第10話 野原ハヤテ 5



    5



「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

これは店長の射精した時の快楽でつい漏れてしまった叫び声だ。

今の今まで自分の口内に知人の老人の陰茎が入ったことが信じられなかったが、それは舌で感じる生臭い精液がウソでないことを教えてくれた。

周囲を見渡すとカズシやリュウ、そう、いつもの仲間たちが取り囲んでいる。

彼らが通行人から見えなくしていたことに今気付いた。

その仲間たちはニヤニヤとハヤテを嘲笑しているかのように見つめている。

カズシは店長にさり気ないお掃除フェラを披露した後、「店長は、オレたちにできないことをた易くやってのけるんだもん。そこにしびれます」と云ったので、つまり憧れてはいないことが判る。

皆が微笑を浮かべる中、砂子だけがあの寂しそうな表情をしていた。

その顔はハヤテに「だから戻りなと言ったじゃない」と云っていた。

そして砂子はハヤテにハンカチを渡し、つまりそこに店長の精液を吐き出すように勧めたということだ。

そこにハヤテに疑問が生まれた。

―何故?精液を地面に吐き出してはならない?ここは路上だ。そうか!砂子もやっぱりこの店長を恐れて、精液をハンカチで包んで、事なきを得ろ!と言っているんだ!

砂子しか、今自分にはいない、とハヤテは思った。

さっき店長に恫喝された時には家族の元に戻ることを心から望んだが、もう店長に口内を荒らされた今となると、あの優しさと暖かさには戻れないと知る(そう、店長がこの思考を皆に導いたとも言える)。

でも砂子だけはこの連中の中、自分の希望だ、と。

―殴ったりの暴力をふるってもこの取り巻きたちや他の仲間たちから返り討ちに遇うだけだ。では、どうしたらいいのか?

ハヤテが胡坐をかいて座る隣には電柱があり、その根本にはゴミ袋が置かれている。

初めてこの街に来た時に見たああいうゴミ袋。

やはりその両端には生ゴミから出た液体が入り混じって気色の悪い汁が溜まっていた。


「あれー、コイツはバカかー!店長にこんな目に合わされてキチガイになったのかぁー」

「店長の精液と包皮にたまった滓が汚いと思うならば、ビルの裏に蛇口あるっていうのによー!そこで口内をすすげばいいいんだよー!」

と、リュウとカズシは会話しているので、ズボンとパンツとベルトを直している店長は気になってハヤテを見る。

するとハヤテはゴミ袋の端を破り、〈生ゴミから出た液体が入り混じって気色の悪い汁〉で口をすすいでいた。

それを見た店長は猛然とハヤテに殴りかかった!

「わざと汚水で洗って自分の意思を示すのかYO!そんなくだらぬプライドを持っていたら!この街では重くて飛べないゼ!」

そういいながら、一切の攻撃の手を休めなかった。

ハヤテは一切反撃しない。

むしろバカ笑いを始めた。

その声がよけい店長の逆鱗に触れ、店長は同じく電柱の根本に捨ててあった木材を持ち上げ、ハヤテを打った。

その高らかなバカ笑いに釣られた三派がいた。

まず、一派めが、地回りのヤクザで、店長とは旧知の中。

彼らが店長を助けることはなかった。

それは次の二派めが野次馬で、彼ら・彼女らはスマートフォンで撮影を始めていたからだ。

地回りは撮影を恐れて遠巻きに傍観するのみ。

三派めは警官で、彼らは店長を確保しようとするが、店員の矛先は警官たちに向いたのだ。

ハヤテの意趣返しにキれたのは確かだったが、この家出少年を男娼に落とす方法を編み出して約20年の実績を壊された方が彼には耐えきれなかったので、パニック状態である。

ハヤテは死ぬんじゃないかと思う程に殴られ、もう意識を保つ限界だった。

「走れる?」

―ムチャだろ、それ。でも、うん、何?誰?

そう尋ねたのは砂子だった。

「行こうよ!」

砂子はハヤテに肩を貸し、タクシーを拾って、この街を離れた。

タクシーの中で砂子は、「する?」と聴いたがハヤテは「できるワケねーだろ!」と返し、2人で笑った。


砂子の友人であるソープ嬢のお姉さんがふた月ほど、バリ島へ旅行するので、その間住んでいてもいいと云われた。

砂子は板橋にある家賃15万円ほどのその賃貸マンションにハヤテを連れ帰った。

そして看病した。

病院に行くことも、ハヤテの家族に連絡することもしなかった。

単純に金銭に余裕があったこともあったが、その間、砂子は売春稼業に出なかった。

一方の店長は、捕縛され、拘留されたが、被害者がいないこともあり、拘留期間を最大限伸ばされて、釈放された。

いつも日陰の花を売りさばいていた店長としては今回の騒動はそうとうなダメージだった。

付き合いのある地回りや警察内の内通者もハデな立ち回りをした隠花植物を切った。

それに組織売春でなく、素人の時代がこの街には既に到来していたので、再建は難しい。

そう思ったら、店長のやることは一つである。

彼には未だ二つあった。

闇世界の情報網にアクセスできて、凶器を買うことができる、の二つである。

だから、板橋の商店街で砂子とハヤテが歩くところを見つけた時に、直ぐにピストルを向けた。

最初にそれに気づいたのはハヤテだった。

ハヤテは一切言葉にしなかったが、この店長の襲撃を半ば予期していたのだ。

砂子の前に立ちはだかるハヤテ。

引き金を引く店長。

憔悴し切った店長を心配して、実は後方にカズシはもいた。

脇腹を撃たれてうずくまるハヤテに覆いかぶさる砂子。

逃げる店長。

店長の捨てた拳銃を拾って別の方向に逃げるカズシ。

ハヤテは薄れゆく意識の中で、道端にあるゴミ袋を眺めた。

もう死んで行くハヤテを驚かしたのは、ゴミ袋に突如大きな瞳が浮かんだからだ。

その〈目〉は音矢と洋二が見たものと同種のものである。

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