Episode10 ミセス・サラの過去
「ミセス・サラ。おはようございます」
「あ、おはよう。羽音」
羽音は瑞稀と恋人同士になってからも、ミセス・サラの部屋を毎日訪れ続けていた。
ミセス・サラに若干の後ろめたさがあるせいか、瑞稀の話は口に出せないでいる。それでも、きっと全ての事を知っているのだろう。しかし、ミセス・サラは羽音を問いただしたり、嗜めたりすることはせず、いつでも優しく迎えてくれた。
今日は週末ということもあり学園は休校。学生たちは各々気ままに過ごしているはずだ。そんな日も、羽音がミセス・サラの元を訪れる日課は変わらない。
「ねぇ、羽音。お願いがあるんだけど?」
「ミセス・サラ、何でしょう?」
「教会にあるクリスマスツリーを見に行きたいの」
そうミセス・サラはにっこり微笑んだ。
ミセス・サラは、もう自分で歩く体力すらないため、羽音が車椅子を押して教会へと向かうこととなる。寒くないように彼女のお気に入りの真っ赤なコートを羽織り、膝には手編みのブランケットを掛けた。
「ごめんなさいね、赤ちゃんみたいで」
何をするにしても、介助をしてもらわないといけないミセス・サラは、羽音の方を見て申し訳なさそうに笑う。その笑顔を見るのが、羽音は辛かった。
すると、部屋を出る時にミセス・サラは羽音を振り返っては、顔を輝かせた。
「あ、そうそう。九条君も呼んであげたら? たまにはデートを楽しみなさいよ」
「え? で、でも……」
「いいのいいの。さぁ、九条君に声をかけてから教会へ向かいましょう」
そっと羽音の腕を、か細い指が摩った。
ミスター・ハルに、教会へと連れて来られた瑞稀は眠そうだった。
「まだ寝てたの?」
「ふわぁ。今日は休みだから……」
「ふふっ。子供みたいだなぁ」
甘えた声を出しながら、瑞稀が羽音の肩にもたれ掛かる。そんな瑞稀を見て、羽音が愛しそうに笑った。
「本当に仲がいいのね」
そんな二人に、ミセス・サラは幸せそうに目を細める。
「あ、ほら。クリスマスツリーよ!」
ミセス・サラがクリスマスツリーを見た瞬間、キラキラと目を輝かせた。
まだ早朝の教会は、真っ白な朝日が差し込み、クリスマスツリーを優しく包み込んでいる。鳥のさえずりが響き渡り、なんとも清々しい。
ミセス・サラは、深く深呼吸をした。
「綺麗ね、クリスマスツリー。ずっと見たかったのよ」
「本当に綺麗ですね」
羽音も思わず、溜息をついた。
毎年教会のクリスマスツリーなんて見てきたけど、今年のクリスマスツリーはいつもと違って見えた。瑞稀がいるだけで、全てがキラキラと輝いて見える。
その隣で、まだ眠そうに欠伸をしている瑞稀。やっぱり可笑しくて、羽音は笑ってしまった。
「ふふっ。二人が仲睦まじくてよかったわ。また、聖水を用意しないとね」
ミセス・サラは、羽音が瑞稀に会う時には、未だに聖水を飲んでいることを知っていた。
「今日はね、二人に話があってここに呼んだの」
「話、ですか?」
「えぇ、羽音。どうしても話しておきたいことがあるのよ」
ミセス・サラがクリスマスツリーを見上げながら、静かに話しはじめた。
「私は今、病魔に侵されています。きっと、余命幾許もないわ」
彼女の静かだが凛とした声が響く。
その言葉の意味を飲み込めるまで、羽音はずいぶんと時間がかかった。ミセス・サラの前でそれだけはしたくなかったと思うものの、心の支えである彼女の余命の話に、羽音は強い動揺を隠せなかった。
「そんな……そんなこと、信じません! ミセス・サラ、貴方は、貴方はまだ……、 こんなにお元気なのに…!」
少しだけ寂しそうに微笑んだミセス・サラに向かって、羽音が珍しく声を荒げた。
そんな羽音を見たミセス・サラは目を見開いた後、クスクスと笑い出す。その笑顔は、まるで少女のように見えた。
「ありがとう。でも、残念ね。私はもうすぐ死んでしまうわ。だから……」
ミセス・サラが羽音と瑞稀の手をそっと取って、静かに囁いた。
「私が、死んだ後の話をしましょう」
羽音の手を握るミセス・サラの手は、まるで小枝のように細かった。もう、きちんと食事もとれなくなっているのかもしれない……羽音はそう感じる。
「私が死ねば、水晶玉に閉じ込めてある、インキュバスの『ハノン』の封印が解けます」
「え?」
「インキュバスの封印が……?」
ミセス・サラの言葉に羽音と瑞稀が反応した。
「封印が解けると、羽音はどうなってしまうんですか?」
瑞稀が不安そうにミセス・サラの顔を覗き込んだ。その、あまりにも真剣な表情にミセス・サラが悲しそうな顔をする。
「また羽音は、インキュバスに戻ってしまうわ……」
「そ、そんな……」
羽音が顔を引き攣らせた。
「この綺麗な銀色の髪は烏の羽の色のようになり、背中から真っ黒な片羽が生えてくる」
「……嘘だろう?」
羽音の隣に瑞稀も言葉を詰まらせる。そんな事、信じたくなかったから。
「きっと、長い間水晶玉に閉じ込めれてた『ハノン』は怒り狂っているはず。その反動で封印が解けた瞬間暴れ出すことでしょう。恐らく、悪魔であるハノンに、人間である来栖羽音は消されてしまう……」
ミセス・サラが唸るように呟いた。
「そんな……嘘だ……」
羽音は言葉を失い、スッと全身の力が抜け、ガクンとその場に崩れ落ちそうになる。それを咄嗟に瑞稀が抱き留めた。
「羽音、大丈夫ですか?」
顔面蒼白になり目を虚ろにした羽音に、瑞稀はそっと囁きかける。そのまま華奢な羽音の体を強く抱き締めた。
「大丈夫です。貴方には俺がいます」
「僕は、僕はどうしたら……」
羽音が、瑞稀とミセス・サラに縋るような視線を向けながら、苦しそうに言葉を絞り出す。
「僕はどうしたらいいですか? もう、インキュバスには戻りたくない」
「ええ、そうね」
ミセス・サラが羽音の手をギュッと握り締める。
「私、考えたの。もう一度、インキュバスを封印する方法を」
「そんな事できるんですか!?」
瑞稀が体を乗り出す。何とか羽音を助けたい……彼の必死さが伝わってきた。
「でもね……それはとても大変な試練だから……」
「なんでもします、羽音の為なら! だから、ミセス・サラ、その方法を教えてください。
俺は、羽音の為ならなんでもできます」
あまりにも必死な瑞稀を見れば、羽音の胸は熱くなる。心の底から愛されていることが伝わってきたから。
「わかったわ。それはね……」
ミセス・サラが、まるで魔法の呪文を唱えるかのように言葉を紡いだ。それはまるで、聖母の囁きにも聞こえる。
しかし、羽音と瑞稀には、彼女の言葉の意味が理解できなかった。そんな事はできない……二人の心が絶望で押し潰されそうになる。
「そ、そんな……」
「そんなのは不可能でしょ!?」
ミセス・サラの言葉を聞き終わった瞬間、カタカタと震え出す羽音に、顔を強張らせる瑞稀。そんな二人を見て、ミセス・サラは困ったように微笑んだ。
「ねぇ、突然なんだけど、昔話をしてもいいかしら?」
「……昔話?」
羽音がボンヤリと呟く。
「そう、私がまだこのセイント・アクシオス学園の生徒になる前のお話よ」
羽音を見下ろしながら、ニッコリと微笑んだ。
「私はね、インキュバスに出会ったことがあるの」
瑞稀は驚いて目を見開いた。でも、そう考えれば納得が行くのだ。彼女がどうして、ここまで羽音のことに気に掛けるのかも。どうして、自分達が恋に落ちても、一切咎めることをしないのか……という事も。
「そのインキュバスは、本当に綺麗な子だった。肌は蝋みたいに真っ白で、髪は闇夜のように真っ黒で……背中には黒光りする大きな羽があった。そして、何よりも印象的だったのが、海のように真っ青な瞳だったわ」
ミセス・サラは、当時の事を思い出すかのように、少しだけ遠い目をする。
「その子は、私の実家にある教会に、ある日ひょっこり現れて、インキュバスだっていうのに教会に住み着いてしまったの」
クスクスとミセス・サラが笑う。
「本当に優しい子で、私達はすぐにお友達になったわ。彼と過ごす時間はとても素敵で、私は彼が大好きだった。私はシスターを目指す身分であり、彼は悪魔なのに……そんなの全然関係なかった」
ミセス・サラが穏やかな瞳で、羽音を見つめる。
「そう、関係ないのよ。神父とか、シスターとか、悪魔なんて……関係ないの」
そう、羽音に言い聞かせるように呟いた。
「彼の名前は『ハク』。そして……」
ミセス・サラが眉間に皺を寄せて、少しだけ苦しそうな顔をする。
「ハクは、一人の青年と恋に落ちた……。ハクは、どうしようもない位に、一人の青年を愛してしまったの。はじめは見ているだけで幸せだったのに、いつからか、ハクはその青年に触れたい、抱き合いたいと思うようになった。でも彼はインキュバス。彼が自分と接するということは、決して幸せなことではない……そうハクはわかっていた。それでも、どんどん思いは募っていったわ」
ミセス・サラが大きな溜息をつきながら、それでも少しだけ幸せそうに笑う。ミセス・サラは相変わらずクリスマスツリーを眺めている。オーナメントが、日光に当たりキラキラと輝いた。
「ハクが恋したのは誰だと思う?」
ミセス・サラは悪戯っ子のような顔をして、羽音と瑞稀を代わる代わる見つめる。でも、二人には見当もつかなくて、フルフルと静かに首を横に振った。
「ハクが恋したのはね、私の兄」
「……え? という事は……」
「そう。ハクが恋したのは神父」
羽音が真ん丸な瞳を、更に見開いた。
「貴方達と似ている。『インキュバス』のハクは、私の兄である『神父』に恋をした」
ミセス・サラが悲しそうに微笑む。
当時の事を、きっと鮮明に思い出しているのだろう。ミセス・サラの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「でもね、美しいインキュバスのハクに、私の兄もどんどん惹かれていって、いつしか愛し合うようになった」
「…………」
「それでも二人は結ばれることはなかった」
「え? どうしてですか?」
羽音が身を乗り出して、ミセス・サラに問い掛ける。
ミセス・サラは指先で涙を拭ってから、そんな羽音を見つめ返した。
「ハクもあなたと同じ。インキュバスである自分が、神父と結ばれる事を頑なに拒んだ。愛する兄から精液を奪いとる行為そのものに、ハクは強い抵抗を感じてしまったの」
「それで、ハクはどうしたんですか?」
羽音は恐る恐るミセス・サラの顔を覗き込んだ。
「ハクはね、本当に真面目で優しいインキュバスだった。愛する兄から精液を奪うこともできず、かと言って全く無関係の男性を襲うこともできずに……どんどん衰弱していったわ」
ミセス・サラの瞳から、堪えきれなかった涙がハラハラと流れ落ちる。その涙は、降り積もった雪のようにキラキラと輝いていた。
「ある日は、満月の綺麗な夜だった。ハクはもう起き上がることもできずに、兄に抱き締められていた。兄は泣きながら、自分の精液をハクに捧げたいと懇願したわ。でも、ハクの意志は揺るぐことなんてなかった」
羽音は、ハクの気持ちが痛いくらいわかってしまった。
ハクは、ミセス・サラの兄にインキュバスとして抱かれたくなかったのだ。一人の人間として、愛されたかったのだろう。
羽音は、そんなどこまでも意地らしいハクを思い胸を痛めた。
『私は、貴方を愛しています』
「そう囁いて、ハクは微笑んだ。そして……」
ミセス・サラが言葉を詰まらせる。
「兄の胸の中で息を引き取った……。ハクの亡骸は、月明かりを受けながら……」
『神父……貴方を愛しています。永遠に』
『私も、ハクを愛し続けます。永遠に』
「星屑となって、空へと消えていった……。星屑になっていくハクを、兄も私もただ見守ることしかできなかった」
ミセス・サラの頬を、一筋の涙が伝う。彼女のか細い体が、カタカタと小刻みに震えていた。羽音も目頭が熱くなり、思わず両手で顔を覆う。
「羽音……。大丈夫。貴方には俺がついてます」
そう優しく囁く瑞稀に、羽音は思いきりしがみ付く。
羽音は涙が止まらなかった。
ハクは一体、どんな思いで死んでいったのだろうか。
そんなハクを、ただ傍で見守ることしかできなかったミセス・サラの兄は……どんなに辛かっただろうか。
それを思うだけで、羽音の心は、引き裂かれるほど痛む。痛くて痛くて、涙は止まらなかった。
「大丈夫、大丈夫だから……」
羽音をあやすかのように優しく抱き締める瑞稀を見て、ミセス・サラは微笑んだ。
「九条君。私の兄は、愛する人を幸せにすることはできなかった。だから、貴方には羽音を幸せにしてあげてほしい」
すがるような瞳で瑞稀を見つめた。
「インキュバスだって、誰かを愛し、誰かに愛される権利はあるの。悪魔だって、神父に愛される権利はある」
「ミセス・サラ……」
「お願い。羽音は、羽音だけは幸せにしてあげて……お願い……」
ミセス・サラが瑞稀に向かって深々と頭を下げる。
瑞稀は、そんなミセス・サラを見つめながら、羽音を抱き締めることしかできなかった。
◇◆◇◆
「今日は、羽音の部屋に泊まっていきます」
「え? 突然なんですか?」
「嫌なら、俺の部屋に泊まりに来てください」
「だからなんですか? 急に……」
「そんな、今にも泣きそうな顔をした羽音を、一人になんてできません」
「瑞稀……」
そう言いながら、羽音のベッドにドカッと遠慮なく座り込む。今言った通り、自分の部屋に帰る気などサラサラなさそうだ。羽音は溜息を付きながらも、自分を気遣ってくれいる、心優しい恋人の隣にちょこんと座る。
「九条君。寮の規則で、生徒同士が部屋を行き来することは禁止されてますよ」
「わっ! 出た……生徒会長様……」
「ふふっ」
嫌そうな顔をする瑞稀を見て、羽音はつい笑ってしまった。
「でも、羽音。本当は部屋の行き来どころじゃなくて……」
「え?」
そのまま瑞稀は羽音をベッドへと優しく押し倒す。逃げられないように、羽音の体に覆いかぶさった。
「もっとエロいことする予定なんですが?」
「なッ……!?」
「だって好きでしょう? 羽音も俺とエロいことするの」
ニヤッと笑いながら、瑞稀が羽音の体に指を這わせる。それだけの刺激で、羽音の体はピクンピクンと反応してしまう。体が、自然と瑞稀を求め出してしまっていた。
「もうすぐ、聖水の効き目が切れる頃でしょう?」
「あぅ、あん……はぁ……」
瑞稀の手が、羽音の洋服の中をまさぐりはじめる。それだけで羽音の息はどんどん上がっていった。
「俺は、貴方を星屑になんかするもんか。絶対、絶対に、俺は貴方を守ります」
まるで神に誓うように囁く瑞稀の声を、熱く高鳴る鼓動を感じながら、羽音はしっかりと受け止めた。
「瑞稀、中には出さないで……インキュバスに戻っちゃう……」
「わかってるから大丈夫」
「ありがとう」
愛おしそうに羽音の頬を撫でる瑞稀にの手に、そっと頬ずりをした。
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