三年目の春の話 6

「お帰り。やっぱりハイネ様も来ちゃったんだね」

「…面目ないです」

 カジャル国の王都サフタに戻った私を迎えてくれたのは、キラキラの王子様、ジルベルト様だった。

 取りあえず事の顛末を説明して、ハイネが来たついでにリーテちゃんをきちんとおうちに戻してきた事と、その後について。

「へえ、月狼の雫をもらったのか」

 ペンダントに加えられた雫型の石を見せる。ほう、そういう名前なのですか。相変わらずの博識っぷりですね。

シェリルさんとのひと時を思い出す。もふもふ…素敵な毛並みだった…ふわふわで…実家の羊で小さい頃に試したんだけど羊の毛ってべったりしてるから…月狼さんは期待通りのもふもふだった…。

 この月狼の雫、使用方法は特にないらしく、ただ持っているだけで悪いものを退けてくれるらしい。すごく貴重なものだっていうのはわかっているんだけど、私の乏しい知識では虫除けのハーブみたいなものか、くらいにしか変換できなかった。

「ほら、ハイネ。ちゃんとしなさい」

「やだ。クルミがいない間、すっごくすーーっごく寂しかったんだから、補充する」

「補充って…私は飲み屋の酒瓶じゃないんだけど」

「うん、それはクルミにしか出来ない例えだね」

 しまった。またやってしまった。

 どうにもこうにも庶民生活が長かった上に染み着いた田舎根性が抜けなくて…仮にもここは他国の王宮なんだから、しっかりするのよ、クルミ! なるべく喋らない方向に持って行きたい!

「それで、件のバカ王子の事なんだけど」

「ぶほぉっ!」

「そうやって笑ってくれるのはクルミだけっていうのがつらいとこだよ」

 何回でも言うけれど、ジルベルト様は絵本の王子様のイメージにとても近いくらいの完璧な男性なのだ。絶対にトイレとか行かなさそうなくらいに。どんな嫌味にもそつなく切り返したり出来るような。実際は笑顔どころか瞳孔が開いた顔で殴りつけるくらいの恐ろしさなんだけども。

 そしてまあ、ハイネもアーシャも無表情というか。冗談とか彼らの前で言ってみるといい。心が折れるから。

 私は私で美形の王子様の前だから外面だけでも取り繕うと必死なのに、いつもこうやってちょいちょいブラックな事を放り込まれて吹き出してしまうのだ。それが面白いらしくて突然ぶっ込んでくるのをそろそろどうにかして欲しい。でも楽しい。いやでもやめて欲しい。葛藤。

「あれは王位継承権を剥奪された上に神殿預かりになったから」

「神殿預かり、というのは?」

 祖国にも神殿はあるけれど、宗教の対象というよりは精霊術士を育成、管理するところという感じなんだよね。暴走した精霊を竜と鎮めて建国した国だから、そういう役割を神殿が担っているのだろう。

 けれど、国によって神殿の意義っていうのは違う。王位継承権の剥奪とどう繋がるんだろう。その疑問にはジルベルト様が悪い笑みで答えてくれた。おおおおお、こ、こわ、い。

「肉、酒、女、この三つを一生禁止されたのさ」

「いっしょう…」

「そう。カジャルの男には死んだ方がマシかもしれないね」

 カジャルは割と開放的な国である。男も女も享楽的なところがあるし、毎晩のようにどこかで宴があるような国だ。人通りの多いところに娼館が堂々とあって、文化が違うからと頭では理解していても、祖国とはあまりの違いについていけない部分が多い。

 そして砂漠が多い国だから自然と野菜よりも肉が主食になる。ないわけじゃないけれど、極端に言えば野菜といったら豆、レベルである。流石に肉大好きですわーい! の私も二日で葉っぱが恋しくなったくらいには肉食の国である。

 まあ、ジルベルト様が、女、って言う単語をさらっと言った事も恐ろしかったけれど。

「ご愁傷様です」

「ハイネ様を怒らせて命があったんだから、強運だよね」

「いやいやいや! 私がいる限り全力で阻止しますからね!?」

「そう? 残念だな」

 何が残念かなんて聞きたくないですよ昔のあだ名が返り血王子のジルベルト様!

 あ、そうそう。と差し出された袋を反射的に受け取ってしまい、一瞬早まったかと思ったけれど、それを瞬時に察したジルベルト様が苦笑する。お互いに年を重ねると妙に敏くなっていやですねぇ。言葉以外で通じてしまうっていう、この微妙な感じ。

「頼まれていた物だから心配しなくていいと思うよ」

「ひぃ! すいません!」

「いいんだよ、クルミはそのままで」

 反応が新鮮だしね、と付け加えなければ良かったと思いますよー。

「さて、王に呼ばれてるから私達は行くけど、クルミはどうする?」

「庶民は控え室でお待ちしております」

 謁見の間までに行く間にアーシャにも事の顛末を説明する。寡黙で凛々しいこの女性が何がどうしてジルベルト様の情人になったのかの方が個人的には気になるのだけれど、アーシャの説明は端的でわからないしジルベルト様は教えてくれないしで未だに謎のままだ。

「怪我はもういいのか?」

「ハイネが大騒ぎしすぎなの。ただのかすり傷なんだってば」

「カジャルでは小さな傷から毒を盛られる事がある。自然治癒はおすすめしない」

「えっ、そうなの?」

 そういやカジャルはお国柄なのか子供の数が多いのが特徴だ。そうなると跡目争いとか多いよね、毒殺とかも多いよね、ここは言うことを聞いておこう。そうしよう。

 アーシャにお礼を言って謁見の間の傍にある控えの間に入る。主人が謁見している間に従者が待機している部屋なんだけど、まさか庶民が使う日が来るなんてね。

 ソファなんて物はないので、板張りの数人掛けの椅子に腰を落とす。ちなみにずっとハイネは私の背後にくっついたままだ。腰にがっちりと回された腕を軽く叩いて漸く隣に移動するくらいにはご機嫌斜めである。

 でもさっきのアーシャとの会話は聞いていたようで、まあハイネが私の言葉を聞き逃す事なんてないのだけれど、すりむいた膝を治療するべく腕を伸ばす。スカートの裾を上げられれば普通はぎゃっと思うものなんだろうけど、彼の手からは性的なものは感じられないからいつもついつい許してしまう。まあ実際に同意なしで何かしようものなら全力で嫌ってやるからと言ってあるしね。

 竜もまた、約束を守る生き物なのだ。

「怒ってる?」

「クルミが約束を破ったのが悪い」

 心当たりが………あったわ、うん。あった。怪我しないように善処するって出立する時に約束したわ。

「善処する、しか言わなかったと思うけど」

「わかってる。わかってるけど、頭ではわかってるけど、でも、クルミの体に傷がついてる姿なんて見たくなかった!」

 まるで生死の境をさまよった相手に向ける言葉のようだ。大げさな、と笑ってやりたいところだけれど、この子は本気なのだ。本気で心配した子に笑ってやるなんて事は私には出来そうにない。

 じんわりと熱を与えられていたような膝が空気に触れたのを感じて見れば、そこにあった血が薄く滲んだ傷が跡形もなく消えていた。私にとってはただのかすり傷だ。けれど、頑丈な体のハイネは人間がいかに脆い生き物か知っているのだ。首をちょっと折っただけで死んでしまうこともあるような。

 頭を撫でてやれば瞳にめいっぱい涙をためて抱きついてくるものだから、こちらも母性がうっかり刺激されてしまい、子供をあやすように抱きしめて背中をさすってやる。身長がそんなに変わらないから出来る事だけれど、大きくなってもこのままだったらどうしようかと失礼な事を考えてしまうのも人間だからなんだろう。

「あ、そうだ」

 両手でハイネの肩を押して体を離す。不満そうな顔がじっとりと私を見ていたけれど、こいつのペースに合わせていたら全く何も出来ないから無視する。

 ポケットを探って先ほどジルベルト様から受け取った袋を取り出す。ハイネは基本的に私大好きな私至上主義なので、他人の匂いがついた物を嫌がる。よって今も滅茶苦茶皺が寄った顔をしていて、まるで睨んでいるようだ。

「そんな顔しない」

 ぺちんと軽く腕を叩いて、袋の口を開ける。おお、流石王子様、わかってらっしゃる。

 手の上にざっと中身を出してみれば、それを見たハイネの喉がごくりと鳴って、それに笑ってしまった。笑われた方も恥ずかしそうなのだけれど、それでも目線が釘付けなのがまた面白い。

 袋に入っていたのはカジャル特産の宝石がいくつか。形が悪いのが多いのは加工する前の原石の方が単価が安いからで、それだけでハイネには私が自腹で買った物だとわかるだろう。残念ながら真偽眼はないので、購入はジルベルト様にお願いしたのだけれど。

 竜の食事は、清廉な空気と上質な酒、そして宝石。ハイネは特に宝石が大好物で、私からもらうとなると相当テンションが上がるらしい。まさに今の状態は垂涎ものなのだ。大きさにもよるけれど、宝石一つで数日はもつという燃費の良さ。値段を考えれば微妙なところだ。

 赤い、ルビーだろうか、それを一つ摘んでハイネの唇に押しつけてやる。あらがわずに吸い込まれていくのを見て満足してしまうのは、もはや飼い主とペットの領域なんじゃないだろうか。竜をペットとか言ったら怒られそうだけど。当の本人は大喜びしそうだけど。

 さっきまでの不機嫌はどこへやら、ゴロゴロと竜態よりはマシな低い鳴き声で顔をすり寄せてくるのを享受する。

 何だかんだいっても絆されてるのだ、私も。

 嬉しそうににっこり笑って、これを言わなければ、ね。

「愛してるよ、クルミ。結婚しよう」

「断る」

 犬が餌を目前にして待てと言われたような顔をしても、駄目なものは駄目!




「こうしてるとハイネに拉致されたのを思い出すわー」

 適度な風に髪を弄ばれながらつぶやく。

 行きは王室用の船舶に乗ってカジャル国に入ったけれど、帰りはむずがるハイネを宥める為に許可をとって二人で先に帰る事になり、現在、飛んでいる真っ最中である。

 最初は乗るなんてぎゃああ怖い嫌だ高いところなんて死ぬと騒いでいた頃が懐かしい。懐かしいと思える事がちょっと悲しい。

『だってクルミの声が聞こえたんだ』

 くぐもったような声が鼓膜を直接揺さぶるように響く。これも風の精霊を使って会話しているらしい。すごいな、精霊術って。私なんて生活に必要なくらいしか使えないし。いや、大部分のひとがそうなんだけど。

「声が聞こえたから拉致していいっていうのはおかしいでしょーが」

『だって…クルミ…クルミが…』

「はいはい、泣かないの」

 竜体では涙腺というもの自体がないので実際に泣く事はないんだけど、あまりにも声が震えるものだからぽんぽんと首を叩いてやる。基本的にハイネは私が触れていれば穏やかなものなのだ。

『クルミはわかってない』

「他人の考えてる事なんて言わなきゃわからないでしょ」

『僕は毎日愛してるって言ってるのにクルミはわかってくれない』

「わかってるって。わかった上で断ってるの」

 今、絶対に人型だったら、ぶわって効果音を立てて号泣してるだろうな。竜は一途で、その中でもハイネは特に猪突猛進。

 だからこそ、なんだけどね。

「どうする?こんな薄情なおばさんなんて諦める?」

『嫌だ。例えクルミが他の男と結婚しても傍にいる』

 これにはちょっと私も驚いた。

 まさか、ハイネの口からそんな言葉がでるなんて。

 首の付け根あたりに跨がったまま(本当は女性らしく横座りでもいいと言われているのだけれど、安定感を求めてがっつり跨いでいる)鱗に頬を寄せる。ハイネはというと戸惑いよりも喜びの方が大きいらしい。現金なやつめ。

 私に異性が近付くだけでも威嚇していたハイネが、他の男と結婚してもいい、だなんて。好意が薄れたわけじゃない、むしろ日に日に強くなっているとわかるから、だから、余計に、目頭が熱くなる。

「心配しなくても、ずっと一緒にいてあげるってば」

 それが彼の願いに沿わない『人間』としての短い一生だったとしても。

 私の気持ちは三年前から決まっている。




 忘れっぽい私が幼い頃の彼との出会いを覚えていた事。

 つまりは、そういう事なのだ。

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