第15話南越遥貴のまかない日記③
その日の晩、遥貴は両親の夢を見た。
父・静治は物静かで寛容、母・アンドレアが作り食卓に並べるフィリピン料理をも残さず食べる。日本に住み日本国籍を有しながらも、アドボと白米、デザートにバナナキューなどを食することは普通のことだった。たまに静治が作る唐揚げや味噌汁、正月の雑煮の方に特別感があり、遥貴は日本人のみで構成される家族にとって普通とされる料理にイベント感を抱いていた。
遥貴が生まれたのは長崎県
遥貴の同級生に、何人もの日米混血児がいた。今でこそミックスルーツという呼称を推奨する風潮だが、平成後期までは「
その代わり、長期にわたり参加イベントを変えざるを得なかった。純血日本人の参加者が、フィリピン人との混血児である遥貴が英語において優れていることが面白くなかったのだ。遥貴がイベント会場に入室すると、それまで和やかだった雰囲気が異物を弾くような視線の集まりと化した。イベントが終わるころ、会場のスタッフが遥貴を褒めるような言葉を連ねてきたが、本音は見え透いていた。遥貴の一人勝ちでは人を集めてのイベントの意味がない、と言いたいのだ。イベントに参加するにつれてそれが分かるようになり、次第にイベントが英語話者とのコネクションを作るための臨時練習会場だと割り切るようになった。
背丈が伸び、アンドレアと同じ料理が作れるようになっても、母を超える強さが得られないと悟った。しかし両親が「自分の強みを活かせばいい」と言ってくれたことで、遥貴は進路選びが比較的容易になった。アンドレアのように孤高に強くなるのではなく、誰かとともにいる勇気を持つことを選んだ。
その結果、遥貴は外国語に特化した長崎市の市立大学へ、学業特待生として入学した。学生寮での初めての一人暮らしは不安があったが、野望に満ちた計画を消化するのに燃えていた。
通訳案内士、または外交官として常に日本の外側に目を向ける姿勢作りに励んでいた。大学の図書室では英字新聞を読み、洋書も借りていた。そのうち日本国籍者として、日本に関する知識が皆無だと話にならないと悟り、雑学から小説にいたるまでジャンル問わず和書を読み漁った。入学から半年経過すると、遥貴は新たな挑戦としてアルバイトを始めた。いわゆる「おもてなし」を身に着けるためだった。そこで業種選びに同級生の意見を聞いた。大学では他県からの進学者が多く、遥貴のルーツに寛容な生徒が中学高校時代と比較して多かった。その分遥貴も自己開示がしやすく、友人に恵まれた。
学内の留学生はホテルでの経験を勧めたが、学生が応募可能なフロント業務の求人が滅多になかった。飲食部門で働いている同級生は修学旅行や社員旅行など、日本人の団体を担当することがほとんどで、海外からの宿泊客との会話の機会は皆無だと言った。それだけでなく大学で学ぶホスピタリティ、おもてなしがほとんど役に立たず、ただ団体を捌くのみの作業に明け暮れている、とため息をついていた。
一般的な飲食チェーン店で働く同級生は、大学からの通勤を理由にアルバイト先を選んだ。大学の立地自体が郊外なので、住宅街に住む家族が揃っての外食が九割以上。子どもへの対応力は身に着けられる。しかし店舗付近に住む主婦層が労働者側として権威を振るっている。主婦層との情報の鮮度差により、やはり大学で学ぶホスピタリティを試すことすら叶わない。
ホスピタリティを試す機会は、やはり高単価の商品を扱う商業施設や店舗の方が比較的多いと推測し、遥貴は休日、長崎市内の各商業施設を巡り視察した。リュックにはノートパソコンやテキストを常備し、県庁などのフリースペースにて休憩を兼ねた勉学の時間を設けた。遥貴が通う大学には、遥貴を越える勉強家は四学年の中で三人ほどいればよい方だ。しかし遥貴は純血日本人と違うという認識を植えつけられて育ったからこそ、周囲のペースに合わせる理由が見つからなかった。四週の土日に視察した結果、遥貴はJR駅最寄りのショッピングモールでの復職販売のアルバイト求人に応募した。
面接時の私服も遜色ないと評判され、三日後、遥貴は無事に採用された。セーターやシャツなどのトップスが一着一万円から三万円ほどの商品を扱うことになるのだ。売上のために、客を不快にしない接客力が身につくと期待した。
遥貴は確かに、大学で学んだホスピタリティの実用性を感じ、学生アルバイトとは思えない丁寧な応対力を身に着けた。しかし労働者側も顧客側も、遥貴自身のルーツに対する偏見が拭えない者がいた。遥貴だけでなく、労働者間の人間関係も多々軋みを感じた。出退勤時の挨拶が唯一の会話だった。遥貴の中学高校時代、すべてのクラスメイトとの挨拶はなかったが、アルバイト先のような精神的な窮屈さを感じなかった。自分を高めるために忙しく、多感情が含まれた眼差しを読み取る暇がなかったとも言える。成長とともに知っていく大人の事情に振り回され、精神的に疲弊した遥貴の売上額は横ばいになった。よくも悪くもない、過去の平均額だが、遥貴の成長を感じられないと店長から指摘されることが増えた。
『これだからフィリピンとのhalfは』
『大学で勉強したところで人生の無駄だって。ただこの店のためだけに働けばいいんだよ』
『君はフィリピン人なんだから』
どれほど努力しても個人を評価してもらえない。目の前の闇に囚われ、一時は学業特待権を取り下げられる寸前まで学業に支障が出た。そこで初めて、静治とアンドレアに電話にて相談した。
『そこ、辞めなさい』
『それができないなら、大学も辞めて佐世保に戻ってきなさい』
アンドレアに続く静治の言葉に、遥貴は大粒の涙を流した。食欲が減退し、食べ物の味覚すら感じられなくなっていた。それでも唇に伝わった涙で久々の塩分を感じることができた。
翌日学生寮指定のゴミステーションに出す予定の可燃ごみ袋の中には、伸びすぎて食べられなくなったアジアテイストのカップラーメンが五個分入っていた。
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