第14話南越遥貴のまかない日記②

 真知子が「いつもの」ドリンクを作っている間、亜蓮は遥貴を連れてデシャップと呼ばれる、厨房から料理を受け取るカウンターに待機していた。

「ここはアパレルともどの飲食店とも違うって言ったよね? あのお二人みたいに、常連さんはみんな、私たちを自分と同じ人間として扱ってくれるの。自分の領域を侵させない程度に、親しみを持って接しなさい。お世辞もダメ。せっかくのアパレル経験があるんだから、少しでも似合っていないと思ったら『この色なら相性よさそう』とか前向きなアドバイスをしてあげて。それがこの店での礼儀ってもんなんだよ。当たり前だけど、一見さんならほんの少しカッチリ感を崩した態度にしておいてね」

 亜蓮は若干苛立っていたが、遥貴は自分に向けられているとは思えなかった。あくまでも幼子に接するように諭させる態度を一貫していた。むしろ、労働者としての先輩として未熟な自身に喝を入れているようにも思えた。遥貴は幼少期、周囲の純血日本人と異なることで悩み、周囲を纏う空気や気分の波長を読むことに長けてしまった。そのため、アパレル勤務だけでなく、皮肉にも初対面である亜蓮の心情推測にも役立ってしまった。

「ま、ここは特殊なお店だから仕方ないよね。あとは優しい常連さんがあれこれ教えてくれるよ」

 そう言って笑う亜蓮にも侵させたくない領域があることも、遥貴は知った。遥貴がミックスルーツであることが外見で判別できるような類とは異なり、かつ複雑な鎖に絡まれていることも。

「お、お待たせしました。い……『いつもの』するめ焼きでござ、です」

「やったぁ! 初の遥ちゃんが持ってきてくれたするめ焼き、私がいただきぃ!」

「佐斗美、ずるい! 私が推すすり身のしそ巻き揚げだって、遥ちゃんが持ってきてくれるのよ」

「ねぇ遥ちゃん聞いて? 私の職場では、若く美しい女がするめを肴にするなんて、っていう男性陣が多いの。他の飲食店でもお店の人から驚かれるし。でもここは本当に自由でいいわぁ。酔いつぶれることなくお店のルールも守れば、性別も職業も、みぃんな関係なくなるんだもの。だから私も佐斗美も、このお店が大好きなの。あ、もちろん亜蓮ちゃんもね。これからは遥ちゃんも私たちと仲良くしてくれたら嬉しいな」

「あ、僕も、仲良くなれたら嬉しい……です」

「ふふっ、急いで敬語抜かなくていいよ。これからも私たち、ここでがっつり貢がせてもらうからね」

「佐斗美さん、羅々さん、言い方よ」

 亜蓮が遥貴の背中から出てきた。常連二人の職場について聞かなかったことを知ってほしかった分、自分の背中にすっぽりと隠れていたことに驚いた。真知子がドリンクを提供していなければ、反動でドリンクをこぼしていたところだった。

 佐斗美は国際船が寄港するターミナル近くの大病院にて医療事務員として働いている。羅々は老舗百貨店一階入口にて、受付係として不特定の来館者の対応に追われている。二人は同じ高校を卒業後、現在の職場に就職した。高校で出会って以来の友人として、週に一度の頻度で会い、成人後は酒を扱う店のリサーチを続けてきた。亜蓮の入店より先に、二人がこの店に辿り着いた。それ以来、酒を呑むときはこの居酒屋 龍ノ牙一択だ。

「ラストオーダーが二十一時ってのが玉にキズだけど、昨今の市内バス事情を考慮したら仕方ないよね。みんなこうして頑張ってくれているんだもの。私たちお客全員が感謝しないと。でもほんと、このお店以上にスタッフさんを大事にしているお店はまずないよ? 遥ちゃん、亜蓮ちゃんみたいに頑張ってね」

 アパレル勤務のころ、初日でさえ客に励まされることがなかった。そのため遥貴は両瞼をきつく閉じて涙を堪えていた。亜蓮が背後に控えていることなど、すっかり忘れていた。

 デシャップに戻り次の料理を受け取る際、亜蓮が優しく右肩を叩いた。

「ね、だから言ったでしょ? ここではスタッフの人権も当然のことなの。今までずっと勉強にアパレルのお仕事にと頑張って、よくこのお店に来てくれたね。ありがとう、遥貴」

 心に鉛が沈んでいるからこそ、亜蓮にしか言えない言葉だった。それもまた嬉しくて、遥貴は右腕で豪快に涙を拭った。そこで初めて男性らしさを感じたが、なぜか嫌悪感を抱かなかった。

(料理長、ちょっと厨房で遥貴を預かってくれませんか? 落ち着いたらしっかり働いてもらうんで)

 亜蓮は備え付けのホワイトボードで伝えた。直勝は躊躇いなく頷き、カレイの煮つけを温めた。ホール・厨房問わず新人の初勤務日、必ず何かしら余分に料理を準備してくれている。高確率で、この店の異質な温もりに涙を流すからだ。耳が聞こえないからこそ、直勝は常に、独自のもてなしに工夫を凝らしている。

 醤油と砂糖、みりんが絶妙に絡み合ったカレイは過熱以上に温かく優しかった。

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