「忘れられた天才」

ある秋の午後、私は大学の図書館で古い文献を漁っていた。埃にまみれた本の山の中から、異様に手入れの行き届いた一冊の薄い本が目に留まった。題名は『無名の天才』。著者は石田某と記されているが、私の知る限り、そんな作家は聞いたこともない。


興味をそそられ、私はその本を手に取り、ページをめくり始めた。だが、すぐに異常に気づいた。内容はあまりにも奇妙で、まるで著者自身が書かれたことを否定するかのような、自己否定的な文章が続いていた。


「私はかつて天才と呼ばれた。しかし、それは間違いだった。私には何もない。ただ、虚ろな空間が広がるだけだ……」


読み進めるごとに、私はこの著者が何を伝えたいのか理解しようとしたが、その文章はあまりに抽象的で、まるで迷路の中をさまようような感覚だった。それでも、どこか心に引っかかるものがあった。


「……結局、人は他人に何を求められているのか分からぬまま、ただ期待に応えようと踊るだけの存在なのだ」


この一文が妙に心に響いた。何かが私の胸を掴んで離さない。それは、現代社会における人々の「成功」や「天才」に対する概念を揺さぶるようなメッセージだった。


「この著者、石田某とは一体誰なのだろう?」


私は本を閉じ、図書館の受付へ向かった。司書に尋ねると、彼女は眉をひそめながら答えた。


「石田某? 聞いたことがありませんね……」


それでも諦められなかった私は、調査を進めることにした。図書館のデータベースや古い書籍を調べ続け、ついにある情報に行き着いた。石田某――彼は、かつて一部の文壇で注目されたが、その後、忘れ去られた作家だったという。彼の作品は当初「天才的」と称賛されたが、やがて人々の記憶から消えていったらしい。


なぜ、彼は天才と呼ばれながらも、誰にも知られることなく消えてしまったのか。私はその答えを求め、彼の書いた他の作品を探し回ったが、手に入ったのはほんの数冊だけだった。その全てが同じように、自己否定や社会に対する疑問で満ちていた。


やがて、私は石田某の生涯に関するわずかな記録を見つけた。それによれば、彼は若い頃から天才肌であったが、その才能が世に出ることはなく、埋もれていったという。彼の最後の著書にはこう記されている。


「人は天才と呼ばれたい。しかし、その名を背負うことが、時にどれだけの重荷であるか、誰も理解しない。天才とは、他人の期待の中で形作られる幻にすぎないのだ……」


私はその言葉に打たれた。彼は誰からも「天才」と呼ばれたが、それが彼の心を蝕んでいった。世間の称賛は彼を喜ばせるどころか、逆に追い詰めたのだろう。そして、最後には自らその天才の称号を否定することで、自由を得ようとしたのかもしれない。


だが、彼の自由は結局、孤独と忘却の中にあった。誰にも知られることなく、彼の作品は世の中から姿を消していったのだ。


図書館を後にする時、私はふと思った。石田某は本当に忘れられた天才だったのか。それとも、彼が望んだのは、自分を天才と呼ぶ世間からの逃避だったのか。彼が残した言葉の中に、彼の真の思いが隠されているのではないかと。


だが、その答えを知る者はもういない。ただ、一冊の薄い本が、今も静かに図書館の片隅に残されているだけだ。

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