三年目の春の話 5

 神秘的、と言っても過言ではないと思う。少なくとも、私には。

「クルミ、こっち」

 手招きされて慌てて足を進める。ここで躓いて男性に支えてもらってドッキドキな展開にならないところが私が私たる所以である。くそう。

 ボクちゃん王子をアズールに押し付けて、ハイネに乗せてもらってリーテちゃんに追いつき、つい先ほどリーテちゃんの故郷の月狼の森に着いた。

 そこがもう、私が思っていた森とは違うのなんのって。

 近付くにつれて地面がぼこぼこしてるなーとは思ったんだ。しかしそれが木の根っこで、今やそれが自分の頭上にあるとか、本当、何なの。世界って広いわー。

 高い位置にある根は橋のような役割をしているようで、その上を普通に人が歩いているのを見ると、何とも不思議な気持ちになる。全く揺れたりしないからすごく頑丈なんだろう。

 住宅も木の洞を利用しているみたいで、ざっくりと編んだ布のような物が木の幹にちらほらと掛けてあるのが見えた。狭くないのだろうか。確かに此処の木はとても大きいのだけれど、狭くないのだろうか。

「どうしたの、クルミ」

「いや、部屋があれだけで狭くないのかなーって」

 私の視線の先に気になったのは言うまでもなくハイネで、彼は「あぁ」と納得したような声をあげてから教えてくれた。

 ちなみにハイネはリーテちゃんと合流してからは人型になっている。リーテちゃんよりも青みがかった銀髪、まだ伸びしろがある上背、それでも将来とてつもない美形に育つのがわかるようなかわいこちゃんである。男、竜は雄っていうんだった、雄だけどまだ線が細いから見ようによっては女の子にも見えてしまいそうなくらいの別嬪さんなのだ。一緒にいると惨めな気分になるのが、おわかりだろうか。

「一本の木が一軒の家なんだよ。一階一部屋で、平均で四階以上ある。一部屋の広さもクルミの家の居間以上だから狭くないんじゃないかな」

「むしろ広いじゃないの、それ」

「体が大きいから彼等には狭く感じるかもしれないけどね」

「あ、そっか。それもあるのか」

 むしろ何でそんなに詳しいの。そう聞いたら、精霊達が教えてくれた、とのこと。そういう使役の仕方ってどうなのと思わないでもないけれど、精霊達は基本的に納得した命令しか聞かないからそういうことなんだろう。

 こんな平和な空気を出しながらリーテちゃんの後ろを歩いているわけだけれど、実際は視線の針が刺さりまくりなのだ。それも仕方ないとは思う。聞けばこの月狼の森は基本的に外界との接触はほとんどないような閉鎖的なところらしい。いきなり知らない人間、しかも他国の人間が来たら吃驚するどころじゃないよね。

 でもな、限度ってものがあるだろ。

 陰からちらちら見てくるのはまだいい方だ。子供を慌てて家の中に押し込んだり、中には武器のようなものを手にしてる人までいるんだよね。そんな悪意があるように見えるのだとしたら……ちょっと凹む。

「クルミ、やる?」

「ダメ、ゼッタイ」

 今の絶対殺るって書く方のだろ。

 私が怯えるとハイネがこうなるから平静でいなくちゃと常々頑張っているのだ。しかしここまで予想外から予想外に次ぐ出来事ばかりだと表面だけの笑顔もなくなるってーの。

 勝手な事をしないようにとハイネの手を掴む。こうしとけばハイネはご機嫌だから余程の事がない限りは大丈夫だろう。ちょろすぎるぜ、うちの竜は。

 歩くこと数分、辿り着いたのは、明らかに他とは違う空気を纏う場所だった。

 舞台にも見える大きな切り株は、相当昔に切られたのだろう、切り口の色が黒に近い茶色のような、身近な物で例えるとスモークチップのような色をしている。

 その舞台のような物の奥には、王宮の門と同じくらいの、上を見ると首が痛くなるくらいの高さがある大きな洞で、その入り口に掛けられた布の大きさと模様の細かさから察するにとても重要な場所だというのは庶民にも理解できた。

 その切り株の上を指差して、リーテちゃんは言う。

「クルミは其処に座って」

「ハイネはどうした方がいい?」

「一緒で構わない」

「わかった」

 私の腰くらい高さの台に上がって、真ん中っていうのもあれだし、少し後方に座ろうとした所で腰に腕が回される。

「待って、クルミ」

「何なの。座っていいなら座りたいんだけど」

 だってもう駱駝様に乗っての移動や慣れない土地での強行軍やボクちゃんとのすったもんだで疲れているのだ。座りたい。あわよくば寝てしまいたい。いや、本当に寝はしないけど。

「疲れているなら尚更、地面に直接なんて座らせられない」

 どうやらハイネとしては私を地べたに座らせるのが嫌のようだ。

 竜は相手が一国の王であろうとも跪く事はない。国内では周知の事実だから何て事はないけれど、此処は他国だし、そもそも私達は歓迎されている客人でもない、ただの余所者だ。少しは考えろ、このおバカ。

 そもそも、竜のハイネと違って、私は只の人間の、しかも庶民だ。同列に扱う事自体がおかしいんだって何回言っただろうか。覚えていない。

「私が良いって言ってるんだから良いの」

「ダメ」

「良いの」

「どうしてもって言うなら僕の膝の上に座って」

「どんな羞恥プレイだよ。断る」

 平行線の会話になるのはいつもの事なんだけれど、まだ最終兵器『嫌いになるよ?』には早すぎる。ハイネが私を大事に思ってくれてるのはわかるんだけど、こっちが大丈夫って言ってる事に関してはもう少し譲歩してくれてもいいんじゃないかなとも思うわけで。頭が、痛い。

 くすくすとした笑い声が聞こえて我に返る。

 しかし、リーテちゃんを見れば困ったように眉尻を下げているだけで笑ってるようには見えない。

 あれーと思って首を傾げた時、腰を抱いたままだったハイネの手に力が籠る。

 ちょっとアンタいい加減にしなさいとハイネの方を見て、緊張。

 彼が見詰めている先は、あの豪華な布の先。どうやらそこからこの笑い声は発せられているらしい。

 まるで母親が子供の可愛らしい失敗を微笑ましく思うような。そんな笑い声だ。

 奥で何かが動いた気配がして、ごくり、喉が鳴る。

 舞台の下にいるリーテちゃんもそちらを見ていて、いつもより緊張しているように見えた。

 何が出てくるのだろうか。雰囲気的に厳つい雰囲気の長老様とかだったりするんじゃなかろうか。すんごい長い白髪とお髭もっさりなのに布面積が少なさそうで、かといってヒョロヒョロはしてない的な。数年前に流行った小説に出てきた未開の地の長老なんだけどねコレ。

 緊張半分、期待半分。

 そして布が内側から上げられて、絶句。

 ハイネに支えられていなければ地に膝をついていたに違いない。

 それというのも、何て言うか、もうそういう運命なのかなって思うんだけど、

「ここでもイケメンかよおおおおおおお!」

 思わず滅びの言葉を口にするところだった。危ない。何が危ないって「うん、わかった!」って言いそうなのが隣にいる事が一番危ない。

 そう、イケメンだったのだ。リーテちゃんと同じように濃い褐色の肌に光るような白髪、布面積は予想通りに少なくて、身体つきはアズールよりもがっしりしてる。狩りが出来るイケメン、そんな雰囲気である。

「クルミ、大丈夫?殺る?」

「やるな! 殺すな! 平和的に解決しろ!」

「わかった、消すね」

「一番駄目だそれはあああ!」

 思わず手が出たけれど忘れていたのだ、ハイネが竜って事を。

 案の定、かったい竜の鱗は人間如きの攻撃などそよ風のようで、殴った私の掌の方が赤くなった。見た目は人間なのに、この硬さ…解せぬ。

 そんな私達の騒ぎをニコニコしながら見ていたイケメンはリーテちゃんを手招きして、近付いたリーテちゃんの頭をなでなでしている。たまらん。イケメンになでなでされる美少女、たまらん。

「ありがとう、お客人。この子を連れて来てくれた事に感謝する」

 声までイケボなんですね!とは流石に空気を読んで言わない。思うのは自由だ。

「いえいえ、私自身がした事は微々たるものですので。それよりも、今回の件でこの森以外の住む人間が全員悪人だなんて思われたりしないかなーっていう方が心配といいますか」

 そうなんだよね、実はそっちの方が個人的には心配というか。

 こういう閉鎖的な空間にいる人達って何か一つでも嫌な事があると、それを徹底的に避ける傾向があると思うんだ。

 私が住んでいた田舎でも、そういう事はあって。森の中でひっそり暮らしている竜には近付いてはいけないって言われていたのだ。理由は、私達の三代前くらいの住民が竜に傷つけられたから。実際は、竜の誓約者を人間達が殺してしまって、それで竜が暴れてしまったっていう話だった。その竜本人じゃない、他の竜に聞いた話だから多分それが真実だと思う。

 だから、此処の人達もそうなんじゃないかなって。アズールみたいにやる気になれば助けてくれる人もいるって事を知って欲しい。アイツの場合はもっと早くやる気を出せっていう話なんだけども。

 そんな私の支離滅裂な話をきちんと聞いてくれたイケメンは、リーテちゃんの目を見て言った。

「リーテは、どう思う。本当に悪い奴ばかりではないと言えるか?」

 言ってる内容は重要なのに、今後の事に関わる事なのに、どうにもこうにも良い声に引き込まれてしまう。くっそう。顔も声もイイなんてチートすぎてつらい。

「アイツは嫌だけど、クルミは良い人。クルミがいなかったら帰ってこれなかった。クルミ以外にも、親切にしてくれた人、いるよ」

「そうか」

 微笑ましい。何て微笑ましい空間なのだろうか。おばちゃんこの光景思い出すだけでご飯が美味しく食べられるだろう。幸せだ。

 しかしここで、めでたしめでたし、にはならないようだ。

「だ、そうですよ、シェリル様」

 誰だよ、それ。そもそもイケメンの名前もまだ知らないんですけど。

 そんな私なんか置いてけぼりのまま、さっきイケメンが出てきたところから、ぬっと。思わず、息を飲む。

「あれが…月狼?」

 布を起用に鼻先で避けて奥から現れたのは、真っ白の大きな大きな狼だった。ただ、その大きさが半端じゃない。

 洞の大きさが王宮の門くらいってさっき言ったと思うのだけれど、その洞から少し身を屈めて出てきたのだ。ハイネが成竜になってない事もあるけれど、大きさは竜の時のハイネと同じくらいに思える。とにかく、でかい。

「シェリル…ああ、そうか、どこかで聞いた事があると思ったら、アンジェリカの昔話に出てきた月狼か」

「は?」

 前置きもなく突然話し出したハイネに思わず変な声で応えてしまった。内容が内容だっただけに。

「昔ね、アンジェリカと彼女が喧嘩をした事があるんだって」

 海が荒れて大変だったらしいよーとか笑顔で言うハイネが恐ろしい。

 彼女って事はあの大きな月狼は雌なのだろう。

 そしてアンジェリカというのは王宮に住む三体の竜の内の一体の名前である。とても高齢なのだけれど、茶目っ気があって冗談が通じる竜という、貴重な存在なのだ。

 女同士の喧嘩。嫌な予感しかしない。

「アンジェリカ、懐かしい名前です」

 あ、やっぱり月狼も喋るんだ。予想はしていたけれど、やっぱりどこかむず痒い気持ちになる。見た目が大きい犬にしか見えないから、余計に。

 そして先程の柔らかな笑い声の正体にも気付いた。アンジェリカの知り合いとなれば、それなりの年月を生きているだろう。そんな彼女から見れば私とハイネのやり取りは可愛らしいもの見えるに違いない。本人達は至って本気なんだけども。

「彼女はまだ息災ですか、竜の子よ」

「さあ、どうだろう」

 ハイネの手に力が籠ったのは、彼女がもう長くないから。

 長命の竜にも寿命はある。そしてアンジェリカはもう千年を超えてしまっているのだ。今日、明日、今この瞬間に命の火が消えたとしても、不思議ではない。

 何かしら感じるところがあったのだろう、シェリルと呼ばれた月狼はそれ以上の追及はしなかった。

「改めて、人間の子よ。此度はこの子を無事に送り届けてくれて感謝します」

 大きさというか存在感というか、何だろう、目には見えない大きさのようなものがじりじりと上から落ちてくるような圧迫感がある。

 敵意がないことは解るのだけれど、こう、無条件に平伏したくなるような庶民心をくすぐるというか。私だってハイネの支えがなければ、とっくに地面に身を投げ出していたと思う。それはもう潔く。

 言葉にもならないような声しか出ない私と違い、人外のハイネは至って普通だった。そりゃもう、本当に。頭を抱えたくなるくらいには。

「クルミが怖がってるから伏せてよ」

 うわあああああ!何て事言ってんのこの子はああああ!

 心の中で絶叫して、背中に冷たいものが走る。恐ろしい。ハイネ、恐ろしい子。

「や、あの、すいませ、」

「これでよろしいでしょうか」

 何で言う事聞いちゃうのかなああああ!

 真っ白な大きいわんこが優雅に寝そべる姿の破壊力ったら、もう! 口に出したらハイネが拗ねるから心の中では叫ぶしかない。

 しかし、その、リーテちゃん筆頭にイケメン様も驚いているくらいだから、これって相当な事なんだよ、ね。竜と月狼の力関係はわからないけれど、これはハイネが竜だから言う事を聞いてくれたのか、ハイネが子供だから大人が折れてくれたのか……多分後者じゃないの、これ。狼の表情とか読めないけれど、なんとなーく、そんな感じがする。

「リーテ、貴女はフェンの所へ行ってやりなさい。とても心配していました」

「で、でも…」

 ちらっとこちらを見てくれるリーテちゃん、何ていい子なんだろう。此処に来るまでに思い知っただろうに、ハイネの過保護っぷりを。その上でも心配してくれるなんて、……ハイネの信用がない事だけは理解した。ぐう。

 おそらくフェンとやらがリーテちゃんの対になる月狼なんだろうな。この状況でフェンって誰ですかなんて聞ける度胸は私にはない。そんなの聞けるのハイネくらいだよ。しかし聞いてよーなんて言おうものなら、他の奴に興味持つなんてって騒ぐのはわかってるから言えない。大人ってつらい。

 かといって私から大丈夫だよーとも言えないし、どっちかって言うと、知っている顔が一人でもいてくれた方が助かる。それを子供に求めるなっていう話なんだけどねっ。

「大丈夫ですよ。彼女を傷つけたりしません」

「……わかりました」

 シェリルさんの言葉に、後ろ髪引かれるように歩いていくリーテちゃん。振り返った時に手を振って大丈夫だよって伝える。

 そして大木に巻き付いている太い蔓を使って器用に登っていく姿を見て、私は此処では生きていけないな、と思った。

 この大きな木の上に月狼達が暮らしていて、対になる月狼の民だけがそこに行けるらしい、とはハイネに使役されたのであろう風の精霊さんたちの言。下級精霊なら私でも姿や声が聞こえますからね。そういう気遣いが出来る子に成長してくれて嬉しいよ、私は。周囲のチート軍団は全く何も教えてくれないからね。庶民の敵だ。

 視線をリーテちゃんから正面に戻すと、イケメン様はにっこり笑った。破壊力を自覚して欲しい。切実に。大分美形に免疫はついてきたけれど、こういう野生児系は身近にいなかったからドキドキしてしまう。そして隣のハイネに伝わっていないかとひやひやしてしまう。

「紹介が遅れてすまない。私はヤートル。ここの長をしている。こちらはシェリル様、月狼の女王でいらっしゃる」

「クルミです。こっちはハイネ、竜です」

 何も肩書がないと自己紹介が寂しいったら、もう。

 しかしヤートルさんは目を丸くしている。

「ほう、竜か。実際に見たのは初めてだ。成程、だったら納得だな」

 さっきの態度についてですよね、うん、本当にすいません。

「竜は誓約者を選ぶって聞いた事があるのだが、君がその竜の誓約者なのか?」

「あー、それは、ちょっと、」

「ねえ、やっぱりそう見えるんだから結婚して誓約しよう?」

「結婚もしません。誓約もしません。ハイネはちょっと黙ってて」

 しゅん、と音を立てて落ち込む姿は可愛くって甘やかしてやりたくなってしまうけれど、こればっかりは譲れないのだ。

 そんなやり取りを見てヤートルさんは素直に驚いているみたいだけれど、彼女は違っていた。

「少し、二人で話してみたいのですが」

「はい喜んで!」

 ハイネが断りの言葉を入れるよりも先に。

 予想するまでもなくハイネは面白くなさそうだけれど、危険ではないのだろう、渋々とではあったけれど手を離してくれた。まあ、洞の入り口までべったりだったけども。

「いい?盗み聞きはダメだからね」

「……」

「返事は?」

「……うん」

「約束、だからね」

 その言葉を聞いた途端、ハイネの表情が変わる。そんな捨て犬のような顔しなくても大丈夫だって言うのに、もう。

 本当に、困る。

 念入りに釘を刺してから洞の中に入ると、其処は思っていたよりもとても広い空間だった。

 天井もとても遠いし、吹き抜けになっているから頭上から光が降ってきて、思っていたよりも暗くはない。むしろ光の中心部では眩しいくらいだ。

 縦だけじゃなく、横の空間も広々としていて、入り口から奥までの距離は大股で二十歩くらいだろうか。そんな事をしたら不審者認定されてしまいそうだからやらないけど。

 奥よりも少し手前、藁のような物が敷いてある一角に月狼が伏せたのを確認して、その傍に行く。

「お昼寝しやすそうな場所ですね」

 あ、やべ、庶民の感想を口にしてしまった。ここは神秘的ですねーとか言うべきだった。くそう。

 そんな私に対してもシェリルさんはとても優しく、目を細めて微笑んでくれた。

「一眠りして行きますか?」

「ハイネが面倒な事になりそうなので遠慮します」

 多分、ハイネの事なんだろうな。そう思ったから自分から話題に乗せてみる。

 だって誓約者云々の話の後だもんね。じりじりと追いつめられるよりは、一気にやって欲しい。

 そんな私の気持ちが通じたのか、一瞬、こちらを見た後、彼女は話し始めた。

「月狼は、同じ日、同じ時間に生まれた人間と生涯を共にします」

 寿命が違うから、本当の意味での一生、ではないけれど。

 人間は成人すると儀式を行い、対になる月狼の血を飲んで、寿命を少し分けてもらうらしい。それでも人間の方が先に死ぬのは止められない。

「私達は今までその事に疑問を持ちませんでした。竜とその誓約者についても、竜に求められれば当たり前のように人間は誓約するものだと思っていました」

 つまり、どうして私が誓約を拒否するのか、それが知りたい、と。

 今までにも色々な人に聞かれてきたし、その度に濁したりしてきたけど、今回はそれとは話が違う。今まで聞いてきたのは人間。今回は月狼という、人ならざる者だ。

 そして、竜と同じように人間と契約をする種族。

 胸に手を当てて、表に出したままだった角笛に触れる。不思議と、落ち着くのだ、こうするだけで。

「私は、ハイネの誓約者になるつもりはありません」

「それはどうしてですか?」

 目を閉じて、一呼吸。

「ハイネに竜として生きてもらいたいからです」

「竜として…」

 言葉の反芻に込められた感情は、私にはわからない。だから、私は私の気持ちを伝えるしかないのだ。正直に。

 私は竜という生き物が好きだ。

 権力や思惑に惑わされる事無く我が道を突き進み、人間達に何を言われても折れる事がない、素直で傲慢な、気高い竜という生き物が好きなのだ。

 実家近くの森に住む竜も、都会に出てから出会った竜も、みんな誇らしげに生きていて、憧れた。それこそ、小さい頃は竜のようになりたい、と。

「それに、出会った時期が悪かったんです」

 出会った当時の私は二十七歳、ハイネは八十歳だった。それから三年の月日が既に経過している。

ハイネは成竜になるまでにあと二十弱年あるのに対して、平均寿命が六十歳の帝都だから私は折り返し地点にいるわけだ。

 誓約すれば寿命が延びるけれど、そういう問題じゃないのだ。これは。

「ハイネは幼いから、全てが思い通りになったら、失った時に壊れてしまう」

 寿命が延びたって人間は人間のままだ。竜のように硬い鱗に覆われているわけじゃない。刃物なんかすんなりと通してしまうし、急所を免れたとしても失血死してしまう事もある脆い生き物だ。

「子を残せば、と言われた事もありますが、私は竜人のような存在が切なく思えるので考えられません」

 竜と人間の間に生まれた子、竜人には生殖能力が無い。

 それでも竜の寿命の半分、五百年は生きる事が出来るのだ。人間と暮らせば周囲が老い朽ちていくのを見守るしか出来ず、竜からは忌み嫌われる存在。そんな悲しいものを自分から生み出すなんて、私には出来ない。

 ハイネの事は好きだ。こんな何の取り柄もない田舎者をとても大切に想ってくれているし、それが伝わってくる。こんな素敵なひと、他に現れるわけがないってくらいに、私を愛してくれている。

 けれど、好きだからこそ、なのだ。

 誓約したって、最初は良いだろうけど、弊害が出てくるのは目に見えている。ハイネは養子とはいえ王族なのだから、それなりの場に出なきゃいけない時もある。その時に同伴者として私が出て、何が出来るだろうか。

 誓約したって若返るわけじゃない。今までの生がなくなるわけでもない。特訓に特訓を重ねればそれなりの振舞は出来るようになるかもしれないけれど、頑固者で新しいものが苦手な私がそれなりの振舞を身につけるのにどれだけの時間がかかるのか。

 きっとハイネは気にしない。私の事を第一に考えてくれるから、粗相をしようが失敗しようが私が無事なら良いのだ。そういう、生き物なのだ。

 だからこそ、私は、竜という生き物が、ハイネが、愛おしい。

 言葉を探す私を、眩しいものを見るように。

「あの子の事を愛しているのですね」

 視線が温かい。

 涙が出そうだ。

「勿論です」

 震える声を隠すつもりはない。

 だって本気で好きなのだ。

 男なんかもう知るかコンチクショーな目に遭ったのに、そんな心も包んでくれたような、本当にいい男なのだ。竜だけど。まだ子供だけど。

「私達は何の疑問も抱かずに今日まで続いてきたので、もしかしたら人間達には苦痛だったのかもしれないと思ったのです」

「いや、それは、」

「大丈夫です。貴女の話を聞いて安心しました。ありがとう」

 竜にしたって、月狼にしたって、彼等は嘘をつかないのだ。

 まっすぐに、まっすぐに、素直な気持ちを伝えてくる。

 時には嫌悪だったり拒絶だったりもするだろう。

 けれど、だからこそ、好意の気持ちは、刺さるのだ。刺さって、抜けなくなる。

「リーテを送ってくれた事と、今の話、何かお礼をしなくてはいけませんね」

 何が良いですか?と聞かれ、普段ならば、いやいやお礼なんてそんなーってなるのだけれど、今回ばかりは、違う!

「ど、どこまで許していただけますかね…」

「そうですね、見ての通り、此処は通貨とは無縁の地ですから、それ以外でしたら大抵の事は大丈夫ですよ」

「えっとですね、あのー、そのー、」

「遠慮なくどうぞ」

 ここはもう、いくしかない!

「も、もふもふさせてくださいっ!」

 あの時の彼女の顔は暫く忘れられなかった。




「臭い」

 遠慮なくもふもふさせてもらった後、ハイネに浮気と言われるのが面倒だからお湯を借りて匂いを落としてから彼の所に戻ったら、これだ。ちなみにお風呂は温泉でした。いい湯でした。うへ。

 思わず自分の腕の匂いを嗅いでしまったけれど、彼等の嗅覚は私のそれとは別物なので、私では感じられない匂いが残っているのかなーと思ったけれど、どうやら違っていたようで。

 とん、と指先で私の胸元に触れたハイネの眉間には皺。

 服越しでもそんな場所を触られて、ドキッとしない事については何も言わないでいただきたい。触られて私が思った事といえば「そっちかー」だ。

 渋々首に下げている紐を取り出す。特殊な植物から作られているそれはハイネの匂い云々の話に繋がる。革紐は嫌なんだそうな。面倒なんだ、これが。

 現れたそれの先にはハイネの角笛の他にもう一つ、雫型の乳白色の石のようなものが新たに加えられている。

 もふもふの件で大笑いしたシェリルさんが、思う存分もふらせてくれた後、作ってくれたものだ。

 作った、というのがよくわからないと思うけれど、私もよくわからない。

 シェリルさんの毛と私の髪の毛を一本ずつ結んで、彼女が息を吹きかけたら石になったのだ。よくわからないだろう?

「何かね、お守りなんだって。邪悪なものから身を守る云々」

「そこはちゃんと聞いておくべきだったと思うけど」

「私に害はないんですよねって聞いたら勿論ですって言われたからいいかなーって」

 てへぺろ。とは流石にやらないけど、気分的にはそんな感じである。基本的に深く考えない性格なのだ。その上、こういった人間じゃない生き物の話は常識がまず違うから出発点からして意味不明な事が多いのだ。気にしていたら切りがない。

 じっとりと私の手元を見ているハイネに言われる前に、先手を打つ。

「返さないからね?」

 途端に更にむっすりしてしまうから、本当にこの竜は頭が痛い。

 私が大好きなのはわかるんだけど、わかりすぎて嬉しいを通り越して頭が痛い。

 何とか根気よく説き伏せて、漸く帰路につく頃には太陽が傾いていた。解せぬ。

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