第1話小岩井駿太の入店①

『キミ、就活の前に常識を学んだ方がいいよ』

 小岩井こいわい駿太しゅんたはどの面接官にも言われた一言が理解できなかった。

 服装はスーツに革靴、髭一本残らず剃っていた。敬語も間違っていない。比較的人柄を重視するという営業職を選んだが、業種にこだわるべきだったか。

 ハローワークでは一言交わしただけで鼻で笑われ、母に助言を求めるも当時の情報はあまりにも古い。ただでさえ母結子ゆいこもパート探しで苦戦中だ。駿太の「元」仲間は俊太のLINE、Instagram、X各アカウントをブロックしている。彼らは現在、何事もなかったかのように元の日常に戻っているはずだ。

 駿太には恋人も、頼れる親族もいない。家に帰ると、駿太とは異なる孤独と闘っている母が一人。気の休まる場所がどこにもない。

 午後五時、高齢者でさえ押し合っている路面電車に乗る気にもなれず、駿太は海岸沿いに歩き出した。港町や島育ちでもない駿太は、潮風の癒し効果が実感しにくかった。自然の恵みよりも、静かに灯り出した提灯が駿太の興味を引いた。

「居酒屋か、懐かしいな。ちょっと前までは仲間と打ち上げしていたんだが。今はそんなカネないけど」

 独り言とは裏腹に、駿太の足は居酒屋に向かっていた。換気扇から漏れる香ばしい香りで足早になった。結子とともに長崎県長崎市に転居して以来、小岩井家の食卓はわかめご飯のみだった。

「昨日単発バイトしたし、一食分なら。安ければ母さんの分はテイクアウトでいいかな」

 単発バイト募集アプリの新着通知は設定済み、駿太は心の潤いを求め、暖簾をくぐった。


 居酒屋 龍ノ牙


 来店不可条件:会社のイエスマン、もしくは上司に忠実な人

 来店時のお約束:互いの個性を尊重し、深く介入しないようにしましょう

         酒は飲んでも溺れないようにしましょう


 駿太が踏み入れた空間は、今まで客として利用したどの居酒屋とも異なっていた。

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