第60話 麻井藍 4



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「ねぇ、ハヤタさん、アンタは原くんがゴーゴーカレーが好きだったこと知っている?京本さんが母親の介護を14年間もやり通したってことは?室賀くんが昔、マリみての同人誌では有名サークルで描いていたってことは!?知らないよねーーーー!?知ろうともしなったもんね!私はね、何もちやほやされたいから話しかけたり、近づいたんじゃない!同じエンマコンマの仲間なんだから、知ろうとしない方がおかしいって言っているだけなんだよ!!!」

それは有紀の指摘通りで、斗美はその三人の名前を辛うじて覚えていただけだった。

そして火に油を注ぐことになるので口にしなかったが、

―あ!この天田有紀って人にもあまり興味なかったわ。

と思っていた。

「斗美さん」と云って振り返るとそこに二浦沙也と韓璃音がいた。

斗美が適度な挨拶を発音すると息せき切って沙也が語り始める。

「斗美さん、私このリオンと結婚します!美香ちゃんに23全区長になってもらい同性婚に憲法を改正してもらいます。そのためには同盟が強権を持って、表の青春共和国や若獅子会に強くなってもらわなければならない。私は美香ちゃんや有紀さんの思想に共感します。でも斗美さんは、無い、ですよね、イデオロギーと言えるものが」

「無い、無いよ。でも思想は仲良くなるツールじゃないでしょう、沙也とリオンちゃんはそうじゃあないでしょう」

「いえ、リオンと幸せになるためならば、思想だろうが宗教だろうがすがりつきます。私は斗美さんと違って弱いから」

―弱い、だろうけど、私はあなたたちに負けた。

斗美は黙ってイヴィトール・ユニットを点火させ、地上に戻る。

だがもしこの場に藍がいたなら云ったであろう。

「自分の弱さを曝け出すことは勝ち負け関係ない、泥仕合だ」と。

その藍だが、新宿区役所で用件を済まし、一旦準備のために歌舞伎町タワーの最上階に戻ろうとしたら、区役所通りでまさに藍と弓を待ちかまえるようにイスパノスイザのクラシックカーが扉を開けた。

「麻井藍さまと賀藤弓さまですね。川嶋美香がお二人に会いたいと申し上げております。如何?」

藍は返事もナシで後部座席に乗り込む。

弓も続く。

新宿御苑にこの自動車で乗り入れること自体が非常識なのだが、目指した先が普段は一般公開していないであろう中華風建築のアンティークな建物だった。

自動車の運転手がそのまま館内を藍と弓を案内する。

部屋には黒のツーピース姿の川嶋美香が待っていた。

凝った細工のテーブルの上にはロイヤルコペンハーゲンのティーポットと人数分のティーカップ、それに和洋中系3体のスウィーツタワー。

「川嶋美香です。この度の平岩砂子さんの件、心より謝罪します」と美香は立ち上がり深々と45度に首を垂れ、そのまま正確に20秒頭を下げたままであった。

「で、選挙に出るのをやめろ、と?」と藍が無表情で云う。

「いえいえ、話の中途ですよ。防犯カメラからあの時の暴漢7名を既に捕縛してあります。こちらの所属のもの達でしたのでね、ええ。近々に断種の上に去勢致します」

美香のその言説に又藍が話そうとすると、「いやいや、未だ話の途中ですよ」とこちらも無表情で対応し、続けて、「そもそもの砂子さんの家出の原因である実家の祖父と叔父と母親、この三人は以前から地方行政の汚職に関わっているようなので、財産や不動産を全て没収しました。おそらく近々に突然の家財の破綻から精神を著しく損なうと思われるので、その時は精神病院に隔離する予定です」と言い切った。

「もう、いいかい?」と藍。

「どうぞ、どうぞ」と美香。

「で、選挙に出るのをやめろ、と?」

と藍が笑いながら云う。

「麻井さんが選挙に出る目的は友達のカタキを取るためでしょう。でも、私が処理したことで、もうあなたのモチベーションは無くなりましたよ。どうすんの?」

と美香が笑いながら云う。

「へーーー!自分の手落ちを棚に上げるんだ」と藍。

「最初に頭を下げたでしょうに。それに虐待の家族とそれに知らんぷりを決め込んだ学校、そしてあの街と一見、それらに秩序はないように見えますが、家族には家父長制、学校には事なかれ主義の官僚主義、そしてあの街には売春を促す資本主義がある。これこそミシェル・フーコーの云う〈権力〉ですよね」

「いや、その、なんとかフーコーと砂ちゃんはどういう関係あんの?よく判んないだけど、結局社会や世間の犠牲者にして、逃げようとしていない?責任取るべき主体はそんなふわふわしたもんじゃない」

これは藍もとっくに気づいているのだが、美香が藍に出馬してもらいたくないワケ。

それは藍だけが候補者の中でエンマコンマの存在を知っていることだ。

それこそ美香は良い傀儡候補が現れたならば、操作してそいつを23全区長に据えてもいいと考えていたのだ。

表舞台で目立つことに浮かれない女ではあったのだ。

「だからさ、麻井さん、私を手を組もうよ。国を動かせる、最強の軍事力を持つエンマコンマがケツ持ちをする、政財界どころか教育やNPOすら次々と傘下に収めている。もう砂子さんのような人を生まないような世界を私と作ろう!いや、私を助けてもらいたい!それが私の、この川嶋美香の贖罪だよ!」

今度は慇懃無礼でなく、ペコリと美香は頭を下げた。

藍は考え込んでいる。

だが数秒後に「そうやって、政府や企業、軍事組織とコネ作るヤツは臆病者の証しだよ」と言い放つ。

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