第3話
陽唯は一人暗い部屋のベッドで、がたがたと身体を震わせていた。
時折、寝がえりをうつが、もがいているようにも見える。
「あぁ……が……がぁあ……」
身体の痛みに呻き声が漏れる。
打ちすぎた。
張り切り過ぎたのだ。
久しぶりの再開に浮足立ったせいだ。
この副作用は放って置くと二日は収まりそうに無かった。
陽唯は仕方ないと、鎮痛剤を五倍に強めて、浸透注射器に入れる。そのまま、おぼつかない手で首元に打つ。
震えと痛みが一気に消え、思わず深い息を吐く。
疲労感も多少ある。再びベッドに戻るとき、あの医者が出しているのは本当に鎮痛剤なのかと何度目かの疑念が沸く。ただ、役に立つクスリなので、つい惰性で買ってきてしまう。
井伊会が彼女をけん制してきた。
襲撃すべきか。
答えは否だった。
彼女が所属する組織に反対された。
これからやりづらくなるのだが。
とりあえずは史織と芽衣を保護することだ。
初めての出会いの時に逆に守ってもらったのを思い出して苦笑がわく。
やがて彼女は落ち着いた呼吸の寝息を立てていた。
神社裏は、巨大な山と言っていいほどの丘がそびえていた。
辺琉都(へると)古墳と言い、古代貴族の墓だった。
神社はそこに埋葬されていた伊武(いぶ)という人物を奉っていた。
古墳は広い空洞が幾つもあり、その一つで左時を含めた三人がランプをつけていた。
目の前には、泥まみれになった眼鏡のない宇也がうつむいたまま、椅子に縛りつけられている。
史織らは左時が何故、杭打ち事件に感心があるのか聞いていなかった。
「さぁ、起きな宇也。おまえの面の皮から下の大好きな所に連れてやってきたぞ?」
左時はキセルを手にしながら、ニヤニヤしつつ椅子の宇也を見下ろした。
「……左時か。貴様の所のガキだったとはな……」
「左道の天才は、先端科学まであつかえるんだな。驚き通り越して厚顔無恥さに呆れたわ」
「誉め言葉だ、むしろ」
宇也は悪びれた様子もない。
「で、杭打ちだが、成功例は?」
「……二体だけだ。残りのうち、半分はダミーだしな」
「慎重なもんだな」
史織も芽衣は話についていけない。
「左時、杭打ちの成功例ってなにさ?」
「あー……?」
少年に問われて、彼は面倒くさそうな顔になった。
「なんだ、おまえ。こいつらに話してないのか」
宇也はクックと抑えたような笑い声を響かせる。
「そういや、聞いてない」
今気づいたかのような芽衣だった。
「なんだ、都合が悪いのか?」
ズタボロな恰好の宇也は、さも楽しいものを見つけたとでも言いたげだった。
「やれやれ。おまえがどれぐらいまで事を進めたのか知らんが、聞いているのはこっちだ」
左時はキセルに詰めていた火のついたタバコの葉の塊を宇也の背筋に落とした。
「あっつ!? あつっ!」
宇也は慌てるようにもがく。
「それで、古御名の方は?」
「……方っていわれてもな」
前のめりになった宇也がようやく聞き返す。
「動いているのか動いていないのかで答えれば良い」
「本来の古御名は停止状態だ。だが、いつでも動かせる。ただ新しいのは稼働している」
「ふむ。なるほどねぇ」
一人、左時だけが納得する。
史織も芽衣も不満である。
「わかった。もうおまえに用はないよ」
「なら、さっさと拘束をと……」
宇也の目前に、リヴォルバーを構えた左時がいた。
あまりの意外な姿に、彼以外の三人が固まる。
銃声が土の空間に鳴り響き、宇也は頭を後ろにはじけさせて、そのまま動かなくなった。
出かけてくると、左時は神社から姿を消した。
「信じられない……」
未だに芽衣には衝撃だった。左時があんなにもあっさりと人を殺してしまうことに。
「あの様子だと、俺たちに話をする気はないようだしねぇ」
史織も不満な様子だ。
「ちょっと、出てきた古御名ってやつを調べてくれない?」
機械嫌いの史織は境内で頼んだ。
芽衣はうなづいて、ヴィジョンを何枚か開く。
「ああ簡単にアクセスできたよ。なんでも大堵谷県の財界や政界の所属する社交倶楽部みたいだね」
「前のとか、新しいのとか言ってたけど、多分それが新しい奴だろうなぁ」
「ほかには何も出てこない」
「じゃあ、左時は?」
「そうだね。あたしたち、あの人のこと知らなすぎる」
再び、芽衣はヴィジョンに目を落とす。
「……八年前に伊蘇実大学で研究所にいたらしいね。で、その三年後にやめて、五年前、在野の研究者としていろんな国や本州でも論文を発表してるみたい。代表的なのは、『人間とその永劫』って題名。残念ながら内容はわからない」
「あいつ、研究者やってたのか」
「うん。でもこの論文のおかげで、公安にマークされるようになったって」
「そんなにヤバい内容なのか」
「永劫ってなに、史織?」
「長い時間って意味だなぁ」
電子機器には強いが、芽衣は国語がまるで駄目だった。
「公安の方に資料あるだろうけども、さすがに侵入できないわ」
「……それなら、わかる人がいるなぁ」
「誰?」
「おまえの嫌いな人」
気付いて、芽衣は眉をしかめた。
「確かに知ってるかもしれないけど……」
「また、樹維さんが出てくるんじゃないか?」
史織は涼正会のことを言っていた。
「あれで終わりだと思ってたのになぁ」
芽衣は動かずに小石を蹴る。
何度も何度も。
「まぁ、嫌なら俺だけでも行ってくる」
「……酷いなぁ。駄目だよ。行けばいいんでしょ」
芽衣はわざと恨みがましい表情のうえから笑みをうかべてみせた。
「古御名をご存じですよね」
結局、実家に出向いたというのに出てきたのは樹維だった。 彼はいつもの喫茶店に誘い、三人はボックス席に座っていた。
芽衣の態度に特別おかしなところはない。表面上なので、内心まではわからない。
むしろ、ほっとしているのではないかと、史織は思った。
「名前だけは。上流階級の社交場ですよねぇ」
史織が促す。
樹維はうなづいた。
「元々、左時さんはそこの主催の一人でした。まぁ、研究室を追い出されたときに名前を抹消されましたが」
「公安に目をつけられているというのは?」
「わかりませねえ。ただ、古御名はそういう人脈の多いところですから」
「古御名のほうで研究に関してどうにかできなかったんですか?」
「できなかったからこそでしょう」
「一体、左時は何をしたんですか?」
食い下がる史織の矢継ぎ早な質問に、樹維は軽く考える風に、ブレンドコーヒーを一口すすった。
「……当時、古御名は上流階級の人々が集まるだけの場でしたが、それでは心もとないというので、システムを一つ作りあげましてね」
真剣な史織と芽衣を相手にしても、樹維は自分のペースを乱すことがない。
口調も呼吸も常に変わらずだ。
「それが、録主という電子お化けだったんです。この前、久々に姿を表しましたが、一時的で物理的な顕現だったのであまり力を発揮しませんでしたが。アレ本来の能力はそれこそ化け物級の電子能力にあります」
録主の噂は二人とも小さな頃から聞いていた。
元々は大堵谷に生息していた電子獣でヌシ的な存在だった。
百鬼夜行も、行き場を失った電子の塊が録主回帰を目的として現れる。
大堵谷の電子の巨大なネットワークを網羅したまさしくヌシなのだ。
それが何者かの手で改造されて、大堵谷の守護獣ともいわれるほどになったという。
「古御名を保護するための存在が、録主なのです」
「杭打ちは? なんかすごいこと言ってるけども」
芽衣がふと疑問を吐いた。
「アレは、よくわかりませんが」
樹維は一応、前置きを付けて続けた。
「録主に吸収されないという点で、合理的です。一撃で脳も停止しているならですが」
すぐに芽衣はビジョンを開く。
杭打ち事件の証拠品である杭について、手早く公開してある情報を引き出して来る。銅で覆われた木製。
銅は電気の伝導率が高い。
「多分、左時がその事件にこだわっているのは、録主に影響されない方法を取っているという、点でしょうね」
「あー、えっとちょっと違うけどももしかしたら、俺らの術ってその録主に関係ありますか?」
樹維はうなづいた。
「当然あります」
ならば、先日の録主は、と史織は考えた。
だが、答えは出てこない。
二人は、樹維に礼をいって、喫茶店をでた。
「しっかし、あれだなぁ……」
電車内はほとんど人がいなかった。
「なに、あれって? トイレ? 今誰も気にしないから、漏らしちゃえよ」
芽衣が親指を立てて片目を閉じる。
「どうしてそうなった?」
「恥ずかしくないよ!」
また同じ態度で、芽衣が煽る。
「そんなじゃないよ。芽衣は考えてないのか?」
「考えなしとかいうな! 失礼だろう!?」
「違う!」
「じゃー何さ?」
史織は一息つく。
「おまえ、今の式神状態から元に戻りたいとか思わないの?」
「いずれ?」
「適当だなぁ」
「史織は?」
「戻りたいね。左時はあの時、急場しのぎで俺たちを助けてくれたけど、元に戻そうという様子ないし」
「それもそうだねぇ。史織がいうなら、元に戻ってもいいけど」
「自分の意思はないのか」
「だって今のこれは親父と縁切るのに丁度いいんだもの」
「なるほど」
史織は納得して続けた。
「左時はどういう反応するかねぇ」
「まぁ、いきなり殺すとかにはならないんでない?」
「うん。今度ほのめかしてみるか」
電車は軽く揺れながら、路線を進んでいった。
そろそろバーにでも行こうか。
弥絵(やえ)は、いつもの古御名内で立食パーティー会場に立っていた。
青いドレスをすらりとした身体にまとった、二十代半ばの女性だ。
行きたい部屋や施設に一瞬で場を変え、時には夜の海岸で座って星空を眺めている。
何より良いのは、メモリー・ルームと呼ばれているところだ。様々な人の過去の思い出が情動と一緒に体験できるのだ。
「はじめまして、弥絵さん。こちらへどうぞ?」
突然、長身で痩せぎすの男が目の前に現れた。
「あら。何かしら? 警部補直々のお誘いとは」
彼女は当然のように清周を知っていた。
いきなり眼前の風景が変わる。
放水中のダムの上だ。
巨大な貯水湖を囲むように樹々がうっそうと茂っている。
「これはすごい」
弥絵は手すりの上に前のめりになりながら、轟音を放つ凄まじい水の濁流を眺めた。
とん、と軽く背中を押される。弥絵は何の抵抗もなく、そのままダムの下に落ちて行った。
燈月はソファの上で、勢いよく跳ね起きた。
間接照明が所どこにおかれ、大量の人影が並ぶ広い部屋である。
思わず辺りを見回す。
人影と思ったのは人形たちだった。人の大きさと変わらないドールたちが、薄暗い中になん十体も部屋のあちらこちらに置かれている。
その中の一つが動いた。
いや違う、人だ。
肘掛け椅子に座り、ハードカバーの本を閉じて頬肘をついている。
「楽しかったか? 勝手にあそこに行くなといったはずだが?」
清周はニヤニヤしていいる顔を浮かび上がらせていた。
「ふざけないでもらおうか」
燈月はいつもの無表情で淡々とした態度だ。
動悸はすでに収まっている。
死に際はそういう具合かと、清周の興味を引いたのだろう。
多少、驚いただけだ。
骨髄反射と言ってもいい。
「相変わらず、趣味が悪い」
反撃のつもりか、主語無く燈月が起き上がる。多分、すべて含めての物言いだろう。
「弥絵とかいう名前もあの姿を取っていたのも良い趣味かね?」
実際の燈月はボブカットの左片方を後ろに流した髪で、平均的な身長だがやや華奢な印象を受ける。まるで振袖のようなシャツに、膝までのスカートを履いてスニーカーだ。
十九歳である。
ソファのひじ掛けには刀が立てかけてある。
「総合すると、どう考えても私のほうがマシだ。それに私は元々、あっちの住人だ」
言い張る。
「そうかい。まぁ、どうでもいい」
清周は再び本に視線を落とした。
彼は、始末してほしいと頼まれた燈月を自分の元において生かしていた。
それから、燈月は二件の事件を起こしていた。ことは清周自身が握りつぶしている。
燈月には、なるべく偽装しろと忠告しているが、一応共闘が決まっているので、口出しするつもりはない。
彼女は刀を腰に差して、軽く髪を直した。
「出かけてくる」
「ああ。行ってこい」
どうでもよさげに、清周は片手を軽く上げた。
燈月にはこの男が何故自分を保護しているのか理解できない。
別に手を出すわけでも、何かさせるということもない。ただ、放任しているだけである。
ただ、燈月としては気に食わなければ清周だろうが、斬るつもりだが。
外はすでに暗く、夜らしい空気が冷えていた。
ガラクタのような街並みを、ちらほらと人々が歩いている。
仕事帰りか遊びに行くのか、それとも当てもないのか。
この街を壊す。
清周は言った。
何にとらわれての思いなのかは聞いていない。ただ、彼には妄執があるは確かだ。
杭打ちの件についても、否定など一切なかった。
邪魔されないなら興味はない、と改めて燈月は思った。
大体、燈月自身も何故自分が杭打ち殺人をしているかなど、わからないのだ。ただあるのは、その行為の衝動だけである。
歓楽街に入ると人の数が増える。
何度か客引きや酔っぱらった若者に声を掛けられるが、まったくの無反応。
燈月はいつもの屋台が広げた路上のテーブルに座った。注文はしない。
ここはすっかり燈月の専用席になっている。
まだこの街で事件を起こしたことはない。
やる気がわかないのだ。いつものことだが、衝動に駆られるまで、すっかり街に馴染むぐらいの時間がかかる。
まるで人形のように微動だにせず、燈月はただ往来を前に視線をぼんやりと流し続ける。
目の隅に街灯で照らされた夜空だというのに、いくつかの星が見えた。
正確には人工衛星である。旧時代の遺物だ。
頭の中で何かが合わさった。
突然、電流が流れるように、一人の男に目が張り付く。
来た。
相手は飲み終わり、一人帰路にたっている様子だ。三十代。泥酔までとはいかないが、少しは酔っているらしい。
燈月は席を立った。
男のそばまで来ると、微笑みを浮かべる。
「あの、すいません。道に迷っちゃって」
普段の人形然とした彼女から信じられないぐらい困った感情をありありと見せる。
男は訝しげにしつつも、立ち止まった。
「どこへ行きたいのですか?」
「希野(きの)通りです」
「ああ……」
男はすぐに場所がわかったようだった。」
「案内してもらえませんか? お礼はしますので」
「お礼なんていらないよ。丁度ここから近道があるから、そこを通ろう。ちょっと人気内から怖いけど大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
店と店の間にある暗い通路に、男は先導するように入っていった。
「こういう場所は危ないからねぇ。普段使っちゃだめだよ?」
燈月はもう聞いていなかった。後ろから胸の中央、丁度動脈と静脈が隣接しているところに、いきなり刀で突き刺す。
男はショックを受けたようにゆっくり振り返ろうとしたところで、意識を失った。
路上に倒れた男に浸透圧注射器で血液凝固剤を打ち、先に仕込んでおいた杭を一つ持ってくる。
この道を使うのは、予定通りのことだった。
燈月は刀で心臓部をくりぬくと、用意してあった杭をその空洞に思い切り打ち込む。
心臓は肉片とともにポケットに入れていた袋に入れる。
作業はいたって事務的に行なわれた。
これでまた、古御名の皆を喜ばせることができる。
燈月は自分の行為について、動機を自覚していなかった。
ただ彼女には衝動だあるだけだ。
街でまるでサインのようなものを見つけたら、心臓をくり抜く。
それで、衝動が収まる。
いつからかわからないが、彼女はソン行為に取りつかれていた。
清周が見ていると、古御名に集まった人々が酩酊するように、ため息を漏らしていた。
ホールの一つに、彼らは集まっている。
記憶の注入と同一化。
彼らに起こっているのは、人の過去の体験を自分のものにすることだった。
それは失われた時間の再体験である。
彼らの現実の自己から目をそらし、思いを癒してゆく。
古御名に集まる者たちのほぼ第一の理由は、この機能と言っていい。
上級市民の社交会というのは、実は順位がそう高くないのだ。
このホールに耽溺する者が多いというのが、事実を物語っている。
清周も同じ体験をしていたが、没入はしていなかった。
頭の片隅で、「これが新しい燈月の犠牲者のものか」と冷静になっている。
だが、他のものはその世界に全身を染めさせている。
彼らは何を失ったのだろうか。
清周にはわかるが、彼と彼らとはまったく違う人種であった。
耽溺などしない。
街の破壊を目指す彼は、未来を見続けている。
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