第4話

 十七歳の香稟(かりん)は伏紀(ふつき)隊の特別教育室で、論文を一つ書き終えた。

 思い切り伸びをして、息を吐くとともに、身体を机にもたれさせた。

「疲れた……」

 眠たげな眼である。

 髪はセミロングで、黒いシャツに黒のスカート、編み込みのブーツという、真っ黒な姿である。

 彼女は、一か月に一度あるテストで格闘術では隊の試験を余裕で通ったが、座学が及第点だった。この試験次第で、上部組織に上がれるかどうか決まるのだった。

 伏紀隊は、右翼団体に繋がる下部組織だった。

 右翼と言っても、涼正会とは軸を別にしている。

 一息つくと、彼女はいかにもやる気のない様子で、部屋をでた。

 彼女のだらしなさは、素であり、直す様子もない。

 このざまでも、上部に進める可能性があるのは、彼女の身体能力のおかげであった。なにしろ、このいつもだるそうな少女は意外にも伏紀一群を抜いた格闘技術の持ち主だった。

 隊長室まで論文を持っていくと、まだ若い尾架(おか)隊長は夕方、たの指導者補佐たちと違い、一人残っていた。

 差し出された書類の題名を見て、彼は意味ありげに笑って、香稟に目を向ける。

「随分と難しいものを選んだものだね」

 題名は『人間と永劫』というものだった。

「興味がありましたので」

「君は通常の人間でしかないのにかい?」

「だからこそですかね。面倒くさかったですけど」

 いかにも気だるげに答える。

「まぁ、補習みたいなものだけど、形が整っていればいいので通ると思うよ」

「ありがとうございます」

 右翼である以上、伏紀も上部の組織も基本人間ばかりだった。

 尾架は態度でもう帰って良いと示したが、香稟はそのままのっそりと立ったままだった。

「どうした?」

「あの、その論文を書く時に資料にしたものに興味がでて、もっと調べたいのですが」

「構わんよ。書庫も自由に使うといい」

「ありがとうございます」

 香稟は嬉しそうに、背筋を伸ばした。 

   

   


 何かを考えているらしい顔がちらちらと見える。

 史織は隠しているつもりのようだが、芽衣には一目瞭然だった。彼女は邪魔しないように、極力口数を少なくしていた。

 二人はいつもの神社に到着する。

「おー、おまえら良いところに来た」

 空を見上げていた左時が、酒を片手に上機嫌で手招きする。

「また昼間から……」

 仕方がないものだとばかりな芽衣の様子だった。

「で、どうかしたのか?」

 気にもしない史織は、普通に尋ねる。

「突然だが、以前でた宇也の録主は偽物だ」

 左時がキセルを取り出して、地面にとんとんと軽く打ち付ける。

「……あれで本物じゃなかったの?」

 芽衣が眉をひそめる。

「録主があんなにもろいわけないだろう? それよりも、アレを見て何か思わなかったか?」

「何って何?」

「あれを改造すると、地上に適した電子生物になるって話」

「はぁ? あんな怪獣みたいのが?」

「やっぱそう思うか?」

 左時はニヤニヤと一人怪しい笑みを浮かべている。

「じゃあ、宇也が偽録主になったというのを逆に見ることはできないか?」

「何が言いたいか知らないけど、俺はあれがまっとうなモノとは思えないなぁ」

 史織が空を見上げつつ、口にした。

「おまえらがまともで俺は嬉しいよ」

 左時は快活な笑いに変わっていた。

「言ってることがよくわからないなぁ」

 芽衣は困惑する。

「まぁ、そんなことよりも、何を悩んでいる、史織?」

 左時は少年に水を向けた。

 んー、と彼は一度唸る。   

「……この前みたいに電池持ってけばいいんだろうけども、電子ネットワークを切る奴がいてさぁ。電池大量に持っていくべきか、それとも、他に方法があるのかって」    「ああ、それな」

 左時は察したらしい。

「それこそ、丁度いいものがあるじゃねぇかよ?」

「どこにだよ?」

「偽録主」

「……マジかよ」

 史織は一瞬驚きで、言葉が見つからなかった。

 彼は史織の考えを見越して、最初に偽録主の話を出したのだろうか?

 いや、それは都合が良すぎる。

「ついでに偽録主だが、正式名称は試作一号機だ」

「そのまんまか!」

「俺の命名じゃないしなぁ」

「あー、じゃーもう何? その一号機を使う方法を教えてくれ」

 言われた左時は、ポケットから試験管のようなものを取り出した。

「これだな」

「……こんな粉々の一部にまで圧縮できるもんなの?」

 芽衣が興味深げに覗いた。

「できるぞ。試作って言っても、実験では成功してるし、実際アレだったし」

「何のためにあんなもん作ってたんだ、宇也は?」

 史織がつまむようにして受け取取り、軽く先を震わせてみる。

「さぁな。俺が知るか、あんなやつのこと」

 左時は素っ気ない。

「ところでさ、左時。あの人工衛星って、なんなの?」

「あー? 大戦の遺物じゃないのか?」

「観てたんだけど、一定の移動法則あるんだけど?」

 左時はニヤリとした。

「気付いたか」

 うなづく史織。

 左時はキセルをふかす。

「覚えておけ、後々役に立つ」




 清周はドールに囲まれるなかで、黙考していた。

 古御名に対する支配力が足りない。

 探し続けているが、いわゆる「天空の姫」と呼ばれる人物が見つけられないのだ。

 彼女がいれば、古御名は完全に清周のものになっているだろう。

 問題は、どんな人物かほとんどあてすらないという点だ。

 ならば、誘いだすしかない。

 「天空の姫」は古御名の一部で、ネットワークの中心でもある。

 いつの間にか、彼女は人間として、地上に降りたらしい。

 古御名自体、旧大戦の遺物なので仕方がないだろうとは思う。

 どう、炙り出してやろうか。

 清周はワインを飲みながら、考えを続けた。




 身体の痛みが引いてきた。

 陽唯は一段落したと思い、ベットから身を起こす。

 ペットボトルから水を大量に飲み、息を吐いた。

 いつものように汗だくだ。

 シャツとショーツ姿の彼女は、シャワーを浴びる。

 いつもの服に着替えると、ヴィジョンで寝ている間のニュースを確認した。

 杭打ち殺人は止まず、録主と思われる巨大な化け物が出現したらしい。

 どれもこれも、古御名に関わることばかりだった。髪の毛をタオルで拭きながら、陽唯は不快になる。

 全ては清周のおかげだ。

 奴がいなければ、こんなことにはなっていない。

 ヴィジョンのニュースの端に、目立たないようにしているのか、小さな文字があった。

「古御名、解体か?」

 陽唯は驚きの顔で目を走らす。

 だが、そこには来年までの四か月で古御名がバラバラにされるという文章しか書かれていなかった。

 誰がこんなことを。   

 陽唯は目立つ動きはしたくなかった。

 だが、事態を考えると、多少は足跡を残さねばならない。

 何より阻止しなければならないのは古御名の解体だ。

 彼女は多少の自己嫌悪に陥る。

 あんなに史織を守ると誓ったのに。

 しょせんは、これぐらいしか力がないのかと。

 だが、すぐに気を取り直し、朝食代わりにリンゴをそのまま一口齧ると、ねぐらを出た。




 辺琉都古墳のある参拝者もいない神社に向かうと、中年の男と少年少女が境内近くでだべっているように見えた。

 最初に気付いたのは、芽衣だった。

 スリットの入ったワンピースに野太い革のベルトを二本巻いた姿の少女が立っていた。

「あれ、あんた……」

 彼女の声に、左時も史織も視線をやる。

 陽唯はランタンを持っていた。

「お久しぶり」

 ニッコリと笑顔になる。

「お久しぶりね。以前はありがとう。助けてもらったね」

 芽衣も微笑む。

 左時は一瞬、嫌な顔をしたがすぐに表情を消す。

「はいこれ。史織。おかげで命拾いしたよ」

 陽唯は落ち着いた物腰で、ランタンを史織に返す。

 彼女は芽衣と違い、静かな雰囲気を持っている。 

それはすぐに史織に伝搬し、精神が落ち着いた。

「左時もこんにちは。いつぶりかな」

「知らねー」

 まるで子供のように、そっぽを向く。

 それでも、陽唯は小さく微笑んでいた。

「何!? 知り合いだったの、二人!?」

 驚きの声を上げたのは芽衣だった。

「知らねー」

 同じ言葉を機械的に吐く左時。

「まぁ、どっちでもいいわ。知っていても知らなくとも」

 彼女は左時と史織の間に座る。

「どうしたのさ、こんなところに? てか良くここがわかったねぇ」

「まぁね。ちょっと、困ったことがあってきちゃった」

 苦笑いである。

「そういうことなら警察でもいけよ。俺たちにはそんな暇ねーつーの」

 鬱陶しそうな態度を隠しもしない左時である。

「まぁ、彼女には助けられたことだし、話は聞くよ?」

 彼を無視して史織は座り直した。

 芽衣は黙ってはいるが、快い気分ではない。

「俺は興味ないから、三人で話してな」

 立ち上がった左時が、神社の奥に歩いて行った。

「……なんかあるの?」

 自分の感情はさておき、芽衣は疑問を口にした。

「うん、そのことも話しておきたかったの」

 陽唯は二人が正面に来るところに移動する。

「君たちは、どうして左時のところにいるのかな?」

 当たり前の答えがありそうで、実は意外な言葉だった。

 史織と芽衣は左時の式神になった。

 言われればそれ以降、これと言って二人とも、どうにかしようとした覚えはない。

「左時がどうかしたの?」

 答えられなかった代わりに、芽衣は聞き返す。

「んー、じゃあ井伊会って知ってる?」

 急に陽唯は違うことを口にした。

「ああ、でかいヤクザたちのところだね」

 史織はが即答する。

「実は、あそこにちょっとあたしに因縁があるんだけど手が出せないの。できれば、代わりに少し痛い目にあわせてほしい」

「それが相談?」

 芽衣が聞く。

「いまのところ、ね」




「ほう。君たちが左時のところのか。いい面構えだな」

 井伊岳於は若衆を一人連れ喫茶店で会うと、豪快に笑ってみせた。

 壮年と言っていい歳で、スーツを着ている。

 アポをとると、気が抜けるほど簡単に会うと言って来たのだ。

「あいつの下にいるんじゃ、色々厄介ことにも巻き込まれているだろう。大変だな」

 いきなり左時の話になり、史織も芽衣も軽く戸惑った。

「左時はあの通り、チャランポランなところがありますから」

 芽衣は軽く受け流すようにする。

「で、陽唯の件とお話したのですが?」

 史織が何とか主題に戻そうとする。

「ああ、君たちが陽唯を始末してくれるということか。こちらも色々と立て込んでてな。実に助かる。礼はするぞ」

 井伊はニヤリとする。

「あなたのような方が何故、陽唯を消すのにそんな周りくどいことをするんですか? もっと簡単にできそうなのに」

 芽衣がここぞとばかりに疑問を聞き出そうとする。

「聞いてどうする? 言っておくがこの件で俺を引っ張ってきた以上、はいそうですかと後戻りはできないぞ?」

 笑っているが、伊武には普通なら気圧されかねない凄まじい迫力があった。

 普通なら。

「そうですかね?」

 史織がわざとらしくとぼけるような顔をして見せる。

 史織も芽衣も今や式神である。伊武がどんなに脅そうが、直接的に痛みを与えることは難しいのだ。

「ウチがただの暴力組織と勘違いしてないかい、坊や?」

「それほど力があるのに、陽唯一人に手間取っているのですか?」

「なかなか面白いガキだな」

「左時の話も出てきましたが、僕らの立場も、伊武さんが知っているとは思えませんね。大体、なぜ左時をご存じで?」

「そりゃあ、おまえらが知っての通りだからさ」

「なるほど。なら、陽唯を狙うのをあきらめてくれませんか?」

 伊武は煙を吐いた。

「ところで、おまえらは生まれ変わりというものを知っているか?」

「……言葉ぐらいなら」

 急な話題転換に、史織は訝しんだ。   「言葉じゃないよ。者だ者。生まれ変わる者」

「はぁ」

「いいか、例えば百鬼夜行。なんだと思ってた? アレは物の生まれ変わりだ。そして、俺たちは生まれ変わりを行っている。古御名を使ってな」

「古御名で生まれ変わり……」

「そうだ。つまりは、無駄なのさ。おまえが俺たちの玉使って脅そうが、なんてこともない」

 ならば、陽唯も生まれ変わるのを知って、狙っていることになる。

 史織は舌打ちしたかった。

 知らない事実が多すぎる。

「陽唯は脅しに屈しなかった。ついでにおまえらみたいな何も知らないガキをよこしてな。俺は陽唯を狙う。いつどこでかはわからんがな。楽しみにしていな」




「まぁまぁ、タコ焼きでも食べよう!」

 帰り際。目に見えて苛々している史織を、芽衣は屋台の前に引っ張った。

 香ばしい匂いに包まれながら、芽衣は二パック注文して、店員から受け取った。

 史織は無言で、暖かいたこ焼きお一つ頬張った。

「おいしいね」

 芽衣も口にしていた。

 たこ焼きはソースと鰹節が効いた香りに柔らかで出汁がしみていた。

 笑顔の彼女の横で、やっと不機嫌の効率の悪さを悟った史織は、ぼんやりとしていた。

「なぁ、生まれ変わりがあるのなら、左時はあの時、俺たちを式神にする必要無かったんじゃないのか?」

 芽衣は、ふむとうなづく。

「……まぁ、それもそうねぇ」

 史織は陽唯に話を聞きたかった。

 彼は、ぼんやりとではあるが、左時を疑い始めている。

 神社には、ワンピース姿の少女が一人いるだけだった。

「あー、陽唯。駄目だったわ」

 史織が言いづらいことを、芽衣がはっきりと報告する。

「そう……まぁ、仕方ない」

 動揺もしないで、陽唯は受け止めた。

「まぁそのことなんだが、色々聞きたい」

 史織が彼女のそばに座ると、芽衣も隣にしゃがんだ。

 まず彼は伊武とのことを話した。

 そして、陽唯に疑問をぶつける。

「井伊会が君を狙う理由は?」

「おそらく、あたしを封じるためね」

「どういう関係なんだ?」

 陽唯は少し迷った。

「あたしは人間だけど、古御名の戦闘システムの一部を脳に載せた存在なの」

 ほぉ、と芽衣が今までの多少距離のあった態度から好奇心に満ちた様子になって聞いていた。

「……なるほど。それで逃げてきたのか」 

「そう。特にうるさいのが、井伊会なの」

「で、その井伊が言っていたんだけど、古御名を使った生まれ変わりって?」

「魂の変換って言葉になるけど、わかるかな?」

「わからない!」

 芽衣が意気込んでいる。

「えーと、その死んだ人の魂が別の人の魂になるの。必ず赤ちゃんに宿るというわけじゃないの。魂が共鳴している同士、一緒になるという場合が多いの」

「それは、生まれ変わりとかいう人が同じ時期に生きているという奴と言っていいか?」

「そういうことだね」

 へぇー、と芽衣が感嘆の声が上がる。

「それが古御名の機能というやつか」

 史織の言葉に、陽唯がうなづいた。

 ならば、宇也はと一瞬思ったが、左時が偽録主の粉にしていると気が付いた。

 そんな話があるなら、はじめに聞いておかないと、井伊と交渉などできるわけがな買った。

 だが、左時の元にいる以上、陽唯は二人が知っていると考えるのも無理はない。

「やれやれだ」

 史織は、今日のことを思い出して、嘆息した。




 ヴィジョンでは、ニュースが大騒ぎしていた。

 伊蘇実大学のある市内各所で、大量の杭打ち死体が見つかったのだ。

 少なくとも犠牲者は十人以上にもわたるという。

 史織たちは、突然の派手な大量殺人に驚き、戸惑った。

 今でひっそりとしていた事件が、これほど大規模な殺人になるとは、さすがに思ってもみなかった。

「百鬼夜行が派手になるなぁ」

 史織は言いいつつ、被害者をヴィジョンで調べだす。 

 いつものように、神社に集まっていた。

 だが、左時がいない。代わりに、陽唯がいた。   

 芽衣の携帯通信機に、連絡が入った。

『事件の報道、みましたか?』

 樹維からだ。

 スピーカー音声にしたので、他の二人にも聞こえる。

「杭打ちね」

『はい。それが、犠牲者は皆、涼正会の下部にある組織と何らかの繋がりや接触をした者たちばかりなのです』  

「ウチのところの?」

 芽衣は思わずウチという言葉を使ってしまったことに、苛ついた。

 芽衣とは極々細い関係があるだけだ。

 証拠に、戴汽は面談を避けて、樹維に丸投げではないか。

「涼正会のかぁ。放って置けないなぁ、これは」 

「放っておくの!」

 史織の言葉を叩くようにした芽衣だが、すぐに樹維

『それが、今回の事件の犯人を、会長みずから芽衣お嬢さんにも始末してほしいと。もちろん、警察より早く』

「どうして、あたしが!」

『どうしてって言われましても……』

 樹維が困ったように、芽衣の言葉は混乱していた。

「こういう時だけ、そんな便利な道具みたいに使わないで!」   

「……芽衣、これは樹維さんからの頼みでもある」

 史織は、しばらく黙ってからゆっくりと言葉を吐いた。

「……そりゃ、わかってるけど……」

「樹維さん、芽衣はしりませんが、俺には報酬ありですか?」

『あ、ああ。もちろんだ』

「なら問題ない。俺は引き受けました」

 史織が勝手に話をつける。

『幾ら欲しいんだ?』

「芽衣の親父さんを一発ぶん殴る権利欲しいですね」

 樹維は絶句したようだった。

 芽衣も、史織に顔を上げる。

「まぁ、そういうことなんで」

 史織は手を伸ばして、芽衣の持つ携帯通信機の通話を無理やり切った。




 いつもの連中と言っていい。

 異形狩りたちだ。

 伊蘇実市に大挙して集まっていた彼らは、どこに行っても姿が見えた。

 大堵谷県中からの総動員に近い数だ。

 ヴィジョンだけでは手がかりがないと、史織たちはこの学園都市に来たのだった。いつの間にか、当然のように陽唯がついて来ている。

 現場を幾つか見せてもらった。芽衣が涼正会の名前を出すと、警察はあっさりと黄色いテープとブルーシートで区切った中に入れてくれた。

 死体はすでにないが、どこも凄まじい血糊でどす黒くく染められていた。

「今までのとは違うな」

 四か所目の路地裏での現場を最後にした史織が芽衣も気づいていることを口にした。

 それまでの杭打ち事件では血が漏れていることは一切なかった。

 史織は傍の警官に声を掛けた。

「この血は何なんですか? 以前の犯行と違うようですが」

「あー、それは答えられません。ほかになにか疑問があればどうぞ?」

「……犯行直後に撮った死体の映像か何かありますか?」

「ああ、それなら……」

 友好的な態度の警官は、ヴィジョンに三枚の写真を送ってくれた。

 現場を離れ、豆の香りが充満している、やや汚い喫茶店に入ると、ボックス席に三人が収まる。

 そこで史織は二人にも写真を見せた。

 皆、死体には見慣れているが、凄惨さに驚かない訳にはいかなかった。

 杭が打たれた被害者たちは、皆血の海の中心にいて、それぞれ虚ろな表情をしている。

「……これさあ、心臓が確実に潰されているよね」

 しばらく無言だった中で史織が言った。

「そうね。服ごと杭がめり込んでるから、多分、殺したか生きているときに無理やり杭を胸に打ち込んだんだろうね」

 芽衣は冷静な声だった。

「二人とも、慣れてるね」

 陽唯が感心というほどでもない声を出す。

「まぁね」

「で、百鬼夜行が死後に現れなかったのは、どうしてなの?」

 彼女は続けて質問してみた。

「犯人が封じていたとしか考えられない。今までのは、逆に百鬼夜行が起こりやすく、抵抗するようなネットワークを解除してたから」

 芽衣が答える。

「なるほど」

「でも、出ることは出るよ。多分、犯人の目的は、一斉に百鬼夜行を発生させることだから」

 史織は確信を込めた

「ニュースにするほど派手にしたぐらいだからね。今日か明日には起こるんじゃないかな」

 同じことを考えているのか、芽衣と史織の息はぴったりだった。

「ふーん」

 陽唯が意味ありげに返事をするが、二人はそのニュアンスに気づかない。

 三人は、シティ・ホテルの部屋をそれぞれ借りて待つことにした。




 手が震え、身体の節々に痛みが走り出していた。

 ホテルを決める道中でのことである。

 そんな時に副作用が出るとは思いもしなかった。

 早々に部屋に引きこもった陽唯は、荷物から浸透圧縮注射器を首筋に打つ。

 効くまでしばらくベットの中に潜り込んだ。

 この緊張はどこから来るのか。

 痛みが激痛になり始めた。

 身体がバラバラになりそうだ。

 体温が上昇し、汗が噴き出す。

 目を閉じて身を丸めた陽唯の脳裏に、ぼやけた塊が浮かびあがった。

 それは幾つもの鈍い光が集まったもので、せわしなく他の光と共に離れないようにしながら移動している。

 なつかしさがあった。

 いきなり、それが古御名だと、彼女は気づく。

 どうして、急に。

 疑問が沸くとともに、鎮痛剤のおかげか痛みと震えが取れて来た。

 光はやがて大きくなり、暖かい印象が現れる。

 呼んでいるのだ。古御名が。




 百鬼夜行を取り除く。

 それは左時の仕事のはずだった。

 前回も、史織たちはそれで動いたのだが、今回は左時がどこかに行ったまま連絡がつかないままだ。

 放っておくわけにもいかず、少年らは伊蘇実市にいるのだ。

 それに、西野清周が出てくるかもしれない。

 午前二時四十二分。

 市内が急に薄暗くなった。

 エアバイクのエンジン音がそこら中でが成り立ち始める。

 準備を整えた史織の部屋がノックされる。

 出ると、芽衣だった。

「始まったみたいよ」

「早いな、起きてたの?」

「史織だって、起きてたじゃんか」

 確かにと軽く笑って、二人は陽唯の部屋の前まで行く。

 すると、丁度ドアが開けられたところだった。

「ああ、君たち早いね」

 彼女は静かに軽く手をあげて挨拶した。

 三人はホテルの下に行かず、最上階に昇った。

 鍵を壊して、屋上に出る。フェンスもない薄汚れたコンクリート張りだった。

 夜風は思ったほどではなく、空には星が輝いている。

 眼下の街中は、百鬼夜行の放つ瘴気で薄暗く濁ったような風景だった。

 だんだんと暗さが濃くなってくる。

「いいタイミングだよ」

 史織は無表情に市一体の衛星映像をヴィジョンに出した。

 やがて黒い瘴気は先端が細いうずまきのようになり、ゆっくりと上空に伸びだした。

 エアバイクがエンジンを鳴らし、そこら中から飛び出してくる。 

 異形狩りたちだ。

「芽衣」

 史織が横にいる少女に合図した。

「まっかせて!」

 空に手を伸ばすかのように立ち上る電子の瘴気をみて、芽衣は近くに廃棄されている砲を支配下に入れる作業をする。

 学園都市として整備されているだけあって、廃棄物を探すのは大変だった。

 市に来てからチェックしてあったが、十か所も廃棄場所がない。

「え……あれ?」   

 芽衣が困惑したかのように、そっと史織の顔を覗いた。

「どしたの?」

「システムに侵入できない……どれもひとつも」

「……ふむ」

 ちょっと考えるようになった史織は、街に目を向けた。

 すでにかなりの数の異形狩りたちが、百鬼夜行を我が物にしようと、飛び込んで行っている。

 史織はその稚拙とも思える動きを見ていた。

「じゃあ、俺がやるか」

 史織は指揮師としての術を使おうという。

 遺物が支配できないなら、異形狩りはどうか?

 彼らを操ってまとまった行動をさせ、百鬼夜行を取り除くのだ。

 生の人間を操るのはあまりいい気分ではないが。

 史織が、意識をネットワークに集中しようとしたとき、エアバイクの轟音が迫り、ビルの屋上に、ドリフトしながら止まった。

 乗っていたのは、少女である。

 振袖のようなシャツに、スカートをはいて、髪を半分後ろにまとめている。

「なんだ!?」

 史織が驚くと、彼と芽衣の前に陽唯が自然と移動した。

「左時のところのだろう?」

 燈月は無表情に刀を抜いた。

 陽唯もベルトの後ろ側から、やや短い鉈のような物を引き抜く。

「誰だ、おまえ!?」

 史織の問いに、燈月は反応しなかった。

 地を滑るような動きで、一気に陽唯までの間合いに入り込む。

 上段からの袈裟懸けに、陽唯は受け流したが、腕が軽くしびれた。

 戸惑うこともなく、燈月の懐に入り込んで、払うような横薙ぎを振る。

 軽く後ろに跳んで、燈月はそれを避けた。

 再び迫ると同時に突きを放つ。

 半身になって避けると、その腕を鉈で切断しようとしたが、すぐに腰元に引っ込められた。

 勢いを消さずに、燈月は足を踏ん張り、陽唯に背中をぶつける。

 彼女は衝撃に一メートルほど吹き飛んだ。

 よろけたが、なんとか姿勢を保つ。

 突然、燈月が跳んで走り出した。

 その線を交差するように、機銃の弾痕が走る。

 態勢も表情をだらんとさせた異形狩りを載せたエアバイクが、三台、屋上に踊り込んだのだ。

 彼らは頭上や足元を自由に飛び回り、隙を見せた燈月に機銃や、彼らのいつもの装備である鎌にも似た棒状の物を振るう。

 攻撃しては距離をとる彼らに、燈月は防戦一方だった。

 異形狩りを操っていたのは、史織だった。

 指揮師としての能力だ。

 燈月は、悔しそうな顔を一瞬見せた。自己のエアバイクに乗ると、すぐにその場から姿を消した。




「何だったんだ?」

 史織は思わず声に出していた。

 黒い百鬼夜行は、竜巻のように天に伸びていた。

 異形狩りがその周りを飛び、中の本体を切り取ってゆく。

 今や、史織が全員を支配下に納めていた。彼らを使って、百鬼夜行を殲滅しているのだ。

 全てが終わるまで、朝方までかかった。 

 さすがに史織は疲労困憊し、その場にしゃがんで、朝日を眺めた。

「お疲れ様」

 陽唯が優しく声を掛ける。

「……ああ。陽唯も助けてくれてありがとね」

 芽衣が割って入るように、史織の肩を揉みだした。

「こってますよ、おっ客さん」

「あー、いいわー、それ」

 史織は身体の力を抜いた。

「結局、何者が相手かわからなかったけど。

杭打ちもあの女も」

「杭打ちは、異形狩りのとこに聞きに行九しかないなぁ」

「こんなに疲れてるのに!?」

「若者を侮ってもらっちゃ困るな、お嬢さん」

 よっこらせ、と口にして、史織は立ち上がった。

 昇った太陽は、無駄に市内を明るく染めていた。

 



 我麻尾(がまお)市は異形狩りと脱法の最悪な治安都市として有名だった。

 ただでさえ違法建築の多い大堵谷県だが、ここはもう立体スラムと言っていい。

 天まで様々な看板が建ち並び、一個の街は一つの巨大な建築物になっている。

 道路は細く迷路のように入り組んでいた。

 街の塊は単純に数字で何番街と呼ばれている。

 史織たちはその中で九十一番街に入っていった。

 独特の腐臭じみた匂いが立ち込める中を、あちらこちらとまるで思いつきに作られたカーゴで、五階まで上がる。

 切れた電灯と日々の入った、「電子タバコ」という看板の一室まできた。

 そこでまたヴィジョンが飛び出してきてニュースが流れた。

 伊蘇実市で数か所、巨大な爆発があり、伊蘇実大学も含めて全壊というものだった。爆発物の残留物は無く、謎の爆発だという。

「これは……」

 さすがに史織も言葉を失う。

 芽衣は表情が固まり、陽唯だけが泰然としていた。

「……おいコラ、ひとの店の前で立ち止まるな。どっか行け!」

 店の奥からしわがれた叱咤が飛んできた。

 我に返った史織は、店の奥に笑いかける。

「失礼しました。お久しぶりですね、楼壬(ろうみ)さん」

 店内に商品の見当たらず、カウンターがあるだけの所に、長髪で髭の長い、着物を着た黒メガネのいかにも怪しい老人が座っていた。

「史織も芽衣も元気そうだな。疲れてはみえるが。もう一人は初めてだ」

 楼壬は矍鑠としていた。

「はじめまして。陽唯といいます」

 短く挨拶する。いかにも陽唯らしい。

 ニヤリとして、楼壬は電子タバコを咥える。

「……おまえ、珍しいタイプの人間だな。この店じゃ久しぶりに見る」

 好奇心がうずいているように、髭をしごいている。

「昨日というか、今朝の百鬼夜行で聞きたいことがあるんですが、楼壬」    

 史織の態度は慣れ親しんだ敬意という具合だった。

 実際、左時に会うまでは彼の元に頻繁に来ていたのだ。

 楼壬はこれで若い頃は異形狩りだった。

 それも、当時は最も有名な名手であった。

 引退後、彼はここで電子タバコ屋を掲げながら、異形狩りたちに情報屋を生業としていた。

「悪いが史織、おまえには話すことはないよ?」

「なんでですか?」

「決まってるだろう。おまえが首を突っ込むと、ロクなことにならない」

「そんな? 別に何も起こってないでしょう?」

「そういうもんだ」

「どういうもんです!?」

 楼壬はケタケタと笑う。

「芽衣と陽唯といったか、こっちにこい。金額次第で幾らでも質問に答えてやるぞ」

「女好きな金の亡者とか最低だな……」

 史織が反撃する。

 楼壬は笑っただけで取り合わない。

 カウンターに両肘を立てて頭を乗せた芽衣はさっそく疑問を口にする。

「で、ズバリ犯人は?」

「わからん」

「えーーー!?」

「いきなりそんなのわかるわけないだろう?」

 楼壬は電子タバコを指の代わりに振った。

「代わりと言っちゃなんだが、伊蘇実市の材木屋でおまえたちぐらいの少年少女が、杭に丁度いいぐらいの木を大量購入している」

「へぇ……」

 芽衣は考えるように返事をした。

 楼壬は続ける。

「店の親父はな、その集団をみて、すぐに伏紀だと感じたらしい。奴ら独特だからな、色々と」

 いきなり、涼正会と競っている右翼団体の名前をだされ、芽衣は困惑した。

「どうして、そいつらが?」

「そこまではわからん。犠牲者も涼正会関係者と言っているよな」

「ええ」

「ついでに加えると、そのあとの伊蘇実市の爆発は、爆発物が見当たらないところを見ると、何かの術を使ったとしか思えんな」

「……んー、なるほど」

「どうだ、大サービスな情報だろうが?もう一つ、良い情報をくれてやる。左時はそれまで研究していた技術が盗まれて、拗ねている」

 楼壬は煙を吐いて肩を揺らした。

「左時が? 宇也とかにじゃなくて?」

「アレは共同研究者と言ったところか」

「なるほど」

「さぁ、終わりだ嬢ちゃんがた。この老骨に休息を与えて遅れや」

「すごく役立ったよ。ありがとう!」

芽衣は手を振りながら店を出た。

「……伏紀に、術での爆破かぁ」

 小道に立っていた史織が考えるようにつぶやいた。

 ここまで聞こえてきたのだ。いや、聞かせたのだろう。

「正直繋がらないから、別物と考えた方が良いなぁ」

「で、どうするかな? 伏紀に乗り込む?」

「それは危険だよ」

 陽唯が止める。

 帰り路である。

「とりあえず、今日は休もう。史織も限界らしいし」

「そうだね」

 史織は、時折足元がおぼつかなくなるぐらいだった。時折、芽衣が支えてやる。彼の表情は眠気と必死に戦っていた。

 三人は一度、神社近くのところまで戻り、それぞれの宿にわかれた。

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