Episode13 星屑になった悪魔
羽音は夢中で一つしかない羽を羽ばたかせた。
行く当てなどなかったけど、以前にもこんなことがあった気がしてならない。それは寒い夜の出来事で……。
「あ、あそこ……」
そこには、古く立派な教会がひっそりと佇んでいた。霧に包まれ、全貌を見ることはできないが、そこに明りはなく真っ暗だった。
「よくわからないけど、懐かしい」
羽音が教会の扉に触れるが、鍵がかかっているらしく開けることはできなかった。
悪魔の自分が、なぜこんなにも教会に惹かれるかなんてわからなかったけど、羽音はこの場所が酷く大切な場所に感じられる。
でも、今の羽音には、その記憶を思い出すことさえできなかった。
教会の近くには大きな湖があった。オレンジ色の満月が、その湖面に映し出され、儚くユラユラと揺れている。岸に打ち寄せるさざ波に、少しだけ心を奪われてしまった。
「これからどうすればいいいんだろう……」
羽音はどうしたらいいかのか分からなかった。
「もう、消えてしまいたい……」
そう呟いた瞬間……。
『これが最後のチャンスよ』
「……え?……」
羽音の耳に、湖の水が揺らめく音と共に、女性の声が聞こえてくる。
「この声……僕を封印した、ミセス・サラの声だ……」
羽音が思わず目を見開いた。
モヤのかかる記憶の中で、ミセス・サラの記憶だけは、なぜか鮮明に残っている。その声に縋るかのように辺りを見渡しても、ミセス・サラの姿はない。
『少しでも、貴方の中に来栖羽音が残っているうちに、誰かに精液を分け与えてもらいなさい』
羽音は、今自分の体の中に、二人の人格が存在していることを感じる。
インキュバスである『ハノン』に、人間だった『来栖羽音』。
羽音がかろうじて存在していることで、自分はインキュバスであるハノンに支配されきっていないのだという事に、気付かされた。しかしそれと同時に、羽音という人格があるからこそ、人間から精液を分け与えられることに強い抵抗を感じてしまっている。
羽音は、人間であり続ける為に、自分が消え去ることを望んでいるのだ。
『もし貴方が、九条君と結ばれたいと思うなら、あの日三人で考えた秘密の合言葉を彼に伝えなさい。これが、私が貴方にしてあげられる最後の事よ。羽音、これが本当に最後のチャンスだから……』
羽音は、その場にそっと座り込んだ。そして、自分を抱き締めるかのように、膝を抱えて蹲る。
そして、おぼろげな頭の片隅に残る記憶を手繰り寄せた。
瑞稀とミセス・サラの三人で教会にクリスマスツリーを見に行ったあの日、三人で『最後の合言葉』を決めたのだ。その合言葉が、最後の砦だとミセス・サラが話してくれた。
「でもね、この最後の砦である合言葉は、インキュバスのハノンを封じるではなく、消滅させてしまう」
「消滅……?」
「そう、消滅よ。人間である来栖羽音と共に……」
「え?」
ミセス・サラのその言葉に、羽音だけでなく、瑞稀も目を見開き言葉を失ってしまう。
「でも、これは未来へ向けての大きな賭けでもある」
「賭け……?」
「羽音とハノンが消滅することで、羽音が人間へと生まれ変わることができるかもしれない。そしたら、また出会って恋をすればいい」
「でも、そんなの無茶なことは…」
「無茶じゃないのよ。実際に奇跡は起きている」
「奇跡が……?」
「ええ。私は、実際にその奇跡を目の当たりにしている」
不安そうにミセス・サラを見つめる羽音の手を、ミセス・サラがギュッと握ってくれた。
その痩せて強張った手を、羽音もそっと握り返す。
「大丈夫よ、羽音。奇跡は起きる。だから、運命を信じて」
そう微笑むミセス・サラの笑顔が、まるでクリスマスツリーのようにキラキラと輝いていた。
ぼんやりとした記憶の中に、いやに鮮明に刻み込まれている出来事。それは、羽音の胸をギュッと締め付ける。
「結局は、人間にも、インキュバスにもなれなかった……」
羽音の頬を涙が伝う。
今日は綺麗な満月だ。まるで硝子細工みたいなたくさんの星達が、地上を淡く照らしていた。
「あの人は誰だったんだろう……」
自分のことを、涙を流しながらも抱こうとしていた人物の存在が気になって仕方ない。
きっと、羽音を救いたい一心だったのだろう。
「誰だったんだろう……ん?」
湖の水音に混じり、何か大きな物が羽ばたく音が聞こえて、羽音は顔を上げた。
「……え?……なんで……」
羽音の目の前には、怖い位大きな満月を背に、静かに地面へと降り立ったインキュバスがいた。背中から生えた真っ黒な羽は、羽音と違い二枚ある。その、あまりにも綺麗な姿に思わず息を飲んだ。
「インキュバス……?」
そのインキュバスは、自分の元へと無遠慮に歩み寄ってくるものだから、羽音は思わず立ち上がり身構えた。
「は? お前、俺のこと覚えてないの?」
「お、覚えてない……」
「ふーん。でも、その様子なら、まだ『ハノン』に全てを乗っ取られてるわけじゃなさそうだな」
目の前のインキュバスが、少しだけホッとしたような顔をした。
「俺はインキュバスのカナデだ。お前、俺がせっかく届けてやった白百合の花を食わなかったのか?」
どうやら自分のことを知っている素振りを見せるカナデに、羽音は少しだけ警戒心を解いた。
「ミセス・サラのばあさんが、気を利かして『最後の砦』を用意しておいてくれてよかったな? じゃなきゃ、今頃お前は、とっくにハノンに乗っ取られてるとこだぞ? ただ……もうお前に残された時間は、もう本当に僅かなようだな」
カナデは、痩せ細った羽音を見て痛々しそうに顔を歪めた。
「まぁ、全部俺のせいなんだけどさ……」
そのままカナデは、羽音に背を向ける。
「ねぇ、どこに行くの?」
羽音は、一人になるのが心細かったから、思わずカナデを呼び止めた。
「どこって、九条瑞稀を呼んでくるんだよ。きっと、今頃血眼になって、お前を探してるだろうから……」
「九条瑞稀?」
「お前、瑞稀の事も覚えてないのか?」
「ごめん。覚えてない……」
「マジかよ? お前の彼氏だろうが?」
「え?」
カナデの予想外の言葉に、羽音は思わず目を見開く。まさか、自分に恋人がいたなんて……自然と頬が熱くなるを感じる。
「きっと……あの人だ……」
羽音はとっさに先程まで一緒にいた青年を思い浮かべた。
「お前にベタ惚れの彼氏に、さっさと抱いてもらえよ? それに、瑞稀に最後の合言葉を言えば、もしかしたらインキュバスのハノンを封印できる可能性もゼロじゃない」
「でも……」
「でも、じゃねぇよ? お前、このままじゃハノンに体を乗っ取られるか、衰弱して死ぬかのどっちかだぞ?」
「…………」
羽音は、カナデのその言葉に息を飲む。カタカタと体が震えて上手に息が吸えない。必死に酸素を求めて、口を開いた。
『死ぬ』ということを、すぐ身近に感じた瞬間だった。
「生きろよ、羽音。ミセス・サラの為にも……瑞稀の為にも」
「カナデ……」
「いいんだよ。インキュバスが誰かに愛されても」
カナデが羽音の額にデコピンをする。羽音が思わず顔を顰めれば、カナデがフッと微笑んだ。
「痛ぃ……」
「羽音、絶対にお前をハクのように星屑になんてさせないから……ここで待ってろ」
それから、羽音の顔を真剣な顔で覗き込む。その真っ赤な瞳があまりにも綺麗で、羽音は吸い込まれそうになった。
「瑞稀が来たら、難しいことなんか考えずに、あいつに身を任せればいい」
「でも、でも僕は……」
「大丈夫。お前を助けてやれるのは、もう瑞稀しかいないんだから。あいつなら、お前に惚れきっている瑞稀なら、きっと何とかしてくれる。俺は、そう信じてるから」
「カナデ……」
「本当に、こんなにも馬鹿なインキュバスは、『ハク』とお前くらいしかいねぇよ」
そう言い残すと、真っ黒な羽を広げてカナデは行ってしまった。
カナデが行ってしまった後、羽音はその場にグズグズと崩れ落ちる。もう自分の体を支える力も残されていなかった。ついには、その場に蹲ってしまう。
「瑞稀……瑞稀……」
カナデが教えてくれた、自分の恋人だという人物の名前を呼んでみる。 今の記憶を失った羽音にしてみたら、初めて聞く名前のはずなのに……ひどく懐かしくも感じた。
「瑞稀……僕は、インキュバスに戻りたくはない……」
ポツリ羽音は呟く。目頭が熱くなって涙が溢れ出した。
「瑞稀……」
意識が段々遠退いていくのを感じ、羽音はそっと目を閉じる。
夢の中で、クリスマスツリーを見た気がした。
「羽音」
「んッ……」
優しく自分を抱き上げる声と、優しい温もりに、羽音は目を覚ます。
──なんて優しい声なんだろう。それに、凄く懐かしい……。
羽音は無意識に、その温もりに頬擦りをする。
「ふふっ。可愛い」
そんな羽音を、愛おしそうに抱き締めてくれた。
「君が……瑞稀……?」
「はい。俺が九条瑞稀です」
「あぁ、やっぱり……」
羽音は思わず微笑んだ。自分の予想が当たっていたことが嬉しかった。彼が、瑞稀だといいな……と、羽音は思っていたのだ。
「瑞稀は、僕の恋人なの?」
「ええ。そうです」
「じゃあ……その、あの……」
「ふふっ。体の関係だってあります。今の羽音は覚えていないだろうけど……」
「え!?」
「はい。僕は、貴方を抱きましたよ」
恋人なんだし、もうそこまで子供じゃないのだから、体の関係があっても別に不思議ではないだろう。でも、羽音は恥ずかしくて……瑞稀のキャソックにしがみついて、顔を隠した。
「あなたをこの湖で見つけた時、真っ白な羽がとても綺麗で……。俺は、貴方に一目惚れをしました」
瑞稀が少し照れ臭そうに微笑む。
「あの夜……空が急に明るくなって部屋の窓を開けたら、誰かが俺を呼ぶ声がしたんです」
「呼ぶ声……?」
「はい。『寂しい、寂しい……誰か助けて』って。その声に導かれて、俺は湖に行きました。そしたら……天使がいた。あの声は、羽音だったんですね」
「瑞稀……」
「あの時から、僕の気持ちは全然変わっていません。インキュバスの貴方だって、本当に綺麗です」
「き、綺麗なんかじゃないです」
「いいえ、綺麗ですよ。だから見た目なんかの問題じゃないんです」
瑞稀が、寂しそうに目を伏せた。
「インキュバスになることで、羽音が羽音でなくなってしまうことが……俺には、耐えられない」
今にも泣き出しそうな顔をするものだから、羽音は瑞稀を優しく抱き締める。瑞稀が寂しそうな顔をすることが、羽音は何よりも辛く感じられたから。
「瑞稀、泣かないで……」
「俺は、俺は……貴方がいなくなってしまったら……生きていけない……」
小さく肩を震わせる瑞稀を、更に力を入れて抱き締めた。
そして感じる。
自分は、どんな姿でも生きていなければならない。そして、例えインキュバスだとしても、神父に愛されてもいいのだ……と。なぜなら、自分はこんなにも瑞稀に愛されているのだから。
「瑞稀、お願いがあります」
羽音は、瑞稀の顔を覗き込んだ。
「僕は、君から精液を分け与えられるくらいなら、死んでもいいと思ってました。その思いは今も変わりません」
「羽音……貴方は、本当に強情だ」
「それから、僕は君と一緒に生きてみたかった。それから……」
羽音は瑞稀を見つめながら、フワリと微笑んだ。
「瑞稀とクリスマスを一緒に、お祝いがしたかった」
「羽音……記憶が?」
瑞稀の言葉に、羽音が寂しそうにフルフルと首を振る。
「全部は思い出せません。クリスマスツリーが綺麗だったことと、君の腕の中が温かったことと……それから……」
「それから?」
「君とのキスが気持ちよかったことは、思い出しました」
羽音は瑞稀の首に腕を回し、その体を恐る恐る抱き寄せて……そっと、唇を重ね合わせる。その柔らかさと温かさに、羽音の胸が締め付けられた。
そんな羽音を許さない、と言わんばかりに体の中を黒いドロドロした物が流れる感覚を覚える。
「飲み込まれる……」
羽音は自分に襲い掛かってくる、得体の知れない何かに、強い強い恐怖を感じた。ゆっくりと、でも確実にハノンがゆっくりと忍び寄ってきている。
「ねぇ、瑞稀。ミセス・サラと、教会のクリスマスツリーを見た日の事を覚えていますか?」
「はい、覚えています」
「あの時、ミセス・サラが僕の為に『最後の砦』を用意してくれた。僕が、インキュバスにならない、たった一つの残された方法」
「まさか……駄目です、羽音。そんなの駄目だ」
「いいえ、瑞稀。今、まさにその時が来たのです」
「羽音……」
あの日ミセス・サラは、羽音の為に『最後の砦』を用意してくれた。
それは、秘密の『合言葉』で、インキュバスに身も心も支配されそうになった時に使いなさいと、笑顔で教えてくれた。
それでも、「本当に本当に最後の最後まで、この言葉を言っては駄目よ」と、何回も何回も念を押されたのだった。
「だって、あの合言葉を言ったら……」
「はい。僕共々、インキュバスのハノンが消滅します」
「わかってるのになんで……」
「でも、僕は人間のまま星屑になりたい。だから……」
「駄目だ、駄目だ羽音」
「瑞稀……」
「お願い、そんな合言葉なんて言わないで。俺を置いて行かないで……」
子供のように嫌々をしながら首を振る瑞稀の髪を、そっと撫でてやる。
「瑞稀……僕はもう、インキュバスになんてなりたくない。だから、合言葉を言います」
「羽音……嫌だ……」
「瑞稀、愛してます。だから『さよなら』だよ」
「嫌だ……」
「瑞稀、『さよなら』」
瑞稀がハノンをきつく抱き締めようとした瞬間、シュッとひとつの流れ星が綺麗な尾を引いて夜空を駆け抜けた。その流れ星は一瞬で消えてしまったけど、後から後からまるで流星群のように、たくさんの星達が夜空を駆け抜けていく。
それは、羽音と瑞稀が湖で出会った日の光景と、とてもよく似ていた。あの日、瑞稀は羽音の真っ白な羽を「天使みたいに綺麗だ」と言ってくれた。羽音は、それがとても嬉しかったのだ。
「瑞稀……僕は何もいらないよ」
「え……?」
「だって、僕は今、こんなにも幸せだから……」
たくさんの流れ星が、羽音と瑞稀の上に降り注ぎ、湖へと消えて行った。
「もう何もいらない。僕は、瑞稀が大好き」
いつの間にか真っ黒な羽は消えて、銀色の髪がサラサラと冷たい風に揺れている。そんな中、羽音がまるで天使のように微笑んだ。
「瑞稀が……大好き……」
「……羽音? 羽音、ですか……?」
「はい」
羽音は瑞稀に向かってにっこりと微笑む。
その笑顔を見て、瑞稀が体を起こしギュッと羽音を抱き締めた。そのあまりの力強さに、羽音は一瞬顔を顰めたけど、「ふふっ」と思わず笑ってしまう。
変わらない瑞稀の腕の中は、やっぱり落ち着くし、そして……温かい。羽音は、瑞稀の胸に顔を埋めて、頬擦りをした。
「あぁ……羽音だ……羽音だぁ……」
瑞稀の体が小刻みに震えている。驚いて羽音が体を離せば、瑞稀が静かに泣いていた。
その温かい涙を唇で掬い取ってやる。瑞稀の涙は温かくて塩辛かった。
「会いたかった」
瑞稀が照れくさそうに笑った。
「良かった……瑞稀が笑ってる」
この瞬間、羽音の心の中で、ゆっくりと時計の針が止まったのを感じる。
「もうこれで、思い残すことなんてない」
瑞稀の涙が羽音の頬に垂れて、ゆっくりと伝っていく。その温もりに、羽音の凍え切った心が、春の日差しを浴びてキラキラと輝く雪のように溶けて行った。
羽音は、全てを忘れないように心に刻み込む。
瑞稀との楽しかった日々を、思い起こそうとしたけど……涙が出そうになったから、そっと思い出の宝箱に閉じ込めて鍵をかけた。
羽音は、自分の命の灯が、今まさに消えて行こうとしているのを感じている。
インキュバスでありながらも、誰かを愛し、誰かに愛されたいと思っていたあの頃。いつも一人ぼっちで、孤独だった。
そんな羽音に、本当の愛情を教えてくれたのが瑞稀だった。羽音にとって、瑞稀はキラキラ光る宝物だ。
「瑞稀。どうか立派な神父になって、たくさんの人に救いの手を差し伸べてあげてください」
「……何を突然……このまま、ずっと一緒にいたいです……」
羽音は寂しそうに笑いながら、首を横に振った。
「今度生まれてくる時には、僕は人間に生まれてきます。そしたら、君を必死に探します」
「嫌だ……嫌だ……そんなの嫌だ……」
羽音は子供のように泣きじゃくる瑞稀の頬に、唇を寄せる。最後の瞬間は、笑顔で「さよなら」をしたかったから。
「もし、瑞稀を見つけることができたらお願いがあります」
「……お願い……?」
「はい」
羽音がフワリと微笑んだ。
「一緒にクリスマスをお祝いしてください」
「クリスマスを?」
「今年はクリスマスを一緒にお祝いできなかったから……生まれ変わったら、瑞稀と一緒にクリスマスを過ごしてみたい」
俯いたまま顔を上げようとしない瑞稀の顔を、羽音はそっと覗き込んだ。
「瑞稀……」
額に唇を寄せてそっと口付ける。
「お願い。笑って……? 瑞稀……」
そっと耳元で囁けば、瑞稀が苦しそうに首を横に振った。
爪が喰い込むくらい強く拳を握り締め、血が滲むのではないか……という位唇を噛み締めている。
「俺は、貴方が星屑になる瞬間、笑っていようと決めてました。でも、ごめんなさい…… 涙が……止まらない……」
「瑞稀……」
「だって自分勝手過ぎるでしょ? 俺の意見とか考えとか一切聞かないし、本当に頑固だし……」
「そうだよね。ごめんなさい……」
「俺の為に死ぬとか、本当にありえないでしょ?」
瑞稀は溢れる涙を拭う事さえせず、羽音の顔を見上げた。羽音の腰に回された手は、弱々しく震えている。
「どんだけ俺の事が好きなんですか? これじゃあもう、何も言い返せない……」
瑞稀の涙からポロポロと溢れ出す、水晶玉みたいに綺麗な涙に羽音は吸い込まれそうになる。羽音は、瑞稀の胸に顔を埋めた。
「お願い瑞稀……笑ってて? 笑って『さよなら』して?」
羽音には、三つだけ願い事あった。
ひとつ目は、いつも瑞稀に笑っていて欲しいということ。二つ目は、瑞稀に立派な神父になって欲しいということ。そして、最後の願い事は……瑞稀がまた誰かと恋をして、幸せになって欲しい……ということ。
「瑞稀……笑って……」
瑞稀に頬を寄せてから、そっと唇と唇を重ね合わせた。
「わかりました」
「瑞稀……」
「また会えた時には、一緒にクリスマスをお祝いしましょうね。俺も、死ぬ気で貴方を探します。そして必ず見つけ出す……どこにいても、どんな姿でも……必ず、見つけ出しますから……」
「うん」
「羽音、俺は貴方の望む通り立派な神父になってみせます。でも……」
「でも……?」
羽音が、不安そうに瑞稀の顔を覗き込む。
「俺はもう二度と、誰の事も愛さない」
「……なんで……?」
「だって、俺は神父だから」
「…………」
「俺は、これが最初の最後の恋です」
瑞稀に抱き締められていれば、トクントクンという温かい鼓動が聞こえてくる。羽音は、それに耳を傾けた。
自分の心音と瑞稀の心音が溶け合って、とても心地いい……。
「羽音……愛してます」
「僕も、瑞稀を愛してます」
そのまま、もう一度唇を重ね合わせる。
羽音は、瑞稀の温かくて甘い口付けを、心の奥底に刻み込んだ。
決して忘れることがないように……。
「瑞稀……ありがとう……」
羽音が微笑んだ瞬間、その体が眩い光に包まれる。
優しい光に包まれた羽音は、瑞稀の腕の中で星屑となって消えて行った。
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