかし止むを得ん」
ベンノは石剣を投げ捨て、そのまま階段へ腰掛ける。俺はライラの傍へ駆け寄る。不意の落石から彼女を守らなければ。
「ライラは出口を探してくれ。俺があいつを引き付けて時間を稼ぐ」
「それじゃあ貴方が危ないわ! 嫌よ! 二人で戦いましょう!」
「相手は勇者でも倒せなかった厄災だ。勝利が第一優先ではない。回避には自信がある。俺を信じてくれ」
「裏口は恐らく簡単に見つけられるものではないわ。あの穢蕊、壁画の姿より手足も少ない。多分生命の雫が足りていないのよ。私達なら勝てるわ」
強い意志。
言い争っている暇は無い。
時間も無い。
肚を括れ、レイフ。
「……分かった。二人で戦おう」
勝つ。
勝つ。
必ず勝つ。
決してライラに触れさせはしない。
相手はあの勇者アレクシスであってもなお、勝利に至らぬ一つの厄災。
……そんなことは関係無い。
勝利が全てを解決する。
必ず、……守ってみせる。
そして老人の笑い声が響く。
「戦う事を選択したか。良い。若さとはそれだけで素晴らしい。……勝てよ、若人よ」
ベンノはこちらへ悠々と手を振る。次の瞬間、〈ヘクソカズラ〉の拳の一つが直上から老人を叩き潰す。辺りには鮮血と肉片が飛び散る。人体を一撃で平に均すその剛腕。一撫で食らえばこの世界からは一発退場。
……嫌な映像が一瞬、脳を過ぎる。
恐怖は足を強張らせる。
駄目だ。
考えるな。
集中しろ。
研ぎ澄ませ。
要はパーフェクトゲームで勝てばいい。
……生きる。
生きるんだ。
この地下を脱出し、ライラともう一度、空を見上げてみせる。
そしてゆっくりと、その厄災は繭を破り動き始める。
〈ヘクソカズラ〉は、遂にその姿を現した。
体表はミルク色の肌に薄桃が仄かに浮かぶ。ブヨブヨとした皮膚と脂肪の塊であり、円筒状の体軀に首と脚は存在せず、四本の腕で不自然に長い胴を引き摺っている。目や耳は見当たらない。どのようにしてこちらを感知しているのだろうか。いや、ただ闇雲に暴れているだけなのだろうか。
「ヘクソカズラの実。あれが朽ちぬ遺物ね」
ライラの視線の先、よく見れば小さな褐色の果実が、頭部の代わりにブツブツと実っている。だがオレガノの羽と同様に、外観から遺物の是非を判断する事は不可能だ。不可能な筈だ。……何故君は、これが遺物だと、断言をしてしまうんだ?
「行くわよ! レイフ!」
考える暇は与えられず、その合図と共に戦闘開始。瞬間、脂肪を纏った剛腕がライラへ襲い掛かる。しかし、その鉄拳は寸での際で、分厚い氷壁に阻まれる。あまりの衝撃に一瞬、その拳は花のように十本の指を広げながら、怯んで宙を漂う。
「捕まえた」
ライラの不敵な笑みと共にその氷壁は体積を膨張し、剛腕の一つを氷漬けに掴んで捉える。
凄まじい祝福。これならば確かに勝機は有る。
「ライラ! そのまま奴の全身を縛れるか!?」
「無理! 容積には制限が有るわ!」
制限。当然、その祝福が織り成す奇跡にはルールがある。力は有限。無限など、勇者と伝説を除き存在しない。
唇を嚙み締めた瞬間、次の剛腕は俺の目掛け高速で発射される。だが、俺の神速の方が僅かに格上。紙一重で躱したその直後、氷の刃の束が地面から厄災の腕を突き刺す。ようやく上体を起こそうとした厄災は、赤褐色の血飛沫を上げながら地面へ倒れこむ。
しかし、穴だらけの腕は貫通した氷の刃を破砕しながら、次々と肉が盛り上がり傷を修復する。
「な! ……回復した?」
この世界に回復を行う穢蕊や祝福は存在しない。
……この破壊力と再生が厄災と呼ばれる所以。だが攻撃が効いていない訳ではない。幸いにも繰り出される鉄拳以外の動きは鈍い。きっとどこかに糸口がある。
俺がその神速と膂力で〈ヘクソカズラ〉の四肢を次々と切り落とせば大量の血液が噴出する。厄災は地べたを這い蹲ったまま、その胴体だけがただ蠢いている。
そこへライラの氷の追撃。〈ヘクソカズラ〉は肉片となり四散する。肉片はブヨブヨと脈打ちながら、ミルク色の液体へと蕩けて止まる。
「相手は起き抜け。このまま蹴散らすわよ」
「油断するなよライラ。まだ全部が消えた訳じゃない」
「恐らく生命の雫か穢蕊本来の魔力、どちらかが尽きれば再生は止まる筈。無限じゃないわ。回復したところを入念に追撃し続けるわよ」
そして二人は手分けして、一部の肉片が溶けずに回復を始めた途端に斬り刻んだ。徐々にその回復のスピードは落ちてゆき、二人の周囲を段々と、ミルク色で高粘度の液体が嵩を増やして囲んでいく。
優勢。やはり完全体ではない。これなら勝てるかもしれない。微かな希望が輝きを増し胸に芽吹く。
その時。
「ああああああああああああああああああ!!!」
突如、甲高い叫びが二人の耳を擘く。その悲鳴の方向を見やると、液体の表面に浮かぶのは、グニャグニャ歪んだ分厚い紫唇。今正に臼歯が一本、また一本とグチュグチュと音を立てながら生え始めている。
様子が可笑しい。そして悪寒。背後から視線を感じ振り向く。
目の前には血走った眼球。液体から生えた触手に支えられ、こちらをただただ、静かに凝視している。
「ライラ! 何かが可笑しい! 液量だって最初の姿よりもどんどん増えている! 一旦攻撃を止めよう!」
「そんな事言ったって! 再生を許す訳にはいかないわ!」
周辺視野で何かが蠢く。そのライラの背後、液面の紫唇が吐き出した、隆々な腕がライラへ襲い掛かる。
一瞬のスローモーション。気付けば俺は神速で飛び出していた。しかし厄災の腕も速い。
抱えて回避なんては間に合わない。
……躊躇など無い。
生きろ、ライラ。
生きてくれ。
迷う事無く、ライラを優しく突き飛ばした。腕はその破壊力のまま、ガードの間に合わない俺の左胴体へ一撃。入り組んだ袋小路へ吹き飛ばされる。
「レイフ!」
ライラは真っ青に成りながらこちらへ駆け寄る。
瞬間、ミルク色の泥溜まりから産まれた瞼の群れが、無数の眼球を撃ち放ち、ライラの全身を激しく打ちのめす。髪留めは砕け紫紺が振り乱れる。
「――ッ!」
呼び掛けたいが、喉が開かない。それでも君は立ち上がると、再びこちらへ走り寄る。
ここは袋小路で危険だ、離れろ。そう言いたいが声が出ない。締まった喉で何とか息を継ぐ。
徐々に視界は赤く染まる。頭部にはぬるりとした熱の気配。どうやら吹き飛ばされた時に頭部を打ったようだ。
「レイフ! バカ! どうして庇ったのよ!」
「君の傷付――顔を見たくない」
何とか上半身だけを起こし壁に凭れる。掠れた声で想いを伝える。
「バカ!」
ライラは俺の肩を押さえながら泣き出してしまう。
「君は笑顔が――一番――どうか最後――笑って――ライラ」
「バカ!」
本来ならば人間など一撃の破壊力。その膂力が守ってくれたのだろう。身体は僅かに動く。
しかしもう、神速の剣は振るえない。
息衝くだけで肺が軋む。ここから脱出するのも侭ならないだろう。
自身の胸に縋って泣くライラの遠く後ろには、ゆっくりと再生を始める〈ヘクソカズラ〉。体表にはみっしりと詰まった眼球が次々と生まれては零れ落ちてゆく。眼球は地に触れれば果肉のように潰れて弾ける。残るは血流を流す瞼だけ。
俺達は己の死がすぐそこまで迫っている事を感じていた。
「――逃げ――ライ――。奴が復活する前――裏口を探し――」
「レイフはどうするの!?」
「俺は無理――君だけでも」
「嫌よ! そんなの嫌!」
ライラは袋小路の出口をその分厚い氷壁で塞いでしまう。それは篝火の赤橙を遮断し、辺りは暗闇に包まれる。
「これでしばらく大丈夫。私達は最後まで一緒よ。レイフ」
「――君こそ――バカだ」
俺は自身の血に塗れた右手で、ライラの涙をそっと拭う。
君はようやく、諦念を含んだ微笑みを取り戻した。
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