三年目の春の話 2
こんにちは、クルミです。遂に三十の大台に乗りました。
実家の田舎の方では、この年齢になると言うことを聞かない数人の我が子達と格闘している母親が多いこと多いこと。下の子が生まれたら上の子が幼児返りしちゃって、なんて相談されても困りものですよね。私は勿論独身街道まっしぐらですが。
帝都に出稼ぎに出て早数年、今となっては簡単に結婚出来ない身の上なので、逆にそれが有り難い。
田舎も田舎、見渡す限りの大草原が広がるド田舎で生まれ育った私ですが、今は訳あって王宮の裏庭でこっそりひっそりと暮らしております。
木造の小さな小屋で一人暮らし。日々の小さな幸せを噛みしめながら仕事に行く為に外に出れば、豪奢な王宮が目の前にそびえ立つ、という何とも世知辛い生活。
大分現状に慣れてきたところではありますが、まさか他国の王宮でこんな目に遭うなんて誰が予想したでしょうか。
私は今、子供に刃物を押しつけられております。
意味わからないですよねー。私もちょっとよくわからないんですよー。でも現実だって首にあたる刃物の感触が言ってるんですよー。しかも頸動脈。すごくない? 子供が確実に殺しにくるなんて、すごくない?
「リーテ」
「動かないで」
私達を中心に半円状に展開していらっしゃる皆様の中から声が上がるけれど、やめてーほら余計に刃物がー…うわーん! かろうじてまだ傷はついてないみたいですが、私は絶対に無傷で帰らなければいけないのに、どうしてくれますか!
この国、カジャル国の人達は平均身長も祖国のそれより高いし、体付きは筋肉質だし、肌の色も黒いし、でも金髪が普通という、私から見れば派手な人である。そんな人たちに囲まれているというだけでも圧迫感がすごいのに! それ以上に命の危険を追加しないでください!
ただでさえ暑い気候で思考が鈍いのだ。その上に大柄な人たちに囲まれるわ、刃物が突きつけられてるわで、頭の中は絶賛混乱中だ。
しかし意味もわからずに人質にされるのも嫌だ!
負けず嫌いというか、タダで言いなりになるわけにはいかない精神を発揮した私は、人垣の隙間に見知った黒と金があるのを確認してから口を開く。
「あのー、すいません。要求を教えていただきたいのですが」
背後から押さえつけられているので顔はよく見えないけれど、驚いた様子もなく返答があった。端的に。
「帰りたい」
「え?」
「うちに、帰りたい」
え、え、え?
混乱しつつも人垣の一番前、私をカジャルに呼んだ人物に疑問を投げつける。
「誘拐したの!?」
「違う! 保護しただけだって!」
全力で否定するように手を横に振るけれど、私の背後からの即答でそれは掻き消された。
「嘘。じゃあ何で何ヶ月も閉じこめるの?」
どっちを信じるか?子供を信じるに決まってるじゃない!
こうやって、今までも色々な事に巻き込まれてきたのだけれど、それでもやっぱり信じてしまう。というか、信じたい。子供、しかも美形の子供に弱い自分が憎い。
それよりも不穏な言葉聞こえたような。何ヶ月も閉じ込めるって、それは、つまり、
「拉致監禁!?」
何て事だ。カジャルは五大陸の中でも階級制度が幅広く、昔程ではないらしいけれど奴隷制度があると聞く。他国の制度だからこちらの物差しではかれるものではないけれど、保護だか拉致だかした上に監禁だなんて、ちょっとそれはどうかと思う。
だというのに、
「リーテは兄上の管轄だから俺は知らん」
ときたもんだ。
思わず半眼になっても仕方ない。
「アズールも王子でしょう?」
そう、アズール、私をこの国に呼んだその人はカジャルの王子様なのだ。
すったもんだの末、身分を超えて友人関係を築いてしまった私とアズールなのだけれど、本来は直接言葉を交わせるような間柄ではない。それを言ったら今現在の私の周囲ほぼ全員に当てはまるのだけれど。逐一説明すると長くなるので割愛する。
私の呆れたような言葉にもアズールはけろっとした顔で、私よりも呆れたような顔で言った。
「妾腹の第三王子にそこまでの権利があると思うのか?」
なるほど。
思わず手をぽんと打つ。庶民のリアクションの鉄板である。
いや、しかし、それならば、
「帰してあげればいいんじゃない?」
保護しただけなら親元に帰せば済む話だよね。親元に返せない事情があるにしても、何で第三者を巻き込んで大騒ぎしてんのさ。聞けば聞くほど私は全く関係ないのですが。
まあ、それが簡単な事じゃないっていうのはアズールや他の人達の顔を見ればわかるけど。どんだけ怖いんだよ、アズールの兄上。
一応私は侍女として随行してきたわけだけど、この国のアズール以外の王子なんて見たこともないんだよね。そもそも第三王子に会う事も普通はないんだろうけど。これはアズールが変なのと、私の立場が微妙なのが関係してる。
今はそんな思い出を遡ってる場合じゃない。
小難しい話が苦手な私が言える事なんて、単純な話しかないのだ。
「じゃあ私は人質のままでいいから一緒に行けばいいよね?」
「クルミ!?」
「こんな子供が親元から離れたままっていうのはおかしいでしょ。それに私が人質なら何も出来ずに逃がしても仕方ないと…思うのですが、どうでしょうか」
人垣の向こう側に視線を移動させると、それに気付いた人達が道を開ける。その先には物語で描かれるようなキラキラの王子様のような男性と、その傍らに寄り添う凛とした女性。
ゆるく波打つ金髪に碧眼、今は着崩しているけれど、正装の上からでも貧弱ではない事がわかる体躯を持つ、まるで絵本から抜け出してきたような男性はジルベルト様。王子様のような、ではない。本物の王子様である。我らがマーリオール国の第一王子様、本人である。
その隣に影のように寄り添っている女性の名前はアーシャ。濡れたような黒い髪を短く切りそろえている上、身長がジルベルト様と変わりないから男性とよく間違われてしまうけれど、れっきとした女性である。口数も少ないし表情筋も無職同前の働きなのでとても恐ろしく見られがちでもあるのだけれど、まあ、うん、そこそこに優しさは残っていると思う。彼女のありったけの優しさのほぼすべてはジルベルト様のものではあるけど。
この二人の侍女として随行したのにこの有様で申し訳ないです、本当に。首に刃物があたっていなければ土下座して謝りたいくらいだ。
ちなみにこの二人に私、そして此処にはいないようだけれど、日程等を管理している初老の男性、ソールを含めた四人でカジャルに来たのだ。少ないだろう。明らかに一国の王子様のお供には足りないだろう。しかしそこがジルベルト様がジルベルト様たる所以なのだ。アーシャがいれば護衛なんてお釣りがでるくらいだし、ソールさんがいれば日常生活のほぼ全てが正常に動く。私というお荷物がいたってどういう事も…うう、この状況では申し訳なさしか残らない。
そんな私の心情などお見通しなんだろう、ジルベルト様は苦笑している。本当にいつもいつもご迷惑をおかけしております。
「そうだね。クルミに傷一つつけただけでも大変な事になるだろうから強硬手段は阻止するしかないかな」
そう言って頂けるとは思っていたけれど、後がちょっと怖いとか思わないでもない。
いや、ジルベルト様にお仕置きされるとかじゃなくてだね、明らかに楽しんでそうなんだよね、この状況を。それが怖い。
まあ、それは置いといて。
「よし、じゃあ行きましょうか」
刃物を握る力に迷いがあるのを確認してからゆっくりと振り向く。同じくらいの高さに顔があるのは彼女が花壇の煉瓦の上に立っているから。リーテちゃんとやらは金色の目を丸く開いて信じるべきか悩んでるみたいだった。
まあ、そうだよね。帰りたくて行動したはいいけどこんなにあっさりと事が運ぶと疑いたくなるよね。かといって信じてーって言うには私とリーテちゃんとやらの間には何もかもが足りない。
うーん。どうしよう。
「クルミ」
思わず腕を組みかけた時、名前を呼ばれた。声がした方向に目を向けると、アーシャが私を見詰めながら自分の胸元を指している。
アーシャが指で示したところ、私の胸元にあるものは一つしか思い浮かばない。しかし見せて伝わるものなのだろうか。
けれど、アーシャの言う事だ。普通の人間よりは信じる価値がある。
リーテちゃん以外には見えないように、服の下からペンダントを引っ張り上げてそこに下げているものを見せる。
瞬間、彼女が凄い勢いで私を見るものだから、危うく完全に取り出してしまうところだった。咄嗟に服の下に押し込んだ私、偉い。いや、見られても困るというか、他人には使えないものなんだけど、分かる人が見ればそれが何なのか分かってしまうので、この微妙な立場を知られるのは…微妙な気持ちになるのですよ。
「信じてもらえるかな?」
頷く姿がね、本当に可愛くてね、私の周りって本当に美人ばっかりでね、とっても、惨め!
しかし女子供二人で行くには長旅だし危険だからということで、アズールとその部下八人の計十一人で出発することになりました。ですよねー。この国の地理に詳しくない私、リーテちゃんに至ってはどこにおうちがあるのかも分からないときたもんだ。よくそれで帰ろうと思ったな! 逆に凄いよ!
「第二王子は私もよく知らないが、良い噂は聞かないね」
だから気を付けるんだよ。笑顔でそう仰ったのはジルベルト様である。
すぐに出発出来るわけでもなく、アズール達が準備をしている間にジルベルト様は相変わらず楽しそうに声を掛けてきたのだ。
普通はもっと、こう、心配くらいしてくれたって…いや、ないな。ジルベルト様に心配なんかされたら天変地異ものである。いい人なんだけど、本当にすごい人なんだけど、ちょっと違う方向にすごくいい人だっていう事を注意書きとして添えておきたい。
「有事の際は、その子供よりも自分の身の心配をすること。わかっているね?」
さっきまでと種類の違う笑顔で念を押された庶民は頷く事しか出来なかった。
一応、カジャルの国王様と第一王子様には話しておいてくれるらしい。どういう事があったのか、そして有事の際、最悪の場合は、私だけでも生かす事について。第二、第三王子達を差し置いて、庶民が生き残る、その意味について。
正直な話、はじめの頃は自分を優先するっていう考えに罪悪感しか湧かなかった。今はもう、あの草一本も残らず消えた一面の焼野原を体験してしまった今はもう、罪悪感よりも世界平和を選ぶ。すまん、許せ。
ソールさんがまとめてくれた荷物を載せた駱駝に乗る。これが噂のカジャルにしかいないという駱駝ですね。マーリオールでいうところの馬みたいなものらしい。
何故か人間以外の生き物に懐かれる事が多い私、例に漏れず駱駝もすんなりと言う事を聞いてくれたので、やだ一人じゃ乗れないわっお嬢さん私が背後から支えますフラグが立つ事はなかった。
私は人質でもあるのでリーテちゃんと相乗りする事になった。
リーテちゃんはアズール達よりも肌の色が濃くて、髪は逆に薄くて白髪なんだけど、この髪がまた日光に当たるとキラキラ光って綺麗なのだ。目はこぼれ落ちてしまいそうなくらいに大きい金色。この国では肌は白ければ白いほど、髪は濃ければ濃いほど、美人、という事になるそうだから、こんなに可愛らしいリーテちゃんは醜いという括りになるらしい。勿体ない。ちなみにこの国では、私は結構な美人に分類される。平凡な肌色に平凡な茶色の髪なんだけどね。
このカジャル国は比較的小さな国で、その大半が砂漠で占められている。といってもそう遠くない場所にオアシスが点々と存在していて、オアシスがあるところに町が形成されているから移動にそこまでの苦労はない。ラクダ様の機嫌が悪くならなければ。
「それじゃあ、行ってきます」
腹の底が見えない笑顔のジルベルト様、目を開けて寝てるのではないかと思ってしまうくらい無表情のアーシャ。いつも通りの二人に見送られながら出発である。
何で他国で迷子を家に帰してあげる事になったのか、考えたら負けだ。
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