三年目の春の話 4
窮鼠、猫を噛む。
弱い者でも追いつめられると物凄い力を発揮しちゃうんだぞ! みたいな。
今回は鼠じゃなくて虎だったんですが。
「あわわわわわわ…!!」
頑張って!頑張ってラクダ様ー!!
こぶに必死に掴まりながらラクダ様の暴走に任せるしかない状況から悟っていただきたい所存。ラクダも私も恐慌状態であります!
アズール達が引き留めてくれているから背後から追ってはまだ来てないのだけれど、時々矢とか石とかが飛んでくるわけで、ぬくぬくと育った庶民にはつらい! つらすぎる!
簡単に説明すると、あれから二日後に追いつかれてアズール達が頑張って押さえててくれているわけです。何人で来たのかはわからないけれど、明らかにこちらの倍以上だったと思う。弱い者いじめ、ダメ、ゼッタイ。
こんなに追いかけまわして、それこそ月狼さんは怒ると思うのですが! 刺激しないようにしてるんじゃなかったの!?
周囲に緑がかなり増えているから、大分件の森には近付いていると思うのですが、実際問題振り落とされないように掴まるのに精一杯で森が見えるかどうか見回せる余裕がない。意外とね、揺れるの、駱駝。
「リーテちゃんっ! おうちはまだですかっ!?」
「あと少し!」
うん、大体みんなそういう風に言うよね! もっと具体的に言って欲しいっていうのはわがままでしょうか。しかしこの状態を維持し続けるのがつらくなってきましてだね…うう…。
も、もう、手が…太股にも力が入らないです…。
あ、と思った次の瞬間には派手な音を立てて落馬…落駱駝? して。幸い緑のクッションのお陰で大した傷になりそうもなかったけれど、かすり傷を見つけた時の目の前真っ暗感は凄まじかった。
走っている駱駝から落ちてこの程度で済んだのは物凄く幸運だというのはわかっているのだけれど、……怪我、しちゃった……。
慌てて戻って来ようとするリーテちゃんの気配に気付いて頭を切り替える。こ、このくらいなら、きっと平気! たぶん!
「行って!」
「っ、でも、」
「私は大丈夫だから!」
ぎゅっと服の上から胸元を握る。
それの意味するところを察してくれたらしい、リーテちゃんは頭をしっかり下げた後、背を向けて走り出す。頑張ってラクダ様!
のそのそと立ち上がろうとするけれど、落ちた時の衝撃であちこちが痛くて思うように動けない。…ろ、老化じゃない、まだ老化じゃない筈…!
服に付いた土を叩いて落としていると砂埃を巻き上げながら走ってくる軍団、間違いなく人数から見て第二王子達だろう、その姿がどんどんハッキリ見えてきた。
アズールの役立たずめ。だから私の中での評価が残念な男止まりなんだっての。
本音としては逃げたいけれど、建前としてはリーテちゃんが遠くへ行くまでの時間稼ぎをしなきゃっていう思いがあって、現実的には体が痛くて動けないという情けない状態であります。
そんな事を考えている間に囲まれているとか。本当に用意が良いようで。これなら子供一人誘拐するのも簡単そうだ。こんな事を練習する時間があったら噂の貧弱な体を鍛える方が有意義なんじゃないだろうか。
ぐるりと囲まれた中、一頭のラクダが一歩前に出る。こう、一目で重役が乗ってますよっていうラクダだ。そのジャラジャラした飾りをつけてなければもっと早く追いつけたんじゃない? とか教えてあげたい。
そんなラクダの上から、男性にしては少し高めの声が降ってきた。
「これはこれは。ジルベルト様の侍女ではないか。人質になったと聞いていたのだが無事で何より」
確かに、貧弱そうだ。
濃い肌に金髪、上背もあるし、顔も整っていて美人に分類されると思う。
しかし、だ。何か、細いっていうか、ひょろいっていうか、本当に貧弱っていう言葉がしっくりくるというか。こんな庶民にけちょんけちょんに言われるのも屈辱的だと思うのだけれど、うちの田舎の方でこんな貧弱なの、使えない。羊一匹持ち上げられなさそう。
そして表情や動きからでもわかる性格の悪さ。ラクダから降りずに話しかけてくる事からも丸わかりである。台詞も白々しい。生理的に受け付けない。
何だろう、帝都の下町で働いていた頃にいた、魚屋さんちのバカ息子を思い出してしまった。傲慢でさ、噂話とかも自分が聞いたんだーみたいな態度で話しててさ、何だろう、とにかくにじみ出てるものがね、胡散臭いんだよね、実際には魚屋さんだったから生臭かったんだけど。
「して、あの子は何処に?」
「捕まえて、どうするつもりですか?」
まさか質問で返されるとは思わなかったのだろう。一瞬で表情が面白くなさそうになった。ガキかい、おのれは。
「今はボクが聞いてるんだよ、答えろ」
「ボ…っ! ……コホン。それについてはお答えする事は出来ません」
あっぶね! ボクなんて言うから吹き出すところだった! あっぶね!
ボクちゃんはとても気の短い性質のようで、私の返答を聞いてあっさりと剣を抜いて丸腰の私に向けてくださった。周りも慌ててはいるけれど止めるつもりはないようだ。最近多いよね、弱いものばっかりいじめて強いアピールしてくる愚か者。
「本当なら次はないのだけど、パパの招待客の侍女だからもう一度だけ聞いてあげよう。あの子は何処にいる」
ボクの次はパパかよ。流石に爆笑するのは心の中だけにする。本当は貴方の嫌いな弟君の招待客なんだけどね。ジルベルト様の根回しが有難い。
距離はあるとは言え、流石に剣を向けられたら私だって恐怖を感じるわけだし、何かあってからでは遅いから、仕方ない。
私の身に何かあってから、では遅いのだ。
ネックレスのトップに下げられたものを服の下から取り出す。現れたのは親指大の牙のような形のもの。素材は角で、色は日の光で青白く輝く銀色だ。簡単に言えば、小さい角笛、かな。
本当はね、私だってこんな事したくないんですよ。はあ。溜息くらい吐いてもいいよね、もう。
不思議そうな視線にさらされたまま、その細い方に口をつけて息を吹き込む。
「…何だ、それは」
何か音が出るわけじゃない。吹くのだって二秒くらい。それでも十分すぎる。
ただ、これが何かわからないボクちゃんには奇妙なものにしか見えなかったらしい。顔にはっきりと書いてある。ここまでわかりやすいのもどうなの。一応王子なのに。
眉間の皺を隠そうともしないボクちゃんの問いかけには、いつも通りに答える。これから起こる事を考えると憂鬱で仕方ないけれど、平静を装って。
「すぐにわかりますよ」
「何だって聞いている!!」
もう、うるさいなぁ。思わず両手で両耳を覆ってしまった。すぐわかるって言ってるのに騒ぐボクちゃんがいけない。
ちなみにさっきの笛、普通の生き物には音は聞こえないけれど、それを吹く動作の間に邪魔が入らないのはそういう仕様なんだそうだ。邪魔をしようとしたら、それに反応して結界が発動して阻まれるらしい。幸いにも、まだそこまでの状況には至った事はないので、聞いた話だ。
笛を吹いてから十五秒くらい。やっぱり国外では時間がかかるらしい。
突然暗くなった視界に空を見上げれば、『それ』はいた。
民家一つがすっぽりと入るくらいの羽が風を受けて旋回する姿。実際には風の精霊を使役して飛んでいるんだそうな。だから風の精霊を使役する才能がないものは飛べないらしい。それを聞いた時には、意外と現実的なんだな、と思ったよね。
姿だけで人を恐怖させる事が出来る生き物。それはボクちゃんたちにも共通なようで、ひきつったような悲鳴が上がる。
「りゅ、竜…だと…!?」
そう、竜。
私の祖国、マーリオール国の守護竜でもある銀竜が空を旋回しているのだ。
みんなが騒然とする中、一人、私は思う。
うーん、大きくなったとは思ったけれど、遠目に見るとまだ小さい気がする。まだ成体になってないからこんなものなのかな。わからん。でも国一番の美人だというのは譲れないところではある。
「、まさか…!」
ボクちゃんが漸く気付いたらしいけれど、その後の言葉は風圧にとばされた為に悲鳴になってしまった。周りの人達も同じようなものだけど。
大きな羽ばたき音を上げながら竜が降りてくるのをぼんやりと見つめる。頭の中で考えているのは、この状況をどうやっておさめるか、なんだけど。自分から呼んで何だそれはと思うかもしれないけれど、それはこの後起こる事を全部見てから言って欲しい。
竜が隣に降りてきても私が平気なのは、彼が風の精霊を使って私が倒れないように風の向きとかを調整してくれてるから。残念ながら中位以上の精霊は私には見えないので、頑張っている姿を拝めないのですよ。精霊さんは綺麗なので眼福な存在だと私は思っている。
音も立てずにしっかりと足を地面につけた彼は、会えなかった時間を埋めるように、甘えるように、そして心配そうに顔を寄せてくるので、鼻先を手のひら全部を使って撫でてやる。
「ありがとう、ハイネ」
ゴロゴロと恐ろしい音を立ててすり寄ってくるけれど、これ怒ってないから! 喜んでるだけだから! 地鳴りのようだけど、これ、安心してる音だから!
そんな銀竜、ハイネは私の頭の先から爪先までじっくりと見て、固まる。
冷や汗が背中を伝う私を半眼で黙らせてから、膝下まであるスカートの裾を鼻先でちょっとだけ持ち上げる。本当、こんな大きな図体でも、私の肌を他人に見せたくないからっていう理由なんだろうけど、指先で摘むくらいの微調整を鼻先で出来るって凄いよね! さっきの暴走駱駝以上に現在の私は恐慌状態であります!
竜の嗅覚は人間なんかと比べものにならない。だから匂いにはもう気付いていたんだと思う。ただ、傷の具合を確認するだけだと思いたい。そしてこんなかすり傷なんて子供にとっては日常茶飯事レベルだから仕方ないで済ませて頂きたい。前にアーシャの裏掌を不可抗力でまともにくらって鼻血が出た時に比べれば大した事ない部類じゃないか。あの時は豪華な建物が吹き飛んで首を括る覚悟をしたからあまり思い出したくないけれど!
ハイネはじっくりと観察した後、ながーーーい鼻息を吐いて。
「ちょ、待った!待ってって!待てえぇぇぇ!」
次の瞬間、ボクちゃん達を襲おうとしたから慌てて大声を上げて首にしがみつく。
ぎゃあ! 瞳孔が細い! めっちゃ怒ってる!
けど相手は一応王子様だし、こんな事で国際問題に発展したら、私は、私は…!
心配してくれたんだろうし、それは素直に嬉しいとは思う。思うのだけれど、それとこれとは話が別だ。かすり傷を負わせました、だから死刑! なんて判決が通るのはお前の中だけだからな!
「落ち着きなさいって! どうどう! あーもう、言う事ぎげって言ってるべ!」
竜にビンタしたって鱗があるから痛くも痒くもないだろうけど、思わずいつも通りに勢いよく振りかぶってしまった。おっと危ない、口調も戻りかけてるじゃないか。聞こえなかった振りをお願いしたい。
「す(し)ずかにしろって言ってんの! アンタが人を殺しだら誰が責任とらなきゃなんねぇかってわかんねぇのけ!?」
引き続き聞こえなかった振りを続けていただきたい。
しかし私が必死に説得しようとしているというのに、ボクちゃんがおそるおそる逃げようとするものだから、それを見つけたハイネがブチ切れて火を吹くしで、もう、もう…!
そんなこんなで、とても大変な目に遭った。
アズール達が追いついてきた頃には第二王子達の戦意はゼロだったと思う。髪の毛もところどころちりぢりになってたし、ハイネのブレスで。私も疲れきってしまって今すぐにでも倒れ込みたいところだけれど、それでも倒れたらハイネが暴れるだろうから頑張るしかなかった。つらい。
…でも、まあ、何だかんだ言っても、ゴロゴロ喉を鳴らしてすり寄られてしまうと怒りが持続しないんだけどね。心配かけちゃったのは事実だから、苦笑しながら鼻先を撫でてあげると気持ちよさそうに目を細めるものだから、もう、ね。
どうして私の周りには普通の人間がいないんだって思っちゃうよね。
アズールから招待状が届いたからカジャルに行ってくるね。そう言ったらハイネはこの世の終わりのような顔をした。
「ダ、ダメ! ダメダメ! ダメったらダメ!」
「理由を述べよ」
「アイツはクルミに馴れ馴れしく触るからダメ!」
「それは私を女として見てないからでしょ」
予想通りの展開に頭痛がする、なんてものは通り越してしまった。いつも通りだ。いつも通りの反応すぎて、また同じ事を繰り返すのかと思うと溜息も出ない。
「クルミが行くなら僕も行く」
案の定、ひっつき虫がお馴染みの台詞を口にする。
本人が行きたがらない所に連れて行く時にはちょろいなと思うけど、逆の場合は厄介なんだよね。本当に。
第三者から見れば、もっと甘やかしてやれ、と思うのかもしれないけれど、ハイネの場合は甘やかすと碌な事にならない。事態が悪化するだけだと思う。
なので、今回も普通に切り返す。
「ハイネはお留守番だからね」
「嫌だ、行く」
ハイネの方も普通に切り返してくる。こんなやり取りをいつまで続けたらこの子は成長するのだろうか。その姿を、私は見れるだろうか。
感情に敏感なハイネに悟られる前に、考えた事を消す。大人は狡いから、そういう事は得意なのだ。ふふん。
背後からお腹の方に巻き付いてきた腕を軽く叩くように撫でる。頬に触れる柔らかい髪がくすぐったい。
「お留守番も出来ないのかー、ハイネはカッコ悪いねえ」
「…クルミはカッコいい方が好き?」
「勿論」
「……じゃあ、お留守番、する」
相変わらずのちょろさに笑みが零れる。
面白くはないのだろうけど、それでも私が笑うと嬉しいハイネはごろごろと喉を鳴らす。人型でも竜は喉を鳴らせるって知ったのはハイネに会ってからだ。正しくは再会してから、だけど。
ハイネとは、子供の頃に出会った。それから随分と長い時間をかけて、偶然にも再会する事が出来て、拉致されて、譲歩して、今に至る。途中に不穏な単語が入ったのは間違いではない。繰り返すけれど、間違いでは、ない。
「じゃあクルミ、約束して。絶対に帰ってきてね。怪我しないで、笑って帰ってきて」
「怪我はしないように善処するけど、絶対とは言えないかな」
がーん。そんな効果音が聞こえてきそうだ。
普段はツンツンしてて人間なんて下等生物だとでも思っていそうな美少年がそんな顔をしてはいけません。させたのは私だけども。
そんな、そう言いかけたハイネの手をとって、握る。
「でもね、絶対ハイネのとこに帰るよ、約束する」
例え世界の果てで死んだとしても、なんて言葉は口に出来ないけど。そんな事を言った日には、ハイネが号泣して三日は私から離れなくなる。お風呂の時間まで監視されるようなあの日々はもう経験したくない。経験済みなのかよ、とは言うな。
竜は約束を必ず守る生き物だ。実家近くの森の中でひっそりと暮らしている竜も約束を守り続けている。私が幼い頃に出会った彼は、もうこの世にはいない誓約者と交わした約束をずっとずっと、彼が死ぬまで守り続けるのだろう。
それを知っているからこそ、未だにハイネと誓約する事を拒み続けているのだ。そしてきっと、これから先も誓約する事はないだろう。
だから、約束する。
握っていた手が逆に握られて、手の甲をハイネの指が滑る。
綺麗な手。私の荒れた手とは正反対だけど、それを恥ずかしいとか惨めだとかは思わない。ただ、この綺麗な手を守らなければならないと思う。
ハイネは竜だ。しかもただの竜ではない。始祖の竜の末裔でもあるし、王族の養子だから王子でもある。規格外の存在すぎて、本来なら出会う事もなかった。
でも、出会って、一『耳』惚れされて、再会したら拉致されて。
いきなり竜の誓約者になれと本人からも周囲からも言われた二十七歳の私は、当然のように断固拒否し、その所為で要らぬ争いに巻き込まれたりもしたけれど、どっちを選んでも結局ハイネに選ばれた時点で平穏な生活など無理な話だっただろう。
それでも許してしまうのは、ハイネの愛情が本物だから。
正室用の部屋を使って、断る。じゃあ王宮内でいいから、断る。そこで怒ってもいいというのにハイネはめげずに頑張って考えて、結果、ハイネの部屋から見える王宮の裏庭に私が今現在暮らしている小屋を作ってくれた。それも煌びやかなものじゃなく、実家と同じような、王族から見れば物置以下のようなものを。
それをもじもじしながら、「これなら、いい?」って上目遣いで聞かれてみればわかる。美少年が頬を染めて上目遣い。破壊力が半端なかった。
私は、外見偏差値は普通だし、頭だって田舎では良い方でも都会では普通よりちょっと上くらいだ。性格も女性らしいとは言えないし、感情が昂ると訛る。出稼ぎに都会に出て、結婚の約束までした男を寝取られるくらいの女だ。
そんな私を、ハイネは全力で愛している。
切欠は声だった。それから私のダメなところまで知って、それでもハイネは私を愛していると言う。心から。
握られていない方の手で肩に乗せられている頭を撫でると、それが嬉しいらしくぐりぐりと頭を押し付けてくる。犬か、と笑うとハイネも笑う。
「もし、クルミが帰れない状況になっても、僕が迎えに行くから」
ハイネは子供みたいな事ばかり言う。実際にまだ成竜になっていないから子供なんだけども。
それを可愛いと思ってしまう私もダメなんだろう。
「その時はお願いします」
任せてとでも言うように握った私の手を引き寄せて口付ける。
この生き物と私は生きていけるのだ。幸せ、なんて言葉で片付けられない。
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