第17話
◇レイフ視点◇
幾つもの木々が絶え間なく車窓を過ぎ去る。
目的地のカノリア村は王都から南西に凡そ百十キロメートル程。徒歩であれば丸三日掛かるであろうこの旅程も、この通り馬車に乗り込めば七時間程で到着するらしい。これを実現したのが、騎士の武力は国家全体へ公共の利益として配分すべきと提言した先々代国王の政策。王都や地方騎士団の拠点から主要な地方都市まで、放射状に伸びる石畳の街道と各地の馬車駅が、国の予算で配備されているという。
「噂では旅行好きだった先々代が馬車の乗り心地を改善したかっただけ、みたいだけどね」
ライラはつらつらと国の歴史を話してくれる。流石は座学首席。その豊富な知識量は彼女の過去の努力を証明する。家名復興を背負うこの少女の肩にはどれ程の重圧が掛かっているのか。俺には想像も付かない。
「それでもカノリア村は地方都市でも地方騎士団の拠点でもないわ。にも関わらずこの村には王都から直結した街道が整備されているの」
確かにとても立派で滑らかな石畳だ。この品質を保全するためには莫大な修繕費が必要だろう。一体何の為に?
「さあ、それは何故でしょう? 分かるかしら? マゾ豚君?」
疑問に思っているところを突かれる。もはやライラが心を読めると言われても疑わない。
「俺はマゾじゃないって。もう止めてくれ」
「ならこのクイズに正解したら名前で呼んであげるわ」
ライラは朝から上機嫌に喋りっぱなし。俺はただただ話を聞くだけ。旅行か何かと勘違いしているのだろうか。ただ、自身の名誉を回復するためにも、この問答には必ず勝利しなければならない。
「難しいな。ヒントは有るのか」
「そうね。……うーん。じゃあカノリア村の名産は知ってる?」
無言で首を横に振る。
「カノリア村はね、嘗て鉱業で発展した村なの。エレオナイトと呼ばれる美しい宝石よ。別名はカノリアの銀河と呼ばれているわ。聖騎士紋章の宝飾にも使用されているのよ」
そうか。確かに禮命の聖騎士が落とした聖騎士紋章には、紫の斑晶に七色の光を反射する美しい宝石が遇らわれていた。あれはカノリアの銀河と呼ばれていたのか。
「エレオナイトを輸送する為に整備した……とか?」
「ふふ。単純ね」
女王様は満足そうに微笑む。
「ブッブー。そこまで遠く無いけど違うわ。チャンスはあと二回よ」
まずい。このままでは本当にマゾ豚君に成ってしまう。団内での人付き合いは必要無いが、変な噂が広まるのは尊厳に関わる。手段を選んではいられない。
「……三択問題にしていただけないでしょうか?」
「ふふ。駄目よ。きちんと自分の力で辿り着きなさい。手助けはしてあげるわ」
完全に女王様の掌の上。何とかヒントだけでも引き出さねば。
「ヒントが欲しいです、って顔ね」
「……お願いします」
するとライラは頬杖を突きながら、右の掌をこちらへ差し出す。何が何だか分からず、とりあえず握手をしてみる。
「違うわ。チャンスはあと一回よ」
急に冷淡な表情で呟く。
「なっ!?」
突然のルールチェンジ。それも仕方無い。女王様こそが法律なのだ。そしてライラは再び掌を上に向ける。考えろレイフ。男の尊厳が掛かっている。
「……お金でしょうか?」
するとライラの表情は更に険しく。流石にこんな貧乏人に金銭を要求する貴族様ではないか。
であれば何だ?
人間が掌を出して要求するものとは?
本日初の沈黙。俺の脳裏には様々な方程式や関数が入り乱れる。
ライラの人格を考えろ。
ライラの嗜好を考えろ。
ライラの思想を考えろ。
今までの彼女の振る舞いに、そのヒントが、解を導くパラメータが在った筈だ。
……そして、遂に、俺の脳内に轟音を伴う稲妻が走る。
いや、まさか、……そんな訳は無い。
動揺とは裏腹に、俺は女王様の要求を確信していた。そして自身の尊厳の為にも手段を選んではいられない。誇りを捨て実利を得んとする。これは一瞬だけ。
勝て、レイフ。
勝利が、勝利だけが全てを解決する。
いくぜ。
「わん」
ライラの掌へ俺は握り拳をそっと預ける。これは、世間一般には、お手と呼ばれる振る舞いだ。俺の中で何かが破壊された音がした。
「まあ! 素直で良い子ね! そんな積もりは無かったのだけれど!」
ライラは一瞬にして満面の笑み。絶対嘘だ。俺の嘘は許さない癖に。
しかし、とりあえず女王様の要求には応えられたようだ。これで良いレイフ。何も間違っちゃいない。これは、一瞬の恥だ。
「しょうがないわね。……そうね。エレオナイトの名前の由来は、先々代王妃のエレオノーラ様の名より賜ったものよ」
それが何だ?
と、一瞬思ったが、これが重大なヒントなのだろう。ライラはそういう部分ではフェアな人間だ。
……と思いたい。チャンスは後一回。
逃してはならない。
自身の持てる全てを手繰り考え、遂に一条の光に辿り着く。
「王妃エレオノーラ様はカノリア村の出身で、王妃へ会いに行く為、先々代が交通ルートの建設を命じたんだ」
真剣な眼差しのライラ。
嫌に溜めるな。
そして。
「ブッブー! 違います!」
そして弾むような笑顔。俺の心臓の高鳴りは、もはや平常運転となりつつある。
「ふふ、レイフったら。そんなにマゾ豚君と呼ばれるのが気に入ってたのね」
そもそもマゾ豚君とは何なのだ。それはその界隈では一般的な名称なのだろうか。
「正解はね。王妃が大好きなカノリアの銀河を現地まで買付に行くための街道でした!」
「分かるか! そんなの普通侍従が買いに行くものだろう!」
「そうね。でもエレオノーラ様は自分の目で原石を見極めなければ気が済まない性格だったそうよ。そして自ら危険な鉱山の中を見学されたって逸話もあるくらいね」
何だその飛び切りイカれた王妃様は。鉱山は常に死と隣り合わせ。高貴なる方の出入りするような場所ではない。そんなの当たる訳が無い。
「そのため、このカノリア村への街道は別名エレオノーラへの愛とも呼ばれているわ」
「安直な名前だ」
「私が付けたんじゃないわ」
ライラは心外、とでも言うように肩を竦める。
「でもそれは結果として大正解。当時流行りの病によって経済は落ち込んでいたのだけれど、莫大なマネーが流れる公共事業によって景気は緩やかに回復したそうよ。だからこの街道は今なお、国費によって維持されているの。そして高い営業利益率を産む鉱業ビジネスも相まって、嘗ては沢山の人がカノリア村やその周辺に移り住んでたそうよ。ピーク時は王都よりも人口密度が高かったくらいにね」
「そんなに。ならカノリア村は案外潤っているのか」
「ううん。資源はいずれ底を尽きるわ。嘗ての栄華は廃れ、今日ではカノリア村は産業を失って寂れてしまったそうよ。……まるでレーヴェンアドレール家みたいにね」
お貴族様は車窓の遠くを少し寂しそうな目で見つめる。カノリア村へシンパシーを感じているのだろうか。
「俺達の力ですぐに復興できるさ。そのためのバディだろ」
ライラは壁に頭を凭れたまま、こちらへ視線を向け、そして微笑む。
「そうね。頼りにしてるわよ。……レイフ」
理由は全くの不明だが、どうやらマゾ豚から犬を経て、俺はようやく人間への復帰を果たした。
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