第18話
◇レイフ視点◇
長閑な牧場を突っ切れば、王都と見紛う程に端正な石造りの街並み。更にはガス灯さえも配備されている。村、と言ってもヨリス村とは大違い。やはり金があれば景色は変わる。
村へ到着すれば村人達が出迎えてくれた。その優美な建築物とは一転。ライラが説明してくれたように、確かに村には活気が失われ、閉じた店や空き家が多く、経済は衰退しているように思われる。
「ずっと待っておりました。請書が届いたとき我々は飛び上がって喜んだんですよ。こんな少ない報奨金にも関わらず受注いただき感謝します。村長のベンノです」
柔和な雰囲気を醸し出すこの背の低い老人は村長を名乗った。日に焼けた肌と手の豆は鉱山労働者の証。今でも現場に出ているのだろうか?
「ライラです。よろしくお願いします。こちらはレイフ」
「よう来て下さいました。こちらは皆様の身の回りのお世話を務めます、アリシアです。何かご不明な点がございましたらお申し付け下さい」
「アリシアです。よろしくお願いします」
同い年くらいであろう可憐な少女は、胡桃色の髪を耳にかけながら丁寧に挨拶をする。しかし任務にお世話係なんて付くのだろうか? そんな話は聞いた事が無い。
「さあさ、ここではなんですから役場までご案内します。本件の詳細は応接間でお話しします」
村長は村役場まで促した。向かう途中にライラは声を潜める。
「この村なんか可笑しいわ。私達が救援に来たのに村人が喜んでいない。さっきの村長の飛び上がって喜んだって話も嘘よ」
「……分かった。警戒しよう」
そして村役場で依頼の詳細と、〈シレネ〉の出没情報や被害をまとめた地図を受け取った。討伐要請は凡そ四十匹程で、先ずは新たな被害発生の恐れが有る、村近辺から一番近い南東部より始めて欲しいとのこと。
〈シレネ〉とは王都北部以外に生息する蚯蚓である。普段は臆病で大人しいが、全身筋肉のその生物は暴れると極めて危険。成体で体長約二・五メートル、直径〇・八メートル程とかなり大きい。普段は大人しいものの、目が無く音でこちらを感知し、自身の生命に危機が迫った時には、その円周上に生え揃う一列の齧歯と奥に並ぶ二列の臼歯で襲い掛かる。血管が鮮明に浮き出る土色の体表の至る所には、食した土壌から蓄積された石英が排泄物と共に析出しているが、その輝きには特に商業的な価値は無い。しかし、その石英の欠片が、周辺に〈シレネ〉がいる目印になるという。話は纏まり、アリシアと三人で役場を出る。夕焼けは北西の鉱山がある山岳地帯へその身を半分隠している。日没も近い。アリシアの案内の下、宿屋へ向かう。
「一泊朝夕食付きで二万ヒルドル。部屋は一つだけだよ」
受付には腰の曲がった老婆が一人。そろそろ後任へ席を譲りたい時期だろう。その柔和な老婆はおっとりした声でそう説明した。村の宿屋の宿泊費にしてはかなり高い。それに部屋が一つとはどういう事だろう? 他に客がいるようには見えない。
「アリシアさん。他の宿屋は無いのかしら?」
「す、すみません。どこも不景気で潰れてしまって。この村にはもうこの宿屋しかありません」
「……レイフ。貴方手持ちはどのくらい?」
派閥に所属している騎士であれば、馬車代や宿泊費は派閥の経費として扱える。しかし手柄の総取りを目論む俺達は、報奨金からそれらを賄わなければならない。もし赤字であれば、それは持ち出しだ。残念ながら、今回の報奨金はとても低い。
「持って来てるのは十五万ヒルドルくらいかな」
七年間依頼をこなして蓄えた資産だ。十六歳にしてはかなり持っていると言えるだろう。
「二人合わせても最大二週間。ギリギリね」
ライラは一つ溜息。そこまで資金に余裕は無いのだろう。
「良いわ、おばあちゃん。ここにします。しばらくよろしくお願いしますね」
女主人は枯れた声で承諾する。俺達はアリシアに別れを告げ、荷物を持って奥へ案内される。かつての栄華を彷彿とさせるような優美で広く、清潔な部屋だ。なるほど、高い宿泊費を要求するだけはある。そして浴室の使い方を説明し、老婆は広間へ戻っていく。
この温泉大国のヒルドレーナ王国では、全国各地で平民に至るまで入浴の習慣があるが、特にこのカノリア村は流量が多く、各家庭に温泉水を引ける程に豊富な熱資源を有しているらしい。それにしても、こんな豪華な大理石の浴槽は初めて目にした。
「……良いのか。相部屋で」
「しょうがないでしょ。ここしかないんだから。……私の事、襲うつもり?」
ライラは愉悦を浮かべながら、自身の身体を態とらしく抱き締める。
「襲わねーよ!」
俺は溜息すると、ライラは徐に机の位置を動かし、二つのベッドの間へ配置する。
「この机からこっちは私の領土だから、入ったり覗いたりしちゃ駄目よ」
「はいはい。俺が浴室に行く時はどうすれば良いんだ」
入口側の我が領土から奥の浴室へ行くには、女王様の領土を突っ切る必要がある。
「ふふ。ホント、私の事大好きなのね。もう襲う言い訳を考えてるの?」
女王様は我が領土を侵犯しながらこちらへ近づき、そして可愛らしい上目遣い。これもまた態とらしい。
「襲わないって。俺達はバディだろ」
演劇のような振る舞いであっても、俺には致命的。顔を背け否定する。
「……ふーん。そう。身体を洗う時だけは通って良いわよ。ちゃんと声掛けてね」
くるりと回って女王様は自身の領地へ帰還する。
それにしても落ち着かない。心臓の音がする。
……夕食まではまだ微妙に時間があるな。
「少し、外に出てくるよ」
「行ってらっしゃい」
動揺する俺とは対照的に、リラックスした返事が返ってくる。熟自身が情けない。
外に出れば、空にはすっかり満天の星、大地には涼やかな風。ガス灯の黄橙はふと、在りし日のトレイス町の、灯りを見上げるカタリーナの横顔を思い起こす。
ああ。
頭を振る。
……少し歩こう。
そうして当ても無くふらふらと歩いていると、ここにもまた嘗ての栄華の残骸が。北西の山岳地帯から南へ村を横断するエーノル河川に架かった立派な石橋。その明媚な風景に吸い込まれるように石橋の欄干へ寄り掛かる。斜め上には美美しい三日月。だんだんと心も落ち着き、冷静を取り戻す。
「やっぱり交際もしていない女性と、一つ屋根の下は良く無いよな」
ライラは俺を傷付けないように態とらしく、揶揄うように振る舞っているが、内心はどうだろうか? 俺達は二日前に出会ったばかり。本当は怖がっていないだろうか?
いや、寧ろ恐怖を感じるのが普通だろう。ライラの素が普通の少女だという事は、俺が何より知っているじゃないか。
「どうしたもんか」
欄干に凭れ掛かり悩んでいると、後ろから声を掛けられる。
「レイフさん?」
振り向くと、そこには心配そうな表情を浮かべたアリシア。昼間の可憐な印象と違い、三日月に照らされ、デコルテを露わにした薄着の彼女はどこか妖艶。
「悩んでますね。……やっぱりお部屋の事ですか?」
アリシアは後手を組みながら、俺の表情を覗き込む。その胡桃色の髪も月明りの下では星空のように光り輝く。
「うん。ライラは口には出さないけど、本当は嫌だろうな」
「ライラさんは嫌なら嫌と、はっきり言う人だと思いますよ」
アリシアはその声も、包容力のある優しい音色だ。
「領土をきっちり分けられたさ。それが精一杯の自衛策なんだろう。それでもライラが正しい」
アリシアは驚き、少し気不味そう。
「彼女は任務の為ならと割り切っているんじゃないかな。俺達は最速で出世しなければならない理由があるんだ」
少しの沈黙。そして意を決したようにアリシアはこちらへ近寄る。もう触れ合う距離。
「……なら、私の家に来ますか?」
その頬はこの夜空の下でも分かるほど紅潮している。
「いやいや、そんなの悪いよ。アリシアの家族にも確認が必要だろ?」
「私、今は一人暮らしです」
「それじゃあ、尚更駄目だよ。ライラと一緒だ」
「一緒じゃありません! 私、レイフさんなら嫌じゃないですもん!」
その瞳は真っ直ぐに俺を見つめる。何故だか急に恥ずかしくなって頭を掻く。
「それにうちは部屋が余っているので大丈夫ですよ。ちゃんと部屋は別です。父は名のある宝飾技師なんです。だから私の家、無駄に広いばかりで、一人で食べるご飯って寂しくて……」
言葉に詰まる。確かに条件は今より良いし、何よりライラの恐怖心を拭う事が出来るだろう。
「その代わり、一つお願いがあるんです」
「……教えて?」
「私のたった一人の家族、……父が、この二週間、北西のトリトン鉱山からずっと帰ってこなくて」
「うん」
「それで私、偶々変な噂を聞いちゃって。父達の帰ってこない人達は、現場で何か悪い事をさせられているんじゃないかって」
なるほど。何となく意図を察する。
「それで討伐に託けて、それを確認して欲しいって事?」
「はい。……そしてもし捕らえらていたりしたら助けて欲しいんです」
アリシアは俯く。大変な事を依頼しているとの認識のようだ。
「何だ、そんな事ならお安い御用さ。俺は中央騎士団のエリート騎士だぜ」
本当はまだまだ見習いだが、大袈裟に明るく振舞う。出来るならば、彼女の遠慮を取り除いてあげたい。
「本当ですか!」
アリシアは俺の胸に飛び込む。柔らかい感触が伝わる。必死に平静を保ちながら、アリシアの肩へ手を添え、少し離す。
「嬉しい。任務に来てくれたのがレイフさんで良かった」
そして花のような笑顔で俺を見上げる。顔を逸らすので精一杯だ。
「良いんだ。俺もそういった交換条件のある方が、お世話になりやすい」
「ふふ。それじゃあ私の家に行きましょう! 実はすぐそこなんです。夜ご飯はまだですよね?」
アリシアは俺の手を握り、家へと引っ張る。
「ちょっと待ってくれ。ちゃんとライラへ話をしておきたい」
「宿屋まで遠いです! 私、もうお腹が空いちゃいました!」
そして振り向き、今晩のどの星々よりも眩しい笑顔。
最近分かって来た事が有る。俺はどうやら、女性の笑顔に弱いらしい。
「私、結構料理も上手なんですよ! 期待しててください!」
まあ、ライラはそんなに俺の事なんて気にしてないだろうし、明日の朝話せばいいか。
そうして星降る夜が照らす道の上を、俺達は手を繋ぎながら駆け抜けた。
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