三匹の子豚×改札口

 ー実家住まいだった三匹の子ぶた。独立することになり、それぞれが家を立てて暮らすことになりました。怠け者の長男ぶたは藁で作った家に、面倒くさがりやの次男ぶたは木で作った家に、臆病者の三男ぶたはレンガで家を作って住み始めました。ある日、腹ペコのオオカミが来て、まず長男ぶたの藁の家を訪れましたが藁は吹き飛んでしまい長男ぶたは次男ぶたの家に逃げました。ところが次男ぶたの家も同じようにオオカミに壊されてしまい、二匹は三男ぶたの家に逃げ込みました・・




 従来の切符から、翳すだけで改札を通過できるICカードへの切り替えが普及し、今や老若男女の誰もが、その画期的なアイテムを駆使する時代になった。スキャナーが、商品のバーコードを読み取るような電子音と共に、人々は改札をスムーズかつ軽快に通り抜けていくのである。

 たまの例外を除いては・・


 バンッ!

 開閉ドアが、モクジの行く手を阻んだ。次いで鳴り響く、ピンポーン!

 見ると、残高不足ですとの表示が。

「うっわ、マジかよ」

 思わず低い声が漏れる。同時に、背後に迫った中年男の舌打ちが、聞こえた。

 バンッ!

 隣の自動改札機からも、同じ音がした。

「え、え、」

 見ると、ピンポーン!と鳴り響く中、黒ぶち眼鏡をかけた男が、何度もスマホを翳し直している。

「あれ、え、なんで?」

 スマホを弄って確認する彼の後ろでも、苛々渋滞が起きていた。

 バンッ!

 又しても、同じ音。

 今度は、眼鏡男子の向こうの改札機のデブっちょ。

 丸太がスーツを着ているような風体のでぶっちょは、ピンポーン!と鳴っているにも関わらず、確かめもせずに翳し続け、ややもすると強硬突破しそうな勢いだ。彼の後ろの人々は、苛々を通り越して殺気だっている。

 モクジは、デブっちょの二の舞にならないように踵を返した。後ろに続いていた中年男を含む数名が、早足で他の自動改札機へ抜けていく。

 朝の改札口は、渓流。その流れを乱す者は、殺気を向けられても、仕方がないのだ。

 週末にチャージしときゃ良かったなあーと、モクジは寝癖が直り切ってない頭を掻きながら、券売機に向かった。カードを挿入して、財布を出した時、隣で同じように財布を出している先程の眼鏡男と、目がかち合う。お互いに不慣れなスーツを着て、ネクタイをやけにきっちり絞めた新社会人なのが、一目でわかった。

「お互い、朝からついてないっすね」と話しかけると「そそっかしいのが特技だって言われます」と苦笑いが返ってきた。手早くチャージすると、じゃ、と眼鏡男に手を上げて改札口を通る。

 ピッ!

 今度はバッチリ。

 デブっちょは、駅員に取り押さえられ、カードを確認されている。

 迷惑なヤツーと、モクジは自分のことを棚上げして、冷ややかな視線を投げた。


「新入社員の諸君!ようこそ、我が社へ!」

 高そうなブラックスーツに身を包んだマガミ社長が、バリトンのような声で力強い挨拶を始めた。おしゃれパーマだろうか、艶のある漆黒の無造作なうねりヘアが縁取るのは、こんがり焼けた外人のように彫りの深い顔立ち。太い眉毛の下の目力がとても強く、視線があっただけで竦み上がってしまいそうだ。噂には聞いていたが、こうして実際に会ってみると、まるで猛獣の前にいるような心地すらするな、とモクジは思った。

『Magamiコーポレーション』

 一昨年あたり父親でもある先代から社長の椅子を引き継ぎ、それまでの営業方針を一新した会社である。これまでになかった斬新な手法を取り入れた商法が話題になり、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのベンチャー企業として成長を続けている。

 面白そうだなと思ったのが、モクジの志望動機だった。経済系の大学に通ったモクジは、取り立ててやりたいことが見つけられず、就活が難航していた。

 オレって、なにがしたいんだろう? なにができんだ?

 自己分析の答えがどうしても見つけられないまま、希望した企業からの採用通知を受け取った友達が、次々と就活戦争からいち抜けしていくのをぼんやり眺める日々。最悪、二次、三次でもまだ募集かけてるマンモス企業にでも行ければいっかと安易なことを考えていた。そこで、なんとなく働ければいいや、それで。

『なにがしたいのか、わからない君は、ぜひMagamiコーポレーションへ!』

 チラシに踊る文字が、モクジの心情にストレートに突き刺さってきた。

『なにがしたいのかが、わからないのは、まだなにもしていないからだ!様々な事業を手がけるMagamiコーポレーションなら、君を刺激する仕事に必ず出会えるはず!眠っている才能を開花させよう!』

 こんなのは謳い文句だ、わかっちゃいたが、モクジは、Magamiコーポレーションのインターンシップに即時に申し込んだのだった。

 社長の挨拶が終わると、それぞれのグループに分かれての行動だ。

 このグループ、入社時の適性能力テストの結果と、面接での長所・短所アピールを元に選別され、振り分けられたものらしい。グループ内のメンバーは、実質、これから机を並べて働く同期となる。モクジは、営業課内に三つある部署の一つ、Naked Beginning部署、通称NABE部に配属された。

「あ、あれ?」

 気弱な声に、振り向いたモクジの目の前に、朝の眼鏡男が立っていた。

「おぉ? もしかして、同期っすか?」モクジの問いに、眼鏡男は嬉しそうに何度も頷く。

「奇遇、ですね。同じ会社、だったなんて」

「ほんとっすねー」

「レンガミと言います。よろしくお願いします」眼鏡男は子どものように破顔した。

「オレは、モクジって呼んで。よろしくー」

 名前だけの自己紹介をしながら、先導者についてゾロゾロと廊下を行くと、俄に前方が騒がしくなってきた。

「副社長です」

 レンガミにそう耳打ちされたモクジが、廊下の先に目をやると、モーセの海渡りよろしく真っ二つに割れた人垣のまん中を、完璧な笑顔の見本として辞書に載っていてもおかしくない顔を貼付けたスリムな人物が歩いてくる。

 マガミ社長とは対象的な見た目である。アッシュグレーの柔らかそうな髪をジャニーズ風にセットし、白っぽいスーツに身を包んだ姿は王子様を連想させた。副社長は、黄色い歓声を上げる女性社員達に手を振っている。

「割れろ!」

 先導者の先輩が素早く号令をかけた。新入社員達のグループは、わけのわからないままに、なんとなく二つに分かれて壁際に寄った。だが、対応できなかった数名の新参者が、大名行列の通り道に取り残されてしまった。モクジは、その一人。

「マズいです、早くこっちに・・」と手招きするレンガミに、なんで? と、戸惑う表情を向けているモクジの耳元に、どうしたのぉ? と、清涼感のある息が吹きかけられた。耳を押さえて真っ赤になったモクジの視界に、完璧な笑顔が映り込んだ。いつのまにか副社長が、近くまで来ていたのだ。

「君、NABEの新入社員の子だねぇ。初めまして。ぼくはジロウ、この会社のナンバーツーって呼ばれてる」モクジの脳裏に『天使のような笑み』という言葉が浮かんだ。

「あ、ども。モクジっす」

「モクジ君、ね。で、そっちの君は?」

 ジロウ副社長が、視線をモクジの背後に滑らせた。その視線を追って振り返ったモクジは、ぎょっとした。今朝、改札で会った、あのデブっちょがよそ見しながら吹き出物を弄っているのだ。

 うわー・・マジかよー・・こいつも同じ会社だったとか。

 再度呼びかけられたデブっちょは、あぁんと副社長を睥睨すると、ぶっきらぼうな口調でコウイチと名乗った。それを聞いた副社長が、ワンツーペアだねとはしゃぐ。

「俺と兄さんもワンツーペアなんだよ。マガミイチロウ社長と、俺、ジロウ」ね、と副社長は嬉しそうに言ったあと、でも君たち他人でしょ? と続けた。激しく頷くモクジと、むっつりと不機嫌そうな顔を貼付けたコウイチとを、副社長はしばし興味津々でじっくりと見比べていた。そして、手を打ったのだ。

「他人なのに、偶然にもこうして繋がりがある名前を持つ君たち。これもなにかの縁だろう。せっかくだ、我が社初の試みの第一号被験者になってもらおう!」

 副社長の言葉にその場がざわつき出した。モクジたちのグループを先導してきた先輩がなにかを意見しようと口を開けたが、天使の笑みに怖じ気づいたのか静かに閉めた。

「別に、難しいことじゃない。所謂ビギナーズラックってやつを試してみたいだけだから、気楽にチャレンジしてよ。もちろん上手くいったら昇進を考えてあげる。悪い話じゃないでしょ?」と、副社長は莞爾に笑む。

 提案されているように聞こえるが、これは命令だ。拒否権がないのは、モクジでもわかる。ところが、

「初の第一号っていうんなら、もちろん、それなりに手当てとか、あるんだろうな?」

 それまで興味なさそうな顔をして吹き出物を弄っていたくせに、いきなり図々しいことを言いだしたコウイチ。

「手当てかぁーうーん・・それは考えてなかったなぁ。君、案外頭良いんだね」

 眉を八の字にして顎をさする副社長。困っているというより、物珍しい生き物に向けるような眼差しをコウイチに注いでいる。

「じゃあ、その点については検討して、後日、内容も含めた詳細を連絡するよ」

 仁王立ちになっているコウイチのむっっくりした肩を、よろしくねと、ポンポン叩いた副社長は、役員を従えて去っていった。その言葉通り、翌朝、モクジとコウイチの新しいパソコンには副社長秘書からの指令が、それ以外の全社員には今回の実験的な企画内容が届いたのだった。


 数日後の昼休み。

 慣れない業務に脳みそをフルに使い、睡魔に襲われ始めていたモクジは、缶コーヒーでも飲もうかと自動販売機コーナーに向かった。それで、レンガミが四つん這いになって、なにかを探しているのに出会したのだ。

「どした?」と、声をかけると、ずり落ちた眼鏡を押上げながら、あ、あの、とレンガミが身を起こした。

「おつりを、落としてしまったようで」と言って、再度自販機の下に目を凝らす。

 それを横目に、モクジはアイスコーヒーのボタンを押した。

 取り出す時に、ふと、釣り銭受け取り口の中に、小銭が入っているのが見えた。

「なぁ、おつり入ったまんまじゃね?」

 缶コーヒーのプルタブを起こして、口にくわえながら、声をかけた。

 レンガミは、え! と、飛び上がって、おつり受け取り口を弄ると、え、なんで? と発する。それから一頻り首を傾げた次には、買った飲み物をどこに置いたか忘れたらしく、探し始めた。それも、モクジが自販機の真ん前に設置されたベンチの上に発見した。

「お陰様で、助かりました」

 差し出されたスプライトを恭しく受け取りながら、深々と頭を下げるレンガミ。

 モクジはそんな姿を眺めながら、缶ジュース買うにしても、いちいち大事件だなと惻陰の情を催した。だが、レンガミの大事件はまだ終結しないらしく、今度は、プルタブを上げるのに苦労し始める始末。昨夜、爪を短く切り過ぎてしまったのだと独り言のような弁解を呟きながら、やっとこ開けたスプライトを、まるで砂漠を宛てどなく彷徨った挙げ句にようやくありつけた貴重な水かのように、恍惚の表情を浮かべ、やっと飲み始めた。

「その後、進捗はいかがですか?」

 コイツ、トロいくせに案外ズバッと嫌なこと切り込んでくるじゃん、と内心むっとしたモクジは、答える代わりにコーヒーを一口飲んだ。

 副社長から直々に下された指令は、海外メーカーの新規開拓。日常英会話ですら苦労するレベルの英語力しかないモクジには厳しいものだった。では、相棒のコウイチはというと、なにを考えているのか、計画を立てようにも上の空で話にならず、そもそも、存在自体が得体が知れない絶望的な状況だったのである。

 ここ数日、モクジは英和辞典と首っ引きで、取引に応じてくれそうな事業を行っている海外メーカーを片っ端からピックアップしていた。その向かい側で、コウイチはデスクに突っ伏して眠りこけている。

「ボクに、なにかお手伝いできることが、あればいいのですが・・」

 レンガミは、そう言いながらも、自信なさげな視線を飲み口に落とした。スプライトの缶の中に、自信を見つけようとでもするかのようなその様子を一瞥したモクジは、いや、なんもねぇな、と心で即答する。

 自分より遥かにおっちょこちょいの抜け作に、一体なにができるというのか。

「あの狷介孤高の人は、なにを考えているんでしょう?」

 その通りだ。そもそも、あのデブが手当てがどうのなんて言わなきゃこんなことにならなかったのかもしれないのに。

 数日前、喫煙所で、営業課のOwnership Yummy、通称OYU部の先輩達と一緒になった。

 奴らが爆笑しながら揶揄してきた内容を要約したところ、我が社初の試みだなどと宣っていたこの企画は、毎年恒例の懲らしめらしい。各課各部署の中でも、特に営業の初心者部門と呼ばれるNABE部には、資格や技術、めぼしい特技がないモクジのような人間が配属される。そして、即戦力となり得るものを持っていない故なのか、NABE部社員に限ってだけ、営業成績の最下位の者にこうして抜き打ち試験のような指令が突然科せられるのだという。今回と似たような高難易度のミッションを与えられ、達成できなかった者は首。要は、態度と実績が伴っている社員かどうか、会社にとって雇い続ける価値がある人材かどうかを、篩にかけられるのである。

『まあ、そもそも協調性がない人間は、天才かアホのどちらかだからな〜後者だった場合、会社として、そこに無駄な人件費を使いたくないと、こういうわけだ。しっかし、おめーらはバッカだよなぁ』

 今回のように新入社員、それも初日では初めてのケースらしい。だから、第一号被験者ね・・苦笑いが込み上げてくる。それもこれも、要領の悪い二人が、運悪く副社長の目に止まってしまったからなのだが。己のバカさ加減を呪わないではないが、権力という大名行列に平伏したくない自分がいた。だから、敢えてどきたくなかったのだ。あの滑稽な光景に、失望したのもある。

 柄にもなく、夢みてたんだと、己で己を嘲った。

 いいこと謳ってた分際で、結局会社なんて、やっぱこんなもんなのかよ。独自のヒエラルキー内で、パワハラにひれ伏すのが当たり前かよ。協調性って、なんだよ。唯々諾々がそんな重要かよ。いや、だってオレ、そんな人間になるために、ここに入社したんじゃ、ねーしな。あの一件以来、そんな複雑な色をした塊が、胃のちょと上の食道あたりにずっと痞えている。

「ジロウ副社長は、イチロウ社長を凌ぐ才腕を持っていると噂されるほどの切れ者、らしいです。それだけに、目をつけられると容赦ないのだとか。怖い怖い・・」

 他人事だなムカつくわーと苛立ったモクジは、飲み終わった缶をゴミ箱に向かって、力一杯投げつけた。

 缶はゴミ箱の縁に勢いよく当たって跳ね返ると、タイミング悪くのっそり現れたコウイチの顔を、直撃した。

 レンガミが発した、ひゃっ!と、モクジのヤベっが重なったあと、缶が転がっていく音と共に気まずい沈黙に支配される。

「わ、わざとじゃねーから・・」

 モクジが言い訳するのを、うるせぇと濁声で遮るコウイチ。

 その偉そうな言い方に、モクジは腹が立った。

 瞬時に、気まずい空気が、殺伐の色に塗り替えられた。

 それを察したレンガミは、空になったスプライトの缶を両手で握りしめ、追い詰められたネズミのように身を縮こませた。

「おい、なーにが、うるせぇだ? あぁ?」

 最初に口火を切ったのは、モクジ。強面のコウイチを、ヤンキーのように睨み上げる。

「黙ってりゃあ、テメー一体、何様だ? テメーのせいで、オレは大変な事態に直面してるってつーのに、テメーはなんなんだ? あ? 優雅にお昼寝か? なんだってオレがテメーの分まで頑張らねーといけねーんだよ!つか、なんで、オレがこんな目に合わなきゃいけねーんだよ!ふっざけんな!」このモクジの言葉を受けて、コウイチは、弛んだ口角を片方だけ極端に上げる嫌な笑い方をしてよこした。

「おめぇが勝手にやってんだろ」誰が頼んだ? おれにはおれのやり方がある、とコウイチは負けずと言い返しました。

 モクジの怒りは絶頂に達しましたが、ここで騒ぎを起こしてはマズい。

「ほーほーほー、テメーのやり方? 昼寝のやり方か? ぶはは!おもしれぇ!お手並み拝見といこうじゃねーか!」

 顳顬をひくつかせて、それだけを吐き捨てたモクジは、足音荒く喫煙室に向かった。

 残されたレンガミは、亀のように縮めた首を怖々伸ばして、コウイチの様子を窺う。

 コウイチは、何事もなかったように自販機のボタンを押している。よく見ると、レンガミと同じスプライトを買っていた。あ、と思わず小さな声を発したのはレンガミだ。

「おいしいですよね。ぼくも好きで」

 嬉しそうに、空になった缶を顔の前で振っているレンガミに視線を合わせるでもなく、コウイチは力強くプルタブを引き上げて、がぶっと一口飲んだ。

「・・コウイチさんは、今回の出来レース、どう思ってますか?」なんとなく言ってしまってから、レンガミは慌てて口に手を当てた。

「出来レース、だと? どういうことだ?」

 コウイチが初めてレンガミに視線を向けた。その力強い眼差しは、レンガミになまはげを連想させた。蛇に睨まれる蛙のように、あ、いえ、と口籠る情けないレンガミ。そんな眼鏡男から視線を外したコウイチは、フンと鼻を鳴らすと「おもしれぇじゃねぇか」と呟いて、一気にスプライトを呷った。


 モクジのところに、コウイチからの報告書が届いたのは、それから数日後。

 中国の某メーカーとの商談に漕ぎ着けたという内容だった。

 メールには、一週間後の商談日程と場所が記されており、モクジにも同席するようにとの添え書きがある。

 中国ね。けっ。随分と手軽なとこで済ませようとしやがったな、とぶつぶつ悪態をつきつつも、内心は安堵していた。

 モクジはモクジで、カナダのメーカーからの連絡待ちではあったのですが、先を越されたことは癪ですが、商談がまとまれば、とりあえずはミッションクリアとなるのだ。

 向かいの席で、パソコンを睨みながら菓子パンの大袋を抱えてモリモリ食べているコウイチを軽蔑の眼差しで一瞥すると、同席を了解する旨を返信した。

 そして、コウイチがセッティングした商談の日程が明日に迫った前日。

 OYU部から緊急の応援要請が入った。

 明日、開催される大手取引先の促進イベントに、PRも兼ねて参加する予定だったメンバーが、インフルエンザにかかってしまったので、NABE部から三人ほど貸して欲しいという内容だ。

 NABE部の部長は、気の弱さが原因で出世を逃したようなおっとりしたハゲの中年男。

 頼まれれば嫌とは言えず、引き受けてしまったは良いが、さて困った。タイミング悪く、NABE部社員の殆どが地方での実地研修に駆り出されており人不足だったことを後になって思い出したのである。

 空席が多い部内を見回すと、二日後に研修を控えたレンガミと、例のコンビの姿が見えた。

 ああ、この三人でいいじゃないかと、予定を確認せずにOYU部に了解を打った。


 バンッ!

 開閉ドアが、モクジの行く手を阻んだ。

 次いで、鳴り響く、ピンポーン!

 見ると、残高不足ですとの表示が出ている。

「またかよ!」

 思わず低い声が漏れた。同時に、背後に迫った中年女の悪態も聞こえた。

 バンッ!

 隣の自動改札機からも、同じ音がした。

「え、あれ?」

 ピンポーン!と鳴り響く中、レンガミが何度もスマホを翳し直している。

「うそ、え、なんで?」

 スマホを弄って確認する彼の後ろでも、苛々渋滞が起きている。

 バンッ!

 三度目の同じ音。

 今度はレンガミの隣の改札機、コウイチだ。

 猪が突進するかのような勢いで、ピンポーン!と鳴っているにも関わらず、相変わらず苛々と翳し続けており、強硬突破しそうな勢いだ。

 駅員に取り押さえられる前に、舌打ちを連打するモクジと、困った顔のレンガミが二人で券売機に引っ張って行き、それぞれチャージを済ませた。

「これは、おれたちを陥れるための陰謀に違いない」

 やっと、新幹線のシートに落ち着いた時、コウイチが唸るような声を出した。

 せっかくセッティングした商談をおじゃんにされたのだ。怒り狂って当然だが、危うく部長を絞め殺すところだったコウイチ。

 それを、レンガミとモクジに止められるという失態を、仕出かしていた。

 どうにも怒りが納まらないらしく、東京駅で購入した大量の瓦せんべいを出して、ナマハゲのような顔で、先程からガリガリガリガリ齧っている。

「・・日程、ずらせなかったのかよ」

 モクジの言葉に、コウイチはすぐに返事をしなかった。

 逡巡するように、しばらく何枚か瓦せんべいを齧った後に、ぼそっと呟く。

「・・連絡しようとしたら、向こうから断りの電話があった」昨日だ、と悲痛な顔。

「なんだ、それ。さっすが中国だな」信用ならねーわと、モクジは容赦なく切り捨てた。

「そういう、おまえはどうなんだ!」

 瓦せんべいを翳したコウイチが吠えかかってきた。

「はっ!残念でしたーオレはテメーと違って優秀だから、ちゃーんとカナダのメーカー押さえてあるかんね」

 ドヤ顔のモクジは、メーカーの名前を高らかに発表した。

 誰でも知っている大手メーカーだった。

 おれでも知ってる、と真っ青になったコウイチが手にした瓦せんべいをぽろりと落とす。

「現在、商談日の返答待ちだから。マジでオレはテメーと違って抜かりねーから」と、モクジは鼻高々だ。

 ところが、それまで黙って二人の様子を見守っていたレンガミが、あ、あのさ、と、辿々しく口を挟んできた。

「でも、そのメーカーって、確か・・Magamiのライバル会社と契約してるんじゃ・・」

 衝撃の事実に、リサーチ不足のモクジが、マジかよぉぉぉーと叫びながら頽れた。その横で、瓦せんべいを拾ったコウイチが、子どものようにあっかんべーをしている。

 レンガミは大きな溜め息をついた。

 ・・ダメだ。こんな調子じゃ。

 遠くない未来に、二人とも退職に追いやられてしまうだろう。そして、自分も・・

 数日前、偶然、廊下で遭遇してしまった副社長から言われた言葉が、蘇る。

『あの二人と仲いいみたいだね。君が入ればワンツースリートリオになる』

 副社長は、例の天使ような顔でニッコリと笑んだ。

 それは、レンガミが、二人と同じ立場になってしまったことを意味した。

 ぼくも失敗したら首になるんだ。本気にならないといけない。遊びじゃないんだ。

 レンガミは膝に置いた拳に力を入れて、眼鏡のレンズの奥から向かいで口論する二人を睨んだ。

「啀み合ってばかりじゃダメだ。力を合わせないと!」

 思いのほか大きな声が出た。たちまち鋭い視線が二つ、レンガミに集まる。

「事前に丁寧なリサーチを取った上で、アプローチしていかないと。業界の情報を集めないで、闇雲に営業かけたって、相手になんてされない。まずはコツコツと積み重ねて相手会社の信頼を勝ち得るところから始めないと。得体の知れない相手には、そんな簡単に手のうちなんて見せるわけないし、必要としている情報なんてくれないよ!」

 突然人が変わったように演説し始めたレンガミに、二人は呆気にとられた。が、彼のもっともな言葉には、ぐうの音も出ない。

 まったくその通りだった。

 出来レースだと知った時点で、二人はどこか捨て鉢になっていた。

 ろくに情報を調べず、一般的な情報だけを鵜呑みにして、研修で教わった営業の基本となる手順を全く無視していた。

 どうせ、なにをやっても無駄だろう。

 今回、OYU部に商談を妨害され、ドタキャンされたと思い込んでいた上、お互いに意思疎通も取れないほど仲が悪かったため、余計だ。

 努力するだけ無駄。

 遅かれ早かれ出来損ないのレッテルを貼付けられる。そうとしか考えられなかったのだ。

「たしかに出来レースかもしれないよ。でも、だからって、黙って好き勝手やられるのなんて、なんだか癪じゃないか。ぼくたちは、確かに一人一人は無力かもしれないよ。でも、ぼくたちにしか、思いつけないことだってあるはずだよ。三人寄れば文殊の知恵っていうだろ? 弱肉強食で成り立ってるヒエラルキーに下克上を起こそうよ」

 鼻を膨らませて拳を突き上げる別人のようなレンガミを、二人はぼんやりと眺めていた。

 レンガミは昨晩から練っていた計画を話し始めた。

「ぼくが学生時代に、ホームスティでお世話になっていたホストファザーが経営するメーカーに連絡を取ったんだ。そこは、ドイツのミュウヘンにある小さなメーカーなんだけど、有名な大手企業との取引がある。それで、」ちょっと待った、ちょっと待った、と我に返ったモクジが手を振りながら、レンガミの話を遮ってきた。

「話がよく見えないんだけど、要はアレ? おまえが仲間になったってこと?」

「あ、うん・・そう・・だけど」迷惑? かな、と、レンガミは、急に自信なさげに尻切れトンボの返事になる。同時に、ああ、やっぱり、ぼくじゃあ・・と後悔の念が込み上げてきた。

「んなわけ!」なぁ、とモクジはコウイチに振った。

 振られてコウイチは、あ、ああ、と歯切れ悪く返事をすると、手にした瓦せんべいに視線を落とした。戸惑っているようだ。そのまま、しばらくじっと、せんべいを睨んでいたが、決意したように、せんべいを割り始める。

 そうして三つに割ったせんべいの二つを、モクジとレンガミに差し出した。

 面映いのか、そのなまはげに似た顔は伏せたままだったが。

「え、これって、兄弟の契りってやつ?」マジかよ、古っ!と、モクジがからかっても、コウイチは、ん、とせんべいの欠片が二つ乗った掌を突き出してくるだけ。

 レンガミが欠片を一つ取った。それを見て、モクジも手を伸ばす。

 三人は、せんべいの欠片を誓うように持ち上げると、同時に口に入れて噛み砕いた。なんとも堅いせんべいだ。時間をかけて飲み下した後、音頭を取ったのは、モクジ。

 全く気の合わない妙ちきりんなトリオでしたが、なにができるのか、想像もできないだけに、なんだか面白くなってきたようだ。

 モクジは、面白いことに飢えていた。

 それに、オレが失敗しても連帯責任にできっしなと内心で、ほくそ笑む。

「よろしくな!自動改札機で引っ掛かる者同士、力を合わせて会社に下克上を起こそうぜ!」

 始まりは自動改札機。

 お互いに関係ない者同士の赤の他人。そして、運命の邂逅。

 そして、今、三人は仲間となったのだ。


「・・ドイツって、ソーセージだよな」

 三人の一部始終を、後方の座席から窺っていた人物がいる。

 NABE部長だ。彼は副社長のスパイだった。

 彼は、『結託して指令を遂行する様子。すべからざる三匹』と、打ち込んだ報告メールを素早く副社長に送信すると、小さく溜め息をついてシートに沈み込んだ。

 あの三人のタフさと気合い次第では、ややもしたら、営業の花形Edge AT部、通称EAT部に昇進するのも夢じゃないかもしれないな・・

 そんなことを考えながら、ビニール袋を漁って駅で購入した缶ビールのプルタブを起こした。

 昼間っからだろうが、仕事中だろうが、飲まなきゃやってられない。

 猛獣のような上司と、聞き分けのない家畜のような社員の間に挟まれた中間管理職とは、そういうストレスフルな役柄なのだ。

 それに比べて、チャンスを与えられる将来有望な若者は羨ましくもある。

 毎年、副社長自ら選別し、逸楽的に決定しているこの課題は、チャンスと呼べるのかどうか甚だ怪しいもんだがな。

 裏では解雇を前提とした悪魔の出来レースなんて呼ばれてはいるが・・副社長は気まぐれで、実力主義を好むお方だ。Magamiにとって、なにかしら有利になる点があるのなら見逃す事はしないだろう。あんな愛らしい見た目をしているくせに、仕事に関しては誰よりも冷酷で計算高くかつ貪欲なお人だからな。

 Magamiをここまで盤石にしたのは、副社長の手腕と言っても過言ではないくらいに、裏では様々なことに手を出しているらしいしな。

 警察と繋がり、噂では、嘘かほんとか、去る大物政治家や中国マフィアとのコネクションもあるらしい。おっかないお人だ。

 そんな恐ろしい人が人事を握っているんだ・・

 携帯テーブルの上に置いた携帯が震えて、メールの返信が届いたことを知らせた。

『あくまでも抵抗ね♫ 新機軸を産み出す存在となりうるかな? なにをしてくれるのか楽しみだ♪』

 垂れてきた額の汗を拭った部長は、携帯をしまうと、ビール缶を握りしめた。

 前方にある三人の席から、なにやら、はしゃぎ声が聞こえてくる。

「ドローフォー!ドローツー!」などと叫んでいるところを見ると、打ち合わせが終わり、ウノを始めたらしい。

 これから待ち受けることも知らずに、元気横溢なことだ・・

 もし若返ることができても、あんな無謀な命令を乗りこなし、あまつさえ楽しめるだけの余裕やメンタルは、自分には備わってはいない。

 ああいう、一風変わった貪欲な連中が、勝者になっていくんだ。

 これまでも、そうしてEAT部に昇進した社員を見てきた彼の目に、狂いはない。


 なぁ、とコウイチがカードを一枚出しながら口を切った。

「おれたち、これから、なんのPRに行くんだ?」

 知らね、と同じくカードを出して引きながらモクジが即答し、レンガミは、自分の鞄を引き寄せて、中をガサガサ漁り始めた。

「確か、部長から資料を預かったはずです・・あれ? え?」

 鞄をひっくり返し、パニックになりながら探すレンガミのスーツのポケットから数枚の紙が覗いているのを、モクジが見つけた。

「その紙、なによ?」と指摘すると、レンガミがあぁあったぁ!と驚喜した。

 そうして、レンガミが広げたPR資料を、三人は頭をつけて覗き込んだ。

『Magamiコーポレーション渾身の一品!Magamiポークの中でも最高級SSランクの子豚肉!満を持して新登場!』

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