第二話 6月11日
社会人三年目となり、仕事内容にも慣れたし、仕事の理不尽にも慣れた。
定時後に、
「この書類、やり直しね」
と言われることだって慣れた。まあ、心の中では憤っていたが。
ただ、この頃から感染症が流行り始め、会社は出勤している全社員が共倒れにならないようにと部署内でグループを分け、一日ごと交互に出社させるという策を取った。
つまり、週二~三の出勤になったのだ。
感染症には怯えていたが、給料が変わらずこんな楽ができるのであればラッキーだ。
まあ、その分一日の業務量がとんでもないことになるが。
この日も数少ない出勤での残業を終え、とある人物の家に向かった。
インターホンを押すとオートロックのドアが開き、二階にある部屋へ向かう。もう到着したことを察していたのか、到着したと同時にドアが開いた。
「今日もおつかれさま」
「涼太も在宅勤務おつかれ」
と、挨拶を交わし、中へ入った。
涼太は在宅勤務で、朝はギリギリまで寝てられる──まあ勝手に自由にしているだけだが──そんな生活を送っていた。
そのため、勤務後や休みの日は彼の家で過ごすことが当たり前になっていた。
彼とは趣味が合う仲であり、彼の家には狭い部屋に似合わず様々な楽器が揃っていた。
今日はギターに手を伸ばす。
「お、ついにギターに興味が出た?」
「元々やってみたいとは思ってたんだよ。でも難しそうで、手を出さなかっただけ」
「簡単な弾き方があるんだよ。バレーコードって言うんだけどさ」
と、自分の持っていたギターを手に取り、慣れた手つきで弾いてみせた。
「簡単って言うけど、この人差し指で全部抑えるのが難しそうなんだよ」
「言うほど難しくはないよ。試しに弾いてみ」
と、再度ギターを手渡してきた。
「この指はこう」
自分の人差し指を涼太に操られ、次に中指、薬指、小指を弦に添えられる。
「親指と人差し指で挟むようにして、あとはそれぞれの指で抑える感じで」
なんて適当な指示だ。だがここまでされてやっぱりやめた、は言いづらい。
渋々右手で弦を弾いてみると、Cメジャーのコードが響いた。
「鳴った!鳴ったよ!」
とはしゃぐ自分を見て、涼太はくすっと笑った。
「その形をキープしてフレットをずらせば、メジャーコードは弾けるから」
と笑顔で伝えた。
もっと煩雑なコードを覚えなければならないと思っていた自分にとって、こんな簡単にコードが鳴らせるのかと感動した。
「まあ正規のコードの抑え方はいずれ覚えてけばいいよ。でもバレーコードさえ覚えておけばなんにでも使えるからさ。ほら、これ」
自分のスマートフォンが鳴る。涼太が画像を送ってくれたようだ。
「これ、バレーコードの一覧。まずはここから覚えてみ」
マイナーにもセブンにも活用できるとは。涼太に感謝を伝え、ギターに没頭した。
ギターに没頭している間、すべてを忘れられる気がした。
無理な仕事の依頼。残業の押し付け。それに伴って増えた飲酒量。そのせいで無くなっていった貯金。お金が貯められない自分への嫌気。残業を断れない自分への嫌気。全てを忘れられるくらいギターを弾くことに集中した。
気付けば時計は午前二時を指していた。エレキギターをアンプ無しで弾いていたため隣人からの苦情は無かったが、さすがにそろそろ寝なければ。
「ごめん、没頭してた。そろそろ寝る時間だよね」
「いいよ、見てておもしろかったから。じゃあ寝ようか」
なにがおもしろかったんだろう?その疑問はあえて聞かないことにした。
明かりを消し、布団に入る。
疲れが溜まっていたのか、すぐに睡魔が襲ってきた。
微睡む意識の中で、
──涼太とのこの関係は、いつまで続くだろう。
そんな事を考えているうちに、眠りについた。
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