第13話

 ◇三人称視点◇

 

 男は焦っていた。

 まずい。このままでは、間違い無く部隊は全滅する。

 男は部下達へ懸命に指示を出す。三六〇度、全方位へ視線を巡らせ、戦況の変化を敏感に察知する。そしてなお、自身へ牙を剥く〈アザミ〉を、命辛辛量産品の鋼製の剣で斬り伏せる。

 王都郊外の東門付近のこの街道。それでも近衛騎士団は出撃しない。彼らは王都の外門内部、特に王城の周辺にしか取り合わない。実質、そんな事態に陥ってしまった事はここ数十年存在しないが。

「税金泥棒の役立たず共め」

 結局、彼ら東部地方騎士団で殺るしかない。退いてはならない。王都への侵入を許したならば、考えたくもない被害が生まれる。

 視線の奥で一人、また一人、仲間達がその尊い命を失ってゆく。

 ハンネス。大酒呑みの能天気野郎だが、チームが逆境に直面した時であっても、その明るさにはいつも救われていた。

 ヤンネ。いつも臆病で気弱な性格であっても、力無き者達のために穢蕊へ立ち向かう、密やかな勇気を持つ騎士だった。

 さようなら。

 いつかまた、女神様の下で酒を呑もう。

 襲い掛かるのは〈アザミ〉の群れ。彼ら穢蕊に花の名が与えられているのは、出来損ないの命達へ、せめて愛されるようにと願った古き魔女達の愛情が現世まで紡がれているため。体長一・五メートルの肥えた女郎蜘蛛の躯体に頭顱だけが馬。しかし両の目の有るべき眼底よりは薄紫の美しいアザミの花が咲き、おかげで視覚を失い、嗅覚と聴覚のみで周囲を把握する。それでも、彼らも愛されようと踠いた末路なのかもしれない。そして馬の頭部に似合わぬ、生え揃った涎塗れの犬歯は、彼らが肉食であることを窺わせる。

 種を永らえさせる哲学など毛頭も感じさせない継ぎ接ぎの生命。

 余りに醜い、命の残渣。

 遠くでは商人の荷馬車へ積まれた高級な肉類が、奴等によって散撒かれている。運悪く、この香りに誘われたのだろう。護衛に雇ったであろう傭兵の姿は無い。おそらくもう、彼らは既に……。

 〈アザミ〉は俊敏で獰猛、何より賢い。奴らが戦い続けるという事は、彼等は勝てると踏んでいるのだろう。その算段は恐らく正しい。紛れも無い劣勢。そしてまた一人、首元から血飛沫を上げて、散ってゆく。

 勝てない。

 男は長年の現場経験から弾き出される解答に辿り着いていた。

 それでも、男は逃げない。

 その表情には諦観など、一欠片も存在しない。

 最後の一人と成ろうとも、この命果てるまで、戦場で市民の命の為に戦うと、先に旅立った仲間達へ誓ったのだ。

 なるべく多くの穢蕊を道連れに、……死んでやる。

「カミラ、リーサ。……すまない」

 ふと零れるのは、娘と妻の名。騎士紋章を開けば、映るは花冠を被った、自身の命より大切な二人の笑顔。

 参事補まで上り詰めた男の殉職には十分な遺族年金が下りるであろう。

「どうか、幸せに」

 最後の覚悟を決めた男は雄叫びの後、目の前の〈アザミ〉へ斬り掛かる。

 しかし、穢蕊達はこの隊長へは目も呉れず、ある一ヶ所へ戦力を集中する。

 ……何だ? と、顔を上げれば一人の青年が、四方を囲まれながらも手際良く〈アザミ〉を次々と切り刻んでゆく。

 近衛騎士団か? いや、それだけは有り得ない。

 ならば、中央騎士団か? いや、彼らは任務専門の遊軍。正式な受注も無ければ、こんな金にもならない戦場に立つ筈が無い。

 男は目の前の僥倖について考える。良く目を凝らせば、あの青年、……知っている。

 偶に我ら東部地方騎士団の管轄で見かける、名も無き青年。時に戦場出ては名乗らずに去って行く、あの彼ではないか。

 男は祈る。

 お願いだ。勝ってくれ。助けてくれ。

 ……生きたい。

 それでも、生きたい。

 刺し込む一筋の光が、男の覚悟を粉々に打ち砕く。

 そして一瞬の目弾きの間に、青年はその穢蕊の群れの大半を切り伏せてしまった。

 すると戦況の変化を機敏に感じ取った〈アザミ〉は、群れのリーダーであろう一匹の嘶きの後、連携の取れた動きで逃走した。

 ……助かった。

 ああ、……助かった。

 男は膝から崩れ落ちる。

 安全が確認された瞬間に、その青年は足早に去って行く。

 ああ、その名はまたしても聞けず終い。

 遅れて来た脱力感に包まれながらも、聞こえて来るのは仲間達の呻き声。生存者は、いる。

 まだ終わってはいない。

 今男がやるべき事は、一刻も早く彼らを医師の下へ連れて行く事だ。

 ありがとう、青年。遂に騎士装束を着込んだという事は、いずれまた、巡り会うのだろう。

 その薄氷の勝利に男、参事補騎士ヨエルは感謝を募らせながら、リーダーとしての責務を全うした。


 ◇レイフ視点◇

 

「よくやった、レイフ」

 幼少の頃に一度、戦果を奪ったなどという難癖を付けられて以降、戦後処理から逃げ続ける俺の行く手を阻んだのは、なんと騎士百万の頂点へ君臨する騎士団長様だった。

「い、いえ! 団長自ら、光栄であります」

 帰路で捕まり僭越ながら隣を歩く。陽はすっかり落ち、空へは濃紺の絵具が落とされる。

「儂も噂を聞き付け救援しようと赴いたのだがな、一足遅かったようだ。観ておったぞ。凄まじい高速。〈アザミ〉の群れを返り血一つ浴びずに、素晴らしい」

 今宵は新月。それでも、この王都は光を失わない。

「い、いえ。本当に恐縮です」

 アールヌーボーが全盛を迎えたこの街を電灯が柔らかく照らす。ヨリス村にはガス灯すら無かったのだから、インフラの発展速度は桁違いだ。

「そう畏まらんでも良い。今はプライベート、ただの老人だ」

 男は皆高そうなスーツを着込み、女は華麗なイブニングドレスに着替え、花々の装飾を遇らった帽子を被り街を歩く。

「それでもです。私は貴方の肩書ではなく、人格と実績を尊敬しているんです」

 華やかなランプシェードを売り歩く職人や、蒸気自動車へ煌びやかなジュエリーを詰め込んだ宝石商。

「わっはっは! 何も大した事はしておらぬよ」

 店先には鼻先を擽る夕食の馥郁とした香りや、様々な色彩で綾なす花束に溢れている。

「いいえ。貴方がいて、私財を投げ打って財団を立ち上げたから、世界からはこんなにも孤児が減ったんです」

 長い長い歴史が息衝く、あまりに美しい表通り。

「それでもまだまだ零じゃない。儂が助けられるのはほんの僅かだ」

 一方で、本来なら莫大な富を有しているだろうに、団長が身に着ける衣類や腕時計は平凡な安物。周りが英雄と騒がぬのも、この庶民的な身形からは想像が付かぬ為だろう。

「届く範囲で構わない。助けられる者が手を差し伸べれば、世界は少しだけ良くなる。儂は、そう思っておるよ」

 騎士の全てが屑じゃない。純白の正義を名乗るのに相応しい人間も確かに存在する。それだけで、軋んだ心は少し軽くなった。

「レイフ、少し付き合ってくれ」

 そうして団長が連れ立ったのは、レードルンド財団が保有する広大な孤児院。

「おじいちゃん!」

 外門を潜れば、一人の少女が団長の太腿に全力のタックルを噛ます。打ち込む姿勢と体重移動の素晴らしい襲撃だ。

「やあ、リナ。元気にしてたか」

 全くダメージを受けていない団長は、踞んで少女と目線を合わせる。すると英雄に気付いた子供達が一斉に押し寄せる。

「当り前じゃん!」

「グスタフは馬鹿だなぁ!」

「今日は何して遊ぶの?」

 餌を待つ雛鳥達のようにピヨピヨと、随分と懐いているようだ。

 ……ん? 今、団長の事をグスタフって呼んでなかったか? ……うん。まあ、気の所為だろう。

「ふふん、今日はスペシャルゲストをお呼びしている」

 そして英雄はこちらを振り向く。

「今日はこのお兄さんが猫役だ。物凄く足が速いから皆全力で逃げるんだぞ」

「わーい! 逃げろ!」

 途端に子供達は蜘蛛の子を散らすように走り出した。

「……え? どういう事でしょうか?」

「儂はもう最近腰が悪くてな。上手く走れん。勝てずに悔しいのだ。子供達の遊び相手を手伝ってくれ」

「おーい! 細い兄ちゃん! お前、俺らを捕まえられんのかー?」

 体力の有り余ってそうな少年が、余りに行儀の悪いジェスチャーでこちらを挑発する。

 ふっ、この神速を持つ俺に対して? 随分と舐められたものだ。

「高い所は何秒ですか?」

「十秒だ。鼠共を全員捕まえるぞ! レイフ!」

 獅子の聖騎士と呼ばれる英雄は、負けず嫌いの甚だしく、子供達との鬼ごっこでさえ完全な勝利を求めたのであった。

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