第5話小岩井駿太の入店⑤

「小岩井くん、キミの顔がSNSに晒されている以上、ホールで働いてもらうわけにはいかない。ここではスタッフもお客も安心して飲み食いしてもらわなくちゃならんからな。というわけで、厨房の仕事に挑戦しないか?」

「何でもします。色々教えてください!」

「それなら最初のアドバイス。『何でもする』と言わない方がいい。世の中、揚げ足を取ることが大好きな輩がうじゃうじゃといるからな」

 真知子が厨房に入る瞬間、駿太は新しい世界を見つけた気分になった。

「厨房にはそれぞれ役割があってな。洗い場、揚げ場、盛り場兼サラダ場、刺し場、串場、それと佐々田料理長に任せているストーブ。火を使った料理の担当ってことだな」

 直勝が注文の料理を盛り場兼サラダ場担当に任せたところで、真知子は肩を叩いた。

(今、面接いい? 彼は厨房が良いと思うんだよね)

(こちらの説明、ちゃんと口話に訳してくれるんだろうな)

 直勝はため息をついていた。厨房のスタッフは皆、駿太を珍しそうに横目で見ていたが、直勝の咳払い一つでそれぞれの仕事に集中しなおした。

 駿太と真知子、直勝は個室に戻り、対面で座った。

(うちは厨房だけでなく、誰もがそれぞれの事情を抱えている。お客も然り。だからこちらの塩澤店長や副店長兼料理長の私を除き、スタッフもお客も、互いに深入りしないことを第一のルールに徹している。だからキミも、どんな事情を抱えているのか話す必要がない)

 龍ノ牙の基本情報も、駿太を魅了する判断材料だった。

 営業時間は午後五時から午後九時三十分まで、ラストオーダーは午後九時。営業曜日は月・火・木・金のみ。定休日は水曜と土日祝日。

(キミ、串を焼くのに興味あるかい? 今ちょうど人を教育できるレベルのヤツが能力を持て余していてね。洗い場は今人が足りているし、それだと時給一二〇〇円、プラスで能力給なんだ。串場など厨房の他の持ち場なら時給一七〇〇円、そこに能力給が加算される)

「あ、ちなみにここの定休日に限り、バイトの掛け持ちオッケーだから」

「いいんスか?」

(言っただろう、ここでは誰もが事情を抱えているんだ。店に迷惑をかけない限り、言及しない)

「本当に、色んな人が集まっているからね。だからうちでは人件費をかけてでも、二人一組の教育体制で仕事してもらっている。ストーブは料理長一人でやってもらっているけどね。というわけで、営業日は特別な事情がない限り、全曜日、午後四時出勤だけどいい? 早速明日から出勤、履歴書も持ってきてもらおうか」

 直勝の手は乾燥していたが温かかった。駿太は握手がこれほど心地よいものだと知らなかった。

「キミ、同居している人いる? アレルギーは? おまかせで料理長に作ってもらうから」

「あ、母が。っていいんですか? あ、でも給料天引きでよければ」

「これに関しては店からの餞別。で、アレルギーや苦手なものはある?」

 駿太は首を左右に振った。「元」仲間との飲み会を振り返る限り、結子が特定の食べ物を避けるのを見たことがなかった。

「とりあえず、今日は紹介しておくか。隼人はやと、今オーダー入っていないか?」

 振り返った男性、森山もりやま隼人は推定一八〇センチだが、背が前のめりだった。無造作に伸ばした前髪をピンで留め、露わな眉毛は黒々とした毛虫のようだ。まつ毛は長く、アゲハ蝶のように羽ばたいている。整えれば男女問わず魅了するはず、と駿太は見立てた。

「隼人、小岩井駿太くんだ。串場だけでなく、ここでの生き方もしっかり教えてやってくれ」

 真知子の手がようやく隼人の肩に届くと、隼人ははにかんで頷いた。

「ッス」

 しかし、駿太を見る目は冷めていた。

 いわゆる陰キャ。駿太は調理はおろか、この先輩と二人一組で働いていけるのか不安になった。

「いや、時給一七〇〇円、一七〇〇円」

 持たされた結子への手土産は心まで温まるはずだった。

 長崎県では一度も目にしたことのない時給が、駿太が帰路につくエネルギー源だった。

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