第16話
◇レイフ視点◇
「貴方ってマゾ豚なの?」
先程別れた東口へ戻ると、既にライラが二枚の注文書の写しを抱えて待っていた。少し待たせてしまっただろうか。
しかし女王様から開口一番に紡がれた言葉は、選んだ任務の内容でもなく、選別に時間が掛かり過ぎた事による非難でもなく、嫌に聞き馴染みのある誤解だった。
「……何の話だ」
努めて冷静に。ここで声を荒げてしまったら逆に怪しい。大丈夫だレイフ。きっとこの誤解は綺麗に解ける。
「さっきの男が擦れ違い様に言ってたわよ。『我々近衛兵の同志を頼みます』って。貴方、私のファンだったの?」
勝ち誇ったような表情で尋ねるライラ。そこに氷の女王様はいない。
「もう! しょうがないわね! レイフは特別よ? ブヒブヒ鳴いてごらんなさい。御褒美に思いっ切りビンタしてあげるわ」
そっと囁くような耳打ち。女王様はとてもご機嫌であらせられる。
「……落ち着いてくれ。それはボリスが勝手に勘違いをしているだけだ。そもそも俺は氷の近衛兵なんて変態集団の事を今初めて知ったんだ。もし俺がライラのファンだったのならば、さっきの回廊での問答は何だ? 俺は君の提案にすぐ乗った筈だ。でも俺は渋った。それは俺が君のファンじゃないという裏返しじゃないか。それにさっきのレイフさんていうのは何だ? 補佐って何だ? 俺達は五分のバディじゃないのか?」
息継ぎもせず捲し立てる。俺の反論は筋が通っている筈だ。
「まあ! 一杯喋るのね! レイフこそ落ち着いて?」
「ッ~~~~!」
卑怯だろこの糞女! 論理には答えず俺の振る舞いを指摘するとは話の掏り替えだ。
……だが、それはとても効果的で、まるで俺がマゾ豚とやらである事を必死に隠しているようではないか。
やはり舌戦ではまるで歯が立たない。
ライラはこちらを見上げる。態とらしい上目遣いの奥には愉悦が顔を覗いている。心臓の脈打つ音が速くなる。顔が近い。
「じゃあレイフは私の事が嫌いなの?」
「な! ……それは」
ライラに嘘は通じない。絶対に。
「…………嫌い……じゃ……ありません」
精一杯の抵抗の末、俺は顔を背けながら陥落した。
「ふーーーーーーん。私はね、正直者なレイフが好きよ! あとはもうちょっと素直さが必要ね!」
そして止めの笑顔。周囲の雑音は心臓の大音に抹殺された。
「それでマゾ豚君? 貴方はどんな受注書を持ってきたの?」
くるりと回ってライラは尋ねる。
だから違う!
が、憤慨と羞恥の余り言葉が出ない。そもそも話を全く聞いてくれないではないか。
……ああ、思い出した。俺はこの女と馬が合わないんだった。
決めた。
今後この糞女とは絶対組まない。今回だけだ。言葉を失った俺はぶっきら棒に注文書を渡す。
「カノリア村の〈シレネ〉の群れを討伐? 何これ? 地方騎士団からの依頼じゃないわよね? 貢献度も報奨金も低過ぎない? 私の話ちゃんと聞いてた? マゾ豚君?」
非難とは裏腹に怒りは微塵も感じない。
「この任務、二ヶ月も放置されてる」
「だから?」
「俺も村出身だから分かるんだ。〈シレネ〉は普段大人しく臆病で暴れる事は滅多に無いが、いざとなると狂暴だ。それなのに、こんな安い報酬しか出せない程困窮している村なんだよ。小さな村には地方騎士団は警備に来てくれない。自警団として傭兵を雇う金も無い。色んな所で断られて、盥回しにされて、最後の望みをこの中央騎士団へ懸けたんだ。俺達が相手にしなかったら誰も、特に人数を抱える派閥の騎士隊は彼らへ見向きもしない。騎士の到着が遅れる程、被害は拡大していくんだ。……何とかしてあげたい」
王都の住民とは違い辺境の村には蓄えなんて然程無い。村を追われれば厳しい現実が待っている。俺は七年前にそれを痛感していた。
「生き延びる力が無いのであれば、それは淘汰されるべきよ。単なる一時凌ぎに過ぎないわ。さっきまでの野心は何処にいったのよ。貴方の目的はどうするの?」
「……返す言葉も無い」
全くもってライラが正しい。ただ、俺にはこの注文書からの悲痛な叫びが、助けを求める声が聴こえた気がしたんだ。それでも論理的に考えれば、今回の受注はライラの選んだ注文書になりそうだ。
「甘ちゃんね。まあ良いわ。貴方の我儘に付き合うのは今回だけよ」
しかし予想は直ぐ様外れ、ライラは提案をあっさりと受け入れてくれた。
「良いのか?」
「早く受付に行くわよ、マゾ豚君。請書の書き方を教えてあげるわ」
上機嫌に前を歩くライラ。決して良い奴ではないし、馬も合わないかもしれないが、少しだけ、悪い奴でもないのかもしれない。
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