第11話

 ◇レイフ視点◇


 昼食を食べる気にもなれず、俺は独り、広いバルコニーで王都の景色を眺めていた。

 ここに来るまでの間、擦れ違う騎士は皆怪我人だらけ。血と消毒液の匂いが充満し、その目は澱み光を失っている。庁舎全体が凄惨な、重々しい雰囲気に包まれている。息を吸うのも苦しくて、新鮮な空気を求めて逃げ出した。

 これが騎士の真実。夢や希望だけじゃない。現実として穢蕊と殺し合い戦争に赴く騎士達は、常に死と隣り合わせ。少し考えれば分かる筈なのに、俺達は多分、どこか見ない振りをしていたのだろう。

 石造りの手摺に凭れ溜息を吐く。すると、俺の左へもう一人の男が手摺へ手を着く。

「随分と傷心みたいだね」

 顔を向ければ、そこには緩やかなウェーブの掛かった金髪が爽やかな美男子。同期のトップ、マテウスだ。

「別に。まあ男なら、騎士という生き方を誰しも子供の頃に夢見た筈だろ」

「僕はずっと王都の暮らしでね。この現実を知っていたからそこまで傷付きはしなかったかな。レイフ君、君は一体何処から来たの?」

 なんか、喋り方が鼻に突くな。

「トレイス町だ」

 おくびにもヨリス村の名は出さない。これは秘密。もしも禮命の聖騎士に感付かれてしまっては堪らない。

「東の田舎町だね。原初の穢蕊の子宮マトリカリアからも遠く、穢蕊も少ない。随分と平和に暮らしていたんだろうね」

 ……お前に何が分かる。お前は家族を、愛する故郷を燃やされ奪われた事があるのか?

 しかし、ここで喧嘩してもメリットは何も無い。

「そうだな。お前は随分と過激な日々を送っていたんだろうな」

 普段は言わない、精一杯の嫌味。

「いやいや! ほら、僕ってレイフ君に負けないくらい綺麗な顔をしてるでしょ。女の子達がね、嬉しそうに僕を助けてくれるんだ。だからそんな苦労はしなかったよ」

 頬が引き攣る。生理的に無理だ。これ以上傍には居れない。俺は凭れるのを止め踵を返す。他の落ち着く場所を探そう。

「待ってよ」

 マテウスは俺の腕を掴んで制止する。

「離せ」

「君が何処に行こうが付いて行くよ。君と話がしたいんだ」

「俺は無い。付いて来るな」

 腕を振り解き、歩こうと一歩踏み出す。それでもマテウスは微笑みながら付いてくる。

「おい」

 睨み付けるも怯む様子は無い。トレイス町の無頼漢ではなく騎士ならば当然か。

「意見が対立した場合、騎士ならば、その力を以て結論付けるべきだ」

 マテウスは左手の白い革手袋を外し、俺の胸に投げ付ける。騎士の宣誓は知らないが、これが意味する事は俺でも分かる。

「証人となる第三者がいない」

「僕らは約束を違える人間ではないさ」

「模擬剣は無い。覚悟は有るのか?」

「当然。決闘で死ぬ騎士など、よく有る話だ」

 金髪の美男子は髪を掻き上げながら答える。

「一目見た時から、君とはヤッてみたかったんだ。だってさ、可笑しいだろ?」

「何がだ?」

「君が剣戟主席の件だよ。あれは受験者がそれぞれ担当の試験官と模擬剣で戦う訳だろ? そしてその結果から採点を行う」

 マテウスは不敵な笑みを浮かべ、続ける。

「その点数の妥当性ってどうなの? 正しく測定出来てるの? 結局、僕らが真剣で戦ってみたら、案外勝つのは僕かもしれないよね?」

「……んなもんどうでもいい。俺が勝ったら二度と俺に話しかけるな」

「いいね。じゃあ僕が勝ったら、ライラ君は僕が貰う」

「……は? 何の話だ?」

「あれ? レイフ君はライラ君を狙ってるんじゃないの?」

「そんな積もりは一ミリも無い」

「あれ? だって叙任式でも、さっきのオリエンテーションでも、うっとりした顔で彼女を見てたじゃないか」

「な! 見てない!」

 そんな訳は無い。俺はここに下らない恋愛をしに来た訳じゃない。

「素直じゃないね。彼女は大変だよ? 叙任式が終わってすぐ、皆こぞって話しかけに行ったがガン無視だ。とんでもない人嫌いのようだね。それでも一部の同期達は、彼女を氷の女王と崇めていたけど」

「そうか。俺には関係無い」

「……まあ良いさ。とにかく僕が勝ったら、ライラ君は僕が落とす。……良いね?」

 端からそれが目的か。そのためにわざわざ俺の所まで。だが俺には関係無い。二人で勝手に青春ごっこでもやってやがれ。

「ああ、条件はそれで良い。どうせ、勝つのは俺だ」

 少し距離を取って銀の剣を抜く。ある程度距離のあった方が俺の神速は活きる。互いに相手の祝福は知らないが、そんなものを出させる前に仕留めればいい。

 上等だ。勝負は一瞬。

 俺はこの七年間、人にも、穢蕊にも、負けた事は一度も無い。

「いくぞ」

 マテウスは構え、もう片方の手袋を天へ放る。これの着地した瞬間が、戦いの合図。

「マテウス・リングホルムだ」

「レイフ・ロセイン」

 互いに名乗りを上げる。

 鼓動が脈打つ。

 視界は狭く、暗く、そしてスローモーションに。

 遂に、パサッと、柔らかな乾いた音。瞬間、一気に間合いを詰める。目には留まらぬ圧倒的な速度。不意を突いた一撃でマテウスの脇腹を突き刺した。

 ……かと思われたが、銀の剣は天高く弧を描く。一瞬の動揺。その瞬間をマテウスは見逃さない。金髪の美男子は、脇腹を狙い屈んで低くなった俺の頭へ右廻し蹴り。鈍い音に脳は揺れ、受け身も取れずに倒れ込む。マテウスは俺の鳩尾を強く踏み付け、顔すぐ横に剣を突き立てる。

 息が出来ない。ようやく俺の剣が地面に落下し、甲高く虚しい音を奏でて止まる。

「僕の勝ちだね」

 マテウスは太陽を背負い不敵に微笑む。そして剣を引き抜き鞘へ収める。

 俺は少しの間咳き込んだ後、ようやく呼吸器系が回復するのを感じた。

 …………負けた。

 ……何で?

 しかも何をされたのか、それすらも分からなかった。何故、俺の神速に対応出来た? 人間業じゃ、……いや、相手は祝福者だ。何より俺のような偽物じゃない。真に、女神ヒルドレーナ様より愛された者。

「約束通り、ライラ君は僕が貰う」

 俺は呆然とし立ち上がれずに沈黙。しばらく空を見上げたまま目を瞑り、ようやく声を振り絞る。

「ああ、勝手にしろ」

 第一声は負け惜しみ。しかし気付けば奥歯に鈍痛。噛み締めた顎を緩めながらゆっくりと起き上がり、剣を拾い鞘へ仕舞う。相手は確かにエリート様かもしれない。だが俺だってこの七年間、必死に、必死に、ただ強さだけを追い求めて戦って来たのに。どうして?

「そんな感じ? うーん、詰まらないな」

 マテウスは読みが外れたと言わんばかりに首を右に傾ける。

「じゃあ、やっぱりライラ君は二人で競争にしよう。そっちの方が面白いかも! どうせあの女もすぐに落ちるしね」

 虫唾が走る。こいつは何故こんなにも女性を見下しているのだろか。俺は、芯が有り自立した強い女性を何人も知っている。

「女は景品じゃない。お前は今までその女性に助けられて来たんじゃ無いのか? 今すぐその腐った口を閉じろ」

「はは! 誠実な男なんて女は退屈するだけさ。女は雑に扱った方が喜ぶのに。……なら閉じてみせれば? 実力でね」

 ……俺は負けたのだ。本来ならここで命尽きていても文句は言えない。

「ライラ君の事なんてどうでも良いからさ、もう少しお話しようよ。それでチャラにしてあげる。ね? 君は負けたんだからさ」

 俺は黙ったまま拳を握り、再び手摺りに凭れ掛かる。空には間抜けな顔した綿雲が、呑気にプカプカと浮いている。

 もっと、もっと力が欲しい。こんな醜悪を黙らせる事が出来るような、圧倒的な、強い力が。

「君はどこの派閥に入るの?」

 俺の左に同じ姿勢でマテウスは凭れて、こちらを向きながら話しかける。

「……別に、入る積もりは無い」

「どうして? 上に上がれないよ」

「出世なんて興味無い」

 禮命の聖騎士を探ればそれで良い。派閥とやらに入って任務を強要されては、無為に時間が失われていく。奴を殺せばすぐに逃亡生活になるのだから、出世なぞは全く意味が無い。

「……レイフ君は、何を欲してここへ来たの?」

「別に、ただ憧れただけだ」

 復讐の事なんて言える訳がない。必要なのは取り繕った嘘。

「不思議だなぁ。さっき君は騎士団の真実を知って、それ程のダメージを負っているように見えなかった。恐らくそれは違う。そして当然、殺戮を楽しむタイプにも見えない」

「人に目的を話させる前に自身の目的を話したらどうなんだ?」

「ふふ。敗者の癖に良く吠えるね」

 殴り掛かりそうになる拳を抑えて、努めて平静な声を返す。

「お前は何で騎士に成ったんだよ」

「何で? 何でって、金玉付いてんだろ?」

「だから何だよ」

「男として生まれて、騎士という生き方を選んで、天辺目指さない理由が有る?」

 心の奥底は覗けないが、上昇志向の塊である事は理解した。

「目指すならあそこだ」

 マテウスが指差した先、王都西部に位置する墓地へ向かう葬儀の列の先頭。そこには喪服に着替えた騎士達と、鷲の中隊だったそれらを詰め込んだ棺桶の群れ。

「グスタフ。その武功により数々の栄光を掴み、しかもハイテストステロンの見目好い容姿で沢山の女性から好意を寄せられるも、妻としたのは醜女で嫉妬深くヒステリックと名高い現国王の妹、アデラ元第四王女。当人には全くの愛は存在しないものの、グスタフに一目惚れした元第四王女の恋愛感情を利用し、出世欲の為に奸凶で権高な国王と義理の弟となり、そして当時の次期騎士団長候補筆頭であったヨーランを押し退けた。そのために婚約者を惨めに捨てた屑っていうのは有名な話だ」

「婚姻の理由が政略結婚とは限らないし、愛した女を捨てたっていうのも物証は無い。そもそも枕詞に聖騎士を付けないのは不敬なんじゃないか?」

「やれやれ、君も英雄病に毒された信者か。救えないね」

 首を横に振りながら肩を竦める。

「別にここに彼らはいない。尊敬の欠片も無いのに、一々敬称を付ける意味は無いね」

 差した指をすっと右へ。

「イングヴァル。グスタフの元直属の部下で、ある時を境に急激に、不自然な程に祝福の力を増長させ、鷲の騎士隊長をグスタフから直接継承した懐刀。次期騎士団長候補筆頭ではあるけれど、今回の失態により出世競争は一歩後退、といったところかな?」

 弧を描くように左へ。

「ヨーラン。前西部地方騎士団長であり、前騎士団長オットーの寵愛を受けながら、しかしグスタフに出し抜かれた負け犬。梟の騎士隊長であり能力と実績は伴うが、序列は最早イングヴァルにすら劣後する。だが本人は未だ野心に燃えており、裏社会と手を組んで、騎士隊の簿外で武力と資金を集めまくっているという」

 押し付けるように少し後ろへ。

「オスキャル。グスタフの師匠。前騎士団長オットーを退け、唯一の名誉顧問である近衛騎士団長の座へ就いた。まあ、これも英雄が手を回したんだろうね。地位の割には政治や金に興味が無く、戦闘と死線を求め彷徨う狂人だったらしい。今は膝と腰を壊して隠居中」

 そして腕を戻し、手摺へ凭れる。

「オットーとブルーノは来ていないみたいだね。オットーは歳も歳だしここ数年は登庁もしていないらしい。まあ、グスタフの顔を見たくないんだろうね。王都を離れ、ワインの名産ロイルクリア市で優雅なセカンドライフを送っているらしいよ。ブルーノは持ち場を離れられなかったんだろう。まあ、本人が本当に地方の長で収まっているのに納得しているのかは甚だ疑問だけどね。風の噂では一発逆転での騎士団長を狙って、独自の、特に政財界との派閥を構築中だとか。聖騎士とも成れば誰も彼も、他人の風下で満足する人間ではないね」

 第二次ビルノリア戦争では現場の指揮全権を任され、有り余る功績から不文律を突破した北部地方騎士団長ブルーノ。確かに戦争の第一功の割に中央へ凱旋叶わずというのは聊か不可解。まあ、今なお緊張状態が続いている北部戦線を離れる訳にはいかなかったのだろうか。

「アクセルはご存じの通り失踪中。その余りの出世スピードに嫉妬され殺された、なんて噂も流れてるけどね」

 伝説の聖騎士アクセル。ブルーノと同じく戦争の終結へ、特に実働面で貢献した、歴史上でも比類無きエースオブエース。

「僕らが上に上がるには、あいつらを全員ぶっ倒さないといけない」

「流石に世代が遠過ぎるんじゃないか?」

「そんな言い訳は既に否定されてしまった。アクセルの出現によってね」

 八年前、十八の歳で騎士団へ入団した伝説は、ブルーノと肩を並べて、僅か半年で聖騎士まで上り詰めてしまった。実力主義を重んじる騎士団故の人事であろう。

「聖騎士であれば人生五十週分の富と、抱いても抱き切れない女が思う侭。騎士団は新聞統制を行い記事は全て検閲されるし、権力者であれば、この国では女を幾ら囲っても、性奴隷のように扱っても裁かれない。地位や名声に興味が無くとも、金や女、伴う褒賞に興味が無いとは言わせない。君は聖職者にでも成った積もりかい? 違うだろう? 君は自ら騎士という生き方を選んだ筈だ」

 吐気を催すような思想。

「この国のトップは国王じゃない。騎士団長だ。そしてそのチャンスは祝福者である限り、しがない平民である僕らにも平等に与えられている」

 青空の下、金髪の美男子は手摺から身体を引き剥がし、肩を竦めながら、その麗しいターコイズブルーの瞳をこちらへ向ける。

「どう? やる気出てきた?」

「別に。大体俺は権力者に成ってもそんな真似はしない」

「……なら君は、本当に何を求めてここへ来たの?」

「ただ、憧れただけだ」

「その振る舞いは危険だなぁ。民主国のスパイと勘ぐられて通報されれば、文句無しでアルドレット行きだよ」

「アルドレット? 何だそれは?」

「君は本当に何も知らないね。叙任式でも宣誓を誤魔化してたでしょ」

 やはりバレていた。何と無しに下向く視線を右へ逸らす。

「アルドレットというのはね、鴉の騎士隊と呼ばれる公安部隊が管理する監獄だよ。そこに囚われいるのは皆元騎士。騎士団を裏切ったり犯罪を犯した者を、世間に晒し騎士団の評判を下げる前に、秘密裏に処理するための地獄の事さ。その全容は鴉も含めて最上級機密。残虐な拷問も容認されているという噂もある」

 マテウスは芝居がかった、嫌におどろおどろしい声で説明する。

「ふーん。別に普通に暮らしていれば問題無いだろう。金だよ金。騎士に成れば豪遊出来るって聞いたからな」

「……ふふ。豪遊したいのに出世に興味が無い? 変だなぁ。下級騎士では稼げないよ。……まあ良いさ。いつか君の目的を教えてね」

 そして美男子は再び、空の綿雲へ目を向ける。

「なら鷲の騎士隊へおいでよ。僕が口利きしてあげる。出世に興味が無くたって、中央騎士団で上手に生きる為には派閥への所属は必須だよ」

「おいでよって? お前はもう入っているのか?」

「うん。入団試験の際に隊長から直々に声を掛けられていてね。既に内定しているんだ」

「へー。エリート様は違いますね」

「はは。僕はスーパーエリートだからね」

 金髪の男は爽やかに笑う。中身はどうであれ、ルックスだけは清潔感を纏い輝く。

「失態を犯してもなお、グスタフの懐刀であるイングヴァルは未だ次期団長の本命。鷲は現在序列第一位。悪い話じゃない筈だ」

「興味無い」

「愛するライラ君と同じ、序列第二位の梟の騎士隊に入りたいから?」

「別に愛しちゃいない。……あの人は梟に入るのか?」

「はは。興味は有るんだね。まあ間違い無いと思うよ。ヨーランは座学の成績を重んじる。座学首席で強い祝福を有するライラ君は間違い無く、幹部候補生として好待遇で迎えられるんだろうね」

「……そうか」

「君の筆記成績は足切りギリギリ。梟は諦めた方が良い。序列第三位の鶸の騎士隊、あそこの隊長はまだ若い。ガラスの天井も有るだろうし入るメリットは薄いね。鷲へおいでよ」

 入団試験の成績は内門の入り口に張り出されてあり、俺の筆記成績は中央同期の最下位だった。よくもそんな、人の点数なんて覚えているもんだ。

「だから興味無いって。何でそんなにしつこいんだ?」

 マテウスは深い溜息を吐く。

「君ってさ、『世の中を恨んでます!』って顔をしてるよね」

 そして下を向いたまま低い声。

「……でもね、それは偽物だね。僕はね、君みたいな愛されて生きてきたくせに、被害者面した人間が大嫌いなんだ」

 俺は唖然として、ただ黙ったまま続きを待つ。

「君には決して理解出来ないさ。愛された人間の瞳をしている。……羨ましい。……羨ましいよ」

 何故か分からないが、この男は今初めて、本音を吐き出した気がする。

「お前だって愛されてきたんだろう? 沢山の女性が助けてくれたって」

 疑問を投げかける。しかし美男子は答えを返さない。大きな溜息の後、空を見上げる。

「ごめんごめん。話を戻そう。どうして派閥にしつこく誘うのか? だったよね」

 そして嫌に明るい声を絞り出す。

「君がこのまま燻りゆくのは勿体無いと思ってね。剣を誇りとする輝かしい伝統は朽ちてしまった。これからは銃と硝煙を伴う集団戦の時代が来る。その有用性は先の戦争で証明されてしまったね。たとえ祝福を持った特別な人間であろうと、一人の人工工数が生む成果なんて大した事が無い。僕達は伝説の聖騎士じゃないからね」

「だが祝福の力が有れば――」

「君は伝説のように海を割ったり、空を切り裂いたり、民主国の一個連隊を一夜で殲滅したり、上代の穢蕊を単独で討伐出来るのかい? この僕にすら負けたくせに?」

 上代の穢蕊の一部は、当時の魔女達と対立し、しかし彼女らですら倒し切れず、四百年前やそれ以前に封印されたと言い伝えられている。

 それでもその封印は、長い時の流れに伴い風化し、北西の山岳地帯には〈アリッサム〉と呼ばれる巨大な上代の穢蕊が、封印を解かれたまま眠り続けている。

 もしもかの眠りが覚めたならば世界は滅ぶだろうと考えられているものの、終ぞ、どんな騎士の祝福でも最新の兵器でも、傷一つ付ける事が叶わなかった。初出撃で南東の樹海に復活した上代の穢蕊〈ロベリア〉を単騎討伐果たした聖騎士アクセルならばと期待されたが、戦争が終結するや否や、しかし彼は戦う事無くその姿を暗ましてしまった。理由は一才不明である。

 そして今なお、問題は先送りされ、ただその地域一帯が封鎖されたのみである。

「自由とは、圧倒的な個にのみ許された特権だ。僕達は万人に一人の祝福された者達。世間では特別な人間だけど、百万の騎士団の中には百人はいる。しかも力を欲する騎士団には祝福者が集まる。全てが戦闘向き、という事は無いだろうけど、きっとその数は百より多い。それでも聖騎士は七人。僕達はようやくスタート地点に立ったばかりだ。残念ながら、僕達はこの騎士団の中では、然程特別なんかじゃない」

 まあ、俺は祝福者ですらないのだが。

「なら僕達は組織の歯車である事を受け入れるべきだ。上下関係があり、出世競争があり、報酬を対価に労働と忠誠を要求される。ならば騎士団も企業と変わらない。夢の無い話だけど、同じ社会の一端に過ぎない。戦闘に魅入られて、凡庸な人生を拒否しようとも、本質的な振る舞いにそう差異が無い。であれば、自由な個よりも煩わしいチームを重んじなければならない。苦しいけれど、でも目を背けてはならない。そこに真実がある。団長も言ってたろ。仲間を作れってさ」

 きっと正しい話をしているのだろう。それでも仲間を作れば復讐が目的である事、テレーズとの契約の事が露呈してしまう危険性が高まる。俺は独りで行動をするべきだ。

「回り諄い説明だな。結論をはっきり言え」

「やれやれ。……そうだね。……僕達、友達に成れないかな?」

 余りに予想の外からの結論に目を見開く。

「……は? さっき俺の事嫌いって言ったばかりだろ」

「うん。嫌いだよ。でもそんな事は関係無い」

「……絶対有るだろ。どう考えても」

「面倒臭いなぁ! 人の好き嫌いで仕事を選ぶの幼稚過ぎないかい? 祝福者である僕らが手を組むのは当然の帰結だろう? 僕達絶対相性良いのに」

 マテウスは大きな笑い声を上げて破顔する。絶対に相性は良くないだろ。

「話は終わりか?」

「……うん。そうだね。……残念。振られちゃった」

「じゃあな」

 俺はようやく踵を返してその場を去る。

「いつか、君の事が知りたいな。友よ」

 背中からは、遣る瀬無い声が届いて消えた。

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