第11話 川嶋美香 1



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美香によそわれたカレーライスの皿にのみ、麦茶がぶちまけられていた。

のみというからには、他にも母親がよそった皿があるワケで、それらは母親じしんの分、父親の分、美香の弟である緑児の分だ。

家族の朝の食卓、父親はささっとカレーライスをかっこみ、麦茶を飲んで、早々に食べ終わる。

幼稚園に通う緑児はTVの星座占いを見ながら、スプーンを握りしめている。

母親は緑児を幼稚園に送っていくため着替えをしているハズだ、ここにはいない。

美香は少々悩んだ。

この家庭ではカレーライスに麦茶が付いてくるのは定番で、おそらく、母親がうっかりカレーの上にこぼしてしまい、更にそれに気づかず食卓に上げたのだと判断した。

―そうだ、カレーと麦茶は同じような色だから気付かなかったのだろう。

同時に美香はカレーが粘度ある食べ物であることを思い出し、流しで表面の麦茶を捨てることを思いつき、そのようにした。

それでも麦茶につかった部分は多かったが、朝の忙しい時間帯であるし、親の手を煩わせることのデメリット、なにより母が作ってくれた料理を捨てるということを回避したいという平均的な娘の発想により、美香はそのカレーライスを黙って食べた。

父親はもう出かけるところで、緑児は次の番組の冒頭である今日のニュースに気を取られている。

母親は、娘の美香がカレーライスを完食するところを物陰から見た。

美香は小学校五年生、緑児は幼稚園の年長、五歳離れた姉弟である。

父親は役所勤めで、母親は息子を幼稚園に送り届けるとそのままパートタイマーとしてサンドイッチ屋で働く。

美香は後に振り返ると、この朝からこの家族は変化したのだと後に気づく。

いや、片鱗というか予感というか、妙だなと思うことはあったのだが、それは美香じしんなんとなくスルーしたし、というよりそう仕向けられたように感じる。

まず、母親の実家にも行ったことないし、その家族に会ったことがなかった。

父親の方の親族はこの北海道の県庁所在地にある街のはずれにあり、よく行き来がある。

それに父親の旧友たちとも面識があり、つい最近、大通り公園で友人一家何組か集まって、夕食を共にした。

この時も美香は思ったものである。

―そういえば、お母さんの友達に会ったことないし、いや、友達や昔の学校とかの話も聴いたことがない。何で?

という疑問が美香に浮かんでも、公園で父親の友人たちと楽しく談笑する母親を見ていると、その疑問を打ち消すように自然となった。

両親の社交的な姿や態度を見て育ったためか、美香は負けず劣らず、どんな集団内でも物怖じせず、自分の意見をはっきり言い、周囲の人々の状況を捉え、言動を打ち出すようになっていた。

最初は幼稚園の時の演劇でのヒロインの座のゲット、その後には小学校でどの学年でも学級委員長を務めた。

美香はそつがない子であった。

小学校五年と云えばもうキャラクターが明確になっていく頃で、運動や習い事に邁進する子、不良っぽい子、おたくな子、と。

その中にあり、例えば、そんな三派があった時に、どの派閥からも一目を置かれる立場に美香はいた。

身長は高い方だが男子を抜く程ではなく、その黒くて長い髪は自分の意見をはっきりと云う美香の攻撃性を抑えるが如く、清楚に見せた。

幼児の頃から、母親が梳かしてくれていた黒髪である。

美香もその碧の黒髪を気に入り、そうしてくれていた母親が好きだった。

美香はこの日、学内の総選挙で児童会の副会長に立候補したので、全校児童の前で、施政方針演説の子ども版を披露する予定だった。

幼稚園の時に、お芝居で演技というものを初めてしたが、台本を覚えるのも、台本の通り話すのも苦痛であった。

だが、人前で話し、演じるということにはいかほどかの快感をその行動に伴った。

決して早口にならず、それこそ話す対象の表情を読むくらいの余裕を持ち、自分語りはせず、最後まで自分のテンポを保つ。

これだけでたいていはイケた。

会長選には立候補者は三人、規定で全員六年生、全員男子。

副会長選には五人だが、六年生と五年生から一人づつ計二人の副会長が選ばれ、故に、六年生からは二人候補者がいて、五年生は美香含めて三人。

そして五年生の副会長が来年の会長になる確率はうんと高かった。

会長候補の一人の男の子は前回の副会長である。

彼は自分の副会長時代の手柄と会長として遅刻をなくしたり、イジメの起きぬよう、地域の中で年長が年少をサポートするシステムの強化を打ち出した。

彼が話し終え、演台から降りると彼女の番だ。

「川嶋美香でございます。私が目指すこの学校の体制は、平等なスタート、自由な競争、幸福な運営である。何故、会長は六年生だけ、副会長は五年と六年一人づつと決まっているのでしょう? 一年生が会長になってはいけない根拠があるのでしょうか? 放課後の校庭の場所取りもなんとなく上級生有利になっていますよね? なにより、何故にこの選挙での立候補者で女子は私だけなのか? この児童会選挙が平等を謳うならば、学年もジェンダーも足枷になってはいけない」

「おいおい! じゃあ、川嶋が会長になるつもりか!?」

これは美香と同じクラスの不良っぽい男子で、美香の仕込みだ。

「いえ、この度の選挙制度には従います。私はこの一年でルールの改正に努め、来年に六年生になった時にこの中の誰かが、私を押し退ける程の逸材が、女の子でも、低学年でも出ることを期待するものです!」

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