第2話「10秒で十分よ、これ以上は耐えられない」
エメラルドの森を出た先に広がる、なだらかな丘陵地帯。金色に輝く麦畑が風に揺れる様は、まるで大地の波のようだった。レオンとアイリスは、その麦畑の中の一本道を黙々と歩いていた。
レオンは時折、腰に下げた懐中時計を確認しては、苦い表情を浮かべていた。アイリスは常に前を向いたまま、一切レオンの方を見ようとしない。二人の間に漂う気まずい空気は、まるで目に見えるかのようだった。
「あと1時間だ」
レオンが重い口を開く。
「わかってるわ」
アイリスの返事は短く、冷たかった。
しかし、その冷たさとは裏腹に、アイリスの心の中は複雑な感情が渦巻いていた。レオンとキスをするなんて考えただけでぞっとする。でも、死ぬわけにはいかない。魔王を倒すという使命がある。でも、どうして彼なの? 他の男なら誰でもよかったのに、よりによって……!
レオンも同じように葛藤していた。アイリスとはバトルでは息がぴったりだが、日常では犬猿の仲だ。いつも意見が対立し、言い合いになる。そんな彼女とキスなんて、考えるだけで胸くそが悪い。しかし、他に選択肢はない。命がかかっているんだ。
二人の足が止まったのは、麦畑の中にポツンと佇む古い納屋の前だった。
「ここなら、誰にも見られないだろう」
レオンが提案する。アイリスは無言で頷いた。
納屋の中は薄暗く、埃っぽかった。干し草の香りが鼻をくすぐる。レオンとアイリスは向かい合って立ち、互いの目を見つめた。
「じゃあ……始めるぞ」
レオンが緊張した面持ちで言う。
「ええ……10秒よ。それ以上は絶対にダメ」
アイリスの声は少し震えていた。
二人はゆっくりと顔を近づけていく。目を閉じる。唇が触れ合う。
……。
柔らかい。暖かい。そして、不思議と嫌な感じはしない。むしろ……。
10秒が過ぎ、二人は慌てて離れた。顔を赤らめ、互いの目を見ることができない。
「10秒で十分よ、これ以上は耐えられない」
アイリスが吐き捨てるように言う。しかし、その声には僅かな動揺が混じっていた。
「ああ、そうだな」
レオンも同意するが、どこか上の空だった。
二人は無言で納屋を後にする。しかし、その胸の内では、予想もしなかった感情の種が芽吹き始めていた。それに気づくのは、まだずっと先のことになるだろう。
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