第15話「このドキドキは……呪いのせいじゃない」

 翡翠の森を抜けた先に広がる、月光の草原。銀色に輝く草が風に揺れ、まるで海のような光景が広がっていた。


 レオンとアイリスは、丘の上に腰を下ろしていた。二人の間には、以前のような緊張感はなく、どこか穏やかな空気が流れている。


 レオンは、月明かりに照らされたアイリスの横顔を見つめていた。彼女の紫紺の髪が、夜風にそよいでいる。


「なあ、アイリス」


「なに?」


 アイリスが顔を向けると、レオンはハッとした。彼女の瑠璃色の瞳に、月の光が映り込んでいて、まるで星空のように美しかったからだ。


「その……最近、俺たち、随分と変わったよな」


 レオンの言葉に、アイリスは小さく頷いた。


「ええ、そうね。最初は毎日のキスが苦痛だったけど、今は……」


 彼女の言葉が途切れる。頬が薔薇色に染まっているのが、月明かりに照らされてよく分かった。


 レオンは、胸の内で激しく鼓動する心臓の音を感じていた。


「俺も、最初は嫌々だった。でも、今は……」


 彼も言葉を詰まらせる。二人の視線が絡み合う。


 アイリスは、ゆっくりと口を開いた。


「レオン、私……気づいてしまったの」


「気づいた? 何に?」


「このドキドキは……呪いのせいじゃない」


 アイリスの言葉に、レオンは息を飲んだ。彼の心臓が、さらに激しく鼓動を始める。


「俺も……そう思ってた」


 レオンは、勇気を振り絞ってアイリスの手を握った。彼女は、その手を優しく握り返す。


「私たち、お互いのことを本当は分かっていなかったのね」


 アイリスの声が、夜風に乗って優しく響く。


「ああ、そうだな。でも、この旅で、お前の強さも、優しさも、全部知ることができた」


 レオンの言葉に、アイリスの目に涙が光る。


「私も、あなたの勇気と思いやりに、何度も救われたわ」


 二人は、ゆっくりと顔を近づけていく。そして、唇が触れ合った。


 これまでの幾度となく交わしたキスとは、明らかに違っていた。そこには、深い愛情と信頼が込められていた。


 キスが終わると、二人は額を寄せ合ったまま、微笑み合った。


「アイリス、俺……お前のことが好きだ」


「私も、レオン。あなたが好き」


 二人の告白が、月光の草原に静かに響いた。


 その時、レオンとアイリスの体が突如として淡い光に包まれ始めた。それは、まるで月明かりが柔らかく彼らを照らしているかのような、優しく温かな輝きだった。光は最初、二人の指先から始まり、やがて全身を包み込んでいった。


 レオンは驚きに目を見開き、自分の手のひらをじっと見つめた。


「これは……」


 彼の声は驚きと戸惑いに満ちていた。光は彼の赤銅色の髪を金色に輝かせ、その瞳には不思議な光が宿っていた。


 アイリスも同様に、自分の体から放たれる光に目を奪われていた。彼女の瑠璃色のローブは、光に包まれてさらに美しく輝いていた。


「いったい何が……?」


 彼女の声には、驚きと共に、どこか安堵の色が混じっていた。


 光は次第に強くなり、二人の姿を完全に包み込んだ。それは、まるで彼らの心が一つになったかのような、不思議な感覚だった。レオンとアイリスは、互いの手を強く握り締めた。その瞬間、二人の心の中に、これまで感じたことのない温かさが広がった。


 やがて、光が徐々に弱まっていく。そして、完全に消えた時、二人の姿は元の姿に戻っていた。しかし、その表情は明らかに変わっていた。


 レオンはアイリスの目をまっすぐに見つめた。彼の目には、これまでにない優しさと愛情が宿っていた。アイリスも同様に、レオンを見つめ返す。彼女の瞳には、もはや冷たさはなく、温かな光が満ちていた。


 二人は言葉を交わすことなく、ただ互いを見つめ合った。その沈黙の中に、これまでの冒険で培ってきた絆と、新たに芽生えた愛情が込められていた。


 レオンが静かに口を開いた。


「アイリス、俺たち……」


 アイリスは微笑んで頷いた。


「ええ、私たちの心が……」


 二人の間に言葉は必要なかった。彼らの心の中には、もはや呪いではなく、真実の愛が宿っていたのだ。それは、どんな魔法よりも強く、どんな呪いよりも深い、永遠の絆だった。


「これは……」


 レオンが驚きの声を上げる。

 アイリスも、目を見開いていた。


「もしかして……呪いが解けたの?」


 光が消えると、二人の体は元に戻っていた。しかし、その心の中には、確かな絆が芽生えていた。


「呪いは解けたけど、俺たちの気持ちは変わらない」


 レオンがそう言うと、アイリスは優しく微笑んだ。


「ええ、むしろ強くなったわ」


 二人は再び抱き合い、キスを交わした。

 今度は、呪いのためではなく、純粋な愛のために。


 月光の草原に、二人の幸せな笑い声が響いていった。彼らの前には、まだ魔王との戦いが待っている。しかし今や、その戦いにも新たな意味が加わっていた。


 愛の力で、世界を、そして魔王の心さえも救う。それが、レオンとアイリスの新たな使命となったのだ。


 丘の下から、エルとグラムの声が聞こえてきた。


「おーい、レオン! アイリス! どこにいるんだ?」


 レオンとアイリスは、手を取り合って立ち上がった。


「ここだよ!」


 レオンが手を振る。アイリスも小さく頷いた。


 エルとグラムが丘を登ってくると、二人の様子に気づいたようだった。


「あれ? 二人とも妙に仲がいいみたいだけど……」


 エルが不思議そうに首をかしげる。グラムは、knowing smileを浮かべた。


「ほう、やっと気づいたか」


 レオンは少し照れくさそうに頭を掻いた。


「ああ、俺たち……」


「私たち、お互いの気持ちに気づいたの」


 アイリスが、珍しく柔らかな表情で言った。


 エルは嬉しそうに手を叩いた。


「やっと! もう、二人とも鈍感すぎるんだから」


 グラムも、満足げに頷いている。


「良かったな。これで呪いも……」


 彼の言葉に、レオンとアイリスは顔を見合わせた。


「そうだ、呪いのことだけど……」


「解けたわ。私たちの本当の気持ちに気づいた瞬間に」


 エルとグラムは驚きの表情を浮かべた。


「まさか、それが呪いを解く鍵だったとは……」


 エルが感動したように言う。


「魔王の真の目的が、少し見えてきたな」


 グラムが腕を組んで呟いた。


 レオンは、アイリスの手をギュッと握り締めた。


「ああ、俺たちはこれから、魔王の悲しみを理解し、救うんだ。そして、この世界に真の平和をもたらす」


 アイリスも、レオンの言葉に深く頷いた。


「私たちの愛が、きっとその力になるわ」


 月光の草原に立つ四人の姿が、銀色に輝いていた。彼らの前には、新たな冒険が待っている。それは、戦いではなく、理解と愛による救済の旅。


 レオンとアイリスは、互いを見つめ合って微笑んだ。彼らの心の中で、確かな愛が育っていた。それは、どんな呪いよりも強く、どんな魔法よりも不思議な力だった。


 夜風が、優しく四人を包み込む。その風に乗って、彼らの新たな冒険が始まろうとしていた。


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